\ ようこそ!新潟市の印刷会社「株式会社新潟フレキソ」のブログへ /よかったらぜひ、[当社トップページ](https://n-flexo.co.jp)もご覧ください!
名刺・チラシ・封筒・冊子・伝票からTシャツプリントまで、新潟市で幅広く対応しています。
🌀【1分で分かる印刷機の革命】
まずはこちらのショート動画をご覧ください👇
※詳しくはこのままブログを読み進めてください!
第1章|誰よりも早く、誰よりも大量に──19世紀の印刷の限界と“速度革命”の胎動
産業革命がもたらした“情報飢餓”と印刷の苦悩
19世紀初頭、ヨーロッパとアメリカでは産業革命の波が都市部をのみ込み、鉄道や電信の整備により「時間」と「距離」の概念が大きく変わっていきました。この時代に爆発的に成長したのが新聞産業です。市民社会が成熟し、政治や経済の情報を必要とする読者層が一気に広がるなか、新聞社はより早く、より多くの情報を届ける使命を背負うようになります。
ところが、当時主流だった平圧式の活版印刷機は、一枚一枚の紙を手で送り、上下から圧をかけて印刷する「静的」な仕組み。人手も時間もかかり、大量の紙面を刷るには“時間との戦い”でした。
1時間に数百枚の壁…新聞社の苦悩と技術者たちの焦燥
たとえば19世紀初頭のロンドンやニューヨークでは、新聞の発行部数が数万部規模に膨れ上がっていましたが、手動式の印刷機では1時間に200〜300枚程度しか刷れません。これでは発行時間に間に合わない。実際、新聞社の工場では夜通しで印刷が行われ、それでも配送に追いつかないという事態が頻発していたのです。
この“スピードの壁”は、技術者たちにとって大きな挑戦となりました。
「1時間に1000枚刷れたら、どれだけ業界が変わるだろうか?」
「もし紙を止めずに“連続で”印刷できたら?」
そんな夢物語のような発想が、技術革新への着火点となっていきます。
前兆はすでにあった──蒸気機関印刷機と“動力化”の流れ
この時代、すでにフリードリッヒ・ケーニヒによって蒸気機関を使った印刷機が開発されていました。これは確かに画期的な進歩であり、イギリスの新聞『The Times』にも採用されますが、依然として「平圧式」の構造にとどまっており、用紙は1枚ずつ手差しで、圧をかけるのも部分的に“断続的”でした。
もっと根本的にスピードを変えるには、“仕組み”そのものを変えなければならなかったのです。
▶併せて読みたい記事 フリードリッヒ・ケーニヒとは?蒸気機関で印刷を変えた発明家と“近代印刷革命”の始まり
回転式──未開のアイデアが、印刷の未来を回し始める
ここで1つの転換点が訪れます。それが、「ロータリー(回転)印刷」という概念でした。円筒型の版と円筒型の圧胴を使い、紙をロール状にして連続的に流し込む構造。現在のオフセット印刷や新聞輪転機に通じるこのアイデアは、まさに印刷を“止めない”ための突破口。
そしてこの新時代の印刷様式に挑み、実現させた人物こそ、リチャード・マーチ・ホー。
彼の名前は、やがて「スピードと大量印刷の代名詞」として、新聞史に刻まれることになります。
第2章|リチャード・マーチ・ホー(Richard March Hoe)登場!ロータリー印刷機が産んだ“止まらない印刷”という概念
父の背中を見て育った機械少年、ホーの原点
リチャード・マーチ・ホー(Richard March Hoe)は1812年、アメリカ・ニューヨークの機械工一家に生まれました。父・ロバート・ホーはイギリスから移住してきた技術者で、印刷機の製造と修理を生業としていました。若きリチャードは10代から父の工場で修業を積み、機械いじりのセンスを発揮。
しかもただの技術者では終わらず、父の死後は20代で経営者としても頭角を現し、自らが率いるR. Hoe & Company社を東海岸最大の印刷機メーカーへと育て上げます。
この時期、ホーが目にしていたのは、新聞社の“悲鳴”でした。政治、経済、戦争、文化、娯楽――社会の変化が加速するなか、印刷所は旧来の手差し式印刷で紙を必死に追いかけていたのです。
1枚ずつ? そんなの“非効率”だ──紙を止めない発想へ
既存の印刷機のほとんどは「平圧機」構造で、活字を組んだ平面の版に紙を重ね、上下から圧を加えて印刷するものでした。大量生産とは程遠く、紙は1枚1枚、作業員が手でセットする必要がありました。
「なぜ紙を手で送る?」「なぜ版を一方向にしか動かせない?」
ホーはこの“当たり前”に真っ向から挑みました。
彼が目をつけたのは**「円筒」**という形状。印刷版を円筒(シリンダー)に巻きつけ、それと同じく回転する圧胴で紙を押しつければ、印刷が“連続”になるのではないか? しかも紙をロール状にして給紙すれば、止めずにどんどん出力できる。
これがのちに「ロータリー印刷機(Rotary Press)」と呼ばれる構造の原型です。
1843年、印刷が止まらなくなった日──世界初のロータリー印刷機誕生
ホーは1843年、ついに世界初となるシリンダー式のロータリー印刷機の製造に成功。鉄製の円筒に活字版を固定し、もう一方の円筒と紙を挟み込むことで、ロール紙に高速印刷を施すという構造でした。
紙送り、インク供給、版の再セットすべてを連続化し、1時間に8000枚以上の印刷を達成。これは当時の水準をはるかに超える“工業的出力”でした。
その設計はあまりに革新的で、最初は新聞社側も戸惑ったと言われています。
「本当にこれが回転して刷れるのか?」
「活字は歪まないのか?」
懐疑的な声も多くありましたが、ホーはテスト運転を重ね、ついにはニューヨーク・トリビューン紙にて実用化に成功。現場にいた印刷工たちは、目の前で回り続ける印刷筒に驚き、興奮のあまり歓声をあげたと伝えられています。
ホー式印刷機の進化と特許戦争
ホーは1850年に改良型を開発。複数の版胴を組み合わせて両面印刷を可能にするなど、機能を急速に進化させました。これにより、ホー式ロータリー印刷機は全米の主要新聞社に一気に普及していきます。
さらにはヨーロッパにも輸出され、イギリスの『The Times』やドイツの『Berliner Tageblatt』でも採用され、世界規模で“止まらない印刷”が広がっていきました。
同時に、特許をめぐる争いも巻き起こりました。ホーの技術に目をつけた競合企業が類似機構を開発しようとするたび、ホーは徹底的に設計書を精査し、特許侵害で訴訟に打って出たのです。
彼は技術者であり、戦略家であり、知財の守護者でもありました。
余談:ホー式ロータリーの“爆音”と都市の朝
当時のロータリー印刷機は、いまの静かなデジタル印刷と違って轟音を響かせながら回転していました。ギアの音、紙送りの摩擦音、シリンダーのうなり――朝5時になると新聞社の印刷工場から爆音が聞こえ、それが“都市の目覚まし”となっていたという記録もあります。
市民はその音を聞きながら、「今日はどんなニュースが載るのか」と期待を膨らませたそうです。まさに**“音で新聞を待つ時代”**の幕開けでもありました。
ホーの思想が遺したもの:スピードは正義、連続は力
ホーが成し遂げた最大の業績は、「連続印刷」という考えを常識にしたことです。
彼が生きた時代は、まだ「1枚1枚刷る」が当たり前でした。しかし彼はその常識を破り、「止めなければ、もっと速く、もっと多く、もっと安く届けられる」という“印刷の再定義”をしたのです。
この思想は、のちに輪転機やオフセット輪転機、さらには現代のウェブオフセット印刷へと連なり、いまも新聞社や商業印刷の根幹を支えています。
第3章|ロータリー印刷機が起こした“メディア革命”──新聞と情報の民主化が始まった
「1日数万部」から「1時間数万部」へ──新聞印刷のスケールが変わった
1840年代中盤、リチャード・ホーのロータリー印刷機が実用化されるやいなや、新聞業界に大波が押し寄せました。
とくにニューヨーク・トリビューンやニューヨーク・サンといったアメリカの大手新聞社は、こぞってホー式印刷機を導入し、かつては1日がかりで刷っていた部数を、わずか1時間で刷り終えるようになります。
たとえばトリビューン紙は、1時間あたり2万枚以上を出力できるようになり、日刊新聞の発行部数は10万部を突破。これまで都市の上流層が中心だった購読者層が、ついに庶民層へと開かれる時代が到来したのです。
教育・識字率アップと相乗効果、読み手が“市場”になる時代へ
新聞の供給が増えたことで、それを読む読者層も拡大していきます。とくに都市部の中間層・労働者層においては、新聞が唯一の情報源であり、会話のネタでもありました。
この流れは、子どもへの教育熱の高まりにもつながります。「新聞を読めるようになる」ことが知的階級への第一歩と見なされ、学校教育の普及、識字率の上昇にも貢献しました。
ホーのロータリー印刷機が社会に与えたインパクトは、単に「速くなった」ではなく、読み書きができる人間=市民としての力を持つという文脈にまで広がっていたのです。
広告・見出し・レイアウト──“新聞らしさ”を支えた印刷革命
部数が伸びるということは、広告ビジネスも膨れ上がるということ。
従来は紙面の片隅にひっそりと掲載されていた広告が、ホー印刷機によって毎日・大量に刷られるようになったことで、一気に商業価値を持ち始めます。
紙面構成も見直され、大見出しや囲み広告、連載小説や風刺画といった企画が次々と誕生。ロータリー印刷の「均一性と高速性」が、こうしたレイアウト構成の安定化を技術的に支えていたのです。
さらに、印刷のスピードが上がったことで速報性のある報道も実現。事件や戦争の翌日には紙面が出せる、そんなスピード感が読者の信頼を得る武器となりました。
ホーが支えた民主主義──「誰もが情報にアクセスできる」世界へ
もっとも重要なのは、ホーの印刷機がもたらした情報の平等化という視点です。
以前の新聞は限られた富裕層しか手にできませんでしたが、印刷コストが下がることで価格も下がり、一般市民でも1セント程度で新聞を買えるようになります。
この“情報の民主化”は、のちの選挙制度改革や市民運動、公共政策の透明化といった、社会構造の変化にもつながっていきます。
つまりロータリー印刷機は、**物理的に「情報を広めた」だけでなく、政治的にも「市民を生んだ」**といっても過言ではありません。
第4章|グーテンベルク、ケーニヒ、ホー、ルーベル──“印刷の動力化”が革命を起こした技術年表
第1走者:グーテンベルク(1450年頃)|活字と手動印刷で「知」を量産可能に
印刷革命の起点とされるのは、言わずと知れたヨハネス・グーテンベルク。
彼が15世紀半ばに開発した金属活字と手動印刷機は、それまで写本に頼っていた書籍製作を根本から変えました。ぶどう圧搾機の仕組みを応用し、活字を組んだ版を紙に圧着させる手動式。これは**「再現可能な知識」**の扉を開いたとされます。
ただし、動力はすべて人力。1日で刷れるのはせいぜい200部ほど。スピードと大量印刷には限界がありました。
▶併せて読みたい記事 グーテンベルクとは?活版印刷の発明と知識革命を新潟の印刷会社がわかりやすく解説|世界を変えた男の物語
第2走者:ケーニヒ(1814年)|蒸気機関で“動力”を印刷に組み込んだ革命児
時代が一気に進み、19世紀初頭。ドイツ人技術者フリードリッヒ・ケーニヒが登場します。
彼は蒸気機関を動力源とする印刷機を開発し、1814年、イギリス『The Times』で実用化に成功。これにより、1時間あたり約1,100部を印刷可能に。これは印刷が“機械の力で回る”時代の幕開けでした。
ただし、機構はあくまで「平圧式」。紙は1枚ずつ手差しで、圧も上下の動作に依存しており、連続性には欠けていました。
▶併せて読みたい記事 フリードリッヒ・ケーニヒとは?蒸気機関で印刷を変えた発明家と“近代印刷革命”の始まり
第3走者:リチャード・マーチ・ホー(1843年)|“回転”という概念で、印刷にスピード革命を
ケーニヒの課題を解決したのが、リチャード・マーチ・ホーです。
彼が発明したロータリー印刷機は、版と圧胴を円筒にし、紙もロール状で送り続ける仕組み。つまり、印刷が止まらない。「連続」「回転」「大量」という三大特性が揃い、新聞や広告の爆発的な普及を支える基盤となりました。
ケーニヒが「動力化」を、ホーが「連続化」を実現したことで、印刷はついに**“産業”としての完成形**に近づいていきます。
第4走者:アイラ・ワシントン・ルーベル(1904年)|“間接印刷”で仕上がり革命へ
最後に登場するのが、アメリカ人アイラ・W・ルーベル。彼は、偶然のミスからオフセット印刷という新技術を発見しました。
版 → ブランケット → 紙、という“間接印刷”構造は、版の摩耗を防ぎ、高解像度で滑らかな仕上がりを可能に。とくに写真や色彩表現に優れており、商業印刷・パッケージ・ポスターなど、幅広いジャンルに影響を与えます。
またこの頃、動力源も蒸気から電力・モーター式へ移行しており、印刷はさらに静かに、速く、精密に進化していきました。
▶併せて読みたい記事 オフセット印刷の父・アイラ・ワシントン・ルーベルとは?世界を変えた“失敗”|新潟市の印刷会社が解説!
4人の“技術者たち”がつないだ、印刷のバトン
時代 | 人物 | 技術革新 | 主な成果 |
---|---|---|---|
1450年頃 | ヨハネス・グーテンベルク | 金属活字 + 手動印刷 | 書物の大量複製を実現 |
1814年 | フリードリッヒ・コーニッヒ | 蒸気印刷機 | 印刷の機械化・大量出力 |
1843年 | リチャード・マーチ・ホー | 回転式ロータリー印刷 | 新聞印刷の高速化・連続化 |
1904年 | アイラ・W・ルーベル | オフセット印刷(間接法) | 高画質・カラー印刷の普及 |
このリレーは現在のオンデマンド印刷やインクジェット印刷にも繋がる“技術の血統”といえます。誰か一人が欠けても、印刷の現在形はなかった――そう断言できるでしょう。
▶併せて読みたい記事 印刷機はいつから電気で動くようになった?電車との比較でわかる動力の歴史
まとめ|“止めない印刷”が生んだ、情報と社会の新しいカタチ
リチャード・マーチ・ホーが開発したロータリー印刷機は、ただの機械ではありませんでした。それは印刷のスピードを変え、スケールを変え、そして人と情報の距離を一気に縮めた道具でした。
ケーニヒが蒸気という“動力”を持ち込んだのに対し、ホーは“動き続ける”という概念そのものを印刷に導入したのです。
回転するシリンダー、止まらないロール紙、終わりのないインクのリズム──それらは新聞社の夜を変え、都市の朝を変え、やがて人々の「知る」という日常すら変えていきました。
ロータリー印刷機によって可能になったことは、新聞の大量配布だけではありません。
-
情報の価格が下がった
-
教育と識字率が上がった
-
広告市場が成長した
-
市民が声を持つようになった
つまりホーの発明は、メディアの誕生そのものを早めたのです。
やがて印刷はルーベルのオフセット技術によってさらに精細に進化し、21世紀にはデジタル印刷やオンデマンド印刷という新たなステージへと到達します。
それでもなお、「止めずに、素早く、大量に」届けるという思想は、いまも変わらず印刷業界の根幹に生き続けています。
リチャード・マーチ・ホーという名は、印刷史における英雄の一人であり、
そして情報社会の礎を築いた“静かな革命家”なのです。
\株式会社新潟フレキソは新潟県新潟市の印刷会社です。/
あらゆる要望に想像力と創造力でお応えします!
印刷物のことならお気軽にお問い合わせください。
▶ 会社概要はこちら
↑オリジーではTシャツやグッズを作成してます!インスタで作品公開してます!
🔗関連リンクはこちらから
■オフセット印刷の父・アイラ・ワシントン・ルーベルとは?世界を変えた“失敗”|新潟市の印刷会社が解説!
■紙の作り方と製紙工場のはじまりとは?ファブリアーノが印刷と情報社会を変えた歴史を解説!
■印刷はなぜ部数が多いと安くなるのか?ネット印刷が激安な理由もプロが解説!|新潟の印刷会社ブログ
■紙はなぜ木材パルプから作られるのか?洋紙の原材料・歴史・製法をやさしく解説|新潟の印刷会社ブログ
■銅版印刷とは?歴史・仕組み・活用まで凹版技術のすべてを新潟の印刷会社が徹底解説|活版・リトグラフとの違いもわかる!
■インクの歴史完全ガイド|墨・鉄胆・油性・現代印刷インクまでを新潟の印刷会社が徹底解説!
■蔡倫とは|紙を発明した中国の天才発明家の歴史と世界への影響を新潟の印刷会社が解説【世界史にも登場】
■世界初の近代的印刷工場とは?蒸気機関と回転印刷機が変えた“情報革命”を印刷会社が解説
■印刷機はいつから電気で動くようになった?電車との比較でわかる動力の歴史
■フリードリッヒ・ケーニヒとは?蒸気機関で印刷を変えた発明家と“近代印刷革命”の始まり
■アロイス・ゼネフェルダーと石版印刷の誕生|リトグラフが変えた印刷と芸術の歴史|新潟の印刷会社が解説!
■グーテンベルクとは?活版印刷の発明と知識革命を新潟の印刷会社がわかりやすく解説|世界を変えた男の物語
■リサイクル紙とは?再生紙のメリット・デメリットを徹底解説|FSC認証・エコマーク付き印刷の選び方【新潟の印刷会社が解説】