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第0章|導入──五泉市とは?
水と土が育んだ町
新潟県のほぼ中央に位置する五泉市は、阿賀野川と早出川に抱かれた扇状地に広がっています。川から染み出す豊富な地下水と肥沃な土壌は、古くから人々の暮らしを支え、農業や繊維産業の基盤となってきました。雪どけ水が流れ込む春、清らかな水音とともに始まる田植えや染色の風景は、五泉らしい四季のリズムを今も感じさせてくれます。
花が彩る「五泉」の四季
五泉を歩けば、季節ごとに咲き誇る花々に出会います。市の花である牡丹は、東公園に整備された「ぼたん百種展示園」で毎年見事な花を咲かせ、5月には120品種・5,000株以上が一斉に開花します。さらに春のチューリップも町の顔。巣本地区の花畑やラポルテ五泉の回廊では色とりどりの花が風に揺れ、人々の心を和ませます。
「ものづくりの町」としての顔
もう一つの五泉の顔は、国内有数のニット産地としての歴史です。江戸時代には絹織物の産地として発展し、その技術と水資源を背景に戦後はニット産業へと歩みを進めました。染色から縫製まで一貫した生産体制を備え、いまや「日本一のニットの町」と呼ばれるほどの存在感を放っています。
自然と産業が溶け合う町
花と水が暮らしを潤し、ものづくりが人々の誇りを形にする──五泉市は、自然と産業が調和しながら歩んできた町です。ここには、日々の暮らしのなかに息づく職人の技と、四季折々に広がる景観があり、それらが一体となって「五泉らしさ」を育んできました。
第1章|五泉ニットの誕生と発展
導入—暮らしと技術が育んだ「ものづくりの町」
新潟県下越地方の田園地帯、阿賀野川と早出川に育まれた五泉市は、江戸時代中期、天明期(1781年頃)に袴用白生地「五泉平(ごせんひら)」の生産で名を馳せました。織物産業は丹後や長浜と並ぶ日本三大白生地の一角とされ、濃密な織りと光沢を生み出す独自技法「濡れ緯(ぬれよこ)」も発達しました。
ニット産業への転換—戦後の大きなうねり
戦後のライフスタイルの変化を受けて、五泉は織物からニット(メリヤス)への産業転換を果たしました。この変化により、首都圏との交通網が整った昭和期に、五泉は「日本一のニット産地」として確固たる地位を確立します。
なぜ五泉で?—恵まれた風土と技術の融合
五泉のニット産業が支えられてきた背景には、豊かな水資源と地形、そして高湿度の気候という好条件があります。これらは養蚕を育み、織物・ニットの品質を高める基盤となりました。
さらに市内には、染色・編み立て・仕上げまでを担う多彩な工場が連携しており、ワンストップの生産体制が可能な点も強みです。他地域では困難とされる細糸の編み立てや異素材との組み合わせを得意とする技術力に、デザイナーからの高い信頼が寄せられています。
「婦人用ニット」の生産高日本一
五泉市は特に「婦人用ニット」の生産額で全国トップに位置し、見附市などと並んで、新潟を代表するニット産地として知られています。
組合とブランド化—地域産業を守る仕組み
産業の持続性を支えるのが「五泉ニット組合」です。厳しい品質基準を満たす製品には「五泉ニットタグ」が付与され、高品質と信頼性の証となっています。
さらに産業規模の縮小やアパレル市場の変化に対応して、地域全体でブランド化を推進しています。SDGsを意識した製品開発や「ニットフェス」などを通じた体験型イベント、若手職人の育成にも積極的に取り組んでいます。
第2章|世界に誇る五泉ニットの品質
手に取ればわかる「五泉品質」
五泉ニットが全国、そして海外からも注目される理由は、その仕上がりを手に取った瞬間に伝わります。糸の一本一本がきめ細かく編み込まれ、肌に触れると驚くほどやわらかく、同時に型くずれしにくい強さを備えているのです。この相反する特徴を両立できるのは、五泉に根づく職人の確かな技術があるからにほかなりません。
世界を魅了するハイゲージ技術
五泉は「ハイゲージ」と呼ばれる細かい編み目のニットを得意としています。極細の糸を使い、目の詰んだ編み地をつくるこの技法は、着心地の軽やかさと上品な光沢を生み出します。繊細な作業であるため、高度な機械操作と熟練の勘が求められ、他の産地ではなかなか実現できないといわれています。ハイブランドが五泉産のニットを採用する背景には、こうした「見えない技術の積み重ね」があります。
異素材との融合が生む新しい表現
五泉ニットの特徴は、ただ品質が高いだけではありません。シルクやカシミヤといった高級素材はもちろん、和紙やポリエステルといった異素材との組み合わせにも積極的です。異なる特性を持つ素材をうまく掛け合わせることで、軽さ・強度・デザイン性を兼ね備えた新しいニットが次々と生み出されています。これもまた、職人たちの探究心と確かな技術力が支えている部分です。
「メイド・イン五泉」の信頼
こうした品質の高さを裏づけるのが、地域全体で守り続ける基準です。五泉ニット工業協同組合では厳しい検査を設け、基準を満たした製品だけが「五泉ニットタグ」を付けられます。このタグは、消費者にとって「安心のしるし」であり、産地としての誇りでもあります。
世界へ広がる五泉ブランド
いまや五泉ニットは国内市場にとどまらず、ヨーロッパをはじめとする海外のファッションシーンでも認められています。海外ブランドがこぞって五泉の工場に発注するのは、安価な大量生産品では得られない「品質と信頼」を求めてのこと。五泉という地名そのものが、一種のブランドとして世界で通用しているのです。
第3章|地域経済と産業の仕組み
一つの町がまるごと工場
五泉市のニット産業を語るときによく使われるのが、「町全体が一つの工場のようだ」という表現です。市内には編み立て、染色、縫製、仕上げといった工程を担う大小さまざまな工場が点在し、それぞれが得意分野を生かして互いに連携してきました。こうした分業と協力のネットワークがあるからこそ、複雑なデザインや短納期の注文にも対応でき、国内外のブランドから信頼を得る産地へと成長したのです。
産元卸が築いた仕組み
昭和30年代から60年代にかけて、五泉の産業を支えたのが「産元卸(さんもとうけ)」と呼ばれる存在でした。彼らがデザインや販売ルートを担い、工場が生産に専念するという役割分担が確立され、効率よく大量のニットを市場に送り出すことが可能になりました。東京や大阪の百貨店に並んだ五泉ニットの多くは、この仕組みの中から生まれていたのです。
暮らしと結びついた産業
最盛期の五泉では数百もの工場が稼働し、町の多くの家庭が何らかの形でニットに関わっていました。主婦が自宅に編み機を置いて内職をする光景も当たり前で、産業はまさに暮らしの一部でした。現在では当時の規模は失われつつあるものの、ニットは今も五泉を象徴する産業であり、地域を語る上で欠かせない存在です。
技術と経済を両輪に
五泉の強みは、単なる分業制にとどまりません。ある工場は編みの精密さを極め、別の工場は染色技術を磨く――その積み重ねが相互に補完し合い、一社だけでは到底できない製品を生み出してきました。経済と技術が互いを支え合いながら回り続ける。これこそが五泉ニットを特徴づける力であり、今なお産地の誇りとして受け継がれています。
第4章|自然とともにある暮らし
水が支える産業と暮らし
五泉市を流れる阿賀野川と早出川は、古くから人々の暮らしを潤し、ものづくりの基盤を支えてきました。豊富な水は農業の稲作を育み、同時にニット産業に欠かせない染色工程にも利用されてきました。五泉の人々にとって水はただの資源ではなく、生活と産業をつなぐ命綱のような存在なのです。
花が彩る四季
「花のまち」と呼ばれる五泉では、季節ごとに違う彩りが町を包みます。春には巣本地区のチューリップ畑が広がり、色とりどりの花々が風に揺れます。初夏からは東公園で牡丹が咲き誇り、全国から愛好家が訪れます。花は観光資源であると同時に、地元の人々にとって暮らしの一部であり、季節の移ろいを教えてくれる存在です。
山と畑が育む食文化
五泉の食文化を語るうえで欠かせないのが里芋です。特に「帛乙女(きぬおとめ)」の名で知られる五泉産の里芋は、白くなめらかな肌とねっとりした食感が特徴で、煮物や郷土料理「のっぺ」に欠かせない食材として親しまれています。冬になると贈答用にも選ばれるほど人気を集め、五泉の暮らしを象徴する味覚となっています。
さらに扇状地の肥沃な土壌は米や野菜づくりにも適しており、春の山菜、秋のきのこなど、四季折々の恵みが食卓を豊かに彩ります。
自然と産業が調和する町
水、花、農作物――五泉の自然は人々の暮らしを豊かにするだけでなく、産業や文化とも深く結びついています。ニット産業は清流を利用し、花や農作物は観光や地域ブランドを形づくる。自然と産業が互いに寄り添うこのバランスこそが、五泉市の独自性であり、他にはない「五泉らしさ」といえるでしょう。
第5章|文化の継承と発信
町ぐるみで守られる技術
五泉のニット産業は、単なる工場の集まりではありません。そこに暮らす人々が「自分たちの文化」として誇りを持ち、守り続けてきた営みです。長い歴史を持つ工場では親子三代にわたり技術が受け継がれ、手触りや色合いといった微妙な感覚は言葉では説明できない「身体の記憶」として次世代へと伝わっています。
ブランド化への挑戦
近年は産地全体で「五泉ニット」というブランドを確立する動きが強まっています。品質を保証するための「五泉ニットタグ」が導入され、一定の基準を満たした製品だけがこの証を付けることができます。それは消費者にとって安心のしるしであり、産地にとっては誇りを象徴するものです。
体験と発信の場「Gosen Knit Fes」
こうした取り組みを広げるために生まれたのが「Gosen Knit Fes」です。工場見学や編み機体験、地元ブランドの展示販売などを通して、訪れた人に五泉の技術と魅力を体感してもらう場になっています。ニットという産業を地域文化へと開き、観光と結びつけて発信する工夫は、多くの来場者を惹きつけています。
若手が担う未来
伝統の重みを背負いながらも、五泉の工場では若手職人や新世代の経営者が登場しています。SDGsを意識した新素材の活用や、デザイン性を前面に出した商品開発など、新しい挑戦が始まっています。守るべきものと変えるべきもの、その両方を見据えながら、五泉は未来へ歩みを進めています。
第6章|まとめ──ものづくりの町・五泉の誇り
歴史が紡いだ産地の記憶
江戸時代の絹織物から始まり、戦後にはニット産業へと転じた五泉。そこには「水と土に恵まれた土地が育んだ技術」と「人々の手仕事を大切にする気質」が重なり合ってきました。まちの風景や暮らしのなかに、ものづくりの記憶は今も息づいています。
五泉ニットというブランド
最盛期ほどの規模はなくなったものの、五泉ニットは今も「産地の名」を冠したブランドとして確かな存在感を放っています。高精度な編み立て、繊細な染色、異素材の融合――五泉ならではの技術は、国内外のアパレルから信頼を得続けています。数が減っても、その品質は揺るぎません。
自然と産業が溶け合う町
阿賀野川の清流や扇状地の豊かな土壌は、農業と産業の両方を育んできました。チューリップや牡丹の花々、里芋に代表される食文化、そしてニットという産業。自然と人の営みが織り合わさる五泉の暮らしは、どこか「布を編む作業」に似ています。一本の糸が互いに絡み合い、しなやかな形をつくっていくように。
未来へとつながる誇り
五泉の人々にとって、ニットは単なる商品ではなく、町そのものを語る言葉です。大きな産業としての役割は変わりつつあっても、「五泉=ものづくりの町」というアイデンティティは揺らぐことがありません。技術を伝える手、自然を慈しむ暮らし、そしてそれを誇りとして未来へ受け渡そうとする姿勢。五泉はこれからも、その糸を切らすことなく編み続けていくでしょう。
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