\ ようこそ!新潟市の印刷会社「株式会社新潟フレキソ」のブログへ /よかったらぜひ、[当社トップページ](https://n-flexo.co.jp)もご覧ください!
名刺・チラシ・封筒・冊子・伝票からTシャツプリントまで、新潟市で幅広く対応しています。
✅第1章|写真入り年賀状とは何か──“家族の記録”をわざわざ印刷して送った時代
“写真を載せた年賀状”という日本独自の文化
年末になると、郵便受けに続々と届く年賀状。
その中に、家族の写真が添えられた一枚を見つけて、懐かしさや親しみを感じた経験がある人も多いのではないでしょうか。とくに平成初期から2000年代にかけて、日本では「写真入り年賀状」が爆発的に広まりました。
これは、家族の写真を年賀状に印刷して送るという、日本独特の挨拶文化です。単なる近況報告ではなく、“家族という個人の記録”を、“年賀状という公共の通信”に載せて届けるという点で、非常にユニークな存在でした。
“私的な写真”を“パブリックな印刷物”にするという特異性
写真付き年賀状が特別なのは、それが世界的に見ても極めて珍しい文化的実践であるという点です。
一般的に写真は、家族アルバムや個人のSNSなど、プライベートな空間で共有されるものです。ところが日本の年賀状では、それをわざわざ印刷し、郵送し、親戚や友人、職場関係者にまで“公開”する行為が、ごく自然に行われてきました。
つまり写真入り年賀状とは、**「家族という最も私的な記録を、印刷と郵便を通じて半ばパブリックにする」**という、極めて日本的で、しかも印刷文化に深く根ざした慣習だったのです。
“写真×印刷×郵便”が融合した生活メディア
この文化が成立した背景には、日本人の生活に深く浸透していた**「年賀状」という慣習の力**があります。
もともと年賀状は、単なる挨拶状ではなく、一年のはじまりに“つながり”を確認し合うための社会的儀式でした。だからこそ、写真を添えることにも意味が生まれたのです。
さらに注目すべきは、その制作方法です。
家庭で撮影された写真が、印刷され、郵送されて全国へ届く──この一連の流れは、写真・印刷・郵便という三つの技術が、家庭レベルで交差した稀有な事例です。写真付き年賀状は、まさに**“家庭の中で起きたメディア融合”**のかたちでもあったのです。
「家庭の広報紙」としての写真付き年賀状
写真入り年賀状は、言うなれば**“家庭の広報紙”でした。
とくに子どもの成長、結婚、出産、旅行など、人生の節目を知らせる役割を担っていたため、そこに写る一枚には「その年の物語」が込められていた**といっても過言ではありません。
印刷という手段を使って、家族の記録を他者に届ける──それは単なる印刷物ではなく、記憶と関係性を結ぶための文化装置だったのです。
デジタルでは再現できない“重みのある共有”
今日では、写真はスマートフォンで撮影され、LINEやSNSで瞬時に共有される時代です。
しかし、写真入り年賀状のように、手間をかけて印刷し、宛名を書き、郵便で送るという行為には、物理的な重みと時間の流れが含まれていました。だからこそ、それは単なる“画像共有”ではなく、“関係性の更新”をともなう文化的行為として成立していたのです。
✅第2章|なぜ流行したのか──写真と印刷、それぞれの“民主化”が交差したから
写真入り年賀状が一気に広まったのは、単なるブームではありません。
その背景には、写真を撮ること・印刷することが、特別な技術ではなく“誰にでもできる行為”へと変わった時代のうねりがありました。つまり、これは偶然の産物ではなく、写真と印刷の“民主化”が同時に進んだ結果だったのです。
① 写真の民主化──誰でも“家族のカメラマン”になれた時代
1970年代から1980年代にかけて、家庭用カメラが急速に普及しました。
誰でも簡単に操作できるフィルムカメラや、1986年に登場した「写ルンです」によって、専門知識がなくても誰でも写真を撮れる時代が訪れたのです。
それまで写真といえば、ハレの日に撮る記念写真や、写真館での家族撮影が主流でした。しかし、このころから“日常の一コマ”が気軽に撮影されるようになり、家庭のなかに写真というメディアが常にある状態が当たり前になっていきました。
とくに子どもの成長や家族旅行といった“記録しておきたい瞬間”が、年賀状という形で自然と共有されるようになっていったのです。
② 印刷の民主化──“家庭で印刷する”という発想の登場
一方で、印刷という行為自体も大きな転換期を迎えていました。
1980年代から1990年代にかけて、日本全国にDPEショップ(現像・プリント・引き伸ばし)が広がり、写真をすぐにプリントできるミニラボ機によるスピード現像サービスが一般化していきます。
この頃、富士フイルムやコニカなどが提供する年賀状向けプリントテンプレートサービスも登場。店頭でフィルムを預けると、写真付きの年賀はがきが印刷されて戻ってくる──そんな**“年賀状を写真屋でつくる”という新しい常識**が、全国に広まっていきました。
さらに1990年代後半になると、家庭用インクジェットプリンターの普及が加速。
とくに2000年代に入ってからは、日本郵便がインクジェットプリンタに対応した年賀はがきを発売し、自宅で高画質な写真年賀状を印刷できるインフラが整っていきます。
このころから、写真を使った年賀状が“家庭で完結する”スタイルへと進化し、**誰もが自分で印刷物をつくる「個人DTP時代」**が本格的に始まりました。
③ “誰でも作れて、誰でも送れる”からこそ広まった
写真の撮影が簡単になり、印刷が身近になり、郵送という仕組みがすでに整っていた──
この3つが揃ったことで、写真入り年賀状は爆発的に広まりました。
-
撮る(家族のカメラマンとして)
-
作る(写真をレイアウトして印刷)
-
送る(郵便インフラで全国に届ける)
すべてを個人が担えるようになったことで、写真付き年賀状は「家庭から生まれた印刷文化」として日本中に広がったのです。
✅第3章|どうやって作っていたのか──フィルム時代の写真入り年賀状制作工程
写真入り年賀状が最も多く送られていた1980年代〜2000年代初頭──
そのころの主流はまだデジタルではなくフィルム写真でした。
では、あの年賀状に載っていた家族写真は、いったいどうやって印刷されていたのでしょうか。
この章では、家庭用カメラ・DPE・プリント技術・郵便インフラがどのように連携していたのかを、時代ごとにたどります。
① 初期は「写真を貼る」時代──“印刷”ではなく“手仕事”
1980年代の前半まで、写真付き年賀状の主流は「貼る」方式でした。
家庭で撮影・現像したL判サイズの写真を、ハサミで切り、年賀状の台紙に糊や両面テープで貼り付ける──そんな手作業による年賀状づくりが、ごく自然なスタイルとして浸透していたのです。
当時は、写真を貼るスペースがあらかじめデザインされた写真貼り付け用の年賀はがき台紙なども市販されており、文房具店や写真店では、そうした“手づくり年賀状向け”のグッズが販売されていました。写真そのものを貼って仕上げるこの方法は、印刷というよりも“工作”に近い文化として、家庭内で広く受け入れられていたのです。
つまりこの時代の写真付き年賀状は、今日のように画像データを扱うものではなく、**物理的な写真と紙を組み合わせてつくる“家庭内コラージュ文化”**だったと言えるでしょう。
② スキャンと印刷がつなぐ“写真とハガキ”
1990年代初頭から中頃にかけて、日本全国のDPE店舗(写真現像・プリント・引き伸ばし)が進化し、「ミニラボ方式」と呼ばれる店舗型スピード現像システムが広く普及しました。これにより、数十分で現像とプリントが完了するようになり、店舗で写真を短時間で受け取れる文化が定着していきます 。
同時期、写真店が提供し始めた年賀状テンプレート付きのプリントサービスでは、現像済みL判写真を店頭でスキャンし、年賀状のデザインテンプレートに組み込んで印刷する仕組みが登場しました。流れとしては:
-
フィルム写真を現像・プリント
-
写真店で年賀状デザインを選択
-
プリント写真をCCDスキャナで取り込み
-
レイアウト編集後、レーザープリンタや昇華型プリンタで印刷
この工程により、写真付き年賀状は「貼る」から「印刷する」へと移行し、写真は物理的なプリントからデータとして扱われる時代へと変わりました。
この変化は、銀塩写真文化とデジタル印刷文化をつなぐ“技術的橋渡し”とも言えます。家庭レベルでは扱いづらかった印刷技術が、店舗スキャン+印刷という形で多くの家庭に浸透していったのです。
③ 家庭用プリンタによる “個人DTP” の時代へ
1990年代後半〜2000年代にかけて、年賀状文化はさらに大きな変化を迎えます。
家庭用インクジェットプリンターの普及によって、年賀状印刷が家庭内で完結する時代が到来しました。
とくに注目すべきは、**2003年頃から本格的に普及した「インクジェット対応年賀はがき」**です。
日本郵便の統計では、2004年(平成16年)用の年賀はがき発行時点で、特に人気の高いインクジェット用年賀はがきは約20億枚に増加し、当時の年賀はがき全体の約半数を占めるまでに成長しました。このことから、2000年代初頭には高品質な家庭印刷が現実的になっていたと判断できます。
さらに、年賀状作成ソフトウェア(たとえば筆まめ・筆王・宛名職人など)が相次いで登場し、誰でもドラッグ&ドロップで写真をレイアウトし、宛名印刷まで簡単に行える環境が整いました。こうしたソフトは1990年代後半から2000年代にかけて一般家庭に広く浸透しました。
こうして、写真・レイアウト・印刷・宛名までを一人でこなせる「小さな印刷所」が家庭に完成し、**まさに“個人DTP時代”**が到来したのです。
④ 印刷物であり、メディアでもあった──だから記憶に残った
こうして作られた写真入り年賀状は、単なるハガキではありませんでした。
それは、家庭の記録とデザインと印刷技術が一体化した“個人メディア”であり、
しかもそれが全国数千万世帯から一斉に発送され、元旦に一斉に届くという、まさに“印刷文化の祭典”でもありました。
しかも届いたそれは、ただ読んで捨てられるのではなく、家族の冷蔵庫やコルクボードに飾られ、一年の風景に溶け込んでいくのです。
✅第4章|それは「私たちが印刷していた時代」──年賀はがき文化のピークと写真年賀状
写真付き年賀状が広く定着した1990年代後半から2000年代初頭。
この時期は、単にブームだったというだけでなく、日本の年賀はがき文化そのものが頂点を迎えた時代でもありました。
年に一度、家族の写真を印刷し、全国の親戚や知人に郵送する──
その行為がごく当たり前だったこの時代こそ、「日本で最も印刷された私的印刷物」が存在した奇跡の瞬間だったのです。
① 年賀はがきの発行枚数は2003年に史上最多を記録
総務省および日本郵便の統計によれば、年賀はがきの発行枚数は2003年に約44億6000万枚という史上最多を記録しました。
この数字は、日本人の約3倍の数のはがきが、年始に一斉に発行されたことを意味します。
とくにこの時期は、家庭用プリンタと年賀状ソフトの普及により、写真入り年賀状の比率も高まっていたとされ、**“写真年賀状が年賀文化を牽引した時代”**であったことは間違いありません。
写真を載せたはがきを印刷して全国に送る──
これは他国に類を見ない、**国民的スケールで行われた「家庭からのメディア発信」**でした。
② 商業でも官製でもない、“家庭から始まった印刷文化”
印刷というと、一般的には企業・出版社・官公庁などが大量に発行する「商業印刷」や「行政印刷」を思い浮かべるかもしれません。
しかし写真付き年賀状は、まったく異なるベクトルから生まれた印刷物でした。
-
印刷の発注者は企業ではなく家庭の個人
-
写真の題材は商材ではなく家族の記録
-
印刷物の配布先はマーケットではなく知人・親族
つまりこれは、“私的な記録”を“私的な関係”に向けて届ける印刷文化だったのです。
ここで注目すべきは、「家庭から発信された印刷物が、国民的メディアとして成立していた」点です。
デザイン・レイアウト・印刷・配布まで、すべてを個人が担う──その総量が年間数十億枚に達した。これは、印刷史における空前絶後の事例といえます。
③ 家庭のなかで“メディア化”が起きていた
この時代、日本の家庭には「プリンタ」「パソコン」「デジカメ(またはフィルムカメラ)」という三種の神器がそろい、年末になると全国の家庭が一斉に“印刷所”になるという現象が起きていました。
-
撮影された写真は、編集され、デザインされ、印刷される
-
それは読み手の心に届き、壁に貼られ、一年の風景になる
-
メールやSNSにはできない“時間と物理の重み”がそこにあった
つまり写真入り年賀状は、単なる挨拶状でも販促物でもない、**個人による“紙メディアの発信”だったのです。
それは“印刷技術の民主化”がピークに達した瞬間であり、まさに「私たちが印刷していた時代」**そのものでした。
✅第5章|なぜ終わったのか──SNSの時代と「印刷の役目」の終焉
かつては日本中で当たり前に交わされていた写真入り年賀状。
しかし2020年代に入ると、その数は激減し、年賀状という文化自体が大きな転機を迎えました。
写真を載せて印刷し、郵送する──この一連の流れが、なぜ人々の手を離れていったのか。
その背景には、技術の進化と生活スタイルの変化、そして“つながり方”の変質が深く関わっています。
① SNSの普及が「報告の手段」を変えてしまった
最大の要因は、スマートフォンとSNSの浸透です。
かつては年に一度の年賀状が「近況報告」の役割を果たしていました。
しかし今では、赤ちゃんの誕生も、子どもの成長も、日々の出来事も──
LINEやInstagram、Facebookで“リアルタイム”に共有されるようになりました。
つまり、わざわざ印刷して郵送しなくても、「写真でつながる」手段が常時開いている時代になったのです。
「年に1度の紙」よりも、「日々の画面」のほうが手軽で速い──
この価値観の変化が、年賀状文化を根本から揺るがしました。
② 印刷のコストと“手間”が敬遠される時代に
もう一つの理由は、年賀状の制作と郵送にかかるコスト・手間です。
-
年賀はがきの購入代
-
プリンタのインク代や用紙代
-
デザイン編集や宛名書きの労力
-
郵便料金の値上げ(とくに2019年以降)
これらを負担と感じる人が増え、「デジタルで済ませる方が合理的」と考える層が年々拡大しています。
とくに若年層では、年賀状文化そのものに触れてこなかった世代も増えており、写真入り年賀状という形式自体が“知らない習慣”になりつつあるのです。
③ 「写真をわざわざ人に送る」意味が変わった
最も本質的な変化は、“写真を人に見せる意味”が変わったことかもしれません。
かつての写真入り年賀状には、**家族の記録を「形にして届ける」**という強い意志がありました。
それは印刷という行為の重みでもあり、郵送という時間の流れでもあり、一種の“儀式性”を持っていたのです。
しかし、スマートフォンの登場により写真は**「すぐ見せる」「すぐ消える」ものへと変わっていきました。
共有はデジタルになり、写真は画面の中で完結し、“送る”ことそのものが意味を失っていった**のです。
写真を印刷して渡すという行為が、「特別」ではなくなったとき、
写真入り年賀状は静かに、その役目を終えていったのかもしれません。
✅第6章|写真入り年賀状とは何だったのか──“印刷でつながった時代”の記憶
年末の静かな時間、ポストを開けると届いていた一枚のハガキ。
そこには見慣れた誰かの家族の笑顔があり、子どもの成長や新しい命の誕生、旅先の風景やペットの姿が、写真というかたちで印刷されていました。
それは単なる挨拶状ではありません。
写真入り年賀状とは、“人と人との関係”を更新するための、一年に一度の小さなメディア発信だったのです。
“家庭の中で起きていたメディア融合”
写真入り年賀状の本質は、写真・印刷・郵便という異なる技術が、家庭の中で結びついた点にあります。
-
写真は、個人の記録であり、物語の断片。
-
印刷は、それを複製し、他者に“手渡せる”形式へと変える技術。
-
郵便は、その記録を全国へ届けるインフラ。
この3つが自然に合流した結果、ごく普通の人たちが“パーソナルメディア”を発信する時代が生まれたのです。
しかもその中心にあったのは、商業ではなく、家族。広告ではなく、記憶。
それが写真入り年賀状という文化の、何よりの独自性でした。
「印刷で人とつながる」時代は確かに存在した
今、私たちはほとんどの写真を画面で見るようになりました。
スマホの中、SNSの中、クラウドの中──そこに収まる無数の画像。
けれども、かつては**「見せたい写真」だけを選び、「印刷」という手段で、人に届けていた時代**があったのです。
それは、“見る”というよりも、“渡す”という行為。
関係を大切にするために、手間をかけ、形にし、郵送するという一連の流れには、今では失われた**「物理的なつながりの実感」**がありました。
写真入り年賀状とは、“あなたとつながっていたい”という意思を、紙とインクで可視化した文化だった。
写真の時代、印刷の時代──そして年賀状が交差した瞬間
写真の歴史において、
印刷の歴史において、
そして日本人の生活文化において──
写真入り年賀状は、そのすべてが交差した、ごくわずかな時代の産物でした。
-
撮ることが簡単になり、
-
印刷が家庭に入り込み、
-
郵便がつながりを運んだ、
-
そんなほんの数十年のあいだにだけ存在した、かけがえのないメディア。
それは、たしかに**「私たちが印刷していた時代」**だったのです。
🔚 まとめ
写真入り年賀状とは、“家族の記録”を“印刷”し、“つながり”として贈る文化だった。
それは、印刷という行為が最も生活に根づき、最も人の心に届いていた時代の象徴である。
\株式会社新潟フレキソは新潟県新潟市の印刷会社です。/
あらゆる要望に想像力と創造力でお応えします!
印刷物のことならお気軽にお問い合わせください。
▶ 会社概要はこちら
↑オリジーではTシャツやグッズを作成してます!インスタで作品公開してます!
🔗他のおすすめブログはこちら
■フォトクローム(Photochrom)とは?リトグラフで白黒写真に色を与えた19世紀の彩色印刷技法【写真と印刷の歴史】
■手彩色写真とは?白黒写真に色を与えた歴史と職人技──横浜写真・商品開発・芸術表現まで徹底解説
■印刷とは、誰かに“想いを届ける”ための技術だった──聖書から新聞、そしてあなたの手元へ
■ペーパーレスとは?失敗しない進め方・メリット・導入事例を印刷会社が本音で徹底解説【2025年版】
■コピーと印刷の違いとは?意味・機能・機器の違いを印刷会社が徹底解説!
■なぜ名刺文化は日本だけ異常に発達したのか?武士の刀説・所作の意味・世界との違いを徹底解説
■はがきの歴史|官製はがき・年賀状の起源と150年の進化を印刷会社が解説
■なぜ“ピンク”は恋の色になったのか?可愛いだけじゃない、心理・歴史・戦略で読み解く“感情を動かす色”の真実
■青と緑の境界線──「青信号」はなぜ青くないのか?色の名前が世界を変える話
■クリアファイルの歴史|いつからある?日本発祥の文房具が進化した理由とは
■白インク印刷の革命|濃色紙に映える!オンデマンドで広がるデザイン表現【株式会社新潟フレキソにお任せ!】
■DTFプリントとは?新潟のオリジナルプリントTシャツ屋ORiJi!が解説するそのメリットと活用法