フォトクローム(Photochrom)とは?リトグラフで白黒写真に色を与えた19世紀の彩色印刷技法【写真と印刷の歴史】

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第1章|フォトクロームとは何か──写真と印刷が融合した“色の記憶”


白黒写真に“色彩”を与えた革新的な表現技法

19世紀後半、まだカラー写真が実用化される前、人々は白黒写真の世界に“色”を求めていました。印刷技術が進化するなかで登場したのが、「フォトクローム(Photochrom)」という革新的な表現技法です。

フォトクロームとは、石版印刷(リトグラフ)の技術を応用して、白黒写真をもとに多色刷りで彩色した印刷物のことを指します。見た目はまるでカラー写真のようですが、その実態は「写真」と「印刷」の両方の性質をあわせ持つ、いわば**“写真と印刷のハイブリッド”**とも言える存在です。

特徴的なのは、色彩が単なる手作業の彩色ではなく、石版の多版分解によって高精度に再現されている点です。風景や都市景観、人々の暮らしといった写真的なリアリズムを残しつつ、手彩色や絵画とも異なる独自の美しさを放っています。

この技法は、現代のデジタル彩色とはまったく異なるアナログ技術でありながら、視覚的なインパクトや保存性においては、当時としては驚異的な完成度を誇りました。


絵画でもカラー写真でもない「第三の映像表現」

フォトクロームは、写真の「記録性」と印刷の「量産性」をかけあわせた技法でしたが、同時にそれは、新しい映像表現の地平を切り開くものでした。

写真でもない、絵画でもない。フォトクロームは、**“リアルでありながら手が加えられた美”**を持ち、見る人に「色の記憶」を強く印象づけました。たとえば、ある風景のフォトクロームを見た人は、白黒写真では得られない没入感を体験できたのです。

しかもこの技法は、大量生産が可能である点で、**限られた階層の美術品から、一般大衆が手にできる“印刷された芸術”**へと価値を開いていきました。

フォトクロームは、印刷表現が単なる情報伝達から「視覚体験」へと進化する過程で、大きな役割を果たしたのです。


第2章|開発者ハンス・ヤコブ・シュミットとOrell社の革新


銀行券印刷の老舗が生んだ写真着色技術

フォトクロームという画期的な印刷技法を最初に開発したのは、**スイス・チューリッヒの技術者、ハンス・ヤコブ・シュミット(Hans Jakob Schmid)**です。彼がこの技法を発明したのは、1880年代。所属していたのは、Orell Gessner Füssli社という、当時すでに長い歴史を持つ印刷会社でした。

このOrell社は、スイス国内で証券・銀行券・公文書などのセキュリティ印刷を専門とする企業として知られており、精密な印刷技術と色分解のノウハウを豊富に蓄積していました。フォトクローム技法が単なる美術的表現ではなく、高度な技術の積み重ねから誕生したことを物語っています。

シュミットは、石版印刷の多版分解技術を応用し、白黒写真から得られる陰影を分解して色ごとの版を作成するプロセスを確立。さらに、細部まで緻密な手作業による補正を加えることで、まるで実写のような“カラー写真風”の印刷物を実現しました。


スイス・チューリッヒ発の技法が世界に広がった背景

フォトクローム技法が正式に商標登録されたのは1888年。この年、スイスの老舗印刷会社Orell Gessner Füssli社が「Photochrom」という名称で特許を取得し、専用の製版会社Photochrom Zürich社(後のPhotoglob Zurich)を設立します。こうして、写真彩色技術はヨーロッパでの生産・供給体制が整備されたのです。

技術的な源流にあったのは、同社が手がけていた銀行券や証券の高精度印刷技術。白黒写真から陰影を読み取り、多色石版で彩色するこの技法は、「写真」と「印刷」のハイブリッドとして新たな価値を生み出しました。

やがてこのフォトクローム技法は、1897年ごろ、アメリカのデトロイト出版協会(Detroit Photographic Company)によって本格的に導入されます。同社はスイス側から独占的使用権を取得し、「Phostint(フォスティント)」というブランド名で展開。
19世紀末のアメリカでは、風景絵葉書や観光パンフレットなど、大量のカラー風景印刷物が生産・販売されるようになりました。

つまり、スイスの銀行券印刷に由来する精緻な技術と、アメリカの商業主義が結びついたことで、フォトクロームは写真技術の枠を超えた印刷商品として世界に広がっていったのです。

当時としては高品質かつ大量複製が可能だったこの技法は、技術と文化の双方をつなぐ象徴的な存在となりました。


第3章|なぜ1880年代だったのか──技術進化と時代の必然


印刷の高精度化と観光産業の拡大が交差した時代

フォトクローム技法が誕生した1880年代という時代は、単なる技術の偶然ではなく、**複数の歴史的要因が交差した“必然のタイミング”**でもありました。

まず注目すべきは、印刷技術の高精度化です。リトグラフ(石版印刷)は18世紀末にドイツで発明された技法ですが、19世紀中ごろには多色刷りへの応用が進み、より複雑で繊細な表現が可能になっていました。とくに、多版による色分解(分版)と版ずれの調整技術が飛躍的に向上し、“手彩色のように見えるが機械印刷である”という新たな地平が開かれたのです。

同時に、社会構造の変化も大きな追い風となりました。19世紀後半は、鉄道網の発達や国際博覧会の開催を背景に、観光産業が急速に発展していた時代です。ヨーロッパでは中産階級が台頭し、都市から地方への観光が「文化的教養」として定着し始めていました。

そんななかで求められたのが、旅の記憶を“色付きの視覚体験”として持ち帰れる印刷物でした。白黒写真や単色の銅版画では満たされないニーズに応えたのが、まさにフォトクロームだったのです。


写真と印刷が歴史的に交差した“決定的な瞬間”

19世紀末の技術環境において、写真と印刷はそれぞれ異なる進化を遂げていました。写真は記録性を高める方向で、印刷は再現性と量産性を高める方向で発展していたのです。しかしフォトクロームは、その2つの系譜を**技術的・文化的に接続する「橋渡しの技法」**でした。

フォトクロームにおいては、まずモノクロ写真がガラス乾板などの原板から得られ、その画像をもとに石版の多色分解が行われます。このプロセスには、写真のリアリズムと印刷の版管理技術の両方が必要不可欠でした。

つまり1880年代という時代は、印刷と写真という2つの別領域が初めて“融合可能”になったターニングポイントだったのです。フォトクロームは単なる彩色印刷ではなく、技術と時代が“合流”した地点に咲いた、非常に象徴的な成果だったと言えるでしょう。


第4章|フォトクロームのしくみ──写真と石版印刷の融合技術


リトグラフを応用した多色分版と手彩色の工程

フォトクロームは一見するとカラー写真のように見えますが、その実体は石版印刷(リトグラフ)を高度に応用した多色刷り印刷物です。この技法では、白黒写真をベースに、そこから色ごとの“分版”を手作業で作成し、最大で15枚以上の石版を重ねて印刷していきます。

まず工程の初期段階では、写真ネガをガラス乾板などから得て、そこから光を通して石版に陰影のイメージを転写します。ただしこの段階では1色のみ。ここから先がフォトクローム最大の特徴であり、芸術性と技術性の融合点でもあります。

色の階調を読み解き、たとえば「空の青」「草の緑」「建物の赤茶色」など、色の役割に応じた石版を一枚ずつ手で作成していくのです。この工程では、印刷職人の熟練度が非常に問われ、写真原板と石版の“視覚的マッチング”に精度が求められました。

そして実際の印刷では、各色の版を順番に正確に重ねて刷ることで、色の再現が実現されます。版ずれを防ぐためのマーク(見当)も使われていましたが、最終的な仕上がりは職人の手の中にありました。

このしくみは、現代のオフセット4色印刷(CMYK)と根本的には同じ発想ですが、完全に手作業で色を分解し、手作業で色を重ねていくという極めて繊細な工程でした。


写真原板をもとにした“版ごとの色分解”の手法とは

フォトクロームが優れていたのは、単に色を塗ったのではなく、写真の階調や構図に合わせて色を“分解・再構築”していた点にあります。これは、当時の写真がまだモノクロだったからこそ、色を足す余地があったとも言えるでしょう。

実際の分版作業では、元の写真画像を拡大鏡で観察しながら、明部・中間部・暗部にどの色を当てるかを判断し、石版ごとに描き起こしていきました。しかも、それぞれの版は、油性インクと水の反発性を利用するリトグラフの原理に則って製版されており、色の重なりで微妙な階調を表現するよう計算されていました。

この手法は、のちの「製版印刷」や「CMYK分解」の源流のひとつともされており、写真のリアリズムと印刷の複製性を手作業で橋渡しした極めて高度なプリント技術だったと評価されています。

また、機械だけに頼らず、人の目と手で色を“再構築”していたという点は、今日の画像補正ソフトにおける“レイヤー補正”に似た思想を感じさせます。


第5章|世界に広がったフォトクローム──観光地と絵葉書ブームの立役者


デトロイト出版協会によるアメリカ展開と商業化

フォトクロームが世界的に知られるようになったのは、アメリカでの商業展開による影響が大きいからです。スイスで1888年に商標登録された後、この技法は国内供給体制が整備され、1900年前後には海外展開へと舵を切ります。

中心となったのが、デトロイト出版協会(当初はDetroit Photographic Company、後にDetroit Publishing Company)です。同社は1897年ごろにスイスのPhotochrom Zürich(Photoglob)から米国内での独占使用権を取得し、この技法を「Photochrom」として活用し始めました

特に19世紀末から1900年代初頭にかけて、同社は風景絵葉書やパンフレットを年に数百万枚規模で生産・販売。たとえば、Library of Congressによると、1901年には1年間に約700万枚のPhotochromプリントを制作していたと報告されています

この結果、カラー絵葉書市場において圧倒的存在感を示し、写真風景印刷の普及に貢献しました。特にナイアガラの滝、イエローストーン、ニューヨークやボストンの都市風景など、観光名所に色彩を与える印刷物として広く受け入れられています

さらに、同社は**Library of CongressやHenry Ford Museum(エジソン機関)**とも連携し、ネガやプリントをアーカイブ化。文化的・歴史的資料としても価値を残す活動が行われました。


名所・風景・都市写真が“記憶の色”を持った意味

フォトクロームの印刷物は単なる視覚資料ではありませんでした。それは、人々の記憶を色彩とともに定着させる装置でもあったのです。

観光地で販売されたフォトクロームの絵葉書は、旅先の記念品としてだけでなく、手紙としても機能し、受け取った人々にその風景を“色付きで”想像させました。これは、白黒写真では到達できなかった**「イメージの共有」**を可能にする新しい文化的機能だったと言えるでしょう。

また、フォトクロームは、当時の都市計画や建築景観、交通インフラ、衣装や生活様式までも色彩付きで記録しており、写真史と都市史の両面からも資料的価値が極めて高いと評価されています。

それは単なる印刷物ではなく、時代の空気を“色”で封じ込めた視覚記録だったのです。


第6章|比較でわかるフォトクロームの価値──オートクロームや手彩色との違い


リアリズムと印刷再現性の絶妙なバランス

フォトクロームは、写真と印刷が交差した技法であると同時に、当時存在した他の写真彩色法と明確に異なる特徴を持っていました。とくに比較されるのが、「手彩色写真」と「オートクローム」です。

まず、手彩色写真は写真のプリントに筆で色を塗る方法であり、個々の作品に職人の個性や表現が反映される一方で、一枚ずつ手作業であり複製性に限界がありました。色むらや人物の表情が不自然になることも少なくなかったため、芸術性はあっても量産には向かなかったのです。

一方、フォトクロームは印刷工程に基づく多版構成であるため、色の均一性と構図の正確な複製が可能でした。風景の細部や建築物のラインを忠実に再現しながらも、彩色によって「美しさ」を加えるこの手法は、写実性と装飾性のあいだにある独特の立ち位置を確立していたと言えるでしょう。

まさに「リアルでありながら、現実以上に鮮やか」。その視覚的効果は、旅先の記憶を理想化されたイメージとして残す役割も果たしていました。


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写真でもなく印刷でもない“色彩表現”の立ち位置

次に比較されるのが、**1907年に登場したオートクローム(Autochrome)**です。これはリュミエール兄弟によって実用化された世界初の商用カラー写真技術で、デンプン粒子による網状フィルターを用いて色を再現するものでした。

確かに、オートクロームは純粋な「写真」技術であり、現像によって色が写し出されるという意味では、フォトクロームとは異なります。しかしオートクロームは、当時としては高価で感度も低く、風景をクリアに記録するには長時間露光や三脚撮影が不可欠でした。

この点、フォトクロームは写真から派生した印刷技法でありながら、写真が不得意とした「色の強調」や「構成の調整」が可能だったのです。しかも、観光用や出版向けに数千枚単位で同一品質を量産できるという点で、文化的・経済的インパクトは非常に大きなものでした。

また、フォトクロームには明確な「意図」があります。たとえば空はより青く、草木はより緑濃く、夕焼けはより鮮やかに――現実をそのまま再現するのではなく、“記憶に残る風景”として再構成する視覚の物語性があるのです。

つまりフォトクロームは、手彩色のように個性に寄りかかることなく、写真のように現実をなぞるだけでもない。“写真と印刷と芸術のちょうど真ん中”に位置する独自の表現ジャンルだったといえるでしょう。


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第7章|フォトクロームの文化的意義と現代的な再評価


写真の複製技術に新たな道を開いた先駆けとして

フォトクロームが残した最も大きな功績は、「写真を色付きで複製する」という発想を、手彩色でもなく、純粋なカラー写真でもない“第三の方法”で実現した点にあります。

それまで、カラーの視覚表現を求める手段としては、写真に筆で色を塗るか、高価なガラス板技法を用いるしかありませんでした。しかしフォトクロームは、写真のリアリズムと印刷の量産性を一体化させ、視覚情報としての写真を「配る」「送る」「共有する」ことを現実のものにしたのです。

この点で、フォトクロームはメディアとしての写真の社会的機能を一段階引き上げた技術だったと言えるでしょう。
とくに観光・地理・都市計画の分野では、白黒図版では伝わらない「空気感」や「季節感」を色によって補完できるため、教育用資料や地誌の普及に大きく貢献しました。

印刷の分野から見れば、フォトクロームは**「カラー写真のようなもの」を印刷で再現することに世界で初めて成功した技法**です。この発想は、その後のCMYKカラー印刷や、ハーフトーン網点技術の進化にも連なっていきます。


現代のデジタル彩色技術につながる表現のルーツ

フォトクロームが再評価されているのは、その歴史的価値だけではありません。現代においても、フォトクロームの思想は驚くほど多くの技術に共通しています。

たとえば、現在私たちが使っているPhotoshopなどの画像編集ソフトにおける「レイヤー分解と重ね合わせ」の概念は、フォトクロームの多版石版技術と原理的に極めて近いものです。光と色を分け、それぞれを調整し、再統合する──この考え方はアナログからデジタルへと受け継がれた表現文化そのものです。

また、レトロブームやヴィンテージ写真の再評価のなかで、フォトクローム作品のデジタル復刻やアーカイブ化が各国で進められており、学術資料としても高い需要があります。Library of Congressをはじめ、各国の国立図書館・美術館では、公開データベースとしてフォトクローム画像を提供し、誰でも閲覧・研究・教育利用できる環境が整えられています。

つまりフォトクロームは、すでに過去の技術ではなく、**今なお視覚表現の本質に通じる“再発見の対象”**であり続けているのです。


まとめ|フォトクロームとは何だったのか──写真と印刷が出会った色彩の交差点


大量複製と色彩表現の“美しい矛盾”が生んだ技法

フォトクロームは、写真の「一回性」と印刷の「複製性」をかけ合わせた、極めてユニークな技法でした。
白黒写真の記録性と、石版印刷の彩色・量産技術が出会ったことで、記録でありながら装飾的で、芸術でありながら大量に流通できるという、当時としては矛盾ともいえる表現が可能になったのです。

発明したのは、スイス・チューリッヒの印刷職人ハンス・ヤコブ・シュミット。そして商業的に世界へ広げたのは、アメリカ・デトロイト出版協会。このように、技術と文化、職人技と工業生産、ヨーロッパとアメリカが交差する形で育った印刷技法という点にも、フォトクロームの歴史的深みがあります。

その結果生まれた印刷物は、単なる「写真風の絵」ではなく、“色彩をまとった記憶”として人々の手に届く視覚メディアとなりました。


写真史・印刷史の両面から見直す価値ある技術遺産

現代の私たちにとって、カラー写真は当たり前の存在です。スマートフォンで撮影し、そのまま色付きで共有できる時代。しかし、その「当たり前」が生まれるまでには、フォトクロームのような過渡期の技術が果たした役割が確かに存在していました。

とくにフォトクロームは、写真技術と印刷技術のあいだに橋をかけただけでなく、その融合点に独自の美学と機能性を宿した点で特異な存在です。後のハーフトーン印刷やCMYK分解、そしてDTPやデジタル彩色にいたるまで、“どう色を再現し、量産するか”という問いに向き合った先駆者たちの知恵が、ここに凝縮されているといっても過言ではありません。

また、写真史的にも印刷史的にも、フォトクロームは「境界の技術」であるがゆえに語られることが少なかったという背景があります。だからこそ今、あらためて再評価する意義があるのです。

フォトクロームとは、単なる印刷技術ではありません。視覚の記憶をどう複製し、どう伝えるか──その問いに応えようとした人類の試みなのです。


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