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第1章|木簡・竹簡とは何か?紙のない時代、人はどう“記録”したのか
「情報を残す」という営みは、いつの時代も人間にとって重要なテーマでした。
しかし、今のように手軽にノートやスマホ、パソコンが使える時代になるまで、人類は**“何に、どうやって記録するか”**を試行錯誤し続けてきました。
そのなかでも、紙がまだなかった時代のアジア圏で重宝された記録媒体が「木簡(もっかん)」と「竹簡(ちくかん)」です。
木簡と竹簡──漢字文化圏の“原始メディア”
「木簡」とは、薄く削った木の板に墨で文字を書いたもの。主に日本の飛鳥時代から奈良時代にかけて、役所の連絡や記録文書として用いられました。
一方、「竹簡」は、割った竹片に文字を記し、複数の札を紐で綴じたもの。中国の春秋戦国時代から漢代にかけて盛んに使われ、思想書や法律文、軍略書といった重要文献の媒体となりました。
いずれも、記録・伝達・保存を目的に発展した「記録する文化」の結晶といえます。
紙のない時代に、知識はどう伝えられたのか
木簡や竹簡は、現在のように本や文書が当たり前になる前の時代、国家や社会の知識・命令・思想を伝えるための必須ツールでした。
しかも、それぞれの素材や形状には、当時の社会や文化、気候風土が深く関係しています。
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なぜ日本では「木」が使われ、中国では「竹」だったのか?
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どのように作られ、どんな内容が書かれていたのか?
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なぜやがて“紙”に取って代わられることになったのか?
それらを知ることは、「記録」と「文字」と「道具」の関係性を見つめ直すことにもつながります。
木簡・竹簡から現代の印刷文化へ
私たち印刷業界にとっても、「木簡」や「竹簡」は単なる歴史資料ではありません。
「人が情報をどう記し、どう伝えるか」という根源的な問いは、今なお名刺・チラシ・書籍といった印刷物に息づいているからです。
木の温もりや竹のしなやかさに墨で刻まれた文字──それらには、記録することへの強い意志と、素材に宿る文化が確かに存在していました。
次章ではまず「木簡」について、具体的にどのようなもので、どんな使われ方をしていたのかを詳しくひもといていきます。
第2章|木簡とは何か?奈良時代の日本を支えた“情報伝達ツール”
木簡(もっかん)とは、細長く削った木の札に墨で文字を記したものです。
紙がまだ高価で一般に普及していなかった時代、日本ではこの「木の板」が重要な記録媒体として使われていました。
文字を書き、情報を残し、命令を伝える──それは、社会の仕組みを成り立たせるために欠かせない行為でした。木簡はその役割を静かに、しかし確実に果たしていたのです。
材料は「杉」「檜」「樫」──身近な木を記録に
木簡に使われる素材は、当時手に入りやすく、加工しやすい杉(すぎ)や檜(ひのき)などの木材。
長さは20〜30cm、幅は2〜3cmほどが主流で、まるで細長い名札や荷札のような形をしています。
表面はカンナで丁寧に削られ、墨がにじみにくいように仕上げられていました。文字を筆で書いたあと、乾かし、時には焼き印や刻印を押して使用されました。
用途は「命令」「報告」「荷札」──行政を動かす“伝票”
木簡は、今でいう「公文書」や「伝票」「メモ」のような使われ方をしていました。主な用途は次のようなものです:
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行政命令の伝達
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地方官から中央への報告文
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物品輸送時の荷札・宛名
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工事現場の記録や人員管理
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税や年貢の管理台帳の一部
つまり、**奈良時代の役所や物流、インフラを支える“業務用メディア”**だったのです。
平城京跡から何万点も出土──生きた記録が甦る
現在、奈良の**平城京跡(へいじょうきょうあと)**をはじめ、日本各地から数万点以上の木簡が出土しています。
それらは、単なる文字の遺物ではありません。役人の名、日付、品名、命令文、地名など、**当時の社会や暮らしをリアルに映す「記録の断片」**なのです。
たとえば「〇〇郡より米五斗を送る」「□□官へ至急回送すべし」といった木簡からは、中央と地方のつながりや物流の実態が見てとれます。
紙が貴重だったからこそ、木簡は活躍した
奈良時代の日本では、まだ「紙」は貴重品。仏教の経典や重要な文書にしか使えませんでした。
そのため、書いてすぐ捨てるもの・一時的な用途には、安価で加工しやすい“木”が選ばれたのです。
また、木簡はその堅牢さから、破れにくく保存性にも優れていました。
木簡は“読み返す”ためではなく、“届ける”ためのメディア
興味深いのは、木簡の多くが一度きりの用途で使い捨てられていたということ。
これは、現代で言えば「配送伝票」や「付箋メモ」のような感覚です。
つまり木簡は、**“読むためのメディア”ではなく、“運ぶためのメディア”**だったとも言えるでしょう。
次章では、木簡と対をなす存在である「竹簡」について、古代中国における使われ方や思想書との関係を掘り下げていきます。
第3章|竹簡とは何か?中国古代の知が刻まれた“竹の書物”
「竹簡(ちくかん)」とは、細く割った竹の札に筆で文字を記し、紐で綴じて一つの“書物”として用いた記録媒体です。
主に中国で、春秋戦国時代から前漢(紀元前5世紀〜紀元前1世紀)にかけて盛んに使われました。
今でこそ紙の書物は当たり前ですが、そのルーツとも言えるのがこの竹簡──つまり「竹でできた本」です。
竹を削り、知を綴る──素材と構造に宿る文化
竹簡の素材には、その名の通り**竹(ちく)**が使われました。まっすぐ育ち、加工しやすく、湿気にも比較的強い竹は、中国の気候と風土に合った“天然の筆記メディア”でした。
竹を割って薄く削り、長さ20〜50cm、幅1〜2cmほどに整え、表面を磨いて墨をのせやすくします。
そこに筆で文字を記し、内容に応じて複数枚を紐で綴じ、**巻物状や折りたたみ状の“竹の書”**に仕立てました。
このようにして作られた竹簡の束を、「簡牘(かんとく)」とも呼びます。
何が書かれていたのか?──思想・軍略・法律の源泉
竹簡には、当時の政治的・思想的・軍事的な重要情報が記されていました。具体的には:
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『孫子』などの兵法書
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『論語』『老子』などの儒家・道家の教え
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律令や法典、官僚制度に関する文書
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書簡・命令・報告・占いの記録 など
つまり竹簡は、中国思想の根幹を支えたメディアであり、いわば“知識の原版”でした。
書くことは統治につながる──文字と国家の力
中国では、文字の力=国家の力といわれるほど、文書による統治が重視されました。
それを可能にしたのが、木でも石でも布でもなく「竹」だったという事実は注目に値します。大量に入手でき、持ち運びやすく、丈夫で長持ちする──竹簡はそのすべてを満たしていました。
また、竹簡の発達は、“漢字”という文字体系と密接に結びついています。画数が多くても省略せずに筆で表せる漢字は、竹簡の細長い形状と好相性だったのです。
代表的な出土例:馬王堆・睡虎地・清華簡
現代では、多くの竹簡が出土しており、その内容が歴史を覆す発見につながることもあります。
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馬王堆漢墓(湖南省):前漢時代の医書・占星術書などが見つかる
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睡虎地秦簡(湖北省):秦の法律・官制文書が現存
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清華簡(北京・清華大学所蔵):戦国時代の思想書が大量に収蔵
これらの発見により、**紙の時代よりも前の「記録文化の深み」**が次々と明らかになっています。
書く・読む・運ぶ──竹簡の“三つの顔”
竹簡は、ただの“書くための竹”ではありませんでした。
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書く(記録):思想や制度を文字として刻む
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読む(継承):後世に知識を伝える“本”として機能
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運ぶ(伝達):遠方へ命令や報告を届けるメッセンジャー
つまり竹簡は、「記録」「教育」「通信」すべての役割を兼ね備えた、当時の総合メディアだったのです。
次章では、ここまで見てきた木簡と竹簡の違いを、素材・時代・用途などの観点から整理し、両者の役割と文化的背景を比較していきます。
第4章|木簡と竹簡の違いとは?素材・時代・用途から見えてくる“記録文化”の個性
「木簡と竹簡、結局どう違うの?」
この問いはとても本質的です。なぜなら、両者は**“紙以前の記録メディア”という共通点を持ちながら、発達した地域・素材・役割に明確な違いがある**からです。
それぞれの文化や社会が、どのような素材を選び、どのように情報を扱ったか──この章では、それを比較しながら整理していきます。
地域の違い:中国=竹、日本=木
まず大きな違いは、使われた地域です。
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竹簡は主に中国で使用され、特に春秋戦国時代から前漢にかけて広く普及しました。
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一方で、木簡は主に日本で、飛鳥〜奈良時代にかけて行政記録の中心として用いられました。
これは、地理的・気候的な背景とも関係しています。竹が豊富な中国南部に対し、日本では杉や檜といった木材が広く使われていたため、“素材の手に入りやすさ”がメディアの形を決定づけたのです。
素材と構造の違い:竹は束ねる、木は一枚で使う
竹簡と木簡のもうひとつの大きな違いは、構造と使用形態です。
比較項目 | 木簡 | 竹簡 |
---|---|---|
素材 | 杉・檜などの木材 | 細く割った竹 |
形状 | 短冊状の木の札(一枚ずつ使用) | 竹片を複数枚つなぎ、束にして使用 |
主な用途 | 行政命令、荷札、報告文など | 思想書、法令、軍略書など |
地域 | 日本(飛鳥〜奈良) | 中国(戦国〜前漢) |
保管方法 | 束ねず単独・または簡単に紐綴じ | 綿糸や皮ひもでしっかり綴じて“本”化 |
特徴 | 使い捨て的、即時性が高い | 保存・継承を意識、長文対応 |
この表からわかるように、木簡は単発的な命令や記録に強く、竹簡は思想や制度を“残す”ことに適していたと言えます。
文化的役割の違い──木簡は業務、竹簡は知の伝承
役割においても、両者の“メディアとしての性格”には違いがあります。
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木簡は、まさに業務用ツール。荷物の宛名、役所間の伝達文書、ちょっとしたメモ。つまり「日々の行政を動かす」ための記録メディアでした。
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一方で竹簡は、思想や学問を次代に伝えるための記録。長文も対応可能な構造をもち、「知識を保存する」ことを重視していました。
同じ“記録”でも、運用目的が異なれば、選ばれる素材も形式も自然と変わっていったことがよく分かります。
書く文化が育てた、それぞれのカタチ
どちらも筆で文字を書くという点では共通しています。
しかし、書く対象・書く量・書く目的が異なれば、媒体そのものも“文化”として変化するのです。
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木簡には、スピードと効率を重視する役所的な合理性が。
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竹簡には、知識と思想の継承を大切にする学問的な姿勢が。
この違いは、単なる素材や地域差にとどまらず、それぞれの社会が「記録」をどう捉えていたかの違いを映し出しています。
次章では、そんな木簡・竹簡が実際にどのように作られ、どんな工程を経て人々の手に渡ったのか──その制作方法や使用法に迫っていきます。
第5章|どうやって作った?木簡・竹簡の製作工程と使用法
木簡や竹簡を見たとき、つい文字の内容や歴史的背景に目がいきがちですが、実はその**「作り方」や「使い方」こそが、記録文化の本質を映し出す部分**でもあります。
素材の選定から文字の書き込み、綴じ方にいたるまで──
そこには、実用と美意識が共存した手仕事の知恵が詰まっていました。
木簡の作り方──木を削り、書き、届ける
木簡は杉や檜、樫などの軽くて柔らかい木材を用い、以下のような工程で作られました。
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木材を短冊状に切り出す(長さ20〜30cm、幅2〜3cmほど)
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表面をカンナなどで平らに削り、筆記面を整える
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墨がにじまないように、軽く焼いたり、滑らかに磨いたりする
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筆で文字を記入する(筆記具=筆、インク=墨)
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必要に応じて、紐で束ねる、封印する、焼き印を押す
使い方は多岐にわたり、単独で使用するものもあれば、数枚をまとめて伝票として扱うケースも。
使い終わったら廃棄されることも多く、まさに実務重視の記録メディアでした。
竹簡の作り方──竹を割り、綴じて“本”にする
竹簡は、やや工程が多く、より「書物」としての完成度が求められました。
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真っ直ぐな竹を選び、長さ20〜50cmで細く割る
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表皮を削ぎ落とし、筆記面を丁寧に磨く(手触りが重要)
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墨をはじかないように、軽く炙って油分を飛ばす処理を施す
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筆で文字を記す。横書きではなく縦方向に筆を運ぶことが多い
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複数枚を糸や革紐で綴じる(この束を「簡牘(かんとく)」と呼ぶ)
こうして作られた竹簡は、巻物のように丸めて保管することもありました。
持ち運びや複製性にも配慮された、思想の“記録装置”としての完成形といえるでしょう。
書く道具──筆と墨のはじまり
両者に共通するのは、筆と墨を用いて文字を書いたという点です。
筆記具としての「筆」は、中国・戦国時代にはすでに広く使われており、日本でも7世紀には普及していました。
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筆:獣毛(主に兎・羊・鹿)を束ねたもの
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墨:煤(すす)と膠(にかわ)を固めたものを水で溶いて使用
これらは今日の書道文化の源流でもあり、木簡・竹簡はまさに“書の原点”を担った存在でもあります。
綴じる技術=本の原型
特に竹簡では、綴じ方に注目すべきです。
数十枚もの札を一定の順序で綴じる構造は、後の「本(冊子)」の原型とされています。
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縦方向に糸で連結(日本の和綴じに通じる技法)
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束ねたものにタイトルをつけ、表紙を設ける例も
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簡牘の綴じ順が狂うと内容が意味不明になるため、ナンバリングや印も施された
これは、記録が単なる「記す作業」ではなく、“正しく伝えるための技術”でもあったことを示しています。
運ぶ・届ける・保管する──使われ方の多様性
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木簡:使い捨て的な用途(荷札、連絡文、業務記録など)
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竹簡:繰り返し参照する用途(学問書、法典、思想文など)
保管は、木箱や布に包んで保護されることもありました。
湿気・虫食い・火災などのリスクもある中で、いかに情報を安全に保存するかという工夫がなされていたことが分かります。
次章では、そんな木簡・竹簡がやがて姿を消していく歴史的背景──紙の発明と普及がもたらした「記録メディアの革命」に迫ります。
第6章|木簡・竹簡はいつまで使われていた?消えた理由と紙の登場
木や竹に文字を記していた時代。
それは、筆と墨を使って情報を「物理的に刻み込む」文化が花開いた時代でもありました。
しかしやがて、人類は新たな素材──**「紙(かみ)」**という革命的なメディアに出会います。
この出会いこそが、木簡・竹簡という伝統的な記録媒体に終止符を打つことになるのです。
紙の発明──蔡倫が変えた情報の運命
紙そのものは紀元前から存在していたとされますが、現在のような“実用的な紙”を完成させたのは、後漢の蔡倫(さいりん)です。
西暦105年頃、彼は樹皮・ボロ布・漁網などをすり潰し、薄く漉いて乾かす製法を発明し、紙の大量生産を可能にしました。
この紙は、竹簡・木簡に比べて:
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薄くて軽い
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一度に多くの情報が書ける
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製造コストが低い
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保管や運搬がしやすい
という圧倒的な利点を持っていたため、“記録メディアの王座”を瞬く間に奪ったのです。
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消えゆく竹簡──知識の担い手から紙へ
中国では、後漢時代に紙が登場して以降、竹簡の使用は急速に減少していきます。
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3世紀頃には、紙が知識伝達の中心に
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一部の公文書や格式重視の書物では竹簡が併用されることもあったが、徐々に姿を消していく
竹簡は、保存性の高さや格式の重さでは紙に勝る部分もありましたが、“書く量”と“スピード”の点で紙には敵いませんでした。
やがて、書籍・教育・行政など、あらゆる分野で紙への移行が加速していきます。
木簡もまた、紙に押されて役割を終える
日本でも事情は同様です。奈良時代に木簡が全盛を迎えたのち、平安時代に入ると公文書・記録類は徐々に紙へ移行していきます。
とはいえ、完全に消えたわけではありません。
一時的な記録や荷札用途など、“すぐ使って捨てるメモ”的な使い方では、木簡がしぶとく生き残っていたのです。
しかし、紙の量産技術が向上し、価格も下がるにつれて、木簡は次第にその姿を消していきました。
過渡期の記録文化──紙と木簡・竹簡の“併存時代”
興味深いのは、紙が登場したからといって、すぐに木簡・竹簡が消えたわけではないという点です。
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古代中国では、形式や儀礼的価値を重視する文書では竹簡が残された
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日本でも、地方では紙の流通が遅れたため木簡が長く使われたという説もあります
この“併存時代”は、記録メディアの多様性と移行のリアルさを教えてくれます。
一気に切り替わるのではなく、素材や用途ごとに使い分けられた時代があったのです。
紙という“情報革命”がもたらした変化
紙の登場により、人類の記録・保存・伝達のあり方は根本から変わりました。
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書籍文化の発達(巻物から冊子へ)
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学問・教育の普及(知識の共有が加速)
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印刷技術との連携(木版印刷・活版印刷との相性)
これはまさに**「メディアの革命」**でした。
木簡・竹簡という重く・かさばるメディアから、軽く・安く・大量に流通できる紙へと、記録の舞台が移行したのです。
次章では、そんな木簡・竹簡が現代にどう残され、どんな価値を持っているのか──教育・文化・技術の面からその“遺産”を見つめ直します。
第7章|現代の木簡・竹簡の活用と文化的価値
一見、歴史の中に埋もれてしまったように見える木簡や竹簡。
しかし実際には、現代でも教育・文化・デザイン・研究のさまざまな現場で再発見され、活用されている存在です。
そこには、単なる古物ではなく、“記録することの本質”が息づいているといえるでしょう。
教育現場での活用──「記録の原点」を体感する教材に
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小学校・中学校の社会科・歴史授業では、木簡・竹簡のレプリカを用いた体験学習が盛んです。
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実際に竹や木の板に墨で文字を書いてみることで、「紙がない時代の人々の工夫」や「筆記の重み」を実感できます。
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「昔の人も、メモや命令文を手で書いていたんだ」という気づきが、文字や記録への尊敬につながると好評です。
また大学では、中国思想・法制史・文字文化論などで竹簡を題材にした講義が行われています。
博物館・展示施設での価値──失われた日常を今に伝える
木簡・竹簡は、多くの歴史資料館・博物館の常設展示や企画展でも主役を務めます。
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奈良の平城宮跡資料館では、木簡の出土品が大量に展示されており、実際に記された内容(人名・地名・数量など)が解読付きで紹介されています。
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中国では、馬王堆漢墓や睡虎地秦簡の展示が観光名所としても注目を集めています。
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実物展示に加えて、VR・ARによる復元体験や触れるレプリカを導入する施設も増えており、五感で古代の記録文化を感じられる設計になっています。
書道や伝統芸術における再評価
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書道家やアーティストの中には、あえて「木簡風」「竹簡風」の書作品を制作し、文字と素材の関係を追体験する表現活動を行う人もいます。
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木や竹に書くことで、紙とは異なる“筆跡のかすれ”“にじみ”“筆圧”が可視化され、文字に立体感と力強さが宿ると言われています。
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また、展覧会やパフォーマンス書道の演出としても、木簡型・竹簡型の台紙が活用されています。
和風デザインやノベルティ素材としての応用
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最近では、和雑貨・観光土産・記念品として、木簡・竹簡のフォルムを再現したアイテムが増えています。
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例:木簡風の名入れメッセージ札
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例:竹簡モチーフのしおり・ブックカバー
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例:企業ノベルティとしての「木簡型サンクスカード」
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歴史研究のフロンティア──未解読文とAI解析の融合
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現在も、中国・日本で出土した木簡・竹簡の一部は未解読状態にあります。
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それらに対して、AIによる文字解析・復元技術が注目されており、過去の“失われた文脈”が再発見されつつあります。
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記録メディアの研究は今なお進行中。新たな発見が教科書を書き換える可能性すらあるのです。
木簡・竹簡は、単なる古代の道具ではありません。
現代に生きる私たちにとっても、“記録とは何か”“伝えるとはどういうことか”を問い直す文化的な鏡でもあるのです。
第8章|まとめ|木簡・竹簡を知ることで、記録の本質が見えてくる
木簡も、竹簡も、今のように紙が当たり前になるずっと前──
人々が**「記録したい」「伝えたい」**という思いから生まれた、誠実な“記録メディア”でした。
素材を選び、形を整え、墨で文字を刻む。
その一つひとつの工程には、情報を大切に扱おうとする、知と文化の息づかいがあります。
素材に宿る知性、手作業に込められた意味
木簡・竹簡は、ただの「文字を書くための札」ではありませんでした。
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木という素材は、日常的な記録や命令を素早く届けるために。
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竹という素材は、思想や法を長く残すために。
それぞれの社会が必要とした機能に応じて、記録メディアの形が決まっていったことがわかります。
書かれた内容だけでなく、使われた素材や構造そのものに、当時の人びとの価値観や技術が刻まれているのです。
木簡・竹簡から印刷文化への連続線
「記録する」「伝える」「残す」──
この三つの営みは、今も昔も変わりません。
木簡・竹簡というかたちで始まった“記録の文化”は、やがて紙に、そして印刷に引き継がれ、今も私たちの生活や社会を支えています。
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伝票やラベル、チラシやポスター
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書籍やマニュアル、証書や案内表示
これら現代の印刷物も、人の想いを正確に、そして美しく伝えるために工夫されたメディアであることに変わりありません。
記録とは、“人間の証”そのものである
木簡・竹簡を通して見えてくるのは、
記録とは単なる情報の写しではなく、人間の思考・感情・社会の構造そのものを刻む行為であるということです。
それが木や竹であろうと、紙やデータであろうと、
「記す」という行為の中に、人間らしさのすべてが詰まっている──
そのことを、千年前の木簡・竹簡が今も静かに教えてくれています。
📝コラム1|なぜ竹?なぜ木?素材の選ばれ方
木簡と竹簡──どちらも「文字を書くための札」ではありますが、素材として竹が選ばれた中国、木が選ばれた日本には、それぞれ確かな理由がありました。
単なる地域差ではなく、それは文化・気候・技術・思想の違いが反映された選択だったのです。
🇨🇳 中国ではなぜ「竹」?
中国では、特に南方を中心に竹が豊富に自生していたことが大きな理由です。
さらに、竹には記録メディアとして優れた特性がありました。
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まっすぐ長く伸びる → 割って細くしやすい
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軽くて丈夫 → 持ち運びや保存に適している
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墨を吸いすぎず、文字がにじみにくい
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割って綴じれば、長文にも対応可能(=本になる)
加えて、儒教や道教の精神文化において、竹は「節操」「高潔」の象徴ともされ、思想を刻む器としてふさわしい素材とされてきました。
🇯🇵 日本ではなぜ「木」?
一方、日本では、竹よりも杉や檜といった針葉樹の方が広く分布しており、木材の加工文化が古くから根づいていたことがポイントです。
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建築・道具・舟など、木材加工の技術が高かった
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木を削って板にする技術が既に日常的だった
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湿度の高い日本でも木は比較的安定して使えた
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短期使用・廃棄前提の業務メディアに向いていた
また、奈良時代の官僚制度では、命令や伝票を素早く記す“実務的なメディア”としての用途が主だったため、木の札の方が扱いやすかったのです。
素材がメディアを決める──文化の反映としての“木と竹”
竹が思想や書物を支え、
木が行政や物流を動かした──
この違いは、単なる植物の選択ではなく、社会の構造・思想・用途に合わせた素材選びだったと言えるでしょう。
木簡と竹簡の違いは、素材の違いであると同時に、
“記録”という行為そのものに対する姿勢の違いをも映し出しているのです。
📝コラム2|「簡牘(かんとく)」という専門用語について
木簡や竹簡について調べていると、たびたび目にする専門用語があります。
それが、**「簡牘(かんとく)」**という言葉です。
「簡」と「牘」──それぞれの意味
まず、漢字の意味を分解してみましょう。
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簡(かん):竹を割って作った札。主に竹簡を指します。
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牘(とく):木を削って作った札。つまり木簡のこと。
この2つを合わせて**「簡牘」**と呼ぶことで、**竹簡と木簡の両方を含む“古代の書写メディア全体”**を表現できるようになります。
つまり「簡牘」は、記録メディアとしての木札・竹札すべてを含む総称的な専門用語なのです。
なぜわざわざ「簡牘」と呼ぶのか?
実は、中国や日本の歴史学・古典文学・考古学の分野では、
「竹簡」「木簡」だけでなく、それらをまとめて論じる場面が非常に多いのです。
たとえば:
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出土品の分類(竹か木か判別できない場合)
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書物形式の研究(文字の綴じ方や構造を比較)
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書写文化全体の議論(筆記具・文字・材質の総合的分析)
こうした場面では、「簡牘」という語が中立かつ包括的な用語として便利に使われているのです。
現代の文脈でも使われる「簡牘」
「簡牘」は現在でも、以下のような文脈で目にすることがあります。
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博物館の展示解説
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中国古典文献の研究書・学術論文
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歴史系書籍・辞典・論述
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国際的な文化財の分類(“Chinese Bamboo and Wooden Slips” などの訳語)
そのため、**“木簡=木、竹簡=竹、簡牘=両方まとめた総称”**という関係を理解しておくと、文献を読むときにもとても役立ちます。
まとめ|「簡牘」という言葉に見える、記録文化の奥深さ
たった2文字の言葉ですが、「簡牘(かんとく)」という語には、
素材の違いを超えた“記録文化の全体像”をとらえようとする視点が詰まっています。
木簡と竹簡を、それぞれ別のものとして見るのではなく、
同じ時代に並び立った知のメディアとして捉えるための言葉──
それが、「簡牘」なのです。
📝コラム3|“巻物”との違いもおさえよう
木簡や竹簡を調べていると、「巻物(まきもの)」と混同しそうになることがあります。
どちらも細長い素材に文字を記す形式で、遠目には似ていますが──
**実は構造も目的もまったく異なる“別物”**です。
このコラムでは、その違いをわかりやすく整理してみましょう。
巻物とは?──紙・絹・布に書いた“読むための文書”
「巻物」とは、紙・絹・布など柔らかい素材に文字を書き、軸を用いて巻いて保管する形式の文書です。
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形式:横に長い紙をつなぎ、両端に巻き芯を取り付けたもの
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素材:紙、絹、麻布など(後期はほぼ紙)
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用途:仏教経典、漢詩文、書画、記録文書など
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特徴:くり返し読むことが前提、保存・閲覧に優れる
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時代:日本では飛鳥時代以降〜江戸時代まで広く使用
つまり巻物は、「本」としての機能に近いものであり、**繰り返し読まれる長文向けの“読むメディア”**です。
木簡・竹簡との決定的な違い
木簡・竹簡と巻物の大きな違いは、以下のとおりです。
比較項目 | 木簡・竹簡 | 巻物 |
---|---|---|
素材 | 木や竹 | 紙・絹・布など柔軟素材 |
構造 | 板状・札状、(竹簡は紐で綴じる) | 長くつながった1枚の帯状文書 |
用途 | 命令・荷札・思想書(用途は多様) | 経典・文学作品・公式文書など長文保存用 |
持ち運び | 単独(または束)で携帯 | 丸めて持つ、ややかさばる |
閲覧性 | 木簡=一読用途/竹簡=ページ的 | 巻物=順に開く連続的な読み物 |
簡単にいえば、木簡・竹簡=板状、巻物=帯状。
そして、**木簡・竹簡は“情報を伝える”、巻物は“情報を読む・学ぶ”**ための媒体だったのです。
実は「簡牘」→「巻物」→「冊子本」へと進化していく
木簡・竹簡(簡牘) → 巻物 → 冊子本(本の形)というのは、東アジアにおける“本の進化”の系譜でもあります。
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初期:板に書いた札を束ねる
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中期:紙に書いたものを軸に巻く
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後期:冊子状に綴じ、ページをめくる形式へ
この流れの中で、「読む文化」もまた変化していったのです。
巻物と竹簡が“似て非なるもの”だとわかると、理解が深まる
どちらも“横長”“綴じる”“漢字文化”という共通点があるからこそ、混同しやすい木簡・竹簡と巻物。
しかし、「使われた素材」「情報の扱い方」「目的意識」が違うことを理解しておくと、
木簡・竹簡が情報の“送信・記録”寄りであったのに対し、巻物は**“保存・読書”重視のメディア**であったことが見えてきます。
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