はがきの歴史|官製はがき・年賀状の起源と150年の進化を印刷会社が解説

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第1章|はがきの歴史を知る意味とは?

「はがき」は、ただの通信手段ではありません。
明治の郵便制度創設から150年以上、日本の社会制度、暮らし、文化の変化を映してきた紙のメディアです。

そもそも、はがきの誕生は1871年(明治4年)の郵便制度創業と軌を一にしています。
それまで書状といえば巻紙や封筒が主流だった中、政府が「全国民が安価に連絡できる手段」として発行したのが、翌1872年(明治5年)の**官製はがき(郵便札)**でした。

この1枚の紙は、単なる文通ツールにとどまらず、時代とともに役割を変えながら、現代に至るまで生き続けています。

たとえば──

  • **往復はがき(1885年制度化)**は、投票や申込の“正式な意思表明ツール”に

  • **絵はがき(明治後期〜)**は、観光や戦地報告を担った“視覚メディア”として発展

  • **お年玉付き年賀はがき(1949年発行)**は、戦後復興とともに「国民行事」へと昇華

  • **現在のはがき(85円)**は、SNSでは届かない“感情の可視化メディア”として再評価中

つまり、はがきは日本の近代国家化・戦後復興・デジタル化のすべての局面に存在していた稀有な存在です。
本記事では、以下の7つの視点から、その進化の軌跡をたどります。

  • 第2章:明治政府と官製はがきの誕生

  • 第3章:往復はがき・絵はがき・軍事郵便の多様化

  • 第4章:お年玉付き年賀はがきの登場とブーム

  • 第5章:郵便料金の推移と通信の価値の変化

  • 第6章:官製/私製の言葉と制度の移り変わり

  • 第7章:現代にはがきが持つ“紙の力”の再評価

結論として、はがきは“失われた手段”ではなく、進化し続けるメディアです。
印刷会社の視点から、その価値をひも解いていきましょう。


第2章|日本のはがきはいつから?明治政府と「官製はがき」の誕生

◉ 1873年、日本初の「官製はがき」が誕生

日本で最初の官製はがきが発行されたのは、1873年(明治6年)12月1日のことです。
当時の逓信省(現在の日本郵便の前身)が、全国に向けて「郵便はがき(当時の名称:郵便札)」を導入し、これが後の官製はがきの起源となりました。

背景には、1871年(明治4年)3月1日に開始された日本の近代郵便制度があります。
東京・京都・大阪を結ぶ郵便路線が整備され、国民が手紙で情報をやりとりできる仕組みが着実に広がっていた時代でした。

そんな中で、「封書よりも安価で、誰もが気軽に使える通信手段」として考案されたのが、この官製はがきです。
導入当初の郵便料金は、**市内あてが半銭(=5厘/0.005円)、市外あてが1銭(0.01円)**という破格の設定でした(※封書は当時2銭)。
この価格の安さが、一般庶民への急速な普及を後押ししたのです。

はがきは単なる手紙の代替品にとどまらず、情報伝達の民主化を支える**“公共メディア”**としての役割も果たしていきました。


◉ 初期の官製はがきとその仕様

初期の官製はがきは、厚手の無地カードのような形状で、表面に宛名、裏面に文面を書く形式。
デザインは非常に簡素で、茶色系の紙にシンプルな印字が施された、まさに“実用本位”の通信アイテムでした。

その導入目的は、単なる低コスト通信ではありませんでした。
政府はこのはがきを通じて、「誰もが文書で情報をやりとりできる社会」の実現、すなわち国民皆通信を目指していたのです。

この「はがき」の登場は、庶民の暮らしとコミュニケーション文化に大きな変化をもたらし、やがて絵はがきや年賀状など、多彩な用途へと広がっていきます。


◉ 「官製」と「私製」の違いと制度

「官製はがき」は、逓信省が製造・販売し、切手代込みでそのまま投函できる**“前納済みのはがき”でした。
一方、「私製はがき」は民間の印刷所が制作したもので、当初は
逓信省の承認印(検定印)**が必要とされていました。

この制度は1890年代以降に整備され、デザイン性や材質などの自由度が高い一方で、
切手を別途貼らなければ郵送できないという違いもありました。

つまり、官製=政府発行/私製=民間発行という違いにとどまらず、
料金体系、承認制度、用途目的までもが明確に分かれていたのです。


◉ 印刷技術と官製はがきの同時進化

明治後期に入ると、印刷技術も飛躍的に向上。
金属活字やリトグラフ印刷が普及し、逓信省内製造だけでなく、民間の印刷会社による私製はがきの商業展開が本格化します。

印刷所の中には、はがき印刷専門の設備を整える企業も登場し、
明治30年代以降はデザインはがき・絵はがき・挨拶用はがきなどが一気に多様化しました。

この時代、「はがき」は郵便制度と印刷業界をつなぐハブとして進化し始めていたのです。


第3章|往復はがき・絵はがき・軍事郵便:戦前〜戦中のはがき文化

明治〜昭和前期にかけて、はがきは「通信手段」から「文化の担い手」へと進化していきます。
この時代、はがきは用途ごとに多様化し、双方向連絡のための「往復はがき」
旅情や感性を伝える「絵はがき」、さらには**国家的機能を果たした「軍事郵便」**などへと拡張されていきました。


◉ 明治18年、往復はがき登場──“双方向通信”を紙1枚で実現

往復はがきは、一枚の紙に「送信用」と「返信用」の2つの面が連なっている特別なはがきです。
差出人が投函すると、受け取った相手は返信部分を切り離して再び投函することで、一往復分のやり取りがこの一枚で完結するという画期的な仕組みです。

この往復はがきが初めて発行されたのは、1885年(明治18年)
当時の逓信省(現在の総務省)が、通常はがきの通信機能を拡張する形で導入しました。
料金は「通常はがきの2倍」で、文字通り“はがき2通分の価値”を備えていたことになります。

導入当初から、教育機関の調査依頼や企業の申込書、官公庁による通知・確認書類など、正式な回答を求める用途で急速に普及
「送って終わり」ではなく、「送った相手からきちんと返ってくる」――この信頼性が、ビジネスや行政の現場で高く評価されたのです。

その利便性と機能性は、現代にも受け継がれています。
たとえば国勢調査の回答用紙選挙関連の投票案内、一部の行政手続きなど、“確実な返信を得る必要がある場面”では、今なお往復はがきの仕組みが活用され続けています。

紙1枚で双方向の意思疎通を可能にしたこの形式は、まさに郵便インフラが生んだ情報設計の傑作とも言えるでしょう。


◉ 明治後期〜昭和初期、絵はがきが“旅するメディア”になる

印刷技術の発展とともに登場したのが、**「絵はがき」です。
明治30年代以降、日本各地の風景や名所、人物写真などが印刷された華やかな絵はがきが全国に出回りはじめました。鉄道網の拡大や観光ブームと連動して、
「旅の記念」「遠方との通信手段」**として広く浸透します。

特に注目すべきは、1904年~1905年の日露戦争時に登場した戦争絵はがきです。
戦地の様子や軍人の肖像、軍艦や兵器などが印刷された絵はがきが大量に制作され、国民の間で情報収集の一助となりました。
こうしたビジュアル要素を取り入れたはがきは、文字だけでは伝えられない臨場感や感情を補い、メディアとしての役割を大きく広げていったのです。

当時の印刷会社では、クロモ石版(多色石版)や木版多色刷りを活用し、絵はがき専門の部署を設けるほどの活況を見せました。
ここにおいて、はがきは単なる通信手段から、**“ビジュアルと言葉が融合したメディア”**へと進化したと言えるでしょう。


◉ 日清戦争から始まった「軍事郵便」の制度化

兵士と家族をつなぐ郵便の仕組みは、**日清戦争が勃発した1894年(明治27年)**に導入されました。
この年、逓信省は「軍事郵便」の制度を設け、戦地に赴いた兵士が無償で家族と文通できるよう整備を開始。これが、後に多くの戦争で活用される軍事郵便制度の出発点となります。


◉ 昭和戦時下の「軍事郵便」──はがきが“声なき記録”になる

昭和10年代、日中戦争から太平洋戦争へと突入する中で、はがきは国家レベルの通信インフラへと変貌します。
「軍事郵便葉書」(通称:軍事はがき)は、兵士が家族へ想いを伝えるための無料の通信手段として提供されました。内容は厳しい検閲を受け、宛先も「内地某所」「父母様」といった表現に限定されるなど、機密保持のための制限が設けられました。

また、戦地からの便りに対する返信として、多くの「慰問はがき」も民間から送られました。これらは物資の差し入れや激励の言葉を綴ったもので、家族や地域住民のあたたかな思いが詰まっていました。

この時代には物資統制の影響から、再生紙や粗悪な統制紙が使用された軍事用はがきも多く登場します。インクの供給も制限され、印刷会社においても大きな影響を受けました。

それでも、人々は**「遠くにいる誰かに気持ちを届けたい」という想いを抱きながら、手書きの文字ではがきを送り続けました。
こうして軍事郵便は、戦時下における
“心のつながり”の記録**であると同時に、いまなお多くの史料として残される歴史の証言ともなっているのです。


第4章|「お年玉付き年賀はがき」の誕生と戦後の国民文化へ

戦争が終わった1945年、日本は焼け野原の中から復興への一歩を踏み出していました。
そんな中、人々の心に明るい話題を届けようと誕生したのが──
お年玉付き年賀はがきです。

これは単なる郵便商品ではなく、戦後の社会再建・家族再結束・郵政事業の復興を担った、国民的プロジェクトでもありました。


◉ 1949年、夢と希望を乗せた“くじ付き年賀状”の誕生

「お年玉付き年賀はがき」が初めて登場したのは、1949年(昭和24年)12月1日のことです。
戦後の混乱から復興の兆しが見え始めたこの時期、日本中に“ささやかな喜び”と“明るい希望”を届けようという想いから、この新しい制度は生まれました。

仕組みはシンプルで、はがきに印刷された番号を使って抽選が行われ、当選者には景品が贈られるというもの。
記念すべき第1回抽選会は、翌1950年(昭和25年)1月20日に開催されました。

そのときの景品は、当時の人々の暮らしを支え、同時に心をときめかせるような実用品ばかりでした:

  • 特等:ミシン

  • 1等:純毛洋服地

  • 2等:学童用本革グローブ

  • 3等:学童用こうもり傘

戦後の物資不足の中で、こうした景品は“実用性と夢”の象徴であり、生活の励みにもなったのです。

この制度の立案者として知られるのが、大阪の雑貨商・林正治(はやし まさじ)氏。
「年賀状に楽しみを加えて、多くの人にワクワクしてもらいたい」という熱意から、林氏は自ら試作品を作り、郵政省(当時)に提案を繰り返しました。
その熱意が認められ、ついに制度化されることとなります。

初年度(1949年末)の販売実績は、約1億8,300万枚
わずか一ヶ月あまりでこれだけの枚数が売れた背景には、戦後日本の人々が「楽しみ」や「交流」をどれほど求めていたかがうかがえます。

“お年玉付き”という遊び心は、年賀はがきを単なる通信手段から「新年のワクワクを届けるイベント」へと昇華させ、
今日まで続く日本独自の年賀状文化を形づくったのです。


◉ 年賀状が“国民的行事”へと昇華していく

1950年代以降、高度経済成長の波に乗って、年賀はがきの発行枚数は急増。
昭和40年代には30億枚を超え、ピーク時の1984年には44億枚を記録しました。

年末になると文房具店や郵便局が賑わい、印刷会社では名入れ年賀状や法人向け印刷が繁忙期を迎えます。
「年賀状シーズン」は**日本の印刷業界の“年末風物詩”**として定着しました。

昭和後期〜平成にかけては、カラー印刷の普及により、

  • 家族写真入り年賀状

  • カラフルな干支イラスト

  • 企業のブランディング年賀状

など、パーソナライズ化・差別化が進行していきました。


◉ 家庭用プリンタと“自宅年賀状”の時代へ

1990年代後半〜2000年代にかけて、エプソンやキヤノンのインクジェットプリンタが普及。
専用年賀状ソフト「筆まめ」「筆ぐるめ」などが広まり、自宅で手軽に印刷できる時代が到来します。

これにより印刷会社の年賀状需要は減少する一方で、
高品質・大量ロット・法人名入れといった業務用途では引き続き需要が残りました。

また、2000年代にはeメールやSNSの台頭により、若年層を中心に“年賀状離れ”が進行。
一時期は年賀状不要論も広まりましたが、**2020年代に入り「紙で届く感謝の価値」**が見直され、再評価の機運も高まっています。


第5章|郵便料金の推移から見る、はがきの価値と社会変化

はがきの料金は、単なる「切手代」ではありません。それは社会の仕組みや価値観、経済状況を反映した**“インフラコストの指標”**です。郵便料金の推移を追うことで、私たちがどのように「情報を届ける手段」に価値を置いてきたのかが見えてきます。


◉ 官製はがきが登場した1873年、料金は市内5厘・市外1銭だった

1873年(明治6年)、日本で初めて「官製はがき(郵便はがき)」が発行されました。
このときの料金は、市内宛ては5厘(0.005円)、市外宛ては1銭(0.01円)。封書が2銭だったことを考えると、はがきは非常に安価で、迅速な通信手段として画期的でした。

当時の郵便制度はまだ黎明期でしたが、誰でも手軽に使える公共サービスとして、はがきは急速に普及。
学校、家庭、商取引など、あらゆる場面で「紙1枚で気軽に情報を送れる手段」として定着していったのです。


◉ 郵便料金の変遷(表)とその背景

郵便料金は時代ごとのインフレ、労務費、制度改正、消費税などを反映して、段階的に引き上げられてきました。

年代 はがき料金 主な背景・要因
1873年 市内:5厘(0.005円)/市外:1銭(0.01円) 官製はがき制度の創設、都市間通信の普及
1899年 1銭5厘(0.015円) 郵便制度の全国統一、料金体系の標準化
1949年 2円 戦後の急激なインフレと物価高騰、経済混乱
1951年 5円 新円切替後の物価安定と郵便事業の再整備
1981年 30円 高度経済成長期による人件費・物流コストの増加
1994年 50円 消費税(3%)導入に伴う料金調整
2017年 62円 郵便物取扱数の減少、配達コスト・人件費の上昇
2019年 63円 消費税10%適用、サービス維持のための調整
2024年〜 85円(現行) 利用減少に伴う収益減、人件費・輸送費の高騰、事業維持のための抜本改定
この推移を見ると、郵便料金は経済インフラとしての通信コストの変化を明確に映し出しています。

◉ 「はがき1通」の価格に込められた価値

「今はがき1枚85円」と聞くと、高いと感じる人も多いかもしれません。
しかし、この金額には驚くほど多くの工程が含まれています。

  • 印刷されたはがきの製造コスト

  • 郵便番号読み取りと仕分けシステム

  • 全国各地の配達員による戸別配達

これらが全国どこでも同一料金で提供されているという事実は、世界的に見ても極めて稀で、きわめて効率的な仕組みと言えます。


◉ デジタル時代に選ばれ続ける理由

スマートフォンやSNSで、0円・即時・既読のやりとりが可能な現代。
それでもなお、85円をかけて「紙のはがき」を送る理由はどこにあるのでしょうか?

それは、**「あえて時間とお金をかけることで伝わる、想いの強さ」**に他なりません。

  • 高齢者や法人にとって、はがきは「正式な通知」として信頼性が高い

  • 再生紙・カーボンオフセットはがきなど、環境対応商品も登場

  • 年賀状など“文化”としてのはがき習慣も根強い


◉ はがきは「心を届ける手段」へと進化した

今のはがきは、情報を届ける以上の存在です。
それは、“気持ち”や“丁寧さ”を形にするツールへと進化しています。

  • 効率ではメールに負けても、記憶には残る

  • コストでは高くても、心には届く

この“非効率さ”こそが、現代における紙の価値であり、はがきの存在理由なのです。


第6章|「官製」「私製」の言葉の変化と、現在のはがき事情

かつて日本では、はがきには「官製はがき」「私製はがき」という明確な区別がありました。
しかし、現在この表現は制度上は存在しておらず、呼び名としてのみ一部に残っています。
この変化は、郵便制度と印刷業界の構造変化を象徴するトピックでもあります。


◉ 「官製はがき」とは何だったのか?

「官製」とは、政府(官庁)が製作・発行したものという意味で、
1873年に登場した官製はがきは、逓信省(現在の総務省)が製造・販売し、切手込みで投函可能な郵便はがきでした。

一方、印刷会社など民間事業者が制作したはがきは「私製はがき」と呼ばれ、
逓信省の承認印(検定印)を取得した上で流通。切手を別途貼る必要があるという違いがありました。

この2つは、製造元だけでなく、制度・料金・使用方法までも明確に分けられていたのです。


◉ 郵政民営化で「官製はがき」という言葉は消えた

この言葉に制度的な転換点が訪れたのは2001年(平成13年)
この年、郵政省が廃止され「郵政事業庁」へ移行
さらに2003年には「日本郵政公社」、2007年には「日本郵政株式会社」へと段階的に民営化されました。

この過程で、国が直接発行する“官製”という概念は制度上存在しなくなり、
現在では**日本郵便株式会社が発行する「通常はがき」または「郵便はがき」**と呼称が統一されています。

つまり、「官製はがき」は制度用語としてはすでに廃止されており、現在使われることがあってもそれは俗称または慣用表現にすぎません。


◉ 「私製はがき」は印刷の自由と表現の幅を広げた

一方、「私製はがき」は現在も印刷会社で自由に制作可能であり、
以下のような特徴を持っています:

比較項目 郵便はがき(旧・官製) 私製はがき
発行主体 日本郵便株式会社 民間印刷会社・個人
切手 料金込み(85円) 別途切手貼付が必要
デザイン自由度 限定(官製デザイン) 自由(完全カスタム可)
用途例 年賀状、公的通知など DM、結婚式案内、記念品など

フルカラー・特殊紙・型抜き加工・オンデマンド印刷などを駆使した私製はがきが選ばれる場面が増えています。

これは、単に通信手段としてではなく、**“ブランド体験をデザインする紙メディア”**として再評価されている証拠です。


第7章|はがきは“なくならない”紙メディアである

デジタル化が進み、スマートフォン1つで誰とでも即座に連絡が取れる時代。
それでもなお、はがきは“過去の遺物”にはなっていません
むしろ、**デジタル時代だからこそ再評価されている“感情を運ぶ紙メディア”**としての存在感が増しています。


◉ 紙で届く“ぬくもり”は、デジタルでは得られない

スマートフォンやパソコンで、メールやSNSを通じたやりとりが瞬時に行える時代。
しかし、そのスピードと便利さの裏で、「手間をかけること」そのものが価値になる場面もあります。

はがきは、書く・印刷する・ポストに入れるという工程を経て相手に届くもの。
だからこそ受け取った人にとっては、**「自分のためにわざわざ行動してくれた」**という温かさが伝わります。

特に年賀状や季節のあいさつなどでは、紙に印刷された言葉や手書きの文字が、相手の顔を思い浮かばせるという声も多くあります。
このように、はがきは単なる情報の伝達手段ではなく、**“行為そのものが記憶に残る”**という、デジタルでは代替できない独自の価値を持っています。

企業・自治体・学校・高齢者層を中心に、今なおはがき文化が根強く残っているのは、そうした**非効率の中にある「心の通い」**を重視するからにほかなりません。


◉ 印刷会社の視点:はがきは“メディアの最小単位”である

私たち印刷会社の立場から見れば、はがきはまさに**「情報と感情とデザインが1枚に凝縮されたメディア」**です。

  • オフセット印刷による高品位な仕上がり

  • UVインキや箔押し、変形カットによる演出性

  • 宛名印字・QRコード・AR技術との連携による機能性拡張

これらの要素を活かしたはがきは、単なる「紙の手紙」ではなく、
商品説明/企業ブランディング/誘導ツール/記念品など多機能なメディアに進化しています。

サイズが小さい分、デザインの難易度は高く、表現の密度は高い。
それが、印刷現場における“はがきの奥深さ”なのです。


◉ 未来へ届ける、“紙の価値”という選択肢

今後、はがきの用途はさらに多様化していくと予想されます。
すでに一部では以下のような取り組みも進んでいます:

  • 再生紙はがき・FSC認証紙の導入(環境配慮)

  • 1枚ずつ内容を変えられるバリアブル印刷(パーソナライズDM)

  • ARはがき・動画連携QRコード(体験型メディア)

  • 高級紙を使ったギフト封入用はがき(記念品用途)

こうした変化は、はがきが“過去の手段”ではなく、“未来の紙メディア”として再定義されている証拠です。


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