葛飾北斎とは?破天荒な人物像と浮世絵の多色刷り・江戸出版文化を徹底解説

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第0章|導入:世界を驚かせた“江戸の印刷ディレクター”


江戸の町から生まれた世界的アート

「神奈川沖浪裏(The Great Wave off Kanagawa)」──
いまや誰もが一度は目にしたことがある、日本を代表する浮世絵の傑作です。
この一枚を描いたのが葛飾北斎(かつしか ほくさい)
彼は1760年に江戸で生まれ、生涯にわたり数千から数万点に及ぶ膨大な作品を制作したと伝わる伝説的な絵師です。
けれど北斎は、単なる芸術家ではありませんでした。
江戸時代の出版文化と印刷技術を駆使したプロデューサー的存在だったのです。


浮世絵は「美術品」じゃなく「複製アート」

浮世絵の本質は、「一点物の絵画」ではなく、木版画による複製アートです。
江戸時代の町人たちは、歌舞伎役者や名所を描いた浮世絵を、今でいう雑誌のポスターやカレンダーのような感覚で購入しました。
数百文という庶民が手の届く価格で売られ、版元(出版社)が企画し、絵師・彫師・摺師の分業で何百枚も刷られる──
まさに江戸の大衆印刷産業そのものでした。
北斎はその仕組みの中心で、新しい構図・色彩・題材を発明し、ヒット作を次々と生み出す「アートディレクター」的存在だったのです。


世界を魅了した「北斎ブルー」と構図革命

北斎が世界を驚かせた理由の一つが、**ベロ藍(プルシアンブルー)**という輸入顔料の大胆な導入です。
江戸後期の浮世絵は、耐久性や透明感のある青を取り入れることで、まるで現代印刷の特色インクのような表現力を実現しました。
また、西洋の透視図法や構図理論を研究し、波や富士山を圧倒的スケールで描いた北斎のデザインセンスは、ゴッホやモネら西洋画家をも虜にしました。


北斎は「江戸の総合クリエイター」

北斎の人生は借金や引っ越し魔伝説など破天荒なエピソードにあふれています。
それでも彼は、芸術・印刷技術・ビジネス感覚・科学的観察眼を融合し、江戸の文化産業を象徴する存在となりました。
浮世絵は美術館で眺める芸術品というより、当時は大衆文化を支える情報メディアであり、江戸時代の印刷産業の象徴。
北斎を知ることは、単に美術史を学ぶだけでなく、日本のデザイン史・広告史・出版史を一気に理解する手がかりにもなるのです。


第1章|浮世絵の前史:鈴木春信が開いたカラー印刷の道


江戸の出版ブームと庶民文化

18世紀中頃の江戸は、人口100万人を超える世界有数の大都市でした。
武士や町人、商人たちが入り混じる街には、貸本屋や本草学の図解書、観光ガイドのような「名所図会」まで、膨大な出版物が出回っていました。
この出版文化の中心にあったのが木版印刷です。
職人の技で刷られた木版の書物や絵は、知識や娯楽を江戸の隅々まで届ける役割を果たしていました。


白黒版画から多色印刷へ

当初の浮世絵は墨一色の**墨摺絵(すみずりえ)や、刷った絵に筆で色を足す丹絵(たんえ)**が主流でした。
しかしこれでは制作に時間がかかり、色も均一になりません。
江戸の人々はもっと手軽に「カラフルな絵」を楽しみたいと望むようになり、木版画の世界に革新が求められました。


鈴木春信が生み出した「錦絵」

そこで登場したのが鈴木春信(すずき はるのぶ)
彼は1765年ごろ、色ごとに版木を彫り分け、何枚もの版を重ね刷りする**多色木版印刷=錦絵(にしきえ)**を完成させました。
春信の技術革新により、浮世絵は一気に「フルカラーの印刷物」として庶民に浸透。
江戸の町人たちは、手彩色の高級品ではなく、均一で美しい多色刷りの絵を手頃な値段で楽しめるようになったのです。


▶併せて読みたい記事 鈴木春信と錦絵の誕生|多色刷りが変えた浮世絵と印刷文化の歴史


錦絵が開いた「庶民のアート市場」

錦絵は役者絵や美人画、風俗画など、江戸の暮らしを映すメディアとなりました。
その値段は数百文程度で、今の雑誌やポスターのように大量生産・大量消費される商品だったのです。
鈴木春信の発明は単なる美術技法ではなく、江戸の大衆文化を支える印刷産業のスタートラインでした。


北斎がこの土台を受け継ぐ

葛飾北斎が登場するのは、この春信の錦絵が広く定着した後のこと。
北斎はこの多色印刷技術をベースに、版木や顔料の進化、西洋構図の導入など、さらに革新的な要素を加えていきます。
つまり、北斎の浮世絵は春信が開発した「カラー印刷システム」の発展形であり、
江戸後期は世界で最も進んだ印刷文化を持った時代だったとも言えるのです。


第2章|葛飾北斎の人物像:破天荒で超人的な生涯


何度も引っ越し!江戸の街を渡り歩いた絵師

葛飾北斎(かつしか ほくさい)は1760年、江戸の本所に生まれました。
彼は生涯にわたり非常に多くの転居を重ねたことで知られています。
その理由は借金取りや生活苦、そして「環境を変えたい」という強い創作欲。
江戸の町中を転々としながらも絵を描き続けるその姿勢は、
一つの場所に落ち着かない“放浪する天才”として後世に語られています。


「画狂老人卍」を名乗った執念の画業

北斎は60代後半から自らを**「画狂老人卍(がきょうろうじん まんじ)」**と号し、
晩年まで絵筆を手放さず創作を続けました。
彼は手紙の中で「70歳までに描いたものは取るに足らない。90歳になれば奥義を極められるだろう」と述べ、
生涯成長を求める姿勢を貫いたことで知られています。
生涯で制作した作品は数千から数万点に及ぶとされ、
その圧倒的な多作ぶりは江戸時代でも群を抜いていました。


家族と弟子、北斎の“絵の王国”

北斎には多くの弟子がおり、大規模な工房ネットワークを築いていました
彼の娘・**葛飾応為(おうい)**も卓越した才能を持ち、北斎のアシスタントや弟子たちと共に大規模な制作体制を築いていました。
このネットワークは、北斎個人の才能だけでなく、江戸のアート産業の縮図とも言えます。


破天荒な生活と奇行

北斎は絵を描くこと以外に無頓着で、部屋は常に散らかり放題。
生活はお世辞にも裕福ではなく、借金取りに追われる日々も珍しくありませんでした。
一方で、突然思い立って部屋を掃除し尽くし、真っ白な紙で壁や天井を覆い尽くしたという逸話も残っています。
北斎にとって生活の中心は常に「絵」であり、破天荒な暮らしぶりは絵に全てを捧げた生き様を物語っています。


天才でありながら庶民的な存在

北斎は世界的評価を得る一方で、江戸庶民にとっては身近な存在でもありました。
彼の絵は庶民が買える価格で流通し、町人や商人に愛される大衆文化の象徴に。
「天才絵師」としての名声と、「町の絵描き」としての庶民性を兼ね備えた人物像は、今も多くの人を惹きつけています。


第3章|江戸の印刷産業と複製アートのビジネスモデル


浮世絵は「アート商品」だった

浮世絵は今でこそ美術館で展示される芸術品ですが、江戸時代の感覚では量産された商品でした。
一枚庶民にも手が届く価格で買え、役者絵や美人画、名所図などは雑誌のグラビアや観光ポスターのような存在。
これは江戸時代の人々にとって、身近に楽しめる大衆文化の象徴であり、日本最古の複製アート市場でもあったのです。


版元=出版社が担った企画と販売

浮世絵制作の中心には**版元(はんもと)**と呼ばれる出版社がありました。
版元は絵師を起用し、彫師・摺師を手配し、完成した作品を販売するまでの全工程を管理。
現代の「出版社」や「広告代理店」のような役割で、企画力や市場調査のセンスが求められました。
人気シリーズを作れば売上が伸び、絵師や職人たちにも報酬が還元される仕組みが確立していたのです。


絵師・彫師・摺師の分業体制

浮世絵は1人の天才がすべてを描いたわけではなく、高度な分業制の産物です。

  • 絵師:構図やデザインを考案(北斎や広重など)

  • 彫師:桜の木を使った版木に細密な線を彫刻

  • 摺師:和紙に1色ずつ丁寧に刷り重ねて完成
    この分業はまさに現代の「デザイン → 製版 → 印刷」という工程の原型であり、
    江戸時代は既に“印刷産業”が成立していたことがわかります。


シリーズ化・再版・ヒット戦略

浮世絵は単発で終わらず、「富嶽三十六景」のようにシリーズ展開されることが多かったのも特徴です。
版木はすり減るまで何度も使われ、人気作品は増刷されることで利益を拡大。
また、季節や流行を意識したテーマ設定など、マーケティング戦略も巧みに行われていました。
北斎はこの仕組みの中で、自身の作品をブランド化し、時代のトップアーティスト兼ビジネスマンになったのです。


江戸の浮世絵は情報メディアだった

浮世絵は単なる装飾品ではなく、江戸の観光ガイドや流行情報を伝えるメディアでもありました。
当時の江戸人は最新の歌舞伎役者や名所の絵を手に入れることで、文化を楽しみ、情報を共有していたのです。
これは現代の雑誌や広告に相当し、浮世絵の量産・流通ネットワークは世界に先駆けた印刷文化の完成形とも言えます。


第4章|北斎の多色刷り革命:精密印刷の極致


10版以上を重ねる精緻な印刷技術

葛飾北斎の浮世絵は、ただ美しいだけではなく高度な印刷技術の結晶でした。
北斎の代表作「富嶽三十六景」などは、一枚の絵に10枚以上の版木を使い、色を重ねて仕上げられています。
各版木には一色ずつ絵柄が彫られ、摺師が一枚一枚手で紙に刷り込む──
この作業をわずかなズレも許されない精度で繰り返すのです。
まさに江戸時代の精密印刷の極みと言えます。


見当合わせ:完璧な位置合わせの仕組み

多色刷りで重要なのが、見当(けんとう)と呼ばれる位置合わせの技術です。
紙を置くための目印を版木に刻み、摺師はその目印に合わせて1色ずつ刷り重ねます。
これにより、波しぶきや富士山の稜線など複雑な構図でもズレのない仕上がりを実現。
江戸時代の浮世絵は、この高精度な見当合わせのおかげで現代のカラー印刷にも匹敵する精度を持っていたのです。


ぼかし摺り:空や水のグラデーション表現

北斎作品の特徴であるダイナミックな波や空の色の移り変わりは、ぼかし摺りという特殊な技術で生まれました。
摺師は版木の一部にインクを濃く塗り、刷毛で丁寧にグラデーションをつけることで、
一色刷りの木版にも関わらず、水彩画のような立体感を演出したのです。
この技術は熟練の摺師にしかできない高度な手仕事であり、北斎はこうした職人技を最大限に活用しました。


職人ネットワークを統率したディレクター

北斎は自ら彫刻や印刷を手掛けたわけではありません。
彼は下絵を描き、彫師と摺師をディレクションする立場として全体を指揮しました。
彫師は北斎の繊細な線を忠実に再現し、摺師はその色彩を正確に表現する。
この分業体制と北斎の監督力こそが、世界を驚かせた浮世絵の品質を支えたのです。


芸術と産業の融合

北斎の浮世絵は、職人技術とディレクション力を融合させたアートと産業のハイブリッドでした。
一点物の絵画ではなく、同じクオリティで何百枚も刷る仕組みを完成させたのは、
北斎がアーティストであると同時に、江戸の印刷ディレクターだったからです。


第5章|ベロ藍と材料科学:北斎ブルーの秘密


江戸の浮世絵を変えた“輸入顔料”

葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」を見て真っ先に印象に残るのは、
海や空を鮮やかに染める深い青色です。
この青を生み出したのが、江戸後期に輸入された**プルシアンブルー(ベロ藍)**という顔料でした。
それまで日本の絵画で使われていた藍や群青は天然素材で、退色しやすく色の安定性にも限界がありました。
しかしプルシアンブルーは人工合成顔料で、発色が鮮やかで耐久性が高いという革新をもたらしたのです。


ベロ藍の科学的背景

プルシアンブルーは鉄を含む化合物で、18世紀初頭にヨーロッパで偶然発見されました。
その化学式は「鉄(III)ヘキサシアノ鉄(II)」という複雑な結晶構造を持ち、
光に強く、安定した青色を発色するのが特徴です。
江戸時代後期、日本は長崎出島を通じてこの顔料を輸入し、浮世絵師たちの表現の幅を一気に広げました。
北斎は誰よりも早くこの素材を作品に取り入れ、世界に誇る「北斎ブルー」を確立したのです。

1831年の新年、版元・永寿堂は『富嶽三十六景』をプルシアンブルー採用の新シリーズとして売り出し、その鮮烈な青は江戸の市場を席巻しました。


経済と文化を動かした青

プルシアンブルーは高価な輸入品でしたが、版元(出版社)は人気浮世絵のために惜しまず使用しました。
その結果、北斎の浮世絵は従来の浮世絵にはない色彩の鮮烈さを持ち、国内外で話題を呼びます。
この青の魅力はやがてヨーロッパの画家たちにも影響を与え、
ゴッホやモネらが北斎を敬愛するきっかけにもなりました。


材料科学と芸術の融合

北斎の革新は、単なる絵師の感性だけでなく材料科学の進歩を敏感に取り入れたセンスの賜物でした。
ベロ藍の採用は、江戸時代の浮世絵が美術と科学の融合産物であることを示しています。
北斎の絵が今も鮮やかに残るのは、技術と素材を深く理解したうえで生み出された作品だからこそなのです。


第6章|光学理論とデザイン:西洋から学んだ視覚表現


江戸時代に「遠近法」を取り入れた先進性

北斎の浮世絵には、波や富士山をダイナミックに描く**透視図法(遠近法)**が多用されています。
この表現は、オランダを通じて輸入された西洋の絵画や銅版画から学んだもの。
江戸時代の日本絵画は、もともと平面的な表現が主流でしたが、
北斎は遠近感を駆使し、構図に奥行きを与えることで、
見る人を作品の世界に引き込むインパクトを作り出しました。
当時の日本においてこれは非常に革新的なアプローチだったのです。


科学者のような観察力

北斎はただ風景を「美しく描く」のではなく、
波の動きや雲の形、富士山の稜線などを科学者のように観察し、
自然の法則を線や色に置き換えていました。
彼のスケッチ集『北斎漫画』には、動物、植物、人間のポーズ、生活道具など
膨大な資料的スケッチが詰まっており、まるで当時の百科事典のようです。
これらは芸術作品でありながら、科学的資料としても価値が高いものです。


西洋画法と日本美意識の融合

北斎は単純に西洋の技術を真似たのではなく、
日本的な線の美しさや構図のバランスと組み合わせ、
独自の「和と洋の融合スタイル」を確立しました。
平面的な輪郭線で描かれた人物や建物に、西洋的な遠近感や陰影を加えることで、
視覚的なインパクトとモダンなデザイン性を兼ね備えた浮世絵を作り上げたのです。


デザイン理論に通じる構図力

北斎の構図は現代デザインにも通じるセンスを持っています。
斜めのラインで画面を分割したり、
画面の一部を大胆に空白にしたりするレイアウトは、
まるでポスターや広告のビジュアルデザインのよう。
北斎の浮世絵は「江戸時代の印刷メディア」としてだけでなく、
視覚心理を駆使したデザイン理論の先駆者的作品でもあったのです。


第7章|破天荒な逸話:人間臭い天才像


借金取りから逃げる“引っ越し魔”

葛飾北斎の人生には、天才らしい奇行があふれています。
最も有名なのは非常に多くの転居を重ねたという記録。
理由の一つは借金取りから逃れるため。
北斎は作品の依頼は絶えなかったものの、金銭管理が苦手で貧乏暮らしが常態化していました。
しかし、住む場所を転々としながらも創作意欲は衰えず、
どんな環境でも筆を持ち続ける姿は「絵を描くために生きた男」を象徴しています。


部屋を真っ白にして創作する奇癖

北斎は部屋の汚れを嫌い、突然大掃除をして天井から床まで紙を貼り尽くしたという逸話もあります。
真っ白な空間で心をリセットし、新しい作品に集中したかったのでしょう。
これはまるで現代アーティストのアトリエのような環境づくりであり、
北斎の創造性と繊細さを物語るエピソードです。


娘・葛飾応為とのユニークな関係

北斎の娘、**葛飾応為(おうい)**も絵の才能に恵まれ、
父を支えながら自らも浮世絵師として活躍しました。
応為は色彩感覚に優れ、父北斎の作品に影響を与えたとも言われています。
父娘で競い合うように作品を作り続ける関係は、江戸のアート工房の一つの理想形でした。


周囲を振り回すも、依頼は絶えない

北斎は弟子や版元(出版社)ともたびたび衝突し、奇行や奔放な性格で周囲を困らせることも多かったようです。
しかし、それでも依頼は途切れませんでした。
理由はただ一つ、「北斎の絵は圧倒的に売れた」からです。
商業的な成功と芸術的価値を両立できる稀有な存在だったため、
彼の破天荒さはむしろ“天才の証明”として受け入れられていたのでしょう。


天才は人間臭いからこそ魅力的

北斎の逸話は「神のような芸術家像」とは真逆で、
金にだらしない、落ち着きがない、変わり者。
けれど、その人間臭さこそが作品の魅力を支える原動力でした。
北斎を知ることで、天才もまた迷い、悩み、奔走した一人の人間だったと実感できます。


第8章|北斎の世界的影響:ジャポニスムと近代デザイン


ヨーロッパを席巻した“ジャポニスム”

19世紀後半、フランスを中心に巻き起こった**ジャポニスム(Japonisme)**は、
浮世絵や日本美術が西洋芸術に与えた大きな影響を指します。
その中心にいたのが葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵師たち。
日本開国後、北斎の「富嶽三十六景」や「北斎漫画」は欧州に輸入され、
斬新な構図や色彩、線の美しさがヨーロッパの画家やデザイナーを驚かせました。


ゴッホやモネに与えた衝撃

印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホは、
北斎の『神奈川沖浪裏』に心を打たれ、
「波は爪のようだ」と手紙に書き残すほど強い衝撃を受けました。

彼は浮世絵の大胆な構図や色彩感覚を参考にし、
その影響は彼の作品にも表れています。

クロード・モネやエドガー・ドガら印象派の画家たちも、
北斎や浮世絵の視覚表現に魅了され、
西洋絵画にはなかった独特の構図や余白の美を取り入れました。

こうして北斎の芸術は19世紀ヨーロッパの美術界に新風を吹き込み、
日本美術が近代美術史の重要な位置を占めるきっかけとなったのです。


デザインと広告文化への直結

浮世絵の構図や大胆な余白の使い方は、
ポスターや雑誌デザインなどグラフィックデザインの基礎にも応用されました。
特に20世紀初頭のアール・ヌーヴォーやアール・デコのポスターには、
浮世絵からインスピレーションを受けたデザイナーたちの痕跡が色濃く残っています。
北斎は美術界だけでなく、商業デザインや広告業界にも影響を与えたメディアデザインのパイオニアとも言えます。


世界で愛される北斎のブランド

北斎の作品は今や「日本美術の象徴」だけでなく、世界的なブランドとしても浸透しています。
富士山や波のモチーフはポスターや商品デザインに使われ、
美術館だけでなく日常生活の中でもその魅力を目にすることができます。
こうして北斎は、江戸時代に活躍した一絵師でありながら、
現代まで続くデザインの潮流を作り上げた“世界的クリエイター”になったのです。


第9章|江戸木版から近代印刷への橋渡し


浮世絵は江戸の“印刷メディア産業”だった

江戸時代の浮世絵は、今の美術品というイメージとは大きく異なり、
当時の出版メディアとして広く庶民に浸透していました。
役者のポートレートや観光地の名所図、流行の着物デザインなど、
浮世絵は人々の暮らしに密着した情報を届ける「印刷物」だったのです。
そしてこの制作フローは、後の近代印刷の基礎になりました。


分業制と生産システムの完成度

浮世絵制作では、

  • 絵師:デザイン・構図を考える

  • 彫師:版木を細密に彫る

  • 摺師:和紙に一色ずつ重ね刷り

  • 版元:企画・流通・販売を統括
    という分業体制が徹底されていました。
    これは現代の「デザイン → 製版 → 印刷 → 販売」の工程とほぼ同じ。
    江戸後期にはこの体制が高度に発達し、
    浮世絵は芸術と産業の両立を実現した先進的なメディアだったのです。


明治期の石版印刷や新聞文化へ

明治時代に西洋の石版印刷活版印刷が導入されると、
浮世絵の制作システムで培われたノウハウが活かされました。
彫師や摺師の精密な技術は、
写真や新聞の挿絵印刷に応用され、日本の印刷産業を支える人材基盤となったのです。
また、ポスターや教科書、広告などの印刷物も急速に普及し、
江戸の浮世絵文化はそのまま近代出版文化のスタートラインとなりました。


浮世絵は「産業デザインの原点」

北斎や春信たちの浮世絵は、
美術館に収められる前から、すでに「商品」として量産され、
市場原理の中で売れる構図やデザインが磨かれていました。
これこそが現代の広告デザインや商業印刷につながる思想であり、
浮世絵は芸術であると同時に、日本のデザイン・出版産業の起点だったのです。


第10章|まとめ:芸術・商売・科学をつないだ江戸の総合クリエイター


芸術家を超えた存在、葛飾北斎

葛飾北斎は、単なる浮世絵師ではなく江戸時代の総合クリエイターでした。
彼の作品は、美術品としての価値を超え、
当時の出版文化・印刷技術・商業戦略の粋を集めたメディアでもあります。
北斎は破天荒な人生を送りながらも、絵への情熱と新しい技術への探究心で、
浮世絵を世界的なアートに押し上げた立役者でした。


浮世絵は世界初の大衆複製アート

鈴木春信が確立した多色木版印刷(錦絵)は、
江戸の庶民が誰でも買えるアート作品を可能にしました。
北斎はこの仕組みを進化させ、輸入顔料や西洋構図を取り入れて、
視覚的にも商業的にも革新的な浮世絵を生み出しました。
この大量生産されたアートは、世界で最も早く成熟した複製文化
の象徴とも言えます。


近代印刷とデザイン文化への架け橋

浮世絵の分業制や販売ネットワークは、
明治期の石版印刷・新聞・ポスター文化へと自然に継承されました。
北斎や浮世絵師たちのデザインセンスは、
現代の広告、グラフィックデザイン、出版ビジネスにまで影響を与えています。
江戸の浮世絵は、芸術と産業が融合した日本のクリエイティブ文化の出発点でした。


江戸の天才が残した永遠のインパクト

北斎は晩年、「90歳になれば奥義を極め、本物の絵が描けるだろう」と語り、
死の直前まで筆を取り続けました。
その尽きることのない探究心は、今なお世界中の芸術家やデザイナーに刺激を与えています。
彼が描いた波や富士山は、単なる風景描写ではなく、
江戸時代の知恵・技術・情熱が凝縮された象徴的な作品です。
北斎の足跡をたどれば、日本が育んだ独自の創造力の深さを改めて実感できるでしょう。


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