オフセット印刷を“産業標準”に変えた男──キャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)の功績と印刷機500年史

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第1章|キャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)が成し遂げたこと

19 世紀末、印刷工場はすでに 蒸気印刷機・輪転機・自動給紙 を手に入れ、「速く大量に刷る」点では限界を突破していました。ところが “どこまで美しく、高精細に刷れるか” という次の課題は残ったまま。そこで登場したのが キャスパー・ヘルマン(1871 – 1934) です。彼は偶然発見された転写原理を 「誰でも量産に使える機械」 へ昇華し、今日のオフセット印刷の礎を築きました。


1904 年──試作品を商業機へ引き上げた設計力

アメリカのアイラ・W・ルーベルが「版 → ゴムブランケット → 紙」という転写の美しさに気づいたのは 1901 年。しかし試作機は紙送りが不安定で量産には耐えませんでした。ヘルマンはこの原理をドイツへ持ち帰り、版胴・ブランケット胴・圧胴を一直線に配置した枚葉式オフセット機 を 1904 年に完成させます。鉄製フレームで剛性を上げ、水ローラーとインキローラーを独立駆動にしたことで長時間運転でも見当ズレしない印刷を初めて実現しました。

多色・高精細を実現──ローラー配置の革新

ヘルマン機の最大の特徴は、多色ユニットを直列連結できる設計思想です。各色ごとに版胴とブランケット胴を専用搭載しつつ、紙を傷めない枚葉搬送をキープ。写真やイラストのフルカラー同時刷りが現場レベルで実用化され、雑誌や広告ポスターが一気にカラフルになりました。印刷会社には「刷り直しコストの激減」「納期短縮」という明確なメリットが生まれ、導入ラッシュが起きます。

欧州市場の激変──“標準方式”への道筋

1907 年、ヘルマンは特許を取得した改良型オフセット機をドイツ国内で実演し、同年中に Triumph ブランドで量産を開始。3 年後には英国・フランス・オーストリアでも稼働し、「大量部数=活版/高精細=石版」という棲み分けを一気に崩壊させました。わずか 20 年で欧州商業印刷の過半数がオフセット方式へ移行したと報告されています。今日、雑誌・パッケージ・カレンダーなど私たちの身近な印刷物の多くは、ヘルマンの示した**“三胴構成の枚葉オフセット機”**の延長線上で刷られています。


第2章|“動力”と“方式”を分けて読むと、印刷機の進化は一気に理解できる

印刷機の進化を理解するうえで、多くの人がつまずくポイントがあります。それは「動力(Power)」と「方式(Process)」の違いが混在して語られることです。

実際、印刷の歴史500年は、「どうやって動かすか(動力)」と「どんな版で刷るか(方式)」という2つの技術軸が、交互に進化してきました。ここではこの2軸をあえて切り分けて、それぞれのブレイクスルーがいつ起きたのか、時代ごとに整理してみましょう。


手動から蒸気へ──ケーニッヒがもたらした「速さ」の概念

15世紀、グーテンベルクが使った平圧印刷機は、手でハンドルを回し、版と紙を上下から押しつける構造でした。1枚印刷するたびに、刷り枠を外して紙を交換し、再び手で圧をかける…という完全手作業の世界です。

この構造を根本から変えたのが、1810年にフリードリッヒ・ケーニヒが発明した蒸気印刷機でした。蒸気ピストンでプレスを動かす仕組みにより、人間の役割は紙の給排だけ。印刷速度は1時間に250枚から1000枚以上へと跳ね上がり、新聞・書籍の頒布コストは劇的に下がりました。


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ロール紙と輪転機──ホーとブルロックが加えた「止まらない」思想

ケーニッヒの蒸気機でも、紙は1枚ずつ差し込む「手差し」方式でした。ここに革新を加えたのがリチャード・マーチ・ホー。1843年、彼は紙をロール状に送り込み、円筒形の版胴が連続回転する水平ロータリー輪転機を発明します。

さらに1863年、ウィリアム・ブロックが自動給紙と折り機構まで組み込み、「印刷機を止めずに新聞を刷り続ける」モデルを完成。これは現在の商業輪転機の直系祖先といえる発明です。


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活版・石版・オフセット──版の原理が表現を塗り替える

印刷機の動力が強く、速くなる一方で、「どんな版で、どう刷るか」という方式の進化も止まりませんでした。

まず、18世紀末にアロイス・ゼネフェルダーが開発した**リトグラフ(石版印刷)**は、油と水の反発作用を使って、筆描きや濃淡も刷れる方式。これは図版や美術印刷の世界を一変させました。

そして20世紀初頭、アメリカのアイラ・ルーベルが偶然発見した“ゴム胴への転写”という原理を、キャスパー・ヘルマンが実用化。1904年、ブランケット胴を介したオフセット印刷機をドイツで完成させます。これにより「版が直接紙に触れず」「精細な網点を維持しつつ」「大量印刷できる」──つまり、美しさと量産性が両立しました。


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二つの軸がクロスする瞬間こそ、大きな進化点

  • 動力の革新(手動 → 蒸気 → ロール紙 → 自動搬送)
     →「どれだけ速く、たくさん刷れるか」が進化

  • 方式の革新(活版 → 石版 → オフセット)
     →「どこまで美しく、正確に刷れるか」が進化

この2つの技術が交差する **「クロス点」**こそ、印刷機の進化が最も劇的に起きる瞬間です。

1904年、キャスパー・ヘルマンのオフセット機は、高速搬送と網点再現という2軸を同時に成立させました。この機構は、現在の枚葉オフセット機にそのまま継承されています。

ヘルマンの功績は、印刷史における「動力 × 方式」という二本線の交差点=ハブを築いたこと。そこから100年以上、世界中の商業印刷が一直線に進化を続けているのです。


第3章|偶然の発見を産業標準に──ルーベルとヘルマンのリレー

印刷の歴史には、偶然が生んだ技術が数多くあります。しかし、それを産業技術へと育てるには、必ず“つなぐ人”が必要です。
オフセット印刷もまさにその一例。アメリカの印刷業者 **アイラ・W・ルーベル(Ira Washington Rubel)**と、ドイツの技術者 **キャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)**という二人の存在がなければ、私たちの身の回りにある美しい印刷物は誕生していなかったかもしれません。


ルーベルの“転写の美”──偶然が生んだ平版革命

1901年、ニュージャージー州で石版印刷を行っていたルーベルは、あるとき給紙を1枚分忘れてしまいます。
しかし次の紙に印刷された絵柄は、石版→ゴム胴(ブランケット)→紙という順に転写されたことで、元の版よりも鮮明で滑らかに出力されていたのです。

この偶然の発見が「オフセット印刷」の原理となりました。ルーベルは独自に試作機を作り上げ、実際に運用も試みましたが、給紙精度や耐久性、量産性に課題が多く、商業印刷の主流にはなりませんでした。


ヘルマンの突破──“使える印刷機”への3つの改良

この「転写の美しさ」にいち早く注目したのが、**ドイツ・ミュンヘンの技術者、キャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)**でした。
彼はルーベル方式を精密に分析したうえで、産業印刷機として運用できるよう、以下の3点において大幅な技術改良を施しました。


✅ 安定した紙送り構造

枚葉紙を一枚ずつ確実に送るため、紙揃え機構や吸着ローラーを採用し、給紙トラブルを解消。

✅ 水と油の繊細なバランス制御

従来の石版印刷の技術を活かし、水ローラーとインキローラーを独立制御に設計。インキの乗りムラや版汚れを大幅に軽減。

✅ 高精度な見当合わせ

鉄製の剛性フレームと高精度ギア設計により、長時間の連続稼働でも色ズレしない構造を確立。


こうして1904年、ヘルマンは三胴構成(版胴・ブランケット胴・圧胴)による枚葉式オフセット印刷機を完成させます。この機構設計は、現在でもオフセット機の基本構造として世界中に引き継がれています。


革新が広まるには、誰かが“構造に落とし込む”必要がある

ルーベルが偶然によって得た「転写原理の美しさ」。
ヘルマンがそれを産業用機械として形にした「構造設計の妙」。
この二人のリレーがあったからこそ、オフセット印刷は単なるアイデアではなく、現場で動く“技術”へと進化しました。

印刷の進化はいつも、ひらめきだけではなく、「使える形」に落とし込む力によって支えられてきました。
そして、**キャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)**はまさにその象徴といえる技術者なのです。


第4章|現代オフセット機に受け継がれるヘルマンの設計哲学

もしキャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)が現代の印刷工場を訪れたら、きっとこうつぶやくでしょう──「構造は、ほとんど変わっていない」と。
それほどまでに、1904年に彼が設計した「枚葉式オフセット印刷機」の基本構造は、100年以上を経た今もなお、業界の標準として使われ続けています。

その理由は、ヘルマンが単に“印刷できる機械”を設計したのではなく、現場で長く使える、整備しやすい、量産に耐える構造を持った機械を追求したからに他なりません。


三胴構成の完成度──なぜ今も変わらないのか

現在の枚葉オフセット印刷機は、**版胴(プレートシリンダー)・ブランケット胴・圧胴(インプレッションシリンダー)**という三つの円筒で構成されています。

このうち、版胴はインキと湿し水を受けて版面の絵柄を構成し、ブランケット胴がそれをゴムで中継し、圧胴が紙を挟んで絵を転写します。
**「版が紙に直接触れない構造」**は、摩耗の少なさと高精度な再現性を両立する発想として画期的でした。

この三胴構成は、アイラ・ルーベルが転写原理を発見してからわずか3年後、1904年にキャスパー・ヘルマンが完成させたものです。以来、構造の本質は1世紀以上ほとんど変化していないという事実が、その完成度の高さを物語っています。


多色ユニットの直列連結──フルカラーの基盤はここにある

ヘルマンの設計で特筆すべきもう一つの要素が、多色印刷ユニットの直列配置を前提にしていた点です。
各色専用の版胴・ブランケット胴を独立ユニットとして構成し、それを一直線に並べて紙を一方向に搬送する──この仕組みによって、1回の給紙でフルカラー(CMYK)の同時印刷が可能となりました。

この構造は、後年の製版技術の進化やインキの性能向上と相まって、写真・美術印刷・パッケージ印刷などに革命的な画質の飛躍をもたらします。
そして現在もこのユニット配置は、カラー印刷の“当たり前”として定着しているのです。


保守性と量産性──“止まらない現場”をつくる発想

ヘルマンの設計思想は、**「壊れにくくする」のではなく、「止まってもすぐに直せる」**ことに重点を置いていました。
構造はシンプルかつ堅牢に、部品は交換しやすく標準化され、消耗パーツは誰でも扱えるよう配慮されていました。

これにより、印刷機の修理時間が最小化され、**長時間・高頻度の稼働にも耐える“現場仕様の機械”**が誕生したのです。これは今日の生産現場における「スループット最優先」の思想と完全に重なります。


ヘルマン設計の“生き残った理由”

技術の世界では、革新があっても普及しなければ消えていきます。しかしヘルマンの設計は100年後の今も生きています。なぜか?

それは彼が設計した構造が、

  • 見当精度に優れ、

  • 紙の搬送が安定し、

  • メンテナンス性に優れていたからです。

この3つの条件を高次元で両立させた印刷機は、他にほとんど存在しませんでした。だからこそ、その設計思想は標準として受け継がれ、今日のオフセット印刷を支える土台になっているのです。

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第5章|技術史の裏側──なぜヘルマンの名前は目立たなかったのか

「オフセット印刷の歴史」と聞くと、偶然の発見者アイラ・ルーベルや、石版印刷の発明者アロイス・ゼネフェルダー、蒸気輪転機を生んだケーニヒとホーの名が真っ先に挙がります。
一方で 産業標準をかたちにしたキャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann) の名は、長くスポットライトを浴びてきませんでした。なぜでしょうか。そこには三つの“構造的な見落とし”がありました。


1. 発明神話の陰で──「工業化」は物語になりにくい

技術史はしばしば「誰が最初に思いついたか」を称えます。電球のエジソン、電話のベル、活版のグーテンベルク――発明者は語りやすいドラマを伴うからです。
しかし実際に社会を動かしたのは、その発明を**“壊れず回り続ける機械”**へ落とし込んだエンジニアでした。ヘルマンはまさにその役割を担いましたが、特許図面やトルク計算といった地味な改良の積み重ねは、物語として語られにくかったのです。


2. 資料の散逸と言語の壁──ドイツ語一次資料に埋もれて

ヘルマンが特許を取得した 1904 年当時、技術文書は主に 旧字体ドイツ語で書かれていました。第二次世界大戦による混乱もあり、一部の図面や実機記録は散逸。
近年になり、ミュンヘン工業博物館やドイツ国立図書館がデジタル化を進めたことで、ようやく原資料へのアクセスが可能になりましたが、翻訳と研究には時間がかかるのが実情です。


3. 評価軸の変化──「発明」より「定着」を測る時代へ

現在、ヨーロッパの印刷技術学校では、オフセット印刷の授業で**「ルーベルの発見」と「ヘルマンの工業化」をセットで教えるカリキュラムが増えています。
これは、技術評価の軸が
“思いつき” から “社会定着”**にシフトしている証拠です。未来の技術者にとって、ヘルマン型の“実装力”はむしろモデルケースとして重要視され始めています。


◆ 私たちが得るべき視点

技術の価値は、「誰が最初に思いついたか」ではなく、「誰が社会に根づかせたか」で決まる。

キャスパー・ヘルマンの足跡は、そのことを静かに語りかけています。オフセット印刷機が今日も世界中で稼働し続けている事実こそ、彼の設計哲学が正しかった何よりの証しなのです。


第6章|まとめ──ヘルマンが拓いた道の上に立つ私たち

オフセット印刷の歩みは、ひとつの発明で完結する物語ではありません。手動平圧機 → 蒸気輪転機 → オフセット機と、**数世代にわたる技術者たちの“積み重ね”**によって築かれました。その中でキャスパー・ヘルマン(Caspar Hermann)の名は、ともすると目立ちません。しかし彼が 1904 年に完成させた枚葉式オフセット機の設計思想がなければ、現代の高精細フルカラー印刷は実現し得なかったのです。


速さから美しさへ──印刷が変えた“表現の標準”

ケーニッヒやホーら動力革命の旗手により、印刷は大量性とスピードを手に入れました。けれども写真や広告が求める「美しさ」と「正確さ」はまだ満たされていませんでした。
この課題に実用レベルで答えたのがヘルマンです。彼の三胴構成・独立ローラー・枚葉搬送
という設計は、摩耗を抑えながら微細な網点を安定再現する理想的な機構でした。事実、現在も世界中のオフセット印刷機がこのレイアウトを踏襲しています。


“もう一人の主役”を記憶に残す

本稿の目的は、発明者ルーベルの影で見過ごされがちな「産業化の立役者」――キャスパー・ヘルマン――に光を当てることでした。発明がひらめきなら、工業化は地道な試行錯誤の連続です。ヘルマンの物語は、技術を社会に根づかせる努力こそが次の革新を呼ぶという事実を教えてくれます。


私たちが得るべき視点

  • 原点を知ることは、未来のヒントを得ること。

  • 設計思想の本質は100年経っても色あせない。

いま手元にあるチラシ、雑誌、カレンダー――そのどれもが、1904 年ドイツで形になった“あの構造”の延長線上にあります。印刷機の音が響くたび、ヘルマンの設計図がいまも動き続けていることを思い出してみてください。


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