EDVACとは?ノイマン型アーキテクチャを初めて実装したコンピュータの原点を解説

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このブログはブログシリーズ「コンピュータの思想と誕生」⑪です。

まとめはこちらから▶コンピュータの思想と誕生|Z3・ENIAC・EDVACなど11の起点を比較解説

前の記事はこちらから▶⑩ENIACとは?世界初の電子式コンピュータとノイマン型以前の原点を解説


第0章|導入──「今のパソコンの中身」は、このマシンで始まった


💡 ENIACの先に、“次の発想”があった

世界初の電子式汎用コンピュータとして知られるENIAC(エニアック)は、1946年に稼働を開始しました。
真空管によって電気的に計算を行うその仕組みは、当時の人々に「電子頭脳」と呼ばれるほどの衝撃を与えます。

しかし──
ENIACには、のちの時代から見ると根本的な制約がありました。

  • プログラムを変更するには、ケーブルを抜き差しし、スイッチを手動で切り替える必要がある

  • 命令とデータを、別々の回路に物理的に組み込まなければならない

高速な計算は可能でも、柔軟な制御はできなかったのです。
つまりENIACは「速い計算機」ではあっても、まだ「考える機械」ではありませんでした。


🔁 「命令もデータも、記憶できる装置を」──新しい発想の誕生

この限界を超えるために登場したのが、次世代の構想です。

  • 命令もデータも、同じ記憶装置に格納する

  • 回路ではなく、記憶の中の命令列を読み出して制御する

  • 条件分岐や繰り返し(ループ)を、命令として実行できるようにする

この新しい考え方を理論化したのが、数学者**ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)**でした。
そして、この設計思想をもとに実際に開発されたのが──
**EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)**です。


💻 EDVAC──「構想を実機にした最初のマシン」

Z3(1941)は実験的な機体、
ABC(1942)は特定用途向けの試作機、
ENIAC(1946)は高速ながら配線制御が複雑。

それらに対し、1949年に動作を開始したEDVACは、
人間が理論として描いた**「記憶に命令を格納する構造」**を初めて実装した装置のひとつでした。

  • 命令とデータを同じ記憶装置(水銀遅延線メモリ)に格納

  • 命令列に従い、処理を順番に自動実行

  • 条件分岐やジャンプ命令に対応

  • 機械的な切り替えではなく、**“記憶を読みながら行動を変える”**構造

すなわちEDVACは、論理的には現代のパソコンやスマートフォンと同じ構成原理を備えた最初期のコンピュータだったのです。


📘 この記事でわかること

このブログでは、以下のテーマをわかりやすく解説していきます。

  • EDVACの誕生背景と、「ノイマン型アーキテクチャ」とは何か

  • ENIACとの違い、そしてその違いがなぜ重要だったのか

  • 実際の構造・メモリ・制御方式の革新性

  • 「EDVAC以降、コンピュータが“構造をコピーされる存在”になった」という意味

  • ノイマン、モークリー、エッカート──3人の思想的分岐点

  • そして、EDVACがなぜ**「現代コンピュータの原点」**と呼ばれるのか

EDVACの物語は、単なる機械の進化ではなく、
“思考の仕組み”をどのようにして機械に写し取ったか──その始まりの物語です。


第1章|EDVACとは何か?──名前と開発背景


🔠 名前の意味:EDVAC = 記憶するマシン

EDVAC(エドバック)とは、正式名称で
Electronic Discrete Variable Automatic Computer
(電子式・離散変数・自動計算機)を意味します。

一見難しそうですが、言葉を分けてみると意外にシンプルです。

単語 意味
Electronic 真空管を用いた“電子式”の計算機
Discrete Variable 0と1のような“離散値”を扱う(アナログではなくデジタル)
Automatic Computer 命令に従って自動的に計算を行う装置

つまりEDVACとは、
「電子の力で、0と1の情報を記憶し、自動で計算を行うデジタル計算機」
という意味をもつ名称なのです。


🧠 設計したのはENIACチーム、思想を与えたのはノイマン

EDVACの開発は、ENIACを手がけた**ジョン・モークリー(John W. Mauchly)**と
**J・プレスパー・エッカート(J. Presper Eckert)**のチームによって始まりました。

その途中から、天才数学者**ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)**が理論面で関与します。
彼はENIACの“再配線しなければ命令を変えられない”という構造的な限界を見て、
次のような画期的提案を行いました。

「命令もデータも、同じ記憶装置に格納すればよい」
「回路を切り替えるのではなく、メモリから命令を順に読み出す仕組みにしよう」

これが、のちに**「ノイマン型アーキテクチャ(stored-program concept)」と呼ばれる考え方です。
つまりノイマンは、
“ハードウェアではなくメモリの中で制御を完結させる”**という発想を提示したのです。


🏛️ 設計は1945年、完成は1949年──戦後に芽吹いた静かな革命

ノイマンが「EDVAC設計草案(First Draft of a Report on the EDVAC)」をまとめたのは1945年春
しかし、実際にEDVACが稼働したのは1949年に入ってからのことでした。

その間には、いくつもの壁がありました。

  • 第二次世界大戦終結に伴う予算削減

  • 設計の複雑化と試験遅延

  • チーム内の意見対立(ノイマン vs モークリー&エッカート)

  • 製造・資金調達・メモリ技術の開発に要した時間

結果としてEDVACは商用化されることなく、ペンシルベニア大学の研究用として静かに稼働を始めます。
しかしこの装置が、のちのすべてのコンピュータ設計の原型となるとは、当時の誰も確信していませんでした。


📌 ここがポイント:「EDVACは“ノイマン型を実現した初期の成功例”だった」

EDVACは、「ノイマン型アーキテクチャ」を理論として示し、
それを実際の機械構造に近い形で実装した最初期の試みでした。

要素 担当・意義
設計思想 ジョン・フォン・ノイマン(stored-program構想)
実装チーム モークリー&エッカート(ENIACチーム)
技術革新 命令とデータの“記憶統合”、水銀遅延線メモリの採用

これにより、コンピュータは次の基本構成を明確に持つようになります。

  • メモリ(命令とデータを格納)

  • 命令列(順序制御)

  • 制御装置(CU)(命令を読み出して実行)

  • 汎用性(プログラムを変えるだけで別の処理が可能)

EDVACは、それらを**理論・構造の両面で形にした“現代コンピュータの雛形”**といえる存在でした。


第2章|ノイマン型アーキテクチャが“動いた”初期の実例


📐 ノイマン型とは?──プログラムを“記憶する”発想

ノイマン型アーキテクチャとは、数学者ジョン・フォン・ノイマンが1945年に示した
「プログラム内蔵方式(stored-program concept)」を備えるコンピュータ構造のことです。

その基本原理は、次の3点に整理されます。

  1. 命令(プログラム)とデータを、同じメモリに格納する

  2. 演算装置・記憶装置・制御装置を明確に分離する

  3. 命令を順番に読み出して自動的に実行できる構造を持つ

この考え方が「ノイマン型」として定着し、のちのほぼすべてのコンピュータ設計の基礎となりました。


▶併せて読みたい記事 ジョン・フォン・ノイマンとは?ノイマン型アーキテクチャと現代コンピュータの原型を解説


💻 EDVAC──理論が“実際に動いた”最初期のマシン

1949年に動作を開始したEDVACは、このノイマン型アーキテクチャをほぼ完全な形で実装した初期の装置でした。
理論としてのノイマン構想を、具体的な電子回路に置き換えた点にその意義があります。

要素 EDVACでの実装内容
命令とデータの格納 同一メモリに保存(stored-program)
制御装置 命令列を順番に読み出し、自動で制御
演算装置 加減算・条件分岐などの基本演算が可能
記憶装置 水銀遅延線メモリ(詳細は後述)
入力装置 パンチテープ
出力装置 プリンタやランプ表示パネルなど

この構造によって、EDVACは**“記憶された命令に基づいて行動する電子計算機”**となりました。


🧠 命令を記憶する──自己制御する機械の誕生

ENIACでは、プログラムを変更するたびにケーブルを差し替え、
物理的に配線を組み直す必要がありました。

一方EDVACでは、プログラム(命令列)がメモリ内に格納され、
CPUはその命令を順に読み出して自動実行します。
条件分岐やループも可能になり、**機械自身が命令を“読み替えながら動く”**構造が実現したのです。

この仕組みは、のちに「ソフトウェアによる制御」という概念へ発展します。
つまりEDVACは、“プログラムを記憶する”という思想を電子的に証明した機械といえるでしょう。


🔊 水銀遅延線メモリ──音の“時間差”で記憶する仕組み

EDVACで使われた記憶装置は、今日のRAMやSSDとはまったく異なるものでした。
それが**水銀遅延線メモリ(mercury delay line memory)**です。

  • 情報を電気信号から音波に変換して水銀の中に送る

  • 音波が水銀を通過する時間(遅延)を利用してデータを保持

  • 音波が端まで届くと電気信号に戻し、再び送信──これを循環させて記憶を維持

つまり、時間の流れそのものを“記憶の器”として使うという、きわめて独創的な方式でした。
容量や速度には制約がありましたが、プログラムもデータも一体的に保存できる点で画期的な技術でした。


📌 ブレークスルー:「行動する回路」から「記憶する構造」へ

ENIACでは「命令を機械で作る」=物理制御、
EDVACでは「命令を記憶に保存する」=論理制御。

この転換によって、コンピュータは単なる“高速計算装置”から、
**記憶・判断・再実行が可能な“論理構造体”**へと進化しました。

それは単なる技術的改良ではなく、
「コンピュータが思考のプロセスを模倣できる」という、
現代情報科学の礎を築いた瞬間だったのです。


第3章|ENIACとの違い──“物理配線”から“記憶制御”へ


🔌 ENIACは“配線で命令を作る”マシンだった

1946年に誕生した**ENIAC(エニアック)**は、世界初の電子式汎用計算機のひとつとして知られています。
ただし、その命令の制御方法は現在の感覚から見るときわめて“物理的”でした。

  • 処理内容を変えるたびに、配線盤を手作業で再配線する必要があった

  • 条件分岐やループ処理は、構造上ほとんど実装できなかった

  • プログラミングとは、「コードを書く」というよりも「工具で命令を組む」作業だった

この方式では、運用に熟練した人員が常に必要であり、
柔軟な制御や再利用には限界がありました。
つまりENIACは、**“人間の手で制御する電子計算機”**だったのです。


💻 EDVACは“命令を記憶して読み取る”マシンへ進化

その後に開発された**EDVAC(エドバック)**では、
ノイマン型アーキテクチャ(stored-program concept)を採用したことで、
コンピュータの構造そのものが一変しました。

  • 命令もデータも同じメモリに格納(stored program)

  • プログラムを紙テープなどから読み込み、自動で実行

  • 条件に応じてジャンプやループを行う制御が可能

  • ハードウェアを変更せず、ソフトウェアの内容を変えるだけで挙動を切り替え可能

つまりEDVACでは、「機械を動かす命令」自体を機械が“記憶”できるようになったのです。
これにより、ENIACのように人が配線を組み替える必要がなくなり、
コンピュータは“コードで動く存在”へと進化しました。


📊 ENIACとEDVACの構造比較チャート

項目 ENIAC EDVAC
命令の格納方法 再配線による物理制御 メモリ内に格納(stored program)
命令とデータの扱い 分離(別々の経路) 統合(同一メモリ空間)
プログラムの変更 手作業で数日を要する ソフトウェア的に即座に変更可能
条件分岐・ジャンプ 基本的に非対応(後付機構あり) 標準で対応
メモリ構造 累算器(演算装置を兼用) 水銀遅延線メモリ
処理の柔軟性 低い(定型処理に特化) 高い(汎用処理に対応)
アーキテクチャ分類 非ノイマン型 ノイマン型

この比較から分かるように、EDVACでは命令とデータが同じ空間で扱われることにより、
プログラムの制御が論理的に整理され、再現性や拡張性が大幅に向上しました。


🧠 進化の本質=「回路」から「構造」へ

ENIACが重視していたのは、“どう配線すれば動作するか”という回路的思考
一方、EDVACが示したのは、“どう論理を構成すれば動作が導かれるか”という構造的思考でした。

この転換こそが、
**「コンピュータが“構造(ロジック)”で動く時代」**への大きな一歩でした。

もはや、電線を繋ぎ替えるのではなく、命令を組み替えることで行動を変えられる。
この発想の変化が、のちのプログラミング概念を生む土台となりました。


🚀 EDVAC以降のコンピュータが受け継いだ構造

その後登場するほとんどのコンピュータ──
たとえばパーソナルコンピュータ、スマートフォン、クラウドサーバなど──は、
このEDVACが採用したノイマン型アーキテクチャを基本構造として受け継いでいます。

ただし、AI専用チップや量子コンピュータなどの一部では、
この枠組みを超えた新しい設計も生まれています。

それでも、**「命令とデータを記憶し、順次処理する」**という発想は、
今日のデジタル計算機の根底に今も息づいています。


📌 まとめ:EDVACが切り拓いた新しい思考様式

ENIACは「人が操作する計算機」だったのに対し、
EDVACは「自ら記憶し、論理に従って動く計算機」でした。

この違いは単なる技術の進化ではなく、
“思考を論理構造として実行する”という新しい知的枠組みの誕生を意味していました。

EDVACは、現代のプログラミング思想と計算機構造を同時に形づくった、
歴史的な転換点といえるのです。


第4章|なぜ普及しなかったのか?──EDVACの運命と分岐点


🕰 設計は1945年、でも稼働は1949年──間に合わなかった革命

**EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)**の設計は、1945年に始まりました。
これはENIACが正式完成を迎える前の段階で、すでに次世代構想として進められていたものです。

しかし、実際に稼働したのは──4年後の1949年

この設計と稼働のあいだに生じた時間差が、EDVACを“過渡期の機械”にしてしまいました。
開発が遅れた理由はいくつもあります。

  • 戦後の予算削減により研究資金が不足した

  • 設計の複雑化と実装試験の長期化

  • 開発チーム内での意見対立と人員の分散

  • 技術進化の速度に、プロジェクトが追いつけなかった

1940年代後半は、電子工学が急速に進化した時代。
EDVACは構想としては革新的でしたが、実用段階に至るころには、すでに次の波が来ていたのです。


🔁 チームの分裂と、“ふたつのノイマン型”

EDVAC開発の遅れには、ENIACチーム内部の分裂も大きく影響しました。

1945年、ジョン・フォン・ノイマンは「EDVAC設計草案(First Draft of a Report on the EDVAC)」を執筆。
しかしその草案は、ノイマン個人名義で公表されました。

これに対し、ENIACの開発者である**ジョン・W・モークリー(John W. Mauchly)**と
**J・プレスパー・エッカート(J. Presper Eckert)**は強く反発します。
「チームの成果を一人で発表された」と感じた彼らは、ノイマンと決別し、プロジェクトを離脱しました。

  • モークリー&エッカート → **UNIVAC(商用コンピュータ)**の開発へ

  • ノイマン → **IASマシン(プリンストン高等研究所)**の開発へ

こうして、EDVACは理論的には“ノイマン構造の原点”でありながら、
実際の歴史では“分岐点”となったのです。


📉 商用化されなかった理由

EDVACは、稼働こそ成功したものの、商業的には展開されませんでした。
その理由は明確です。

  • 稼働時には、すでにUNIVACIBM 701といった商用機が開発段階にあった

  • 水銀遅延線メモリなど、当時としては扱いが難しい部品を多用していた

  • プロトタイプ的性格が強く、量産・保守の体制を構築できなかった

  • 関係者の主要メンバーがそれぞれ独自の開発路線へ進んだ

つまりEDVACは、研究用の実験機としての価値は高かったものの、
製品としての完成度には到達しなかったのです。


🧩 それでも残ったのは、構造そのもの

EDVACは商業的な成功を収めなかった一方で、
その設計思想と論理構造は世界中の研究機関に共有されました。

ノイマンの草案(First Draft)は公開文書として配布され、
多くの技術者がその内容を基に独自のコンピュータ設計を進めます。

  • イギリスのEDSAC(1949)

  • アメリカのIASマシン(1951)

  • 商用機としてのUNIVAC I(1951)

  • IBMの701シリーズ(1952)

いずれもEDVACの設計原理を参照しながら構築され、
ノイマン型アーキテクチャは事実上の世界標準となっていきました。

EDVACの本体は運用を終えたものの、
その“論理DNA”は後世のコンピュータに確実に引き継がれたのです。


📌 EDVACの本質=「普及しなかったけれど、構造で勝った」

EDVACは、市場に登場したわけでも、大量に生産されたわけでもありません。
それでも、その設計構造は世界中の計算機の共通基盤となりました。

言い換えれば──

製品としては埋もれたが、構造としては生き続けた機械。
触れられなかったのに、模倣されたコンピュータ。

それがEDVACの真の姿でした。

商業的成功とは別のかたちで、EDVACは歴史の中で最も静かに、最も深く勝利したマシンと言えるのです。


第5章|思想が形になった──“設計図どおりに動いた最初の脳”


✍️ ノイマンは、「コンピュータの設計図」を描いた

1945年、数学者**ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)**は、
一つの文書を執筆しました。

それが──
**“First Draft of a Report on the EDVAC”(EDVAC設計草案)**です。

この草案には、当時まだ実現していなかった新しい概念が示されていました。

「命令(プログラム)とデータを同じメモリに格納し、順に実行するコンピュータ」

いま私たちが日常的に使うパソコンやスマートフォンの基本構造──
いわば**“コンピュータの脳の設計図”**が、ここで初めて明文化されたのです。


🧠 EDVAC=設計思想が“現実になった”最初のマシン

ノイマンの草案を受け、ENIACを開発したチーム(モークリーとエッカートのグループ)は、
その理論を実際の装置として形にしようとしました。

その成果が、**EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)**です。

ENIAC以前の計算機──Z3、ABC、ENIACなど──はいずれも画期的でしたが、
**設計思想と動作構造が一致した「記憶型プログラム方式の実機」**として完成したのはEDVACが最初期の例でした。

  • ノイマンが提唱した論理構造

  • ENIACチームの実装技術

  • 設計と動作が一体化したアーキテクチャ

これらが初めて融合したことで、
**「論理によって制御される電子装置」**が、ついに現実のものとなりました。


🔁 マシンが“論理どおりに動く”という驚き

EDVACがもたらした革新は、「命令そのものを機械が理解して実行できる」という点にありました。

  • 命令を変更することで、動作内容を自在に切り替えられる

  • プログラムの中で条件分岐(if)や繰り返し処理(loop)が可能

  • 処理の流れが、すべて論理構造として定義できる

この仕組みによって、人間の思考手順──つまり**「論理の流れ」**を、
電子的に再現できる時代が始まったのです。

それは比喩的に言えば、人類が初めて“思考の構造”を機械に宿らせた瞬間でした。


🚀 スマホもAIも、この原理の延長線上にある

EDVACが確立した「ノイマン型アーキテクチャ」は、
のちのコンピュータ開発における基本設計の出発点となりました。

現代のあらゆるデジタル機器──

  • ノートパソコン

  • スマートフォン

  • クラウドサーバ

  • AIプロセッサ

  • 自動運転システム

これらの内部構造も、基本的にはEDVACの思想を受け継いでいます。

命令とデータを同じメモリに格納し、
演算装置が逐次的にそれを処理する──
この構造は70年以上経った今も、多くのコンピュータで使われ続けています。

一方で、AI専用チップや量子計算機などでは、
“ノイマンボトルネック”を克服する新しい構造も生まれつつあります。
それでも、EDVACの考え方が情報処理の原点であることは変わりません。


📌 EDVACの本質=「使われなくても、未来を動かした機械」

EDVACは一般市場には登場せず、限られた研究者だけが扱った実験機でした。
しかしその設計思想は、論文として世界中に共有され、
多くの研究者や企業がその構造を参考に次の世代のコンピュータを生み出しました。

触れられる人は少なかった。
けれど、その考え方に影響を受けた人は無数にいた。

EDVACは、**「最初期の現代型コンピュータ」**であり、
**「使われなかったからこそ、普遍化した設計」**でもありました。

目に見える形ではなく、構造そのものが未来を動かしたマシン──
それが、EDVACの真の功績なのです。


🧩 第6章|EDVACの“子孫たち”──IASマシン、UNIVAC、IBM


🌱 EDVACそのものは終わった──でも“構造”は生き続けた

EDVACは商用化されず、知名度も高くありません。
しかしその設計思想は、その後のあらゆるコンピュータにコピーされていきました。

ノイマンも、モークリー&エッカートも、EDVACという原型を起点に新しい時代を切り開いていきます。


🧠 ノイマンの後継機:IASマシン(1951年)

ノイマンは、プリンストン高等研究所にてEDVACの思想を完成形に近づけたマシンを開発します。

IASマシン(Institute for Advanced Study computer)

  • 完全なノイマン型アーキテクチャ

  • RAMを搭載し、より高速・汎用的な処理が可能

  • 命令・データを区別せずに管理できるシステム構造

IASマシンは直接市場には出ませんでしたが、その設計図は──

世界中の大学・企業・軍によってコピーされ、「クローン」が無数に製造されました。


🏢 モークリー&エッカートの道:UNIVACへ

一方でENIACチームのモークリーとエッカートは、EDVACから離れ、
**世界初の商用コンピュータ「UNIVAC(Universal Automatic Computer)」**を開発します。

  • 完成は1951年(IASマシンと同年)

  • 商用販売され、アメリカ国勢調査や企業で利用

  • ノイマン型構造をベースに、業務用に特化

UNIVACは、「実用的なコンピュータとは何か?」を定義したマシンでもあり、
その中核にもEDVACの設計が生きていました。


🧱 IBMが世界標準に──“ノイマン型=コンピュータ”の完成

1950年代後半になると、IBM社がコンピュータ産業の覇権を握るようになります。

  • IBM 701、702、650など、次々と商用機をリリース

  • いずれもノイマン型アーキテクチャに基づく構造

  • ソフトウェアによるプログラミング、メモリ制御、入出力機能が統合

結果:

「ノイマン型=コンピュータ」という認識が、世界中で当たり前になっていったのです。


🔗 EDVACは直接の“親”にはなれなかった。でも、全員の“祖先”だった。

  • IASマシンは設計を継承

  • UNIVACは技術的経験を継承

  • IBMは構造を標準化

これらすべての“DNA”の出発点は──EDVACの設計思想そのものでした。


📌 EDVACは「血は繋がらないが、思想が繋がる系譜の原点」

ENIACが「先に動いた装置」だとすれば、
EDVACは「後にすべてを動かした設計図」。

それはまるで──

親よりも、“未来のかたち”に近い子どものような存在。


🧩 コラム|なぜEDVACは“最初”ではないのに“原点”とされるのか?


🕰 「EDVACより前のコンピュータ」は、いくつも存在していた

EDVACは1949年に稼働しましたが、それ以前にも電子計算機の原型と呼べる装置はいくつも存在していました。

名称 稼働年 特徴
Z3(ツーゼ) 1941年 世界初のプログラム制御式電気機械計算機(リレー式)
ABC(アタナソフ=ベリー) 1942年頃 世界初の電子回路式数値計算機(用途特化型)
Harvard Mark I 1944年 リレー式大型自動計算機、実用稼働したが電子式ではない
ENIAC 1946年 世界初の電子式汎用計算機(ただし非ノイマン型)

これらの先行機の方が「先に完成し、先に動いていた」ことは事実です。


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🧠 ではなぜ「EDVACが“原点”だ」と言われるのか?

それは、EDVACが今のコンピュータの“論理構造”と一致していた最初の装置だからです。

具体的には:

  • 命令もデータも同じメモリに格納(stored-program concept)

  • 命令を順に読み出して自動実行する制御構造

  • 条件分岐・ジャンプ・ループを備えた柔軟な論理処理

  • 汎用的な論理設計に基づく拡張性

つまり、**論理構造・制御モデル・命令設計のすべてが、現代と“同じフォーマット”**なのです。


🔁 「機能が先」ではなく「構造が先」に意味があった

Z3やENIACは動いていましたが、その構造は限定的・固定的でした。
EDVACはそれらと比べて、

✔️ 設計が汎用的
✔️ 計算内容を変更しやすく
✔️ 拡張・複製・応用しやすい構造

だったため、世界中で“真似される構造”として選ばれたのです。


📌 “最初”という言葉に惑わされないことが重要

  • 技術的に最初(first)はZ3かENIAC

  • 計算速度で最初(fast)はENIAC

  • 電子回路で最初(electronic)はABC

  • 商用で最初(business)はUNIVAC

  • 構造で最初(architecture)はEDVAC

「何の“最初”か?」という文脈が変われば、主役も変わります。

でも──

“今につながる設計の最初”という意味で、EDVACは唯一無二の“原点”なのです。


🔜 次回予告|ここからは“誰でも使える時代”へ──商用コンピュータの夜明け

EDVACは、「頭脳の設計図がそのまま動いた最初のマシン」でした。
けれど、まだこれは研究者だけの道具

次に始まるのは──
世界で初めて“売られた”コンピュータの時代です。

1951年、UNIVAC I。
そこから始まるのは、オフィスに、家庭に、手のひらに広がっていく、コンピュータの民主化の物語。

次回からは新シリーズ:💼 商用コンピュータ〜PCの普及編 “情報社会の基礎”をたどっていきます。


▶次に読みたい記事 「商用コンピュータとパソコンの進化」①UNIVAC Iとは?世界初の商用コンピュータが切り開いた“情報の時代”の始まり


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⑪当記事


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