赤外線とは何か?──ウィリアム・ハーシェルが見つけた“赤の向こう側”の光

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▼当記事は光学の歴史⑨-見えない光編①です。▼


✅ 導入|見えない光に、“色”はあるのか?


色とは何か──私たちはふだん、目で見える色の世界の中に生きています。
赤・緑・青。そしてその混合で表現される無数の色たち。

でも、光の世界には“目には見えない色”が存在します。
たとえば、赤よりもっと赤い光。私たちの目には見えないけれど、体では“熱”として感じることができる光

それが「赤外線(infrared)」です。

1800年、天文学者ウィリアム・ハーシェルは、可視光の外側に未知の光があることを発見しました。
彼が見つけたのは、「見えないのに存在する光」、そして後に「見えない色に“色”を与える」という科学の扉を開くブレークスルーでした。

この章では、赤外線の発見とその原理、科学的意義、そして現代における“色の拡張”としての意味を、光学史の文脈から解き明かしていきます。


✅ 第1章|ブレークスルーポイント:色は“見える”だけではなかった


🔬 光の外側に“光”があったという逆転の発見

18世紀末まで、光とは目に見えるものだとされていました。
ニュートンのスペクトル分解、ヤングやフレネルの波動性の理論──そのすべてが**「人間の目に見える光=色」**という前提で成り立っていたのです。

そんな中で、ハーシェルの発見は、まさにパラダイムシフトでした。

彼はプリズムを通した太陽光のスペクトルを1色ずつ測定していく中で、赤の外側──つまり見えない位置に置いた温度計が、最も高い温度を示すことに気づきます。

そこにあったのは、目には見えない、けれど“熱”として作用する光──赤外線です。


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🌡️ 「視覚の外」にある光──それは色なのか?

この発見が意味するものは、単なる新しい帯域の光の確認ではありません。
それは、「色とは目で見るものだけではないかもしれない」という疑念を科学にもたらした出来事でした。

視覚という感覚器を越え、身体的に“感じられる光”に色としての意味を与える
ハーシェルの実験は、やがてサーモグラフィやNDVIのような擬似カラー技術、さらには印刷や芸術の分野にも影響を与えていくことになります。


🎨 見えない光に“色”をつけるという行為の始まり

赤外線は、波長としては明確に存在しています。
そして現代では、私たちはそれを擬似カラーで可視化し、「温度」「物質」「反射の差」などを“色のように”伝える技術を手に入れました。

この時から、色は**「見えるもの」から「理解するために与えられたもの」**へと進化を始めたのです。


✅ 第2章|歴史背景:18世紀末、色は「見るもの」だった


📜 色は“目に見えるもの”という常識

1800年当時、科学者たちは「色」とは何かをすでにある程度理解していました。
ニュートンが白色光をプリズムで分光し、“スペクトル”という概念を生み出してからすでに1世紀以上が経過していた時代です。

光はまっすぐ進む、色は分けられる、赤から紫までの帯として存在する──
これらはすでに“当たり前の知識”でした。

ただし、そこにはひとつの大前提がありました。
色とは、目に見える範囲でしか存在しないものだという考えです。


🌈 スペクトル=見える光の帯、という限界

ヤングが光の干渉を示し、フレネルが波動性を実証した時代──それは「光の性質」は議論されても、「光の範囲」は議論されていなかった時代でもありました。

つまり、光は赤から紫までのものだという前提が、科学者たちの視野を制限していたのです。

当時のスペクトルとは、「視覚的に見えるものの並び」。
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫──この7色の“見た目”が全てだとされていたのです。


🔭 見えないものを“見る”という発想は、まだなかった

18世紀末は、まだ**「感覚の外側に科学を拡張する」**という発想が始まったばかりの時代でした。
望遠鏡で遠くの星を観察することはできても、「目では見えない光がある」とは誰も考えていなかった。

だからこそ、ハーシェルの「赤の外に温度反応がある」という実験は、“視覚の限界”そのものを疑うきっかけとなったのです。


🧠 色とは“物理現象”なのか、それとも“心理現象”なのか

この時代、色の正体はまだ曖昧でした。
ニュートンは色を“光そのものの性質”と考えましたが、ゲーテのように“心理的な現象”とする立場も根強く存在していたのです。

赤外線の発見は、その中間にある新たな立場を生み出します。

色とは、光の波長という物理的な情報を、脳が変換した心理的な印象である──
そんな理解へと、科学はゆっくりと歩み始めることになります。


✅ 第3章|ウィリアム・ハーシェル──光と熱を“測った”天文学者


🌌 天王星の発見者が見ていたもの

ウィリアム・ハーシェル(William Herschel)は、当時イギリス王室に仕える天文学者として名を馳せていました。
彼が発見した天体の中でも最も有名なのが、1781年の天王星(Uranus)。これは、天文学史上初の“望遠鏡による惑星発見”でした。

しかし、ハーシェルの関心は「空を眺めること」だけではありませんでした。
彼は望遠鏡の改良に取り組み、光学と観測機器の設計にも深く関わっていた、“技術者的な科学者”だったのです。


☀️ 太陽観測と、プリズム実験への着目

ハーシェルは太陽の観察を通じて、光と熱の関係に興味を持つようになります。
特に注目したのは、「色によって温かさが違うのではないか?」という直感でした。

当時の科学者たちは、色を“見る”ことはしても、“測る”という発想はあまり持っていませんでした。
しかしハーシェルは、プリズムで分けたスペクトルに温度計を置き、それぞれの色の熱を比較するという、極めて実験的なアプローチをとったのです。


🌡️ 偶然か、執念か──「赤の外」で起きた異変

プリズムによって白色光を分解し、スペクトル上の各色の場所に温度計を設置する──
この一見地味な作業の中で、彼はとんでもない“異変”に気づきます。

それは、赤い光のさらに外側に置いた温度計が、最も高温を示したという観測結果。
そこは目には見えない、つまりスペクトルの“外”でした。

ハーシェルは、そこに未知の光が存在していると結論づけ、その新しい光を「赤の外=Infra-red(赤外線)」と呼んだのです。


📏 “見る”から“測る”へ──科学の転換点に立った人物

ハーシェルの偉大さは、未知の光を見つけたことだけではありません。
彼が成し遂げたのは、「視覚中心の科学」から「定量的な測定へと進化する科学」への橋渡しでした。

目で見るだけでは捉えられない世界を、道具と数値で把握しようとする姿勢──
その姿こそが、後の物理学・分光学・赤外技術のすべてにつながっていくのです。


✅ 第4章|発見の原理:プリズムと温度計が暴いた“赤の向こう”


🔍 見える光を“測る”という発想

ハーシェルが行ったのは、実にシンプルな実験でした。
太陽の白色光をプリズムで分光し、できたスペクトルの各色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)に、ひとつずつ温度計を置いていくというもの。

この発想自体が、当時としては新しかったのです。
光を「見る」のではなく、**「熱として測る」**という視点。
しかも、色の“美しさ”や“印象”ではなく、物理的な“エネルギーの差”として捉えようとした点にこそ、彼の独創性がありました。


🌡️ 赤の外にあった“見えない熱源”

測定を進めていくと、スペクトルの中では赤い光が最も高温を示しました。
──ところが。

彼はふと、赤のさらに外側(スペクトル外)に温度計を置いてみたのです。
そこはもう、目には何も見えない場所。
けれども、温度計の水銀柱は明らかにそれまでよりも高く上昇していたのです。

これはつまり、「可視光の外側に、見えないが確実に存在する“熱を持つ光”がある」ことを意味します。
この現象を観察したハーシェルは、**赤外線(Infrared)**の存在を世界で初めて実証的に示したのでした。


🧪 赤外線とは何か?──スペクトルの“向こう側”の光

赤外線とは、波長が可視光よりも長い電磁波のことです。
人間の目には見えないけれど、物質を温めたり、赤外線カメラで感知されたりする、確かな物理的存在。

ハーシェルの観測した赤外線の波長は、おおよそ700ナノメートルより長い領域に相当します。
この波長帯は、今日ではリモートセンシング、夜間監視、医療診断など多くの分野で活用される“見えない光の世界”の入り口となっています。


👓 光を見るとは何か?という問いのはじまり

赤外線の発見は、視覚だけに頼っていた光の理解に、大きな穴を開けるものでした。
「目に見えなくても、光はある」──
この一見当たり前のようでいて、当時は誰も考えなかった逆説が、ここから始まったのです。

ハーシェルが見つけたのは、ただの“新しい光”ではなく、
見えない世界に“色”を与える科学の最初の一歩」だったと言えるでしょう。


✅ 第5章|色をつける──赤外線写真と“擬似カラー”の世界


🖼️ 見えない光を“写真にする”という試み

赤外線は、私たちの目には見えません。
しかし、それをカメラで“写す”ことは可能です。

赤外線カメラは、可視光ではなく赤外波長に反応する特殊なセンサーを使い、温度や反射率の違いを捉えます。
そこに写るのは、視覚ではなく物理特性に基づく風景
たとえば植物の健康状態、地面の温度、人体の発熱部位──いずれも“色”としては見えないはずのものです。


🌈 擬似カラー=“翻訳された色”

では、それらをどうやって“色として”見るのでしょうか?

答えは、**擬似カラー(pseudo color)**という技術にあります。
擬似カラーとは、本来は色のない情報に、意味を持たせて色を割り当てる方法です。

たとえば、赤外線画像では──
・最も高温な部分に「赤」
・やや高温な部分に「黄色」
・冷たい部分に「青」
といった具合に、波長や温度に応じて色を置き換えることで、“見ることのできない世界”を視覚的に表現するのです。

この色の割り当てに物理的な正解はありません。
つまり、そこに使われている「赤」や「青」は、**科学的な数値を人間の感覚に翻訳する“道具としての色”**なのです。


🌿 NDVIやサーマルビジョン──情報を“色”に変える応用

赤外線を擬似カラーで可視化する技術は、さまざまな分野で活用されています。

  • NDVI(植生指数):植物の光合成活動を赤外線反射で分析し、緑・黄・赤などで健康度を色分け

  • サーモグラフィ:温度の違いを色で表し、人体・建築物・機械などの異常を可視化

  • 夜間監視装置・赤外線撮影:暗闇でも“温度による存在”を色で検出

これらはすべて、**見えない光を、見える色に変換する“翻訳の技術”**で成り立っています。


🎨 色とは、目に見えるものではなく“脳で理解する記号”になった

赤外線写真の技術は、色に対する私たちの考え方を大きく変えました。

もはや、色は「目で見えるかどうか」で決まるものではありません。
**意味を伝えるために、意図的に与えられる“感覚の記号”**となったのです。

つまり、赤外線に“色”をつけた瞬間から、色は「見えるもの」ではなく「伝えるもの」になったのです。


✅ 第6章|印刷と赤外線──“見えない色”を扱うという挑戦


🖨️ CMYKでは赤外線を表現できない

印刷の世界では、色は「CMYK」という4色のインクで再現されます。
シアン(C)、マゼンタ(M)、イエロー(Y)、そしてブラック(K)。
この組み合わせで、私たちは何万色もの可視光の色を紙の上に再現しています。

しかし──赤外線には、そもそも“色”がありません。
なぜなら赤外線は、人間の目では捉えられない波長の光だからです。
つまり、CMYKでは赤外線そのものの“光”や“波長”を印刷で再現することは不可能なのです。


🖼️ 赤外線を“撮って印刷する”という翻訳技術

では、赤外線は印刷と無縁の世界なのでしょうか?
答えはノーです。

たとえば、赤外線カメラで撮影した画像(NDVI画像やサーモグラフィなど)を擬似カラーで表示したものは、色のついた画像として出力されます。
この画像をCMYKに変換して印刷すれば、“赤外線の世界を視覚化した翻訳物”としての印刷が可能になるのです。

つまり印刷は、「見えないものに色を与え、それを見せる」ための媒体として、ここでも重要な役割を果たしているのです。


🔒 IRインク──“赤外線に反応する印刷”もある

さらに一歩進めて、“赤外線に反応する”特殊印刷技術も存在します。
たとえば、IRインク(Infrared Ink)と呼ばれるインキは、通常の可視光では見えず、赤外線センサーや特定の波長の光でのみ反応します。

この技術は、偽造防止印刷やパスポート、通貨、重要書類などに活用されており、
**“見えない印刷”“目に見えない色”**という新たな表現領域を開いています。

つまりここでは、赤外線を「見えるようにする」のではなく、逆に「見えないまま使う」というアプローチが成立しているのです。


🧠 印刷もまた、“視覚の外側”を扱うメディアへ

印刷とは、光をインクに翻訳する技術です。
そして赤外線の登場によって、印刷は“視覚のための技術”から、感覚や情報を媒介するための装置へと進化しました。

色とは、ただ見えるものではなく、
見えない何かを“見えるようにする”ための、最も人間的な手段なのかもしれません。


✅ 第7章|波動説・電磁波理論と赤外線の位置づけ


🌊 光は目に見えるものだけではなかった

赤外線の発見は、人類が「光は目に見えるものだけではない」と気づいた瞬間でした。
ニュートンが白色光を7色に分光し、ヤングとフレネルが波としての性質を証明し、
やがてマクスウェルが光を電磁波として理論化する──そんな流れの中に、この発見は位置づけられます。


🔁 赤外線が示した“波の連続性”

ハーシェルが見つけた赤外線は、赤より外の不可視領域にも光が存在することを示しました。
これは、光が“離散的な色の集まり”ではなく、波として途切れなく広がる存在であることの証拠となりました。
この事実は後に、電磁波の全体像を示す「電磁スペクトル」の概念へとつながっていきます。


🧭 視覚の外を捉えた最初の科学

赤外線は、目には見えなくても確かに存在する光。
その発見は、人類が視覚の外にある世界を初めて科学的に捉えた瞬間でした。
ここから、光学は「見る科学」から「測る科学」へと大きく歩みを進めていきます。


✅ 第8章|なぜこの発見に至ったのか?──“見る”から“測る”への転換点


👁️ 科学は「見ること」から始まった

古代から近代に至るまで、光学の研究は常に「見る」ことを中心に発展してきました。
目に見える現象をどう理解し、どう説明するか──それが光の研究の出発点であり、
色とは、視覚で捉えられる範囲の中で定義されるものでした。

プリズムで分光された虹の帯、干渉で生まれる縞模様、回折による模様の揺らぎ──
すべてが「目に見える証拠」として語られていたのです。


📏 見た目を超えて、「定量的に測る」発想へ

そんな中で、ハーシェルが持ち込んだのは、“見る”から“測る”への発想の転換でした。

彼は色や光を「感じる」ものではなく、**熱という物理量で“数値として捉える”**ことに挑戦したのです。
それは、単なる観察から一歩進んで、光を客観的なデータとして扱うという革命的な態度でもありました。

しかもその測定の対象が、「目には見えない場所」だったことが重要です。
可視光の外側をわざわざ測ってみようという発想そのものが、すでに科学の限界を押し広げていたのです。


🧪 発見は“偶然”ではない──ハーシェルの観察者としての意識

赤の外側に温度計を置いたのは、たまたまではありません。
ハーシェルは光の温度分布を丹念に記録する過程で、「赤の端でもなお温度が高い」ことに気づき、
その外側にも何かあるのではないかと、仮説的に温度計を動かしたのです。

この判断は、観察者としての直感と、実験者としての忍耐の両方があってこそ成立したものでした。

つまり赤外線の発見は、直感でも偶然でもなく、「視覚に依存しない科学」を模索した者による必然の成果だったのです。


⚙️ 科学の姿勢が変わる転換点だった

ハーシェルの発見以降、科学は目に見えない現象も“存在する”ものとして扱うようになっていきます。

  • X線や紫外線、マイクロ波といった“不可視の光”の探究

  • 電波・重力波など、感覚ではとらえられない世界の観測

  • 数値化と可視化を軸とした“センシング科学”の発展

そのすべての原点が、赤外線=見えない光を“測って”発見したという、この出来事だったのです。


✅ 第9章|まとめ:赤外線は“見えない色”という概念の原点だった


🌠 「赤の外」に広がっていた、もうひとつの世界

1800年──ウィリアム・ハーシェルが見つけたのは、「赤の先にある、見えない光」でした。
それは可視光の外側に広がる赤外線。
人の目には見えない、けれど熱として存在し、温度計で測定できる“確かな光”。

この発見によって、**「光とは何か」「色とはどこまでか」**という私たちの常識は静かに揺らぎ始めました。


🎨 色は“目に見えるもの”ではなく“脳で理解するもの”へ

赤外線に“色”はありません。
けれど、私たちはそこに「色を与える」ことで、その情報を理解しようとしました。

NDVIの植生地図における赤と緑、サーモグラフィの赤と青、そして偽造防止印刷に使われる不可視インク。
それらはすべて、**「見えない世界に意味を与えるための“翻訳された色”」**です。

つまり色とは、もはや“視覚の産物”ではなく、
**「理解するための道具」「感じるためのインターフェース」**へと進化してきたのです。


🧠 赤外線は、“見えない色”という思想のはじまり

ハーシェルが発見した赤外線は、科学史上はじめて、
「見えないのに存在する光」「測れるけれど見えない色」の可能性を提示しました。

それは、光のスペクトルが赤から紫のあいだだけではないこと、
そして人間の感覚は、真の物理世界のごく一部しか捉えていないという謙虚な理解へとつながっていきます。


🏁 総括:赤外線が私たちに問いかけたこと

色とは、本当に「目で見るもの」なのか?

それとも、**見えない世界を理解するための“もうひとつの言語”**なのか──

赤外線の発見は、単なる科学的事実ではなく、
「見える世界」と「見えない世界」の境界線を、私たちに静かに示してくれたのでした。


▶次に読みたい記事 光学の歴史⑩-見えない光編② 紫外線とは何か?──ヨハン・ヴィルヘルム・リッターが見た“色の向こう側”


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