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▶併せて読みたい記事 光学の歴史① アル・ハーゼン(イブン・アル・ハイサム/Alhazen)とは誰か?1000年前に“見る”を科学した光学の父【視覚の歴史】
▼当記事は光学の歴史②です。▼
✅ 第1章|スペクトルの誕生──白色光は“混ざった光”だった
🌈 色はプリズムが“生み出す”のではない。白の中にすでに“存在していた”
1666年──アイザック・ニュートンが自宅の書斎で行った、ひとつのシンプルな実験が、世界の“色”の概念を根底から覆しました。
窓に小さな穴を開けて差し込んだ太陽光を、三角柱のガラス(プリズム)に通したところ、
白い光が虹のような帯状の色へと分かれて、壁に映し出されたのです。
彼が見たのは、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫が順に並ぶ、滑らかな色のグラデーション──
後に**スペクトル(spectrum)**と呼ばれる現象でした。
📏 スペクトルとは何か?──「白の正体」を解き明かす、光の色の帯
スペクトルとは、白色光に含まれる色の成分を波長ごとに分けて見えるようにしたものです。
アイザック・ニュートンは、太陽光をプリズムに通すことで、光が色に分かれる現象を観察しました。これは、光の波長によって屈折角が異なるためです。波長が長いほど屈折が小さく、波長が短いほど大きく曲がる。こうして、壁に映し出された光の帯が、色の順に分かれて見えたのです。
スペクトルを構成する代表的な7色と、それぞれのおおよその波長は以下の通りです:
色名 | 波長の目安(nm) |
---|---|
赤(Red) | 約620〜750 nm |
橙(Orange) | 約590〜620 nm |
黄(Yellow) | 約570〜590 nm |
緑(Green) | 約495〜570 nm |
青(Blue) | 約450〜495 nm |
藍(Indigo) | 約430〜450 nm |
紫(Violet) | 約380〜430 nm |
この順番は、波長が長い赤から短い紫へと、連続的に変化する自然な並びです。
ニュートンはこの色の配列を、当時の音楽理論になぞらえて「7つ」に分けました。音階(ドレミファソラシ)のように、色も“自然の秩序”として捉えたのです。
そして最も重要なのは、プリズムが色を生んでいるのではなく、白い光の中にもともと存在していた色が、波長によって分離されただけという事実。スペクトルは、白という光の正体を可視化したものなのです。
🔬 ニュートンの追実験がすべてを証明した
観察だけでは、まだ「プリズムが色を生んだだけでは?」という疑念が残ります。
そこでニュートンは、さらに追実験を行います。
スペクトルの中から赤い光だけを選び、再び別のプリズムに通す。
その結果──赤はそれ以上分かれませんでした。紫も同様です。
つまり、赤や紫はすでに“これ以上分けられない純粋な成分”であると分かったのです。
「白は色を生むのではなく、色が合わさって白になっている。
プリズムはその中身を“分けて見せている”にすぎない」
ニュートンはこう結論づけました。
このシンプルで強烈な逆転の発想が、のちの光学・色彩理論・視覚心理学のすべての出発点となっていくのです。
✅ 第2章|“白=純粋”という神話の時代──ニュートンの革命的視点
🕯 白は“神の光”、色は“不純な変化”──そう信じられていた時代
ニュートンがスペクトルを発見した17世紀のヨーロッパでは、
光と色に対して、いまでは考えられないような価値観が根づいていました。
当時の主流思想では、**「白い光こそが純粋で完全な存在」**とされ、
そこから派生する「色」は、環境や物質によって変質・劣化したものだと考えられていたのです。
この考えは、古代ギリシャのアリストテレスにまで遡ります。
彼は「色とは光が物体を通して変化した結果であり、白は完全な光の状態だ」と捉えていました。
中世にはキリスト教の影響も加わり、「白は神の象徴」「色は地上の不完全な現れ」として、長く信じられてきました。
白=純粋/色=不純
光=完全/色彩=劣化した副産物
この“神話”が、当時の自然観を支配していたのです。
🔬 ニュートンが示した“逆転の真理”──白は「混色」だった
そんな時代に、ニュートンはプリズムを用いた実験でこう結論づけました。
「白色光とは、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫といった**複数の色が合わさった結果にすぎない」
「色はそこから分解される“本来の成分”であり、むしろ純粋なのは色の方である」
これは、当時の常識を真っ向から否定するものでした。
白は“特別な光”ではなく、構成要素の集合体──
その構成をスペクトルとして“見える形”で示した点こそ、ニュートンの革命的視点だったのです。
📐 スペクトルは“神の光”を数値にした初めての試みだった
ニュートンが発見したスペクトルは、
単なる虹の再現ではなく、白という絶対的存在の“内訳”を科学的に可視化したものです。
それまで神聖視されていた白は、いわば「説明できない神の力」でした。
そこに実験と観察によって、秩序と物理的メカニズムを与えたことは、単なる発見ではなく“思想の転換”そのものでした。
「自然界に存在する美しい現象も、検証と論理によって説明できる」
この視点は、後の科学全体に波及していくことになります。
✅ 第3章|ニュートンという人物──“ひとりで世界を解き明かした男”
🧠 科学史における最大の孤高──「引きこもりの2年間」が世界を変えた
アイザック・ニュートン──
その名は「万有引力」や「運動の法則」で知られていますが、
光学の分野においても、彼は誰よりも早く“目に見える世界”の根本に迫った人物でした。
彼の最も多くの発見が集中したのは、意外にも大学を離れていた期間です。
1665年、ロンドンでペストが猛威を振るい、ケンブリッジ大学が閉鎖されることになります。
当時まだ学生だったニュートンは、故郷ウールスソープの実家に戻り、たったひとりで思索と実験を繰り返しました。
この“自主隔離”の2年間で彼は、
-
微積分法の創出
-
運動の法則(慣性・加速度・作用反作用)の着想
-
万有引力の仮説
-
そして、プリズムによるスペクトルの発見
を次々と成し遂げます。
のちにこの期間は、**「奇跡の年(Annus Mirabilis)」**と呼ばれるようになります。
🔍 他人を避け、自分を信じた──常識に染まらない思考
ニュートンは社交的な人物ではありませんでした。
同時代の科学者たちとの議論を好まず、論争が激化すれば筆を折ってしまうことも多かったといいます。
しかしその孤独な性格こそが、“誰も疑わない前提”を疑う強さにつながったのです。
「白は純粋」「色は変質したもの」という通念すら、
ニュートンにとっては疑ってみるに値する“仮説のひとつ”にすぎませんでした。
彼にとって重要なのは、「見ること」ではなく、「確かめること」。
観察して、実験して、再現性を確かめる。そのうえで理論化する──
この一貫した態度が、のちの科学的手法の礎を築くことになります。
📚 錬金術と神学──ニュートンの“もうひとつの顔”
意外かもしれませんが、ニュートンは科学だけでなく、錬金術や聖書解釈にも深くのめり込んでいた人物でした。
彼の膨大な手稿には、元素変換の試みや終末論の予測など、いわゆる“非科学的”な記述も多く含まれています。
しかしそれは、当時の知的世界においてはごく自然なことでした。
むしろ、“この世界に法則性がある”と信じていたからこそ、
彼は神の意志を自然現象の中に読み取ろうとしたのです。
スペクトルの実験もまた、
「光は神の創造した秩序ある世界の一部である」と信じる彼の世界観と無関係ではありませんでした。
ニュートンは、孤独で、頑固で、宗教的で、それでいて極めて科学的だった──
その複雑な人物像こそが、“光の正体”に肉薄した偉業を可能にしたのです。
✅ 第4章|スペクトルの原理をやさしく解説──なぜ色は分かれるのか?
🔍 プリズムに光を通すと“虹色”になるのは、なぜ?
「白い光をプリズムに通すと、虹のような帯が現れる」──
ニュートンのスペクトル実験で得られた、この不思議な現象。
なぜ、たった一本の白い光が、赤から紫へと連なる色の帯に分かれてしまうのでしょうか?
ニュートンはこれを、「光の性質の違いによって屈折の角度が変わるため」と説明しました。
⚪️ ニュートンが見抜いた「色による屈折角の違い」
ニュートンの立場では、光は「微小な粒(コーパスキュラ)」でできていると考えられていました。
そして、この粒子たちはそれぞれ異なる“性質”を持っており、ガラスなどの境界で曲がる角度(屈折)が異なるとされていたのです。
-
赤い光の粒子は、曲がりにくく
-
紫の光の粒子は、より大きく曲がる
この“曲がり方の差”が、光を色ごとに分離し、壁に虹色の帯を描かせた──これがニュートンの理解でした。
🌊 ※現代の理解では──波長の違いが“色の順序”を生む
現在では、光は「波としての性質」を持つとされており、
スペクトルができる理由は、波長の違いによる屈折率の差と説明されます。
色 | 波長(おおよそ) | 屈折角 |
---|---|---|
赤 | 約620〜750 nm | 小さい(曲がりにくい) |
紫 | 約380〜430 nm | 大きい(曲がりやすい) |
つまり、白い光の中に混ざっている様々な波長の光が、プリズムによって別々の角度で曲がることで、スペクトルとして可視化されるのです。
🌈 だからスペクトルには順番がある──白の中の“秩序”
こうして分かれた光は、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫という順番で並びます。
これはランダムな色彩の並びではなく、**物理的に決まった「波長順」**の構造です。
ニュートンは、この現象が偶然ではなく、自然界に内在する法則によって起こる現象だと理解しました。
そして何より重要だったのは、これが「プリズムが色を作った」のではなく、
「白い光の中に、もともとすべての色が含まれていた」
という決定的な逆転の発見だったということです。
✅ 第5章|“光は粒子”というもうひとつの仮説──スペクトルをどう説明するか
💡 光とは、まっすぐ進む“粒”なのか?
スペクトルの現象を説明する中で、ニュートンは光そのものの正体について考えざるを得なくなります。
白い光が色ごとに分かれる──その理由は、「色ごとに屈折の角度が違うから」でした。
では、なぜ角度が違うのか?
その答えとしてニュートンが導いたのが、**「光は微小な粒子(コーパスキュラ)でできている」という仮説です。
これが、後に粒子説(corpuscular theory of light)**と呼ばれる光のモデルです。
🧠 ニュートンが信じた“光の粒”のイメージとは?
ニュートンによれば、光とは、
-
直進する極小の粒子であり
-
光源から発射されて高速で空間を移動し
-
物体に当たれば反射し、透明体では屈折する
という性質を持っているとされました。
プリズムに入った光は、粒子の速度や質量、物質との相互作用によって進行方向を変える。
たとえば、赤い粒子は重くて曲がりにくく、紫の粒子は軽くて曲がりやすい──
このようにして、スペクトルの屈折角の違いを説明しようとしたのです。
「色の違いとは、粒子の性質の違いである」
というのが、ニュートンの見立てでした。
📏 なぜ“波”ではなく“粒子”と考えたのか?
17世紀当時、光が「波のようなもの」ではないかという考えもすでに一部に存在していました(ホイヘンスなど)。
しかしニュートンはその説を退け、粒子説を強く支持します。
なぜなら──
-
光は直進する:波なら広がるはずだが、影がくっきりできるのは粒子的
-
鏡の反射が鋭い:波なら干渉するが、粒なら反射は明快
-
光と音は違う:音は空気を媒介するが、光は真空でも届く
これらの現象を説明するには、波より粒の方が理にかなっているとニュートンは考えたのです。
📌 そして何より、“観察に忠実”だった
ニュートンの思想は、「現象をまず正確に観察し、そこから説明を組み立てる」という姿勢に貫かれています。
光が一直線に進み、鏡で反射し、プリズムで色が分かれる──これらの事実を整理して導かれたのが、粒子説だったのです。
「我々は仮説を作らない。
現象から導かれたものこそが、自然の言葉である」──ニュートン
この発想は、後の近代科学における“経験主義”の基礎にもつながっていきます。
⚠️ ただし、この粒子説にも“弱点”があった
スペクトルの屈折や反射は説明できても、
のちに発見される「干渉」や「回折」といった波のような性質までは、粒子説ではうまく説明できませんでした。
つまり、ニュートンの粒子説は「見えている現象」に対しては非常に説得力がありましたが、
「見えない光のふるまい」を説明するには限界があったのです。
この疑問は、次の時代の科学者たちへと引き継がれていきます。
✅ 第6章|波動説 vs 粒子説──スペクトルが見せた光の二面性
⚔️ ニュートンの粒子説は、一時“敗北”することになる
スペクトルの説明においては説得力を持っていたニュートンの粒子説(コーパスキュラ説)。
しかし18世紀後半から19世紀にかけて、光には「粒」では説明できない現象が次々と観察されはじめます。
それが──
**干渉(interference)と回折(diffraction)**です。
🌊 光が“波”だとしか思えないふるまい
1801年、イギリスの物理学者トーマス・ヤングは、いまや有名な**「二重スリット実験」**を行います。
光を2つの細い隙間に通すと、スクリーン上に明るい縞と暗い縞が交互に現れる干渉模様が現れました。
これは、波と波がぶつかり合い、お互いを強めたり打ち消したりする“干渉現象”の典型です。
この現象は、粒子ではどう説明しても成り立ちません。
光が波として空間を広がりながら進んでいると考えない限り、矛盾してしまうのです。
さらに、フレネルやアラゴも回折・偏光などの現象を次々と波動として説明し、
「光は波である」という波動説が19世紀の光学の主流となっていきます。
💥 粒子説、消える──しかし“完全に否定されたわけではなかった”
この頃になると、ニュートンの粒子説は「過去の理論」として扱われるようになります。
科学界は、「光=波」という見方で一致し、干渉や屈折を体系的に理解しようとしていました。
とはいえ、スペクトルや直進性、反射などの現象については、いまだに粒子的な性質の方が直感的に説明しやすい部分も残っていました。
ニュートンの説は“完全に捨てられた”というより、
「主役の座から一度降ろされた」だけ──
そう言った方が正確かもしれません。
🧪 そして20世紀、光は“粒”として復活する
1905年、アルベルト・アインシュタインが発表した「光電効果の理論」によって、
科学界は再び驚くべき事実と向き合うことになります。
「光は波であると同時に、**“光量子(フォトン)”という粒として振る舞う」」
これは、ニュートンの粒子説が形を変えて復活した瞬間でした。
現象によって、光は波のようにも、粒のようにも振る舞う──
それが、**“光の二重性(wave-particle duality)”**という新たなパラダイムの始まりだったのです。
🧠 ニュートンの仮説は間違っていた?それとも“半分だけ正しかった”?
結果的に言えば、ニュートンの粒子説は古典物理としては不完全だったかもしれません。
しかし、彼が見抜いた「光は直進し、屈折し、構成成分を持つ」という本質は、
20世紀以降の量子論や分光学でも生き続けています。
つまり──
「ニュートンは間違っていた。けれど、その“間違い方”が、未来を切り開いた」
これは、単なる仮説の敗北ではなく、
科学の進歩における**“正しい問いの立て方”そのものだった**のです。
✅ 第7章|スペクトルが開いた扉──後世への科学的・文化的影響
🔬 スペクトルは、ただの“色の帯”ではなかった
ニュートンが白い光をプリズムで分け、スペクトルの存在を明らかにしたことは、
「光とは何か?」という問いに対する科学的な第一歩でした。
けれど、この“色を分ける”というシンプルな行為は、
その後の数百年間で、科学から芸術、テクノロジーに至るまで、さまざまな分野を根本から変えていくことになります。
スペクトルは、世界を分解して理解するという方法論の象徴でもあったのです。
🧪 科学の進化:分光学・元素分析・電磁波理論へ
ニュートンのスペクトル実験を出発点として、
19世紀には**分光学(spectroscopy)**という新たな分野が確立されます。
-
1814年、フラウンホーファーが太陽スペクトルに**暗線(フラウンホーファー線)**を発見
-
1860年代、キルヒホフとバンセによって、元素ごとのスペクトル線が観察され、元素分析法が確立
-
光だけでなく、赤外線・紫外線・X線・ラジオ波など、「不可視のスペクトル」=電磁波全体への理解が進展
つまり、スペクトルの原理は、“目に見える色”を超えて、見えない世界を測る道具へと進化していったのです。
🎨 芸術と色彩理論:印刷・写真・絵画にも波及
ニュートンの色の順番(赤橙黄緑青藍紫)は、
色彩理論やカラーモデルのベースとしても受け継がれていきました。
-
三原色(RGB/CMY)の理論的背景にスペクトルが関わる
-
印刷業界では、分光反射率の測定やカラーマネジメントに応用
-
写真術では、三色分解法(→ マクスウェル、デュコ・デュ・オロン)などに直結
-
絵画や染色でも、「色は混ぜるものではなく、構成要素がある」という発想が浸透
ニュートンの実験は、**「色とは主観ではなく、物理現象である」**という視点を文化に浸透させました。
📡 技術と未来:現代にも残る“スペクトル思考”
今日の私たちは、スペクトルという言葉を、
単に「虹色の帯」ではなく、もっと広い意味で使っています。
-
音のスペクトル(周波数分析)
-
電波のスペクトル(通信帯域の整理)
-
天体観測におけるスペクトル(星の組成や運動の測定)
-
医療機器やセンサーにおける分光分析
つまり、スペクトルとは**「ある現象を、構成要素に分解して捉える視点」**そのものになったのです。
📌 ニュートンの一撃が生んだ“見る”という方法論
それまで“神秘”とされていた光に、
「構造があり」「順序があり」「成分がある」と示したニュートンの実験は、
自然を“分解して理解する”という科学の哲学を生み出しました。
プリズムを通して白い光を割ってみせたあの瞬間──
それは、自然科学がいよいよ目に見える世界を超えて“構造”を見ようとしはじめた瞬間だったのです。
✅ 第8章|まとめ──白を疑えば、色が見えてくる
1666年、ニュートンがプリズムに白い光を通したあの瞬間、
人類は、目に見える世界に構造があること、そしてその構造が分解できることを初めて知りました。
それまで「完全」「神聖」とされていた白は、実は混ざりものだった──
そして「色」とは、その中から分かれてきた本来の成分だった。
この発想の逆転は、光の正体をめぐる議論を生み、
やがて波動説と粒子説の対立へと発展し、
さらには量子論の扉を開く“光の二重性”という深い謎へとつながっていきました。
ニュートンが示したスペクトルは、
ただの虹ではありませんでした。
それは、
「この世界は分解できる」
という、科学の哲学の始まりだったのです。
そしていま──
私たちがモニター越しに見ているこの「色」も、
照明から発せられる「光」も、
印刷で表現される「インクの色」も、
すべてが、スペクトルの中から選び取られた“成分”たちです。
白を疑えば、色が見えてくる。
色を分ければ、光がわかる。
光を探れば、この世界の仕組みが立ち上がる。
このすべての出発点にいたのが、
ひとりの青年と、ひとつのプリズムでした。
▶次に読みたい記事 光学の歴史③ ホイヘンスの原理とは?クリスティアーン・ホイヘンスが示した“光の波動説”と現代光学の出発点
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👇光学の歴史はこちらから
①アル・ハーゼン(イブン・アル・ハイサム/Alhazen)とは誰か?1000年前に“見る”を科学した光学の父【視覚の歴史】
②当記事
③ホイヘンスの原理とは?クリスティアーン・ホイヘンスが示した“光の波動説”と現代光学の出発点
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