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このブログはブログシリーズ「数と計算の進化」⑨です。
まとめはこちらから▶数と計算の進化|アバカスから加算機、バロースまで“機械が数える時代”の全史まとめ
前の記事はこちらから▶⑧アリスモメーターとは?トマ・ド・コルマーが発明した加算機が“社会の道具”になった日
第0章|導入──「世界で使われる機械」が誕生した瞬間
🌍 加算機は、ついに世界共通語になった
これまでの加算機の歴史は、**“特別な場所で特別な人が使う装置”**の連続でした。
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シッカートの計算時計は、幻の装置
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パスカリーヌは貴族向けの贈答品
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ステップレコナーは技術が追いつかず
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アリスモメーターは実用的だったが、高価で限られた用途
いずれも「画期的」ではあったものの、
誰もが日常的に使う道具にはなりきれていませんでした。
☟併せて読みたい記事
世界初の加算機とは?ヴィルヘルム・シッカートが生んだ“機械が数える”革命
世界初の実用加算機「パスカリーヌ」とは?ブレーズ・パスカルが作った“考える道具”
ステップレコナーとは?──ゴットフリート・ライプニッツが描いた“思考する計算機”の原型
アリスモメーターとは?トマ・ド・コルマーが発明した加算機が“社会の道具”になった日
🧮 そして1874年──「回すだけで誰でも使える」計算機が登場する
それが、ウィルゴット・テオフィル・オドナーが発明した
**オドナー式加算機(Odhner calculator)**です。
特別な知識はいらない。
教えなくても感覚で使える。
頑丈で、持ち運べて、机の上に置ける。
オドナーは、加算機をついに
「世界中の事務机に置かれる機械」へと変えたのです。
📈 加算機の進化は「哲学」から「社会実装」へ、そして「市場制覇」へ
オドナー式の登場によって、加算機は
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売れ、
-
広まり、
-
標準化され、
-
他社製品にも応用され、
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“計算とはこういう動き”という共通認識を世界に与えました。
つまりこの装置は、グローバルな加算機インフラの原型となったのです。
このブログでは、
・なぜオドナー式は世界に広まったのか?
・どんな仕組みだったのか?
・他の装置と何が違ったのか?
・加算機の進化に何をもたらしたのか?
を解き明かしていきます。
第1章|なぜ“大量に普及する加算機”が必要だったのか
🏭 アリスモメーターでは“足りなく”なっていた
1820年に登場したアリスモメーターは、確かに計算機の商用化を成し遂げました。
しかし、産業革命が本格化する19世紀後半、世界の現場はそれを上回るスピードで進化していきます。
-
鉄道が国を横断し、時刻表と運賃計算が膨大に
-
銀行業が国際的になり、通貨換算や利子計算が複雑化
-
保険業ではリスク係数や統計モデルが導入され始め
-
官庁・軍・教育機関でも記録と処理の“標準化”が求められる
こうした場面では、もう「高価な一点もの」では足りない──
必要なのは、大量に製造できて、誰でも使えて、長持ちする計算機だったのです。
💻 計算の負担が“現場の全員”に広がっていた
この時代の特徴は、計算を行うのが専門家だけではなくなったことです。
-
事務員、簿記係、店員、現場監督、会計係など
-
数を扱う場面があらゆる部署に広がり、
-
「人間の暗算」では追いつかない作業量になっていく
アリスモメーターのような高級機は数が限られ、
小さな企業や地方の役所には届かない。
しかも構造が複雑で、故障にも弱い。
「もっと軽く、安く、簡単に、どこでも使える加算機」が求められていました。
🔧 社会は“計算の民主化”を求めていた
つまり必要だったのは、次のような加算機です:
-
製造コストが安く、大量に作れる
-
操作が直感的で説明がいらない
-
丈夫で持ち運べて、すぐに使える
-
そして掛け算・割り算まで対応できる
この“すべて”を満たしたのが──
👉 オドナー式加算機でした。
第2章|オドナーとは何者か──ロシアで働くスウェーデン人技術者
👷 天才ではなく、“工場と帳簿”の人だった
ウィルゴット・テオフィル・オドナー(Willgodt Theophil Odhner)は、
スウェーデン出身でありながら、ロシア帝国で機械技術者として働いていた実務派エンジニアでした。
彼が所属していたのは、サンクトペテルブルクの機械工場。
日々の業務では、部品数、材料費、人件費、納期…と、無限に出てくる数字に囲まれていました。
💢 発明の動機──「計算ミスをなくしたい」現場の問題意識から
オドナーが加算機の開発に着手した背景には、
日常的に繰り返される帳簿計算のミスや非効率さへの強い問題意識がありました。
当時の工場では、すべての集計が手作業で行われており、
-
手書きの帳簿で桁がずれる
-
長時間の集計で集中力が途切れる
-
人によって計算精度にばらつきが出る
といった課題が日常的に発生していました。
オドナーは、そうした現場の状況を目の当たりにし、
「誰でも正確に扱える計算装置が必要だ」と感じるようになります。
そして彼は、既存の加算機の構造を研究しながら、
自らの手で改良設計と試作を始めたのです。
🛠️ 技術者らしい3つの設計思想
オドナーの設計思想は非常に明快で、
机上の理論や抽象ではなく、**「現場で動くこと」**に全振りしていました。
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誰でもすぐ使える(操作が直感的)
-
どこでも使える(小型で頑丈)
-
量産できる(構造がシンプル)
そして1874年──彼は、これらをすべて満たす「オドナー式加算機」を完成させます。
💼 発明は“頭脳”ではなく“職場”から生まれた
この章の面白さは、
加算機を進化させたのが、パスカルやライプニッツのような知識人ではなかったという点です。
オドナーは、ただの現場技術者。
でも彼の手によって、加算機は“誰かの知恵”ではなく“みんなの道具”へと進化したのです。
第3章|オドナー式加算機とは?──ピンホイール機構の革新
🛞 回すだけで加算できる、驚くほどシンプルな構造
オドナー式加算機の最大の特徴は、“ピンホイール(pinwheel)”と呼ばれる歯車構造にあります。
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各桁ごとに円筒状のホイールが設置されており、
-
ダイヤルを回すと、その桁の「歯の本数」が変わるという仕組み
-
クランクを回すと、その歯が他の歯車にかみ合って回転数=加算処理として作用する
つまり──
入力 → 歯の数の変化 → 回転で演算 → 結果表示
という、機械的に完結した四則演算処理を可能にしていたのです。
🎛️ 操作は、レバーとクランクだけ
誰でも使える理由は、その直感的な操作性にありました。
-
各桁のレバーを、加算したい数字の位置までスライド
-
側面のクランクを回す
-
上部のウィンドウに合計が表示される
これだけ。
掛け算なら、クランクを複数回回せばいいだけ。
割り算には補助操作が必要ですが、基本構造は一貫して簡単でした。
🛠️ 「丈夫で壊れない」「机に置ける」「持ち運べる」
オドナー式は、他の加算機に比べて圧倒的にコンパクトで頑丈。
-
金属製で精度が高く、
-
メンテナンスしやすく、
-
オフィスのどこでも使えるよう設計されていました。
多くのモデルが持ち手つきの箱型デザインで、
職場をまたいで「持ち歩く」こともできるようになっていたのです。
🧩 このシンプルさが“世界標準”になった
この機構はあまりに優れていたため、
のちに他社の加算機にも続々と採用されることになります。
-
日本のタイガー計算機
-
ドイツのブリュンスヴィガ製品
-
アメリカのフェルト&タリオット社など
つまり、オドナー式加算機の構造は、世界中の計算機の基礎OSのような存在になったのです。
第4章|世界中で“事務の標準機”となった加算機
📦 本格的な大量生産が始まった
オドナー式加算機は、1874年に発明されたあと、
1880年代には商用モデルとして製品化され、
1890年代には世界各国で製造・販売されるようになっていきます。
この頃には:
-
操作性が洗練され、誰でもすぐ使える
-
構造が安定し、故障しにくい
-
生産コストが下がり、企業や政府がまとめ買いできる価格帯に
つまり、“事務機器として現実的”な条件がすべてそろったのです。
💼 加算機が“職場の必需品”になった
オドナー式の登場以降、以下のような現場に加算機が常設されるようになります:
-
銀行や証券会社:利子計算、帳簿集計、振替処理
-
商社や百貨店:売上管理、在庫数管理、請求書計算
-
保険会社:保険料計算、契約数集計、年齢係数など
-
政府機関・役所:統計処理、予算計算、人口調査
-
軍需産業:弾薬数、兵站計算、資材配分など
こうして、加算機は“机に置いてあるのが当たり前”の道具になっていったのです。
🌍 世界中に“互換性と操作性”が浸透した
オドナー式の最大の功績のひとつが、
「加算機の操作はこうやればいい」という“世界共通ルール”を作ったことです。
-
スライドレバーで入力
-
クランクで演算
-
上部に答えが表示される
この操作方法は、20世紀に入っても変わらず、
世界中の加算機が**“オドナー互換”**として作られていくことになります。
つまり、計算という行為の標準インターフェースを、ひとりの技術者が作ってしまったというわけです。
第5章|ブレークスルーポイント:計算機が“大量消費される製品”になった
🧠 計算能力は、ついに“買えるもの”になった
それまで計算という行為は、人間の頭脳に深く依存していました。
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教育を受けた人しかできない
-
熟練が必要
-
属人性が高く、再現性がない
それが、オドナー式の登場によって変わります。
計算力が「技能」ではなく「製品」になった──
それも、大量に作って、誰でも買えて、毎日使えるレベルで。
これは知能の“コモディティ化”であり、
精神労働の一部がついに工業製品として流通しはじめたということでした。
🏭 「計算」は、もはや人間の仕事ではなくなった
-
売上処理も、
-
月次帳簿も、
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複利計算も、
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見積書作成も、
-
財務管理も──
すべてオドナー式で“処理”される時代がやってきます。
企業が採用すれば、
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経理の人数を減らせる
-
時間も短縮できる
-
人件費も削減できる
-
信頼性は向上する
結果として、オドナー式は「会社の利益を守る機械」として
経営の根幹に入り込む存在になったのです。
📦 事務機器=消費財としての地位を確立
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複数台導入
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耐用年数の管理
-
買い替え・更新
-
保守と部品供給
こうした**“計算機を管理する仕組み”そのものが社会に広がっていく**のです。
つまりオドナー式は、単なる発明品ではなく、
“流通・普及・更新を前提とした工業製品”として完成していたといえます。
🚀 加算機は、もはや「当たり前の存在」になった
-
使うのが当たり前
-
置いてあるのが当たり前
-
会社にあるのが当たり前
つまり、加算機はこの時点で、
**「社会の情報処理を支える前提条件」**にまで進化していたのです。
第6章|まとめ──オドナー式は、オフィスという空間を変えた
🪑 計算機は、風景の一部になった
オドナー式の普及により、
加算機はもはや“意識される道具”ではなくなりました。
-
事務机の上に自然と置かれ、
-
書類と一緒に使われ、
-
ペンや定規と同じように扱われる
計算は、人間が考えるものではなく、道具でこなすものになった。
この変化は、働く空間・働き方・働く人のスキルにまで波及していきます。
🧾 「仕事とは、処理である」という価値観
加算機の登場により、
“考える”という行為が“処理する”という言葉に置き換えられていきます。
-
経理業務 → 処理スピードと正確性が重視
-
教育現場 → 計算力よりも道具の使い方へ
-
管理職 → 結果を読むことが重要に
こうして、知的業務の定義そのものが変化し始めたのです。
📦 デジタル社会のプロトタイプが完成した
オドナー式加算機は、
「人間の思考を小さな金属の箱に閉じ込めることができる」という証明でもありました。
この思想は、のちに:
-
タイプライター
-
レジスター
-
パンチカードマシン
-
電卓
-
パソコン
-
AI・RPA
と進化しながら、現代の「情報処理社会」を形づくる基礎となっていきます。
🔜 次回はバロース社へ──計算機が“産業”になる時代へ
次に登場するのは、バロース加算機。
ここから計算機は、単なる製品ではなく、事務機械という巨大産業の柱へと成長していきます。
▶次に読みたい記事 「数と計算の進化」⑩バロース加算機とは?──“記録する機械”が事務と産業を変えた日
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🖊ブログシリーズ「数と計算の進化」はこちらから
まとめ記事▶数と計算の進化|アバカスから加算機、バロースまで“機械が数える時代”の全史まとめ
①数字の起源はメソポタミアだった?文明が生んだ“数える力”の正体とは
②ゼロは誰が発明した?位置記数法と“0”が世界を変えた数学革命の物語
③そろばんの起源と歴史──人類最古のアナログ計算機「アバカス」とは?
④筆算の歴史と仕組み──アナログから紙へ、計算が技術になった瞬間
⑤世界初の加算機とは?ヴィルヘルム・シッカートが生んだ“機械が数える”革命
⑥世界初の実用加算機「パスカリーヌ」とは?ブレーズ・パスカルが作った“考える道具”
⑦ステップレコナーとは?──ゴットフリート・ライプニッツが描いた“思考する計算機”の原型
⑧アリスモメーターとは?トマ・ド・コルマーが発明した加算機が“社会の道具”になった日
⑨当記事
⑩バロース加算機とは?──“記録する機械”が事務と産業を変えた日
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