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第1章:印刷に「動力」を持ち込んだ男、フリードリッヒ・ケーニヒとは
青年時代に芽生えた“効率化”への情熱
フリードリッヒ・ケーニヒ(Friedrich Koenig)は1774年、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)ザクセン=アンハルト州アイスレーベン近郊に生まれました。幼い頃から本や印刷物に親しみ、聡明で勤勉な少年だったと伝えられています。家は農家でしたが、当時としては珍しく教育に熱心で、コーニッヒは10代で大学に進学。ライプツィヒ大学で自然科学や物理、機械工学を学びます。
学生時代の彼がとくに関心を持っていたのが「手作業による工程を、いかに効率的に変えるか」という点。印刷業界はすでに数百年の歴史がありながら、その作業工程はグーテンベルク時代と大差ない人力中心のままでした。重たい印刷機のレバーを繰り返し押し下げる職人の姿を見て、ケーニヒは強く思ったといいます。
「これほど知の象徴である印刷が、どうしてここまで旧式なのか?」
その疑問が、彼の人生を決定づけました。
ドイツでは理解されなかった「機械印刷」の構想
1800年ごろ、彼は自ら設計した蒸気機関印刷機の構想を、地元の印刷業者や機械工房に持ち込みました。しかし、返ってくるのは冷たい反応ばかり。「そんなものは夢物語だ」「機械では活字を正確に押せない」「印刷は職人の手でなければ」――当時のドイツ印刷界は非常に保守的で、**「職人の技術こそ価値」**という思想が根強く、機械化への反発は強烈だったのです。
それでもケーニヒは諦めませんでした。むしろ、「ならば技術を評価してくれる場所へ行こう」と考え、1804年、印刷技術の中心地だったイギリス・ロンドンへと旅立ちます。言葉も文化も違う異国で、彼はゼロから支援者を探すことになります。
ロンドンでの挑戦と“バウアー”との出会い
ロンドン到着後、ケーニヒは数年をかけて設計図を練り直し、さまざまな商人や機械工にプレゼンテーションを行います。しかし、技術的には高評価でも、製造コストの高さや当時の印刷労働者との摩擦を懸念し、多くの投資家が尻込みしました。
そんな中、1807年に運命的な出会いが訪れます。メカニック兼起業家の**アンドレアス・バウアー(Andreas Bauer)**との邂逅です。彼もまたドイツ出身の技術者で、産業機械に強い関心を持っていました。バウアーはケーニヒの構想に魅了され、資金調達から製作まで全面的に協力を申し出ます。
このタッグにより、蒸気機関を使った自動紙送り機能付きの活版印刷機の試作がいよいよ始まったのです。
印刷の“ボトルネック”を徹底的に研究した構造
ケーニヒとバウアーの設計には、単に「蒸気で動かす」というだけでなく、印刷工程のすべてを効率化する発想が詰め込まれていました。
従来の印刷では、「紙を置く→版を押す→紙をはがす→次の紙をセット」と4工程を手作業で繰り返していましたが、ケーニヒはこれを連動ギアやローラー機構で連続的に処理できるように改良。紙を自動で送り込む「フィーダー機構」や、プラテンではなくシリンダー(円筒)で圧力をかける方式など、現在の印刷機に通じる要素がすでに見られます。
その結果、1811年にはついに初の蒸気印刷機の試作機が完成。この機械は、これまでの手動印刷を圧倒的に凌駕するスピードで印刷を行い、しかも品質も均一で高水準という驚異的な性能を発揮しました。
保守と革新の狭間で
とはいえ、技術革新に対する抵抗は強く、ケーニヒたちの印刷機がすぐに受け入れられたわけではありません。労働組合からは**「職を奪う機械」として警戒され、新聞社からも「読者は機械印刷など望まない」**と渋い反応。
そのなかでいち早く価値を見抜いたのが、次章で紹介するロンドン・タイムズ紙でした。彼らの判断とコーニッヒの執念が、ついに“印刷に蒸気という新たな血流”を注ぎ込むことになるのです。
第2章:1814年、蒸気機関印刷機がロンドン・タイムズで初稼働
世界が変わった“ある朝”
1814年11月29日、ロンドン・タイムズ紙の印刷所にて、歴史的な出来事が静かに起こります。この日発行された新聞は、**世界で初めて「蒸気機関で印刷された新聞」**でした。読者の誰もが、その紙面の背後で何が起きていたのかを知らないまま手に取った──しかしそれは、印刷とメディアの在り方を根底から変える革命の朝でもありました。
この時、すでに印刷所の裏側では、フリードリッヒ・ケーニヒとアンドレアス・バウアーの蒸気印刷機がフル稼働していたのです。
それまでの印刷と比べて、何がどう違ったのか?
グーテンベルクの活版印刷以降、数百年間、印刷は基本的に「手作業」が中心でした。鉄や木でできたプレス機を手で操作し、紙を1枚ずつ差し込み、版に圧力を加え、また取り出す――この流れを数人がかりで繰り返すわけです。
1時間で印刷できる枚数は200〜250枚程度が限界。新聞社が数千部を印刷するには、夜通しの作業と大量の人員が必要でした。
一方、ケーニヒの蒸気印刷機は、蒸気機関で自動的にシリンダーを回転させ、紙の送り込み・印刷・排出をすべて機械が処理する構造。しかも印刷速度は1時間あたり1,100枚──従来の約4〜5倍の効率です。
しかも品質が安定している。手作業では版の位置ズレや圧力ムラが起こりがちでしたが、蒸気機関による一定速度の機械運転により、毎枚ほぼ同じ品質を保てるようになりました。
この技術革新は単なる「スピードアップ」にとどまらず、新聞の量産性・正確性・読者満足度のすべてを底上げするものだったのです。
なぜ“秘密裏に”導入されたのか?
このような革新にも関わらず、ロンドン・タイムズ紙は極秘裏に導入を進めていました。その理由は、当時の印刷業界全体に根付いていた労働者の不安と反発です。
イギリスではすでに「ラッダイト運動(Luddite Movement)」が起きており、繊維業界を中心に「機械が労働を奪う」という理由で工場が襲撃される事件が相次いでいました。印刷所でも、職人たちは蒸気機関導入を「クビ宣告」と捉え、実力行使に出る可能性があったのです。
そのため、ケーニヒとタイムズの経営陣は、夜間にこっそり旧式の印刷機を取り外し、蒸気印刷機を設置。工場長すらごく一部しか事情を知らされていなかったと言われています。
印刷された新聞は、外見上は従来品とほぼ同じ。ただ、印刷スピード・紙のクオリティ・配達時刻の早さを通じて、読者や関係者には違いが明らかになっていったのです。
革命の“音”は、新聞の裏で響いていた
このとき使用された印刷機は、「シングル・シリンダー型」のもので、まだ1枚ずつの紙を手で差し込むタイプでしたが、すでに**“連続給紙機構”の基礎**が導入されており、後のロータリー印刷への布石となる技術でした。
また、使用されていた蒸気エンジンは当時標準だった「ワット式」ではなく、小型で高出力なピストン型蒸気機関が選ばれていたとされ、ケーニヒの機械設計のレベルの高さを物語っています。
皮肉なことに、この日以降、新聞社の間では**「蒸気機関を導入していないと時代遅れ」**という空気が広まり、旧来の印刷技術は急速に姿を消していきました。たった一夜で、何百年もの印刷の常識が覆されたのです。
第3章:蒸気印刷機がもたらした社会的インパクト
出版業・新聞業の爆発的発展
蒸気機関で動く印刷機の登場は、出版業界・新聞業界に爆発的な成長をもたらしました。印刷スピードが飛躍的に上がったことで、大量の書籍や新聞を、短時間で低コストに生産できるようになったのです。
これにより、新聞の「日刊化」が進み、ニュースを**“リアルタイムに近い形”で届ける文化**が誕生しました。また、印刷費の低下によって、書籍の価格も下がり、庶民の手に届く存在へと変わっていきます。ベストセラーという概念もこの時代から本格化していきました。
教育・識字率の向上
印刷が手軽になると、教科書や参考書の大量供給も可能になります。これにより、学校教育の普及が加速。印刷物が多く出回ることで、子どもたちや労働者階級の人々が**「読む」機会を持ち、識字率が急上昇**しました。
識字率が上がるということは、単なる読解力の向上にとどまりません。政治への関心、契約文書の理解、経済活動への参加など、あらゆる場面で市民の力を底上げしたのです。
蒸気印刷機は、印刷物の量産を通じて「市民の知識レベル」を引き上げ、民主化・近代化に大きく貢献したといえます。
政治・社会運動と印刷メディアの拡大
蒸気印刷機の登場は、政治的な運動や思想の拡散にも決定的な影響を与えました。これまで一部の上層階級だけが享受していた「情報」や「知識」が、民衆の手に届くようになったのです。
実際、19世紀には社会主義、労働運動、女性参政権運動、教育改革運動などが印刷物を通じて広まり、組織化されていきました。なかでも新聞は、「第四の権力」としての地位を築き、政治家や資本家に対しても影響力を持ち始めます。
つまり、蒸気印刷機とは単なる技術革新ではなく、言論の民主化・市民社会の形成を後押ししたメディアの母体だったのです。
第4章:印刷機の進化と“ロール紙革命”への布石
ケーニヒ印刷機からロータリー印刷機へ
フリードリッヒ・ケーニヒが1814年に開発した蒸気印刷機は、確かに革命的なものでした。しかし、この時点ではまだ平版(フラットベッド)型であり、紙は1枚ずつ差し込む必要がありました。これでも十分な高速性でしたが、**「もっと速く、大量に」**というニーズは止まりません。
その流れを受け、19世紀後半には**シリンダー(円筒)型の回転式印刷機(ロータリー印刷機)が登場します。この印刷方式では、円筒に巻かれた金属製の印刷版がロール状の紙を連続で印刷できるため、スピード・効率が飛躍的に向上。ここでついに「印刷 × ロール紙」**という黄金コンビが誕生します。
輪転機とロール紙の登場
1860年代、アメリカのリチャード・マーチ・ホーによって実用化された「輪転機」は、蒸気機関に加え、紙をロールで供給する方式を導入しました。この技術革新により、印刷スピードは1時間あたり2万部以上という異次元の領域に突入。新聞、雑誌、広告などの**“マス印刷”**が現実のものとなったのです。
印刷といえば「一枚一枚刷る」イメージが強かった時代から、「連続印刷・自動裁断・自動折加工」が可能な完全自動化印刷システムへと進化を遂げていきました。
「大量印刷時代」の始まりとその未来
このロール紙印刷の登場こそが、現代の印刷業界の基盤です。新聞・雑誌・カタログ・ポスター・チラシ…私たちが目にする大量印刷物のほとんどは、この仕組みの延長線上にあります。
また、ロール紙方式は後にオフセット印刷機やデジタル印刷機にも応用され、21世紀の現在でも主力技術として使われています。つまり、ケーニヒの蒸気機関印刷機は、単なる発明品ではなく「印刷の量産時代」を切り開いた起点だったのです。
このように、彼の一歩が、印刷機の進化を加速させ、やがては**“印刷をインフラに変える”ほどのパワー**を持ったのです。
▶併せて読みたい記事 リチャード・マーチ・ホーとロータリー印刷機の革命|“止まらない印刷”が新聞と社会を変えた日
第5章:ケーニヒの死と功績の評価
その後の人生とドイツへの帰国
ロンドン・タイムズ紙への蒸気印刷機導入という歴史的成功を果たした後、ケーニヒは商業的な軋轢や特許紛争を経て、母国ドイツに帰国します。彼が向かったのは、バイエルン州の小都市ヴュルツブルク。ここで彼は、事業の継続と発展のために、かつての協力者アンドレアス・バウアーと共に新たな拠点を築きます。
1817年、彼らが設立したのがKoenig & Bauer(ケーニヒ&バウアー)社。この会社は今なお現存し、世界最古の印刷機メーカーとして知られています。まさに、印刷界における“老舗中の老舗”です。
Koenig & Bauer社の誕生と印刷産業への影響
Koenig & Bauer社は、蒸気印刷機の改良と販売を続けながら、技術革新の最前線を走り続けました。後にシリンダー型印刷機や輪転機の開発にも寄与し、産業印刷の世界標準を築く一助となったのです。
この会社が支えたのは、単に機械の供給ではありません。印刷物を通じた情報流通のスピードアップ、教育と文化の普及、商業の発展といった、社会インフラ全体の近代化でした。ケーニヒの技術は、メディアの大量生産・大量消費という「現代的なライフスタイル」そのものを形作ったといっても過言ではありません。
グーテンベルクに次ぐ“第二の父”と呼ばれて
グーテンベルクが「印刷の父」とされるならば、ケーニヒは**「近代印刷の父」あるいは「第二の父」**と称される存在です。グーテンベルクの発明した活版印刷に、産業革命の力=蒸気機関を持ち込んだことで、印刷は芸術や手仕事から、量産可能な工業技術へと変貌しました。
彼の死は1833年、59歳という若さでしたが、その技術はKoenig & Bauer社を通じて今も受け継がれています。2020年代現在でも、彼の名は世界中の印刷工業史に刻まれ、印刷機の進化に関わるすべての人々の原点として語り継がれています。
🧠 コーニッヒとホー、そしてルーベル──印刷技術の分岐点とは?
グーテンベルク以来、印刷といえば「活版印刷(レタープレス)」が常識でした。金属活字を組み、版にインクを塗って、紙に押し当てる――それが数百年にわたる印刷の姿でした。
コーニッヒ(1814年)は、そこに初めて蒸気機関という“動力”を持ち込み、活版印刷の自動化・高速化を実現。
ホー(1846年)はその流れをさらに進め、ロータリー式の回転印刷機を開発。どちらも依然として**「活版印刷」+「動力」**という枠組みの中にいました。
しかし、1901年頃、アメリカの印刷技師ルーベルが発見したオフセット印刷の原理は、この枠を壊しました。
活字や凸版を使わず、**平らな版(平版)からゴム胴を介して印刷する“非接触・高精度印刷”**が可能になったのです。
この瞬間、印刷の歴史は「活版 × 動力」から「平版 × 間接転写 × 精密制御」へと進化。印刷は情報を届けるだけでなく、美しく、速く、正確に再現する技術へと昇華しました。
📅 巻末年表|印刷機の進化と技術革新の系譜
年代 | 人物名 | 主な出来事・発明 | 印刷の進化段階 |
---|---|---|---|
1440年頃 | ヨハネス・グーテンベルク(独) | 活版印刷機を発明。金属活字・油性インク・印刷機を統合。 | 印刷の誕生/知の大量伝播が始まる |
1814年 | フリードリッヒ・ケーニヒ(独) | 世界初の蒸気機関印刷機がロンドン・タイムズ紙で稼働。 | 印刷の工業化/大量印刷時代の幕開け |
1846年 | リチャード・ホー(米) | 世界初のロータリー(回転式)印刷機を発明。 | 高速印刷の実現/新聞印刷の革命 |
1901年頃 | アイラ・ワシントン・ルーベル(米) | 偶然からオフセット印刷の原理を発見。 | 高精度・非接触印刷技術の確立 |
※ルーベルの発明したオフセット印刷の原理は、すでに動力化されていたロータリー印刷機に組み込まれ、現代の高速・高精度なオフセット輪転機へと発展していきました。
まとめ|蒸気で動き出した印刷の未来──ケーニヒがもたらした革命の本質
フリードリッヒ・ケーニヒは、単なる「印刷機の改良者」ではありません。彼は、グーテンベルクの活版印刷が生んだ**“知の革命”を、産業革命の技術によって“加速させた男”**です。
それまで、人の手で一枚一枚刷られていた印刷物は、彼の蒸気印刷機によって一時間に千枚以上というスピードで量産可能になりました。新聞が一晩で全国に届けられ、書籍が庶民の手に届き、知識が民主化される──その原動力となったのが、「印刷に動力を持ち込む」という発想だったのです。
彼の功績は、単なる印刷技術の進化にとどまりません。
-
メディアの大衆化
-
教育の普及と識字率の向上
-
社会運動や政治活動の拡大
-
消費社会と広告文化の形成
これらの全てに、大量印刷というインフラが不可欠でした。そしてその扉を開いたのが、フリードリッヒ・ケーニヒという一人の技術者だったのです。
現代の印刷工場やデジタルプリントの最先端にも、彼の思想は息づいています。印刷は「紙に文字を刷る」だけの技術ではありません。**人と人、思想と思想をつなぐ“時間と空間の超越装置”**なのです。
私たちもまた、ケーニヒのように時代に挑み、技術に情熱を注ぎ、よりよい情報発信のカタチを模索し続けます。印刷にできることは、まだまだある。そう信じています。
📝コラム|印刷に動力が入るまで:人力・牛力・水力の歴史
現代では当たり前のように電気やモーターで稼働する印刷機。しかし、その前段階には人力・動物・自然の力を利用した、長い試行錯誤の歴史がありました。
最初の動力は“人間の腕力”だった
グーテンベルクが活版印刷機を発明した15世紀当時、その動力源は完全な人力。印刷版に紙をセットし、巨大なレバーで圧力をかけることで印刷していました。力仕事のため、男性が主に担い、1人ではなくチーム制での作業が一般的。1時間に印刷できる枚数はせいぜい200枚前後でした。
牛・馬の力が導入された時代も
地域によっては、印刷機を動かすために牛や馬を輪の中で歩かせて動力に変換する方法も試みられました。これは製粉機や紡績機と同様の応用ですが、実用性や効率は高くなく、普及には至りませんでした。
水車による“自然動力印刷”の試み
中世ヨーロッパでは、水車を利用した製紙や印刷の動力化も模索されました。水車による印刷工程の自動化は、環境さえ整えば実現可能だったものの、水流の不安定さや設置コストの高さがネックとなり、都市部ではほぼ使われていませんでした。
蒸気機関は“最後のピース”だった
こうした一連の動力実験を経て、ようやく登場したのが蒸気機関です。産業革命によって鉄・石炭・機械加工技術が揃い、持続的で安定した動力源として蒸気が印刷業界に導入される準備が整ったのです。
そしてケーニヒの登場。彼が蒸気印刷機を実用化したことで、数世紀にわたる“人力印刷時代”は終焉を迎え、産業化・量産化という次なるフェーズに突入しました。
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