ガブリエル・リップマンとは?ノーベル賞を受賞した“光そのもの”を閉じ込める写真技術─リップマン式天然色写真をやさしく解説

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現実の色を、そのまま写真に閉じ込めたい──。

人類が長く追い求めてきたこの夢を、歴史の中で本当に叶えた人物は、たった一人しかいません。それが、ガブリエル・リップマンです。彼はフランス生まれの物理学者。しかも、写真技術でノーベル物理学賞を受賞した唯一の科学者です。

リップマンはこう考えました。色は「作る」ものではなく、「光そのもの」であると。一般的なカラー写真は、RGBやCMYKといった色の三原色の仕組みを使って色を“再現”しています。しかしリップマンは、その考え方そのものを捨て去りました。彼が目指したのは、色を作るのではなく、本物の光──つまり虹と同じ原理で色を生み出すこと。その技術は、後にリップマン法と呼ばれることになります。

この技術は、色素も染料も使わず、光の波そのものを写真に閉じ込めるという常識外れのものでした。理論上、最も正確な色再現が可能とされるこの技術は、写真の本流とは別の場所で、科学技術として静かに完成されました。実用化や量産には至らなかったものの、光そのものを記録するという発想は、今も他に類を見ない写真技術として語り継がれています。

本記事では、「RGBやCMYKだけが色彩理論ではない」という視点から、リップマン法の仕組みや魅力を、ガブリエル・リップマンという人物の物語とともに、わかりやすく解説していきます。


✅ 第1章|写真家じゃない──ガブリエル・リップマンという異端の科学者


写真技術ではなく“光学技術”として挑んだ

ガブリエル・リップマンは、写真家ではありません。
彼はフランスの物理学者です。色や光の“本質”に挑む研究者だったリップマンが目指したのは、芸術作品でも商業写真でもありませんでした。彼にとって写真とは、「光とは何か」という科学の問いに答えるための手段だったのです。

リップマンが生きた19世紀末、物理学では光は“波”であると考えられていました。光は粒子ではなく、海の波と同じように伝わる現象──つまり波動だという理論です。リップマンはこの波が互いに重なり合い、生まれる現象「干渉」に注目しました。もし光の干渉そのものを記録できれば、それは「光そのもの」を写真に写したことになるはず。リップマンはそう考えたのです。


ノーベル賞を受賞した写真技術

ガブリエル・リップマンが考案したのは、色素や染料を一切使わずにカラー写真を実現するという、当時としては前例のない技術でした。この技術の正式な名称は「Lippmann interference color photography(リップマン干渉カラー写真法)」です。日本語では「リップマン法」あるいは「リップマン式天然色写真」と呼ばれることもあります。

特殊なガラス板(リップマンプレート)の内部に光の干渉縞を直接記録し、それを色素の代わりに利用して色を再現する──まさに“光そのもの”を写真に閉じ込めるという、極めて物理学的な発想から生まれた写真技術でした。

この技術は世界中の科学者たちから高く評価され、リップマンは1908年、ノーベル物理学賞を受賞しています。写真技術でノーベル賞を受けた事例は、現在に至るまで極めて珍しいものです。写真家でも発明家でもなく、“科学者”として光と色そのものに挑んだリップマンは、写真技術の歴史の中でも異色の存在だったと言えるでしょう。


ガブリエル・リップマンという人物

リップマンは1845年、ルクセンブルクで生まれました。生まれて間もなく家族とともにフランスへ移住し、パリ大学で物理学を学びました。彼の専門は光学と電気物理学。生涯を通じて光の研究を続けた純粋な科学者です。数学や電磁気学でも業績を残し、多言語に堪能な国際派の知識人としても知られていました。

写真技術への挑戦は、そんな彼の研究人生のごく一部に過ぎませんでした。けれどその挑戦こそが、光の本質を写し出すという“世界一正確な色”につながったのです。


なぜリップマンは写真技術の本流から外れたのか

リップマンは、写真技術の本流にいる人物ではありませんでした。当時、カラー写真の技術開発は“色をどう再現するか”という実用的な視点から進められており、RGBやCMYなど「三原色理論」に基づく三色分解法が一般的な考え方とされていました。しかしリップマンは、そうした常識そのものに背を向けます。

彼が目指したのは、色を作ることではありません。光そのもの──つまり物理現象としての光波を、写真にそのまま記録することでした。リップマンは芸術的な写真表現や商業的な技術普及ではなく、物理学者として“科学的な正しさ”を追い求めていたのです。

その結果として彼の技術は、実用性や普及性の面で写真技術の本流から外れた存在となりました。しかし同時に、光の本質をそのまま写真に記録するという唯一無二の技術として、科学技術史にその名を刻むことになったのです。


✅ 第2章|色はRGBで作れる?──色彩理論の常識とその限界


RGBとCMYK──現代の色彩理論は“色を作る技術”だった

現代の私たちは、「色はRGBで作れる」「印刷ならCMYK」と教えられてきました。
確かにこの考え方は間違いではありません。ディスプレイやプリンターなど、私たちの身の回りの色はRGBかCMYKで再現されているからです。

RGBは赤(Red)、緑(Green)、青(Blue)の3色の光を組み合わせて色を再現する仕組みです。これはテレビやスマートフォンの画面、デジタルカメラなどで使われています。一方のCMYKは、シアン(Cyan)、マゼンタ(Magenta)、イエロー(Yellow)、そしてブラック(Key plate)の4色を使う印刷の技術です。ポスターやパンフレット、本のカラー印刷は、すべてCMYKで色が作られています。

つまり、RGBは「光を混ぜて色を作る技術」、CMYKは「インクを重ねて色を作る技術」です。これらは人間の目や印刷の仕組みに合わせて、色を“再現”するために発展した技術でした。


RGB・CMYKは“見せるための色”──本物の光ではない

ここで重要なのは、RGBもCMYKも「光そのもの」ではなく、「色を見せるための技術」に過ぎないということです。私たちがスマホで見る空の青と、本物の空の青は違います。印刷された写真の色が、現実そのままではないと感じたことがある人も多いでしょう。

これはRGBやCMYKが、「人間の目に合わせて作られた色」であり、「本物の光」そのものではないからです。色の三原色理論は確かに便利ですが、自然界に存在する光をそのまま記録しているわけではありません。あくまで“色を作るための方法”だったのです。


色を作らず“光そのもの”を写したい──リップマンの疑問

リップマンはこの点に強い疑問を持ちました。色とは光であるなら、わざわざRGBやCMYKで作り直す必要があるのか? それよりも、光そのものをそのまま写すことができないのか? そう考えたリップマンは、RGB理論やCMYK印刷技術が“色を作る技術”でしかないことに気づいていたのです。

そして彼は、「色を作る」のではなく「光そのものを記録する」という全く新しいアプローチを選びました。これが、リップマン法へとつながる科学的な出発点でした。


RGBやCMYKは、色を再現するための非常に便利な技術です。しかし、ガブリエル・リップマンは「色とは何か?」という問いに対して、光そのものを写真に閉じ込めるという異端の答えを出したのです。次章では、RGB理論を受け継いだ他の技術者たち──オーロンやリュミエール兄弟と比較しながら、リップマンがいかにして常識の外側へ踏み出したのかを解説します。


✅ 第3章|色とは何か──ヘルムホルツとマクスウェルから始まる「色を作る技術」


RGB三原色理論は“目の仕組み”から生まれた

19世紀、人間の目が色を感じる仕組みは科学者たちの大きな関心事でした。
その中で、ドイツの物理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツは、イギリスの物理学者トーマス・ヤングの説を受け継ぎ、「RGB三原色理論」を体系化します。人間の網膜には、赤・緑・青の光に反応する3種類の受容体(視細胞)が存在し、これらの組み合わせによってあらゆる色を感じ取っている──という理論です。

この考え方は現在のディスプレイ技術やデジタル写真にも応用されている“光の三原色”の基本であり、「色はRGBで作れる」という常識の土台になりました。つまり、色は物理現象ではなく「人間の目が作り出した感覚」と捉えたのです。


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マクスウェルがRGBの技術化に成功した

RGB理論を「実際の技術」にしたのが、スコットランドの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルでした。1861年、マクスウェルは赤・緑・青の3色のフィルターを使って風景を撮影し、それを重ね合わせることで世界初の三原色分解写真を発表します。この実験は、「色はRGBの組み合わせで作れる」ことを写真技術で証明したものでした。

この成果により、多くの技術者が「色はRGBで分解し、再構成できる」という発想で写真技術の開発を進めていきます。これが、現在のテレビやディスプレイ、印刷物に続く「色を作る技術」の本流です。


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オーロンとリュミエール兄弟はRGB理論を応用した

RGB理論を活用して実用的なカラー写真技術を目指したのが、フランスの発明家ルイ・デュコ・デュ・オーロンでした。オーロンは三色分解・三色合成法を応用し、色をRGBやCMYで再構成する技術開発に取り組みます。彼の理論は後に、リュミエール兄弟によって「オートクローム」という世界初の実用カラー写真フィルムとして完成されました。

リュミエール兄弟は、オーロンの理論を実用品にした技術者だったのです。RGBやCMYの組み合わせによって“色を作る”という考え方は、このようにして写真技術の本流になっていきました。


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なぜリップマンはRGBの常識から離れたのか

19世紀末、カラー写真の技術開発は“色をどう再現するか”という実用的な視点から進められていました。光の三原色(RGB)や色料の三原色(CMY)を使って色を“作る”三色分解法は、当時すでに一般的な考え方となっていたのです。

しかし──リップマンはこの常識とは違う方向を選びました。彼は物理学者として「色は光の波そのものであり、人間の目の感覚によって作られるものではない」と考えたのです。色はRGBやCMYで作り出すものではなく、本物の光波そのものが色の正体──そう捉えたリップマンは、“色を再現する”のではなく、“光そのものを写真に記録する”という全く別の発想でカラー写真技術に挑みました。

リップマンにとって色は、目で見えるものではなく「光の干渉という物理現象そのもの」でした。だからこそ彼は色素や染料を使わず、光の波長情報そのものをプレート内部に記録して色を再現するという、光学技術としてのアプローチを選んだのです。


RGBやCMYは「人間の目」に合わせて作られた色でした。しかし、ガブリエル・リップマンは科学者として“本当の色”を捉えようとしたのです。次章では、彼が考案したリップマン法という、世界で唯一の“光そのもの”を閉じ込める写真技術の仕組みを解説していきます。


✅ 第4章|RGBを捨てた科学者──ガブリエル・リップマンの異色の挑戦


RGBの常識に背を向けた物理学者

19世紀後半、カラー写真技術の主流は“色をどう作るか”という考え方でした。マクスウェルが実証した三色分解法は、「光の三原色(RGB)」や「色料の三原色(CMY)」で色を再現できる──それが技術者たちの常識になっていたのです。オーロンやリュミエール兄弟が発展させたこの理論は、写真技術の本流として定着しつつありました。

しかし、その常識に疑問を抱いた科学者が一人だけいました。それがガブリエル・リップマンです。彼はRGBやCMYによって色を“再現”するという考え方そのものに違和感を持っていました。リップマンにとって「色」とは、人間の目が作り出した感覚ではなく、「光の波長そのもの」だったのです。光とは波である──そう考えたリップマンは、「光の干渉」という物理現象を利用すれば、色を作る必要すらないのではないかと考えました。物理学者らしいその発想こそが、後にリップマン式天然色写真へとつながっていくのです。


「光の波そのもの」を写真に閉じ込めるという発想

光の干渉とは、光が波として伝わることで生まれる自然現象です。虹やシャボン玉に浮かぶ虹色と同じしくみで、光の波どうしが重なり合い、特定の波長だけが強調されることで色が現れます。リップマンは、この「光の干渉縞(かんしょうじま)」そのものを写真内部に記録しようと考えました。

目指したのは色を作る技術ではありません。光の波が生み出す干渉という物理現象そのものを、“写真の内部”に閉じ込めること──それがリップマンの構想でした。こうして誕生したのが、色素も染料も一切使わず、本物の光だけで色を再現する技術。これがリップマン式天然色写真(正式名称:Lippmann interference color photography)です。


ノーベル賞が証明した科学技術としての“頂点”

リップマン式天然色写真は、科学界に大きな衝撃を与えました。色素も染料も使わず、光そのものの性質だけで色を生み出す──しかも理論上最も正確な色再現技術だったからです。この技術は世界中の物理学者たちから高く評価され、リップマンは1908年にノーベル物理学賞を受賞します。

ノーベル賞が評価したのは、単なる色の再現ではありません。リップマンの技術は「光の干渉という物理現象を利用した光学技術」として受け止められました。リップマン式天然色写真は、写真技術の枠を超えた“光の本質に迫る科学技術”だったのです。


リップマンは“色を作る技術”を否定したのか

とはいえ、リップマンはRGBやCMYといった技術自体を否定していたわけではありません。それらが「色を作るための便利な技術」であることは理解していました。ただし、その技術では「光そのもの」は記録できない──この点に、科学者として強い問題意識を持っていたのです。

RGBやCMYが“見せるための色”を作る技術なら、自分は“存在そのもの”を写そう。そう考えたリップマンは、写真という技術を使って光の波そのものを直接記録するという道を選びました。結果としてリップマン式天然色写真は、実用的な写真技術としては本流から外れることになります。しかし、“光の記録”という科学的正しさにおいて、この技術は当時の技術的な“頂点”に立ったと言えるでしょう。

オーロンやリュミエール兄弟がRGB理論を発展させたのに対し、リップマンは“光そのもの”を写真に閉じ込めるという異例の方法を選んだのです。


次章では、このリップマン式天然色写真がどのような仕組みで光を閉じ込めていたのか──その技術的な秘密を解説していきます。


✅ 第5章|リップマン式天然色写真とは何か──光の干渉縞で“色”を生む写真技術


“色を作らず、光そのものを写す”という技術

リップマン式天然色写真(Lippmann interference color photography)は、色素やインクを一切使わず、光の物理現象そのものを記録して色を再現する──そんな前例のない発想から生まれた写真技術です。この技術は、**通称「リップマン法」**とも呼ばれています。

一般的なカラー写真がRGBやCMYといった三原色を組み合わせて色を“作る”のに対し、リップマン式天然色写真では、光の波どうしが重なり合って生じる「干渉縞」──つまり光の波の“模様”をそのまま写真内部に記録します。

この干渉縞が、物体から返ってきた本物の光の波長情報そのものを保持しているため、リップマン法で撮影された色は、「その場で目にした現実の色」と理論上もっとも一致する──これがこの技術の最大の特徴でした。


リップマンプレート──光を閉じ込める“透明な板”

リップマン式天然色写真の撮影には、銀塩乳剤を薄く均一に塗った透明なガラス板「リップマンプレート」が使われました。撮影時にはプレートの裏面に水銀を反射板として配置し、光を乳剤内に閉じ込める特殊な構造が採用されていました。

入射した光はプレート内部を通過して水銀に反射され、戻ってくる光と新たに入ってくる光とが干渉を起こします。これによって乳剤の内部に極めて微細な干渉縞が形成され、そのまま現像・定着されます。こうして完成したリップマンプレートは、“光の波”そのものを記録した一点ものの写真──まさに光そのものを閉じ込めた写真となるのです。


“紙の写真”にはならなかった

リップマン法で得られた写真は、一般的な銀塩写真のように紙に焼き付けて複製することはできませんでした。なぜなら、この技術で生まれる色はインクや色素によるものではなく、プレート内部に固定された干渉縞という物理構造──“構造色”だったからです。

リップマンプレートそのものが完成品であり、色は物質の色ではなく、光の波長そのもの。だからこそリップマン式天然色写真は、「プリントして配る」という従来の写真技術の常識から完全に外れた存在となりました。


“解像度”という概念が意味を失う技術

リップマン法によって記録される画像は、現代的な意味での“高解像度”という表現すら適切ではありません。なぜなら、画像情報は画素や粒子ではなく、光の波長そのもの──約400〜700ナノメートルという微細な単位で記録されているからです。

画素ピッチや粒子径といった制約のある銀塩写真やデジタル写真とは異なり、リップマン式天然色写真は光そのものの干渉縞を直接記録しています。つまりこの技術は、“解像度”という概念そのものを超えた写真技術だったと言えるでしょう。


“物質の変化”と“光そのもの”──ダゲレオタイプとの対比

この異例の技術は、写真史初期のダゲレオタイプと比較することで、より明確にその特異性がわかります。ダゲレオタイプは銀板上の銀粒子の光化学反応──つまり物質の変化によって像を記録する技術でした。光によって変化した銀粒子の状態そのものが写真であり、すべてモノクロームだったのです。

一方、リップマン式天然色写真は、物質の変化ではなく、光の干渉縞という純粋な物理現象を記録する技術でした。プレート内部に固定された干渉縞が、光の波長に合わせて特定の色だけを反射する──それによって本物の色が再現される仕組みです。

プレートが完成品となる“一点もの”であり、反射光でしか見ることができず複製が困難だったことから、リップマン法はしばしば**「カラー版ダゲレオタイプ」**とも例えられます。ただしこれは技術的な特徴の話であり、技術原理はまったく異なるものでした。

このように、紙にもプリントできず、粒子にも依存せず、色素すら使わず──光の色そのものを生み出したリップマン法は、写真という技術の常識を根底から覆した“異端のカラー写真技術”だったのです。


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次章では、このリップマン法がなぜ写真技術の本流にならず、オートクロームの陰で消えていったのか。その理由を探っていきます。


✅ 第6章|リップマン式天然色写真 vs. オートクローム──二つのカラー写真技術


同時代に誕生した“二つのカラー写真”

20世紀初頭、カラー写真の技術は大きな分岐点を迎えていました。
リップマン式天然色写真(通称リップマン法)が発表されたのは1891年。一方、リュミエール兄弟が開発したオートクロームは1907年に世界初の市販カラーフィルムとして発売されます。どちらも同時代に生まれながら、その技術思想はまったく異なっていました。

オートクロームは「色はRGBやCMYで“作る”もの」という発想を受け継いだ技術です。リュミエール兄弟はオーロンの三色分解理論を応用し、ジャガイモ由来のデンプン粒に色素を染み込ませたフィルターを使って色を再現しました。つまり、色を“作るための技術”としてカラー写真を完成させたのです。

しかし、リップマン法は違いました。色を作るのではなく、「光そのもの」を記録する──
まったく別の方向性から生まれた写真技術だったのです。


商品になったオートクローム、消えたリップマン法

オートクロームは、一般家庭でも使える商品として世界中に広まりました。
撮影から現像、鑑賞までの工程が比較的簡単で、**透過型スライド写真として鑑賞できる“写真商品”**として成立していたからです。多少色の正確さに欠けていても、「見た目がカラーなら十分」という需要に応えた技術だったのです。色を“作る”というアプローチは、“見せる”ためには実用的だったと言えます。

一方、リップマン法はまったく異なる存在でした。
リップマン式天然色写真は、「光そのもの」を記録することで理論上、世界で最も正確な色再現を実現していました。しかしその反面、プレートそのものが完成品であり、複製や量産ができない技術でした。紙にプリントすることも不可能。色素もインクも使わず、光の干渉縞という物理構造だけで色を生み出していたため、一般の商品として流通させることができなかったのです。完成品はプレート一点限り。誰でも使える技術にはなりませんでした。


“色を作る技術”と“光そのものの記録”──思想そのものが違っていた

この二つの技術は、単なる実用性の違いだけではありません。**写真そのものに対する“考え方”**が根本的に異なっていました。

オートクロームは、RGBやCMYを用いて色を“作る”技術。人間の目で見える色を再現することを目的とした、いわば“見せるための技術”です。

一方、リップマン法はまったく違う思想で生まれた技術でした。「色とは光そのもの」。光の波長情報そのものを写真内部に記録する──言い換えれば、「本物の光を写真の中に閉じ込める」ことを目指した技術だったのです。

色を“作る”オートクローム。
光そのものを“記録する”リップマン法。
両者の違いは、技術そのものだけでなく、「写真とは何か」という考え方の違いでもありました。

リップマン法は、理論上最も正確な色を写せる技術だったものの、誰にも使えず、広まることはありませんでした。リュミエール兄弟のオートクロームは色の正確さでは劣っていても、“誰でも使える商品”として生き残ったのです。


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✅第7章|誰にも継承されなかった技術──リップマン法が消えた理由


なぜ“世界一正確な色”は消えたのか

ガブリエル・リップマンが発明したリップマン法は、理論上もっとも正確な色再現を可能にした写真技術でした。色素や染料を使わず、光の波そのもの──本物の光の情報で色を生み出すという唯一無二の技術。しかし、この技術は広まることなく、写真史から静かに姿を消しました。

その理由は明確です。誰にも使えなかったからです。

リップマン法では、完成した写真は「リップマンプレート」と呼ばれる特殊なガラス板そのもの。プリントも複製もできず、紙の写真にすることもできませんでした。さらに撮影時には水銀を反射板として用いる特殊な装置が必要であり、技術的にも非常にハードルが高かったのです。

写真が「誰でも撮れて、誰でも配れるもの」へと進化していた同時代、リップマン法は写真として成立できなかった──それが、この技術が消えていった根本的な理由です。


“正確すぎる色”は求められていなかった

もう一つの理由は「正確すぎた色」にあります。

当時の写真に求められていたのは、「それらしく見えるカラー」でした。多少色が違っていても、美しく見えれば十分だったのです。リップマン法の生み出す「科学的に正確な色」は、人々から必要とされなかったと言えるでしょう。

リップマンは写真家でも発明家でもありません。商業的な視点は持たず、「光とは何か」という科学的な問いに挑む純粋な研究者だったのです。


誰にも真似されず、誰にも受け継がれなかった

リュミエール兄弟のオートクロームは「商品」として広まり、カラー写真の本流となりました。

一方、リップマン法は技術的困難さと商品化不能という理由で、後継者も応用技術も生まれませんでした。誰にも真似できず、誰にも必要とされなかった技術──それがリップマン法だったのです。

しかし、世界でただ一人、「光そのもの」を写真に閉じ込めた科学者として、ガブリエル・リップマンの名は今も歴史に残っています。


✅第8章|まとめ──RGBでもCMYKでもない“光そのもの”を写した男


色は“作る”ものではなく、“光そのもの”だった

現代の写真や印刷技術は、RGBやCMYKという「色を作る技術」で成り立っています。ディスプレイもプリンターも、人間の目に合わせて“見せたい色”を再現する技術です。

しかし、リップマンはこう考えました。

「色とは光そのものではないか」

だからこそ、リップマン法はインクも色素も使いませんでした。本物の光波──つまり光そのものをプレートに記録し、色を“作る”のではなく、“記録する”技術だったのです。


世界でただ一人、“光”を写真に閉じ込めた科学者

色素も染料も使わず、本物の光そのものを記録できた技術。それを実現できたのは、リップマンただ一人です。

1908年、彼はこの技術でノーベル物理学賞を受賞。写真技術でノーベル賞を受賞した科学者は、今なお彼一人だけです。

しかし、リップマン法は誰にも使えず、商品にもならず、歴史から消えていきました。それでも「光そのものを写真に閉じ込めた男」として、リップマンの名は科学史に刻まれています。


もしリップマンが現代に生きていたら

もし彼が現代に生きていたなら──

透明なフィルムや光学素子に“光そのもの”を記録する、新しいプレートを作っていたかもしれません。あるいはRGBのディスプレイ技術を超えて、光波そのものを制御する**“仮想光学デバイス”**の開発に挑んでいたかもしれません。

リップマン法が示したのは、「物質に像を刻む技術」ではありませんでした。それは「光とは何か」という、科学の本質的な問いそのものだったのです。


リップマン法が残した“問い”

RGBでもCMYKでもない。
色を作るのではなく、光そのものを記録すべきではないのか──

リップマン法が投げかけた問いは、今も未解決のままです。

本物の光をそのまま写す──その技術は、未来の映像技術となるのかもしれません。

ガブリエル・リップマンは問い続けています。

──「光とは何か」


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