Harvard Mark Iとは?ハワード・エイケンが生んだ世界初の実用コンピュータとリレー式計算機の誕生

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このブログはブログシリーズ「コンピュータの思想と誕生」⑧です。

まとめはこちらから▶コンピュータの思想と誕生|Z3・ENIAC・EDVACなど11の起点を比較解説

前の記事はこちらからアタナソフとベリーが開発した世界初の電子計算機ABCとコンピュータ誕生の真実

第0章|導入──第二次世界大戦下、「計算力」が戦いを左右した


1944年、世界はまだ戦争のさなかにありました。
ヨーロッパ戦線も太平洋戦線も激化する中で、軍はある問題に直面していました──

「計算が追いつかない」

砲弾の弾道計算、魚雷の発射角、航空機の航路予測、暗号解析…。
それらはすべて、高度な数学と膨大な試算に基づくもの。
そしてそれまでは、専門家や女性計算者(human computer)たちが手計算で行っていたのです。

しかし、戦況の複雑化と計算量の爆発的増大により、
「計算を自動でこなす装置」の必要性が急速に高まっていきました。

そんな時代に登場したのが、Harvard Mark I(ハーバード・マークワン)

  • 全長約15メートル

  • IBMが製造

  • 穿孔テープで命令を読み込み

  • 数時間〜数日かかる複雑な数式を、わずか数分〜数時間で処理

世界で最初期に、軍の実戦運用に投入された大型自動計算機。
それが Harvard Mark I(ハーバード・マークワン) です。

Z3やABCのように先進的な理論構想を備えていたわけではなく、
ENIACやEDVACのように電子回路による高速化を実現した機械でもありません。

それでもHarvard Mark Iは──
**「計算が戦争の行方を左右する」**という時代において、
実際に軍事任務を支えた初期の計算機として大きな役割を果たしました。

本記事では、
アメリカ海軍とIBMが協力し、ハーバード大学の研究室から生まれた
“実用コンピュータの原点”とも呼ばれるHarvard Mark Iの全貌に迫ります。


第1章|開発者たち──ハワード・エイケンとIBMの協力


🧠 バベッジの夢を現実にした男──ハワード・エイケンとは?

ハワード・エイケン(Howard Hathaway Aiken)は1900年生まれのアメリカ人。
電気工学をバックグラウンドに持ちつつ、後年は理論物理学の研究者としてハーバード大学に在籍していました。

彼が日々取り組んでいたのは、電気回路の解析や非線形微分方程式の解法
その中で直面していた問題は、極めて単純かつ切実でした。

「理論はある。だが、この計算量を人間が処理しきれない。」

あらゆる理論が紙の上で止まり、応用や検証にたどり着かない。
エイケンはそれを、計算の機械化によって解決すべき“技術課題”と捉えました。


📖 バベッジの“幻の計算機”にヒントを得る

ある日、エイケンは19世紀の数学者チャールズ・バベッジが構想した「解析機関(Analytical Engine)」の存在を知ります。
機械式でありながらプログラム制御を前提としたこの装置は、実現こそされなかったものの、現代コンピュータの発想を先取りしていたと言われる存在です。

エイケンはその理念に共鳴し、**“バベッジの夢をリレー回路と現代技術で実現する”**ことを目標に据えました。


▶併せて読みたい記事 チャールズ・バベッジとは?解析機関を構想した“コンピュータの父”の思想と功績


🤝 ハーバード × IBM──アカデミアと産業界の連携

構想だけでは計算機は動きません。
エイケンはプロジェクトを進めるために、アメリカ最大の計算機器メーカーであったIBMに提案書を提出します。

当時のIBMはまだ商業用大型コンピュータには乗り出しておらず、
主力製品はパンチカード式の事務機・統計機器
しかし、この新規性あるプロジェクトにIBM創業者のトーマス・J・ワトソンは強い関心を示し、
「これは技術的チャレンジであり、国家的にも意義がある」として全面協力を即決します。

  • 設計:ハーバード大学(エイケン)

  • 製造:IBM(エンジニア約30名を動員)

  • 設置:ハーバード大学物理学部の計算室

という体制のもと、巨大な計算装置の製作がスタートしました。


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🛠️ Mark I の名前に込められた敬意

エイケンは完成したこの装置を**「Mark I(マークワン)」と名付けます。
これは軍用兵器や試作機において「初号機」を意味する記号であり、同時に
バベッジの“解析機関”の精神を継ぐ装置**としての敬意でもありました。

正式名称は「ASCC(Automatic Sequence Controlled Calculator)」ですが、
「Harvard Mark I」という通称で世界に知られることになります。


🧬 ノイマンとは対照的な哲学

Harvard Mark Iの開発において、エイケンが徹底してこだわったのは次の2点でした:

  1. 命令(プログラム)は外部メディアから読み込むべき(穿孔テープ)

  2. 構造は安定性・信頼性重視(リレー式)であるべき

のちに登場するジョン・フォン・ノイマンは、
これとは真逆の設計思想──**「プログラムもメモリに格納し、動的に制御せよ」**という考えを打ち出します。

両者は思想的に対立するものの、Harvard Mark Iはノイマン型よりも先に完成・実用化され、
**世界初の“実務運用された自動計算機”**として歴史にその名を残しました。


第2章|Harvard Mark Iの技術と構造──“動く巨大数学者”


📏 長さ15m・重さ4.5トン──計算機というより“部屋”

Harvard Mark I(正式名称:ASCC)は、全長15.5メートル、高さ2.4メートル、奥行き0.6メートルという巨大な機械でした。
重量は約4.5トン、パネルは金属フレーム+ガラス張りで、見た目はまるで「動く壁」。

  • 部品点数:約75万点

  • 電気リレー:約3,000個

  • 回転シャフト:10本以上

  • スイッチ:数千個

これらが機械的・電気的に連動して動く様子は、まさに「物理で組まれた脳」そのものでした。


⚙️ リレー式+機械式──ハイブリッド構造の特徴

Harvard Mark Iの内部は、**リレーと歯車が組み合わさった“ハイブリッド構造”**でした。

  • 演算処理:電気リレー(加算・減算など)

  • 制御信号:穿孔テープによる命令列の読み込み

  • 数値の保持・移動:回転シャフト・歯車による物理的伝達

  • 出力:タイプライターまたは穿孔テープに印字

つまり、演算処理は電子機械的に高速化しつつも、
全体の構造は**バベッジの解析機関に通じる“物理計算装置”**の雰囲気を色濃く残していたのです。


📄 穿孔テープによるプログラム制御──Z3に近い“外部命令方式”

Harvard Mark Iでは、命令列(プログラム)を紙の穿孔テープに打ち込み
1行ずつ読み込むことで**命令の順次実行(シーケンシャル制御)**を行っていました。

これは、Z3や初期ENIACと同様に、

「プログラムは外部に保持するべき」

という思想に基づいています。

  • 命令セット数:約50種類(加算・減算・乗除・ループなど)

  • 条件分岐やジャンプは未実装(直列実行のみ)

  • プログラムを変更するには、テープを差し替える必要あり

この点で、プログラム内蔵型(ノイマン型)とは明確に異なる設計でした。


📊 Z3との決定的な違い──“思想”と“構造”の分岐点

Harvard Mark Iは、見た目やリレー構造こそZ3(1941年・ドイツ)と似ていますが、
根本的な設計思想と構造の目的がまったく異なります。

比較項目 Z3(コンラート・ツーゼ) Harvard Mark I(ハワード・エイケン)
開発目的 自動計算の理論実証(研究) 軍の実務計算(実用化)
制御方式 完全リレー式(全電子) 歯車+リレーのハイブリッド
計算方式 二進法(バイナリ) 十進法(デシマル)
プログラム制御 穿孔テープで命令列を自動実行 穿孔テープで命令を外部制御(人が切替)
精度 約22ビット 約23桁(10進)
開発体制 個人研究(ツーゼ単独) 大学・IBM・海軍の国家共同開発

Z3が「理論としての自動計算」を追求したのに対し、
Harvard Mark Iは「人間に代わる実務装置」を目指していました。

ツーゼが目指したのは“思考する機械”、
エイケンが作ったのは“働く機械”。

両者は似た時代に誕生したものの、
Z3=理論の頂点/Mark I=実用の出発点という対をなしていたのです。


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🧮 計算能力と実用性──“人間の月作業を数時間に”

Harvard Mark Iの基本的な性能は次の通り:

項目 内容
加算速度 約0.3秒/回
乗算速度 約6秒/回
有効桁数 約23桁(10進数)
稼働方式 24時間連続運転可能(冷却&自動制御)

当時の人力計算では数日〜数週間かかっていた複雑な弾道計算を、
数時間以内に完了できたという記録が残っています。


🛡️ そして戦場へ──“史上初の軍用自動計算機”として

この装置は、1944年にアメリカ海軍に正式導入され、
実際に第二次世界大戦中の軍事演算(弾道表・爆撃軌道・水中音波処理など)に使用されました。

「コンピュータが人間の代わりに戦争を支えた」
そんな歴史の始まりが、このHarvard Mark Iから始まったのです。


第3章|米海軍での実戦投入と“計算の兵器化”


🪖 軍が本気で求めた「計算力」

1944年──Harvard Mark Iが完成したその年、世界はまだ第二次世界大戦のただ中にありました。
ヨーロッパではノルマンディー上陸作戦、太平洋では空母と潜水艦による海戦が激化。
そのすべての作戦を支えていたのは、**膨大な“計算”**です。

  • 弾道表(砲弾の飛距離と角度)

  • 潜水艦の雷撃角と航跡計算

  • 空母からの航空機出撃に伴う燃料・速度・到達距離の算出

  • 音波の反射距離(ソナー計算)

  • 暗号の解析や復号処理

これらは桁数の多い非線形演算を伴うもので、人力では1件の計算に数日から数週間を要しました。
「精度」「速度」「量」──そのすべてを同時に満たす手段が求められていたのです。


⏱️ Harvard Mark Iの導入で「計算の時間」が一変

Harvard Mark Iは、この課題を大きく前進させました。
リレー式ながらも自動で命令を処理し、弾道表や航跡計算などを人力より数十倍以上高速に実行可能だったのです。

  • 弾道表の作成時間:従来の手計算に比べて大幅に短縮(数日分の計算を数時間で完了)

  • 誤差率:人為的ミスが減少し、安定した反復計算が可能

  • 信頼性:24時間連続運転を前提とした設計で、稼働率が高かった

「人間を“手計算から”解放し、判断と行動に集中させる」。
その思想のもと、Harvard Mark Iは初めて軍の業務装置として実用された自動計算機となりました。


🧾 米海軍との連携と運用体制

Harvard Mark Iはハーバード大学の物理学棟に設置され、米海軍の技術士官や女性計算員たちが交代で運用にあたりました。
穿孔テープに命令を打ち込み、連続して弾道データを印字・出力。
その結果は軍に送られ、作戦計画や兵器設計の基礎データとして活用されたとされています。

つまり、研究機関に設置された装置でありながら、実態としては国家のために稼働する戦時計算センターだったのです。


💥 “計算が兵器となった”最初期のマシン

Z3やABCが「理論や構想」の段階であったのに対し、
Harvard Mark Iは“現場で使うために”作られた装置でした。

その成功をきっかけに、アメリカでは計算機技術が軍事・国家プロジェクトの一環として位置づけられ、
のちのENIAC・EDVAC・マンハッタン計画・NSAによる暗号解析へと続く**「計算と国家」の結びつき**が強化されていきます。

Harvard Mark Iは、まさにその流れの出発点に立っていたのです。


🧩 要約

  • 実際に軍務へ導入された最初期の大型自動計算機。

  • 目的は「戦場の計算を自動化」すること。

  • 研究装置ではなく「国家任務の装置」として機能した。

  • ここから「計算=戦略資源」という認識が確立していった。


第4章|のちのIBM・ノイマンとの接続点──思想の分岐と発展


🏢 IBMの“転機”となったMark I

Harvard Mark Iは、開発を支援したIBMにとっても大きな節目となりました。
1940年代初頭のIBMは、主にパンチカードを用いた集計・統計機器のメーカーであり、科学計算や自動演算を目的とした大型計算機の分野にはまだ本格的に踏み出していませんでした。

しかし、ハーバード大学のエイケン教授との共同開発によって完成したMark Iの成果は、IBMに新しい可能性を示しました。
この経験を通じて、同社は「電気機械式の計算装置」を自社技術として設計・製造できることを実証し、以降、研究開発路線を大きく拡張します。

戦後にはMark II〜IV、そして1952年に登場する**IBM 701(最初の商用科学計算機)**へとつながり、IBMが“オフィス機器メーカー”から“コンピュータメーカー”へ進化する足がかりとなりました。
Mark Iは、IBMの技術史における「研究協力から独自開発への転換点」と位置づけられています。


🧠 ノイマン型との思想的“すれ違い”

Harvard Mark Iは、穿孔テープを用いて命令を与える外部プログラム方式を採用していました。
この構造を重視していたのが、開発者ハワード・エイケンです。

  • 命令はテープに固定される

  • データと命令は別々に管理される

  • プログラム変更は手作業で行う必要がある

一方、1945年以降に登場するジョン・フォン・ノイマンは、これとは異なる考え方を提示しました。
それが、「プログラムもデータも同じメモリに格納する」という方式──のちにノイマン型アーキテクチャと呼ばれる設計思想です。

この方式により、プログラムを柔軟に書き換えたり、自動処理の流れを内部で完結させることが可能になりました。
したがって、Harvard Mark Iとノイマン型計算機は、コンピュータ構造の分岐点に立っていたと言えるでしょう。
両者は直接的な影響関係というよりも、「時期を同じくして異なる発想が並行的に発展した例」として位置づけられています。


👩‍💻 グレース・ホッパーの登場──“ソフトウェア”の萌芽

Harvard Mark Iの運用現場では、後のコンピュータ史に大きな足跡を残す人物が活動していました。
それが、アメリカ海軍少尉として配属された**グレース・ホッパー(Grace Hopper)**です。

彼女はMark Iのプログラム運用チームに参加し、命令の記述・修正、テープ制御の管理などを担当しました。
この経験を通じて、彼女は「プログラミング」という新しい作業領域を体系化していきます。
のちにHopperは、初期の高水準言語COBOLの設計に関わる中心人物となり、現代ソフトウェア開発の礎を築くことになります。

その意味で、Harvard Mark Iは単なるハードウェア装置ではなく、“プログラムを書く”という発想が芽生えた現場でもありました。
この装置の運用体制は、後の「ソフトウェア開発」という分野の原点の一つとされています。


🔁 “過渡期の象徴”としてのMark I

Harvard Mark Iは、Z3やABCのような理論的試作機と、ENIACやEDVACのような電子式コンピュータのあいだに位置する、過渡期の計算機でした。
その存在は、機械式計算から電子計算への橋渡しであり、次のような複数の流れを結びつけています。

  • パンチカードによる業務機器と電子計算機の技術的接続

  • 戦時下の国家プロジェクトによる開発推進

  • 外部制御(テープ)から内蔵制御(メモリ)への思想転換

  • 人間による計算補助から自動化への進化

Harvard Mark Iの実用的成功は、「コンピュータが理論ではなく現実の業務に役立つ」という事実を初めて広く示しました。
この実績があったからこそ、戦後の電子計算機研究は“実験”から“産業”へと移行していったのです。


まとめ:Harvard Mark Iは「現実と未来をつなぐ橋」だった

理論的な先駆者Z3・ABCと、電子式革新ENIAC・EDVACの間に立ちながら、
Harvard Mark Iは「今ここで使える計算機」として機能した最初の実例でした。
それは、研究と産業、戦時と平時、人間と機械──あらゆる領域をつなぐ“中間点”の装置だったのです。


第5章|まとめ──Harvard Mark Iが“最初の実用コンピュータ”である理由


✅ 試作ではない、“実務”に投入された初の計算機

Harvard Mark Iは、それまでのZ3やABCとは性格が大きく異なっていました。
それは──

「研究室での実験装置」ではなく、
現場の業務に実際に用いられた計算機」だったという点です。

装置が動作したという事実だけでなく、
**“日常的な任務に活用された”**という実績こそが、Mark Iを特別な存在にしています。

当時、Harvard Mark Iは米海軍の依頼により弾道表の作成や航法計算を担当し、
長時間の連続稼働によって、人手による膨大な計算作業を支援しました。
一部の計算では、従来数週間を要した処理を数時間程度で完了させたと記録されています。

このように、Harvard Mark Iは単なる研究試作機ではなく、
**「社会的な任務を実際に担った初期の計算機」**として、歴史に確かな足跡を残したのです。


✅ ノイマン型ではない、けれど“現代”に繋がっている

Harvard Mark Iは、いわゆるノイマン型アーキテクチャではありません。
命令は穿孔テープで読み込み、演算処理も電気リレーによるものでした。

それでも──

  • 命令とデータを分けて処理

  • 自律的に動作し続けるループ制御

  • 入出力を含む一連の操作が自動化されている

という点で、現代コンピュータのプロトタイプとして十分に認められる構造を持っていたのです。


✅ コンピュータ=実用の道具、という“最初の定義”

Harvard Mark Iが登場する以前、
「コンピュータ」という言葉は人間の“計算者(computer)”を指す言葉でした。

Mark Iが常時稼働し、人間の代わりに数字を処理するようになってから、
“コンピュータ”という言葉は「人間ではない存在」へと移り変わっていきます。

つまりこの装置は、単にハードウェア的な転換点であるだけでなく、
言葉の意味・職業のあり方・知的労働の定義すら変えた存在なのです。


🧠「使えるコンピュータ」という現実のはじまり

Z3が「思想」、ABCが「技術」、ENIACが「力」を示したとすれば、
Harvard Mark Iはまさに**「はたらく頭脳」**──
“使われるために生まれた”最初期のコンピュータでした。

それは、研究室の実験を越えて、
社会の中で現実に役立つ計算をこなした初めての機械。
人の知恵と技術が結びつき、計算機が**「働く存在」**として歩み始めた瞬間です。

Harvard Mark Iが示したのは、
「コンピュータは動くだけの装置ではなく、
社会の課題を解く“道具”になり得る」という現実でした。

ここから、現代へと続く“使えるコンピュータ”の物語が始まったのです。


▶次に読みたい記事 「コンピュータの思想と誕生」⑨ョン・フォン・ノイマンとは?ノイマン型アーキテクチャと現代コンピュータの原型を解説


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