写ルンですとは?──使い捨てカメラが“写真文化”になれた理由と“現像インフラ”の力

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✅ 第1章|写ルンですとは──誰でも撮れる“レンズ付きフィルム”という発明


「写ルンです」は、カメラでもフィルムでもない“写真体験”のパッケージ

1986年、富士フイルムが発売した「写ルンです」は、カメラの常識を覆す製品でした。
あらかじめフィルムが装填され、レンズやシャッターも一体型。使い方は「封を切って、シャッターを押すだけ」。誰でも迷わず使える──それが最大の価値だったのです。

この革新的な設計によって、写真は“撮るための技術”から、“思い出を残すための体験”へと変わりました。写ルンですは、単なるカメラの代用品ではなく、**カメラ・フィルム・撮影体験を丸ごと一つにした“写真のパッケージ商品”**だったのです。


インスタントカメラではない──正式名称は「レンズ付きフィルム」

誤解されがちですが、「写ルンです」はインスタントカメラではありません
“撮ってすぐ写真が出てくる”ポラロイドやチェキのような製品が「インスタントカメラ」と呼ばれるのに対し、写ルンですは撮影後に現像が必要なカラーネガフィルム方式です。

正式なカテゴリ名称は、富士フイルム自身が定義した「レンズ付きフィルム」。
カメラではなく、フィルムにレンズと撮影機構を“仮設的に取り付けたもの”という位置づけであり、製品としての目的は**「撮影体験の簡易化」**でした。

この“レンズ付きフィルム”という呼び名が表す通り、写ルンですは「カメラを持っていない人」「フィルムを使ったことのない人」でもすぐに使えるように設計された、フィルム写真の入口としての装置だったのです。


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“誰でも写真が撮れる”時代を切り拓いた

1980年代、フィルム写真はまだ専門性が高く、初心者にとっては敷居の高い趣味でした。
カメラの操作、フィルムの装填、ピント合わせ、露出の調整──それらの“前提知識”なしには、写真はうまく撮れなかったのです。

写ルンですは、それをすべて取り払いました。

  • ピント合わせ不要の固定焦点レンズ

  • シャッター速度・絞りが固定された単純構造

  • 巻き上げも自動ではなく、誰にでもできる手動式

その結果、旅行や運動会などの日常のイベントで、子どもから高齢者までがカメラマンになれる社会が生まれたのです。


修学旅行に持っていった、あのカメラ──“写真の思い出”とともに生きた製品

写ルンですは単なる道具ではなく、“人生の場面に寄り添う存在”として記憶されています。
1980〜90年代、修学旅行や遠足、家族旅行には、必ずと言っていいほどこのカメラがありました。

初めて自分で撮った写真。現像して初めて見る、自分の視点で切り取った世界。
“あとから見るまで、どう写っているかわからない”というワクワク感。
それこそが、**写ルンですが提供した「フィルム写真の原体験」**だったのです。


✅ 第2章|写ルンですはなぜ安く作れたのか?──逆転のエンジニアリング思考


「高性能」ではなく、「必要十分」で設計されたカメラ

写ルンですが安く作れた理由は、単なるコストカットではありません。
それは、“高性能であること”より、“写真として満足できる最低限の品質”を徹底的に見極めた製品設計にありました。

当時、一般的なカメラはガラスレンズ、多機能シャッター、露出計、自動巻き上げなどを搭載し、「より良く写す」ことを目指していました。しかし写ルンですは真逆の発想に立ちました。

「人は、何のために写真を撮るのか?」
→ 答えは、記録と記念。ならば、日中の屋外で“ふつうに写る”品質で十分

つまり、“過剰品質”を捨てることで、製品の設計そのものを抜本的に簡素化できると見抜いたのです。


プラスチックレンズと固定焦点──大胆な“引き算”の技術

写ルンですは、あえて「ぼかす」「寄る」「調整する」といった操作を捨てました。

  • レンズはプラスチック製の単玉(1枚)レンズ

  • ピントは2〜3メートル先に合うよう固定(パンフォーカス)

  • シャッター速度も絞りも固定式

こうした極限の簡素化により、可動部品がほとんど不要になり、製造コストは劇的に下がります。
しかも、「晴れた屋外で人物を撮る」という想定においては、十分にシャープで自然な写真が得られる──つまり、**“使い方を限定すれば、設計も極限まで簡略化できる”**という逆転の発想が貫かれていました。


富士フイルムが持っていた“内製化”と“流通支配”の強み

写ルンですは、単なる技術的な工夫ではなく、富士フイルムという企業体制の総合力によって安価に成立していました

  • フィルムは自社製造(ISO400ネガフィルム)で安定供給

  • レンズ・ケース・機構も社内またはグループ企業で量産

  • 流通網(写真店・コンビニ・量販店)まで自社主導で展開可能

  • さらに、現像・プリント工程までも自社DPEネットワークで制御可能

つまり、写ルンですは「製品」ではなく、**“撮影からプリントまでの一連の写真体験”を富士フイルムがすべて囲い込んで提供したビジネスモデル”**でもあったのです。

そしてこの統合によって、外注にかかるマージンやコストを大幅に削減でき、ユーザーにとっては「安くて便利」な製品として受け入れられました。


大量生産を前提に作られた“再利用型の設計”

写ルンですは「使い捨て」と呼ばれる一方で、内部構造の多くは再利用を前提に設計されていました。とくに1990年代以降は、撮影済みの本体を回収し、レンズ・シャッター機構・ケースなどを分解・再組立して再製品化する「リユースモデル」が本格導入されました。

これにより、新品パーツを減らしながら供給量を維持できるという、コストと環境の両立が可能に。
実際に、一部のモデルでは**再利用部品の占める割合が60〜70%**にも達していたとされています(後述のリサイクルシステムにて詳細)。

つまり写ルンですは、「最初から安く作る」のではなく、「安く供給し続けられる仕組み」そのものが設計されていた製品だったのです。


✅ 第3章|写ルンですの現像はどうしてた?──C-41とDPEネットワークの裏側


フィルムは「C-41方式」──世界標準のカラーネガ現像プロセス

写ルンですに内蔵されているのは、一般的な**35mmのカラーネガフィルム(ISO 400)**です。
このフィルムは「C-41プロセス」という現像方式で処理されるよう設計されており、これは1972年にコダックが制定した、カラーネガ現像の世界標準プロセスです。

C-41方式は、現像液の構成や処理温度(通常38℃前後)などが国際的に統一されており、富士フイルム製でもコダック製でも同じ処理ラインで現像できるよう設計されています。
この互換性によって、写ルンですは**全国どこでも、どんな写真店でも現像が可能な“普遍的な製品”**となったのです。


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現像は“コンビニ”で受付、“DPEセンター”で処理されていた

「写ルンですをコンビニで現像していた」という記憶を持つ人は多いかもしれません。
実際には、コンビニ店員が現像していたわけではなく、店舗は“受付窓口”の役割を果たしていました。

  • 写ルンです本体を専用の現像袋に入れて、名前・希望サイズなどを記入

  • 店員に預けると、夜間回収便などで地域のDPEセンター(現像所)へ一括集配

  • センターで現像・プリントされた写真が、数日後コンビニに戻ってくる

  • 利用者はレジで支払い・受け取り

このように、富士フイルムが全国に張り巡らせた**“DPE流通インフラ”が、フィルム写真文化を支えていた裏側**には、こうした“人知れぬ物流の仕組み”が存在していたのです。


DPEショップと富士フイルムの“垂直連携”が鍵だった

写ルンですの現像インフラは、単なる店舗網の広がりだけではなく、富士フイルムが写真産業全体を自社内で統合的に制御していたことによって成立していました。

  • フィルム供給:富士製造(ISO400ネガフィルム)

  • 現像液・処理機材:富士製のC-41対応ミニラボをDPE店に供給

  • プリント機器・薬品・用紙:すべて富士ブランドで統一

  • 回収・配達:提携物流会社と専用ルートを確保(ルート便・夜間集配)

つまり、写ルンですが「撮ったらどこでも現像できる」と言えたのは、製品だけでなく現像体験まで含めて富士フイルムが“パッケージ設計”していたからにほかなりません。

この垂直統合モデルこそが、写ルンですを単なる「安いカメラ」ではなく、全国規模の写真体験インフラの一部にした決定的要素だったのです。


✅ 第4章|環境にやさしい“使い捨て”──回収・再利用で生まれ変わるカメラ


「使い捨て」が社会問題になったとき、富士フイルムは“再資源化”に動いた

「写ルンです」は、もともと“使い捨てカメラ”というカテゴリーで登場しました。
撮影が終わったら本体ごとDPEショップやコンビニに預けるだけ──その気軽さは、多くの人に写真体験の自由を与えました。

しかし、年間数千万台規模で流通するようになると、本体のプラスチックやレンズ、電池などの廃棄物問題が社会的な懸念として浮上します。とくに90年代以降、「環境負荷」「ごみ問題」「リサイクル社会」といったキーワードが注目される中で、「写ルンです=大量廃棄型プロダクト」という印象も一部で広がりました。

こうした状況を受け、富士フイルムは極めて早い段階から、“レンズ付きフィルムの再資源化システム”の確立に着手します。
これは単なるごみ処理ではなく、回収・再利用・再製品化までを1つのサイクルとして構築する取り組みでした。


回収された写ルンですはどうなる?──分解・洗浄・再組立のエコロジー工程

現像が終わった「写ルンです」は、DPE店やコンビニを通じて回収され、富士フイルムのリサイクルセンターへと集められます。そこで行われるのが、以下の工程です。

  1. フィルム部分のみを取り出し、残りの本体は再利用対象に分類

  2. レンズ、シャッター、ファインダー、巻き上げ機構などを分解し、洗浄・点検

  3. 再利用可能なパーツを新しい筐体に組み込み、再生製品として再出荷

とくにレンズや機構部品などは耐久性が高く、1台のカメラから何度も再利用されることが可能でした。
その結果、再生モデルでは最大70%以上の部品が再利用パーツで構成されていたという記録も残されています。

この「再資源化工程」は、日本国内における製造業として初期から明確なリユース指標を設定した事例としても高く評価されています。


環境配慮とコスト削減──“エコだから安くできる”モデルへ転換

写ルンですの再利用モデルは、単なる環境対応ではありません。
実はこの取り組みは、製品原価の削減にも直結する戦略的システムでもありました。

  • レンズやシャッター機構を新品から毎回製造せずに済む

  • 成形済みの筐体や電子部品(フラッシュ回路など)も再利用可能

  • 回収物流網もすでに確立済み → 新たな仕組みを追加せず運用可能

つまり、「環境のためにやる」から「再利用の方が合理的」へとパラダイムが転換していたのです。

富士フイルムはこの体制を「グリーンリサイクルシステム」として商標登録し、パッケージにも「このカメラは再利用部品で作られています」という表示を明記するようになりました。
それは企業としての誠実さを示すと同時に、ユーザーに**“ただ安いだけではない”信頼性と安心感**を提供する仕掛けでもあったのです。


✅ 第5章|なぜポラロイド方式ではなかったのか?──写ルンですの“割り切り”


「その場で見られる写真」ならポラロイドの方が上だった

一見すると、「撮った写真をすぐ見たい」というニーズには、ポラロイドカメラの方が合理的に思えるかもしれません。
実際、ポラロイドはシャッターを切ってから数十秒でプリントが現れ、即時に“結果”が得られる写真体験を提供していました。

それに対して写ルンですは、撮ってもすぐには見られず、現像所に出して数日待たないと結果がわからないというフィルム式です。
にもかかわらず、なぜ富士フイルムは“ポラロイド的”な即時現像方式ではなく、あえて“フィルム+後現像”のレンズ付きフィルムを選んだのでしょうか?

その答えは、技術、価格、構造、ユーザー体験というあらゆる要素の“割り切り”にありました。


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即時現像には「高コスト」「構造の複雑さ」という壁があった

ポラロイド方式の最大の課題は、1枚ごとに現像薬品が封入された専用フィルムを使う必要があることです。

  • インスタントフィルムには複雑な多層構造(感光層・反転層・現像剤パック)が必要

  • 現像処理のためにカメラ本体にローラー機構や遮光設計を備える必要がある

  • 撮影ごとに1枚ずつ高価なインスタントフィルムを消費する

この仕組みを写ルンですのような“数百円〜千円”の商品価格帯に落とし込むことは、1980年代当時の技術水準では現実的ではありませんでした

さらに、写ルンですの最大の利点は“量を撮れること”。
ポラロイドが1カートリッジで10枚前後なのに対し、写ルンですは24枚や27枚といった単位で撮影可能
「たくさん撮って、あとからまとめて楽しむ」という使い方を求める層には、ポラロイド的即時性より、フィルム方式の方が圧倒的に合理的だったのです。


写ルンですは「誰でも使える写真体験」に特化した製品だった

富士フイルムは、ポラロイド式ではなく“レンズ付きフィルム”方式を選んだのではありません。
あえて、“レンズ付きフィルム方式を完成させること”を選んだのです。

その判断の背景には、次のような明確な戦略があります。

  • 写真初心者にとって、ポラロイドは高価すぎる/撮れる枚数が少ない

  • ポラロイドの薬剤式は再利用・リサイクルが難しい

  • 写ルンですは汎用C-41フィルムを使えば、どこでも現像できる=流通インフラが整っている

富士フイルムはすでにDPEチェーン、コンビニ受付、ミニラボなどを全国展開しており、「現像を外注する方が全体として効率がいい」ことを知っていたのです。

つまり、写ルンですは**“即時現像の便利さ”ではなく、“圧倒的な手軽さと流通力”にベットした製品**でした。
この判断は結果として、ポラロイドとは異なる形で写真文化を広げることに成功します。


“チェキ”というもう一つの回答──富士フイルムは即時性も見捨てなかった

実は富士フイルムは、即時現像方式を否定していたわけではありません
むしろ1998年に発売された「チェキ(instax mini)」は、ポラロイド方式の即時性を応用したカメラとして、自社から誕生しています。

このチェキは、「写ルンです」とは別の層──

  • 撮ってすぐ見たい

  • 1枚1枚が大事

  • その場で人に渡したい
    といった**“コミュニケーション志向の写真文化”**にマッチする製品でした。

つまり、富士フイルムは

「たくさん気軽に撮りたい人」には写ルンですを、
「1枚をすぐ見たい人」にはチェキを──
というように、“写真の使われ方の違い”に合わせて別の回答を用意していたのです。


✅ 第6章|なぜ写ルンですは消えたのか──“フィルムの時代”の終焉とともに


一時は年間8960万本を出荷──“国民的カメラ”の絶頂期

1986年の発売以降、写ルンですは爆発的に普及しました。
とくに1990年代には、修学旅行や家族旅行、アウトドア、冠婚葬祭など、あらゆる場面で使われ、1997年には年間8960万本が出荷されるという記録的なヒットを達成します

「カメラを買わずに、カメラを持てる」
「シャッターを押すだけで、写真が撮れる」
「どこでも買えて、どこでも現像できる」

この三拍子が揃った写ルンですは、カメラという機械を、生活の中の“道具”として定着させた存在でした。

しかし、2000年代に入ると状況は一変します。
写ルンですは、急速に市場から姿を消しはじめたのです。


最大の要因は“写真そのものの変質”──デジタル化の衝撃

写ルンですの衰退は、ライバル製品との競争ではなく、写真そのものを取り巻く“前提”が根底から変わったことによるものでした。

  • デジタルカメラの普及(1999年以降):撮ったその場で確認、失敗すればすぐ撮り直せる

  • スマートフォンの登場(2007年〜):写真機能が生活必需品へ

  • SNSの浸透(2000年代後半〜):写真は「保存する」から「共有する」ものへ変化

こうした変化により、「現像してあとで見る」「1枚ずつ大切に撮る」というフィルム文化の価値観は、時代のスピード感に合わなくなっていきました

撮ったその場で確認・共有できない写ルンですは、“遅い写真体験”として取り残される存在になっていったのです。


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インフラの崩壊──“どこでも現像できる”はもはや幻想に

写ルンですを支えていた最大の要素のひとつが、**全国規模で整備されたDPEネットワーク(現像所)**でした。
しかしデジタル化が進むにつれて、町の写真店、コンビニ現像受付、ミニラボ機材メーカーは次々と縮小・撤退。

  • 2000年代中盤〜後半:DPE店舗数が激減

  • コンビニの現像受付サービスも次第に終了

  • 富士フイルム自身も写真事業の主軸を「デジカメ・プリント注文」へ移行

その結果、写ルンですを購入しても、「どこで現像できるか分からない」「仕上がりまで時間がかかる」といった、写真体験としての“不全感”が大きくなっていきました

つまり、写ルンですは**“写真を撮る装置”としては機能していても、“写真を見る体験”を社会全体で支えられなくなった**のです。


フィルム文化と一緒に、静かに幕を引いたプロダクト

写ルンですは、単なるカメラ商品ではなく、フィルム文化の末裔として生まれ、そして一緒に時代を終えた製品でした。

  • フィルムの製造コストは上昇し、量産効果は失われ

  • 写真を見るための現像体験が成立しなくなり

  • 撮ること自体も、スマートフォンに完全に置き換わった

その結果、写ルンですは「使いづらい」「手間がかかる」「どこでも見られない」製品として、徐々にユーザーの記憶から遠ざかっていきました。

しかしそれは、失敗でも、廃れたのでもありません。
むしろ写ルンですは、フィルム写真という文化が最も広く、深く、人々の生活に浸透した最後の象徴だったのです。

だからこそこの製品は、“消えた”のではなく、**「役割を果たし、静かに去った」**と言えるでしょう。


✅ 第7章|それでも写ルンですが忘れられない理由──記憶としてのカメラ


「写ルンです」は、使い捨てカメラの代名詞として知られ、1980年代から2000年代にかけて圧倒的な人気を博しました。けれども単なる“安いカメラ”ではありませんでした。

それは、写真が“記録”から“記憶”へと変わる瞬間を、多くの人が手にしたカメラだったのです。


子どもにとって「はじめてのマイカメラ」

写ルンですが特別だった理由のひとつに、“はじめて自分で持てるカメラ”という立ち位置があります。

本格的な一眼レフやコンパクトカメラは高価で、子どもが自由に使えるものではありませんでした。でも、写ルンですは違いました。手軽な価格、軽くて持ち運びやすい形、説明不要のシンプルな使い方。それらすべてが、「自分の目で世界を切り取る」体験を、誰にでも開いてくれたのです。

修学旅行や運動会、放課後の公園──枚数の限られたフィルムを前に、子どもたちは真剣に“何を撮るか”を選びました。その瞬間の判断と、仕上がりを待つ時間。それこそが、写真を“思い出に変える装置”としての役割を果たしていたのです。


撮る、待つ、渡す──すべてが「写真体験」だった

写ルンですの写真は、すぐには見られませんでした。現像が必要だったからです。でもその“待つ時間”が、かえって記憶を深くしてくれたのです。

数日後、写真屋やコンビニでプリントを受け取る瞬間のワクワク感。写っていなかったショック。思わぬ一枚に笑いがこみあげる場面。それらはすべて、今のデジタル世代では体験しえない、写真との豊かな関係でした。

一枚ずつ、手にとって、並べて、誰かに渡して、アルバムに貼って──そうして“記憶がかたちになる”過程を、写ルンですはすべて含んでいました。


レンズ付きフィルムが残した「選択の記録」

「写ルンです」は正式名称ではなく、製品カテゴリとしては「レンズ付きフィルム(single-use camera)」に属します。その特徴は、撮影後に現像・プリントすることを前提としたフィルム写真の仕組みを、圧倒的に簡略化した設計にありました。

特に1980年代後半以降の日本では、プラスチックレンズ、成型一体型の簡易ボディ、そして大量生産体制が整い、価格を抑えながらも品質を維持することが可能に。さらに、全国のコンビニチェーンやDPE店での現像受付が普及し、写真が“日常的に現像できるもの”となったのです。

1台につき24〜27枚という限られた枚数だからこそ、シャッターを切る一瞬には「何を残すか」の意識が宿りました。その選択の積み重ねこそが、記録ではなく“記憶”としての写真を生み出したのです。


忘れられないのは、「見えないもの」を写していたから

写ルンですが今なお語られる理由は、懐かしさだけではありません。あのカメラは、風景だけでなく、その時代の空気、関係性、感情までも写し込んでいたのです。

現像を終えた写真を手にしたとき、ただの光景ではなく──

「あの時、一緒に笑ったよね」
「これ、ブレてるけど好きだった」
「もう会えない人が写ってる」

そんな思い出が溢れてくるのは、シャッターを押した“自分の気持ち”がそのまま写真に焼き付けられていたからでしょう。

写ルンですは、カメラの形をした「記憶の容器」だったのです。


✅ 第8章|まとめ:写ルンですは“製品”ではなく“文化”だった


「写ルンです」は、単なるレンズ付きフィルムのひとつ──というだけではありませんでした。
それは、写真という営みの中で、人とカメラの関係を再構築し、「写す」という行為そのものに文化的な価値を与えた存在です。

スマホで誰でも簡単に写真を撮れる時代だからこそ、改めて浮かび上がるのが、写ルンですが残した“体験の本質”です。

“押すだけ”の思想はイーストマンからつながる系譜

「写ルンです」が掲げたコンセプト──**“誰でも簡単に、押すだけで写真が撮れる”**という思想。
これは実は、1888年にジョージ・イーストマンが「Kodak No.1」で打ち出したカメラの思想と、まったく同じ系譜にあります。

You press the button, we do the rest.(ボタンを押せば、あとはおまかせ)

この理念を1世紀の時を経て現代に引き継いだのが、写ルンですだったのです。

複雑な操作や高額な機材を排除し、誰もが“日常の中で”写真を撮れるようにする──それは機械としての革新ではなく、写真の民主化という文化的なインパクトでした。


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スマホカメラに受け継がれた「写真の民主化」

スマートフォンがカメラ機能を標準搭載し、誰もが“撮る人”になった現代。
その大前提を支えたのは、写ルンですが確立した「写真は専門家だけのものではない」という認識です。

写ルンですは、写真という行為を“操作ではなく体験”に変えました。

構えて、押して、現像して、見る──
その一連の流れが、ただの記録以上の意味を持ち、人と人をつなぐ「思い出の儀式」になったのです。

この精神は、現代のスマホカメラにも確実に受け継がれています。
撮ることを難しくしない。だから、感情や記憶に寄り添う写真が残る。

写ルンですが社会にもたらした価値は、カメラ機能の進化ではなく、人間と写真の距離を縮めたことだったのです。


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写ルンですが残した“写真の原体験”は、今も生きている

現代の若者が「写ルンです風」な写真をSNSに投稿したり、フィルムカメラに再び惹かれるのは、単なるレトロ趣味ではありません。

そこには、“写真を撮るとは何か”という根源的な問いへの答えがあります。

撮る前に考える。撮ったあとに待つ。現像されて初めて“見る”ことができる。
このプロセスは、撮影そのものを“体験”に昇華させる力を持っていました。

現代は、何万枚も写真がスマホに眠っていますが、それらは「思い出」ではなく「データ」でしかないことも多い。
対して写ルンですで撮った写真は、物として存在し、時間をかけて心に根付く

それはまさに、“写真の原体験”です。

たとえ時代が変わっても、私たちの中に残り続ける“写真とは何か”の感覚──
それこそが、写ルンですが“文化”として生き続けている理由なのです。


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