江戸の情報インフラ史|手紙・幸便・飛脚・郵便──馬より速かった“人力ネットワーク”の秘密

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🏮 第0章|導入:電話もネットもないのに、江戸は“情報社会”だった


📞 電話も郵便も、もちろんネットもない──それでも情報は走っていた

想像してみてください。
スマホもLINEも郵便もない時代。
「既読スルー」どころか、“既読”すら確認できない。

それが、**江戸時代(1603〜1868年)**です。
にもかかわらず、当時の日本には、
全国をつなぐ通信インフラ=情報ネットワークがすでに存在していました。

それが「飛脚(ひきゃく)」──つまり、“人間が走って手紙を届ける通信システム”。

そう、江戸の情報社会は Wi-Fiも電波もいらない、究極の人力ネットワーク だったのです。


🏃‍♂️ 馬より速い!? 江戸の「人力情報インフラ」

「いや、馬の方が速いでしょ?」
そう思いますよね。
でも驚くべきことに、江戸〜大坂(約500km)を結ぶ飛脚は、
わずか5〜6日で手紙を届けたと記録に残っています。

これは“昼夜交代で走り続けるリレー制”によるもの。
止まらない、眠らない、途切れない。
つまり、現代でいえば――

🛰️「人間回線でつながるアナログインターネット」。

通信の主役が馬から人に変わったこの時代、
「人が走る」ことがそのまま“情報が流れる”ことを意味していたのです。


💌 江戸の人々はなぜ手紙を送ったのか?

そもそも、なぜ江戸時代の人々はそんなにも手紙をやりとりしたのか?
実は背景には、現代とよく似た「社会の変化」がありました。

  • 全国の大名が江戸と領地を往復する「参勤交代」

  • 江戸・大坂・京都を結ぶ全国商業ネットワーク

  • 江戸への人口集中(奉公・出稼ぎ・商人)

  • 寺子屋の普及による識字率の爆上がり(世界トップクラス)

つまり、人が動き、モノが動き、情報が必要になった。
その結果、**「手紙を運ぶ仕事=飛脚」**という“通信産業”が生まれたのです。

📦 江戸の通信インフラは、「必要に迫られて進化した」リアルな情報革命だった。


🕊️ 「人が情報を運ぶ」──それが江戸のネットワーク社会

江戸の通信を支えたのは、技術でも電波でもなく、人間の信頼でした。
飛脚は、情報の正確さ・秘密保持・迅速性を何より重視。
商取引の書状、奉公人の手紙、恋文、句会の往復書簡──
どれも、“人の足”が届けたリアルな通信データ。

現代のSNSが「速さ」でつながるなら、
江戸の通信は「信頼」でつながっていた。

🗾 江戸の街道は、まさに“人が走るインターネット回線”。
デジタルのない時代に、人がネットワークそのものだったのです。


🔍 江戸の情報インフラから見える「通信の原点」

私たちは「通信=テクノロジー」と考えがちですが、
江戸時代の人々は、通信=人と人との信頼でつないでいました。

  • 馬は国家のために走り、

  • 飛脚は人々のために走った。

江戸の通信史をたどると、
「誰が、何のために、どんな情報を運んだのか?」がすべて見えてきます。

そしてそれこそが、現代のネット社会に通じる“情報文化の原型”なのです。


💬 まとめ|江戸の通信革命は“人がネットワークだった”

観点 現代の通信 江戸の通信
回線 光ファイバー・電波 街道・宿場
ノード サーバー 宿駅・飛脚問屋
データ メッセージ・メール 手紙・書状
転送方式 電子信号 人力リレー
セキュリティ 暗号化 信用・封印
トラブル対応 再送信 幸便・再派遣

江戸時代の通信インフラは、まさに「人間中心のネットワーク」。
人が情報を運び、文化を広げ、信頼を結んだ。
それは“手紙というSNS”が息づく、もうひとつの日本の情報革命だった。


🐎 第1章|伝馬制度とは?江戸の“国家通信インフラ”は馬が担っていた


🏯 江戸幕府が作った「公用通信ネットワーク」

江戸時代、幕府は全国支配を効率的に行うために、
**「伝馬(でんま)制度」**という通信・輸送システムを整えました。

これは現代で言えば、政府専用の高速通信回線のようなもの。
各宿場(しゅくば)に馬と人足を常備し、
幕府や大名、公用の書状・命令書・年貢などを全国に運んでいたのです。

たとえば、東海道には53の宿場があり、
それぞれの宿で馬や人を交代させながら、
まるでデータパケットのように“情報”をリレーしていました。

📜 伝馬制度=江戸版の国家インターネット。
ただし利用できたのは、幕府と一部の特権階級だけでした。


🚫 民間は使えない──“国家専用”の通信インフラ

伝馬制度はあくまで**「公用限定」**。
民間の商人や庶民が勝手に使うことは、原則禁止されていました。

もし個人が馬を使って書状を運ぼうとすれば、
「通行手形」や「公文書の証明」が必要。
それがない者が勝手に馬を走らせれば、「無断伝馬」として処罰対象です。

つまり――

🐎 馬は「国家の情報を運ぶもの」。
🏃‍♂️ 庶民は「自分の足で情報を運ぶしかない」。

この通信格差が、やがて「民間の飛脚文化」誕生のきっかけになります。


💸 馬は高価で庶民には“非現実的”

もう一つの理由はコスト問題
馬を飼うには、エサ代・厩舎・飼育人・医療費など莫大な経費がかかりました。

たとえば、江戸の町人が一頭の馬を維持しようとすると、
年間で当時の米価にして数十俵分。
庶民にとっては、生活何年分ものコストです。

しかも、江戸市中の道路は狭く、人混みも多く、
橋や寺社の境内などは馬の通行が制限されていました。

🚷 速くても使えない。
現実的には、馬より“人の足”のほうが安くて確実だったのです。


🏘️ 宿場町=江戸の「データ中継ノード」

伝馬制度を支えたのは、全国の宿場町ネットワーク
たとえば、東海道の宿場ではこうした仕組みが動いていました。

宿場の役割 現代で例えると
宿場町 データセンター
伝馬役(馬と人足を管理) サーバー管理者
問屋場(書状受け渡し所) 通信ハブ/プロバイダ
御伝馬役人 通信監査官(幕府の管理者)

情報(書状)は宿場から宿場へ、
“リレー式”に馬や人によって送られていきました。

📬 宿場は、江戸時代の“クラウドサーバー”だったともいえます。


⚖️ 国家と民間の「通信格差」が生んだ次の革命

幕府が作った伝馬制度は、あくまで「統治のための通信網」。
庶民には一切の自由がなく、
商人が取引情報を送るにも、恋文を出すにも「手段がない」状態でした。

しかし――
人はつながりを求める生き物。
商人は商談のために、奉公人は故郷への手紙のために、
どうしても“自分たちの通信手段”を作る必要があったのです。

そしてここから、

🏃‍♂️ “人間が走る”民間通信インフラ=飛脚(ひきゃく)
が誕生します。

つまり、

「馬は国家のため、人は民のため」
それが江戸の通信インフラの二重構造だったのです。


💡 まとめ|伝馬制度は「国家インターネット」だった

項目 内容
名称 伝馬制度(でんませい)
機能 公用文書・命令書の運搬
利用者 幕府・大名・役人のみ
手段 馬・人足(宿駅リレー)
民間利用 原則禁止
意味 国家レベルの通信インフラ(支配のためのネットワーク)

江戸時代の通信は、まず「国家の情報支配」から始まった。
しかし、その隙間から生まれたのが「人々のための通信=飛脚」だった。


🏃‍♂️ 第2章|飛脚とは?江戸の通信を支えた“人力ネットワーク”


📦 商人が生んだ民間の通信革命

江戸時代の中期――
「幕府の馬を使えないなら、自分たちで運べばいい」。
そう考えたのが、上方(大坂・京都)の豪商たちでした。

彼らは、江戸と大坂を結ぶ定期通信サービスを自ら運営し始めます。
それが「町飛脚(まちびきゃく)」。

飛脚とは、読んで字のごとく「飛ぶように走る脚」。
書状・帳簿・金品をリレー式に運び、
まるで人間そのものが“通信回線”のように機能していました。

💬 江戸の商人は、国家が作らなかった“民間ネット回線”を作り上げた。
これこそ、江戸の通信革命の始まりです。


🏯 幕府・大名・町飛脚──三つの通信ネットワーク

江戸の情報インフラは、大きく3つに分かれていました。

名称 運営者 主な目的 利用者
幕府飛脚 江戸幕府 公文書・命令 幕府・役人
大名飛脚 各藩 藩命・報告書 大名・家臣
町飛脚 民間商人 商業書簡・私信 町人・庶民

幕府と藩の飛脚は「国家情報」を運ぶものでしたが、
町飛脚は“民間の情報”を運ぶ存在

商取引・注文書・請求書・金の受け渡しから、
個人の手紙・恋文・文化人の書簡まで――
ありとあらゆる“民の通信”を支えました。

🏙️ 江戸の町が動くとき、必ず飛脚が走っていた。
彼らは、経済と文化の血流をつくる“人間ネットワーク”だったのです。


⚡ 江戸〜大坂をわずか5日!驚異のスピードの秘密

江戸と大坂、その距離はおよそ約500km
現代の新幹線なら2時間半ほどですが、
江戸時代の飛脚は、なんと5〜6日で到着していました。

どうしてそんなことが可能だったのか?
その答えは、**“リレー制”と“交代制”**にあります。

  • 宿場ごとに「飛脚宿」があり、次の走者が待機

  • 書状を手渡すと、次の飛脚が即座に出発

  • 昼夜交代で“止まらない”リレーが続く

つまり、1人が500km走るわけではなく、
“常に誰かが走っている”――ネットワークが止まらない設計

🕊️ これはまさに、江戸時代の「人力インターネット」。
回線は街道、サーバーは宿場、データは手紙だったのです。


🧭 「飛脚の道」が作った通信ハイウェイ

飛脚が主に利用したのは、幕府が整備した五街道
とくに東海道・中山道・甲州街道などが主要ルートでした。

宿場町では「飛脚問屋」が運営され、
書状の受け渡し、料金徴収、紛失時の保証まで管理。
これは現代の宅配業者+通信事業者のような存在です。

🚩 東海道53次は、実は“通信の53ノード”でもあった。

道中では、飛脚が「飛脚札」と呼ばれる通行許可証を携え、
関所を優先的に通過できる特権を持っていました。
これにより、スムーズで安全な通信が可能になったのです。


💰 情報も商売も「スピードが命」

商人たちが最も重視したのは、「情報の速さ」でした。
米相場・商品の値動き・取引注文――
どれも1日遅れただけで損失に直結します。

💬 江戸の商人:「情報は金より重い」

そのため、飛脚の遅延やミスは信用問題。
飛脚問屋は信頼第一で運営され、
**“信用こそ通信のセキュリティ”**という文化が定着しました。

つまり、江戸の通信は「テクノロジー」ではなく、
人間の信頼」で動いていたのです。


📜 飛脚の種類と役割

飛脚にもさまざまな種類がありました。

種類 内容 特徴
定飛脚 定期便。週1〜数回の定期運行 商業通信の主流
早飛脚 緊急便。重要な書状を最速で運ぶ 江戸〜大坂5日など
継飛脚 宿場リレー型。手紙・小包の連携運搬 広域通信を実現
雇飛脚 個人依頼型。個人の私信・恋文など 最も庶民的な通信手段

飛脚宿では依頼の内容に応じてコースや料金を調整し、
「安全」「早達」「秘密保持」を保証していました。

📦 江戸時代の“宅配+メール+VPN”が、この飛脚制度。


🏮 飛脚が支えた江戸の情報社会

飛脚のネットワークが整うと、
庶民にも「手紙を送る文化」が一気に広がりました。

奉公人が実家に安否を伝える。
商人が取引相手に注文書を送る。
俳人が遠方の句友に作品を送る。

そうして、手紙は単なる紙ではなく、
**“人を結ぶ情報の回線”**となっていったのです。

🗾 江戸時代の通信は、まさに“人がネットワークそのもの”だった。
技術よりも、信頼と足の速さがすべてだった。


💡 まとめ|飛脚は江戸の「人間インターネット」

観点 内容
通信手段 人力(リレー制)
主な利用者 商人・庶民・文化人
目的 商業通信・私信・文化交流
スピード 江戸〜大坂 約5〜6日
特徴 信頼・リレー・情報流通
意味 日本最初の民間通信ネットワーク

飛脚は、馬より遅くて速かった。
江戸の情報社会を支えたのは、人の足と信頼の速さだった。


✉️ 第3章|なぜ手紙を運ぶ必要があったのか?

──江戸社会が生んだ“情報需要”の爆発


🏯 政治の背景:参勤交代がつくった「全国通信網」

江戸幕府が全国の大名に課した「参勤交代(さんきんこうたい)」。
1年ごとに江戸と領地を往復するこの制度は、
単なる支配手段ではなく、日本初の全国情報ネットワーク構築でした。

  • 大名は江戸と国元の間で、常に報告書・命令書をやり取り

  • 各藩は専属の「大名飛脚」を雇い、独自の通信網を整備

  • その往復ルートが、**後の民間通信ルート(町飛脚)**の土台に

つまり、参勤交代によって初めて“道”が定期的に使われ、
人と情報が全国的に循環する仕組みができたのです。

🏇 参勤交代は本来は統治政策ですが、結果的に通信インフラの整備を促す大きな契機にもなりました
江戸と地方を結ぶ往還が恒常化し、情報伝達の土台となる経路と体制が各地で整えられていきました


💰 経済の背景:商業の発展が生んだ“情報取引”

江戸時代中期、全国経済は大きく変わります。
年貢だけでなく、金・物・情報が流通する時代に突入したのです。

江戸・大坂・京都を結ぶ“三都”の商人たちは、
遠方との取引・注文・送金をスムーズに進めるため、
**書面でのやり取り(帳簿・注文書・請求書)**を必要としました。

  • 取引先への契約確認

  • 米相場・金銀相場の変動報告

  • 代金の受領確認

  • 信用保証やトラブル連絡

これらすべてが、紙の上の通信によって成立していたのです。

📦 商人にとって手紙は、商品そのものより重要な「商業データ」。
一通の遅延が、大損に直結した時代です。


👨‍👩‍👧‍👦 社会の背景:江戸集中と“離れて暮らす家族”

江戸は人口100万人を超える、当時世界最大級の都市。
全国から職人・奉公人・出稼ぎ人が集まりました。

しかし彼らの多くは、故郷を離れて暮らす人々
家族の安否を知るには、もはや口伝えでは間に合いません。

  • 奉公人が「お元気でいらっしゃいますか」と親へ書く

  • 農家の息子が江戸から仕送りの報告を送る

  • 村の娘が奉公先の様子を知らせる

💌 手紙は、“人のつながりを維持する装置”だった。
江戸時代における「家族SNS」だったのです。

庶民にとって手紙は、遠く離れても「つながっている」ことを感じられる唯一の手段。
だからこそ、飛脚に託す一通には“命より大事な思い”が込められていました。


🏫 文化の背景:寺子屋の普及が“書ける社会”を作った

江戸の通信が爆発的に発展したもう一つの理由――それが識字率の高さです。

江戸後期には、全国に約1万5000もの寺子屋が存在し、
庶民の読み書き能力は世界でもトップクラス。

  • 男性:約80%

  • 女性:約60%

(※当時のヨーロッパ平均は30%以下)

教材として使われた「往来物(おうらいもの)」は、
実際の手紙の文例を学ぶ教科書でした。

📖 読み書きを学ぶ=手紙を書く練習。
教育そのものが“通信スキル育成”だったのです。

これにより、商人も農民も職人も、
自分の言葉で相手に伝える力を手に入れました。

つまり、教育が広まったことで初めて、**“手紙を送る社会”**が成立したのです。


🕊️ 技術の背景:街道整備と宿場システムが支えた物理ネットワーク

江戸幕府が整備した五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)は、
単なる交通路ではなく、通信路=データ回線として機能していました。

  • 各宿場に人馬・人足・問屋場を配置

  • 手紙・荷物をリレー式で運搬

  • 町飛脚がこの街道システムを利用して全国展開

宿場が増えるほど通信精度が上がり、
まさに**“情報のハイウェイ”**が完成していきます。

🏘️ 宿場町は、江戸時代の「Wi-Fiスポット」。
どの街にも“通信の拠点”が存在していたのです。


🔍 情報の価値が変わった時代──“知っている人”が強かった

江戸後期になると、
瓦版(かわらばん)や書物、浮世絵などの出版文化も広がり、
情報そのものに価値が生まれました。

「誰が何を知っているか」が、商売にも政治にも影響する。
情報が早い人=“信頼される人”。
つまり、「情報の流通スピード」こそが新しい社会の競争軸になったのです。

💬 江戸の人々にとって“情報を得る”は“生きる力”だった。
だからこそ、飛脚と手紙のネットワークは命綱だったのです。


💡 まとめ|“人が動く社会”が“情報を動かす社会”を生んだ

背景 内容 キーワード
政治 参勤交代が全国通信網を整備 江戸 参勤交代 通信
経済 商業通信・取引文書の増加 江戸 商業 情報伝達
社会 家族分離と出稼ぎ文化 江戸 手紙 家族
文化 寺子屋と識字率の向上 江戸 識字率 教育
技術 街道・宿場による物理インフラ 江戸 街道 宿場 通信

江戸時代の“情報革命”とは、テクノロジーの発展ではない。
人が動き、人が書き、人が運ぶことで生まれた、
世界でも稀に見る“人力ネットワーク社会”だったのです。


💌 第4章|幸便とは?──飛脚以前の“偶然ネットワーク”


🕊️ 幸便(こうびん)とは何か?

──「たまたま運んでくれる人がいた」時代の通信

今でこそ「郵便」「宅配」「メール」と手段はいくらでもありますが、
江戸初期には、まだそれらは存在していません。

そんな時代、人々が頼ったのが「幸便(こうびん)」。
この言葉は、**“偶然の便”**を意味します。

たとえば、手紙の冒頭にはこう書かれていました。

「幸便(こうびん)にて一筆申し上げ候。」
=「ちょうど行く人がいたので、その便に託してお送りします。」

つまり、「郵便局のない時代の郵便」です。
たまたま旅に出る人、出張する商人、参詣に行く知人に「これ、渡してきてください」とお願いする。
それが江戸時代初期の、最も人間らしい通信手段でした。


👣 人の移動こそが“通信回線”

江戸初期の日本では、
情報=人の移動に乗って伝わるものでした。

  • 商人 → 取引先へ行くときに手紙を託される

  • 村役人 → 領主へ年貢の報告を届ける

  • 旅人 → 同郷人の手紙を持っていく

  • 僧侶・巡礼者 → 信徒の便りを預かる

それぞれが“通信の担い手”。
今の郵便局員でもなければ、インフラでもない。
人そのものがネットワークだったのです。

💡 “移動”が多い人ほど“通信能力”が高い。
江戸の社会では、足が速い人=情報が速い人だった。


🏯 なぜそんな方法が成立したのか?

──「信頼」と「共同体」が支えた通信文化

当時の社会は、今のような匿名の都市社会ではなく、
「顔の見えるつながり」で成り立っていました。

  • 同郷・同職・同門といった“縁”の強いネットワーク

  • 商人組合や講中(信仰グループ)による横のつながり

  • 村落共同体の相互扶助意識

この「信頼社会」があったからこそ、
「人に託す通信」が成り立ったのです。

📬 郵便番号の代わりにあったのは、“人間関係”だった。


🧳 手紙は“荷物”と一緒に運ばれた

江戸初期の商人や旅人は、荷物とともに手紙を持ち歩きました。
なぜなら、通信と物流は同じ動線にあったからです。

  • 米や商品を運ぶついでに、帳簿や注文書を届ける

  • 参勤交代の行列に混じって、藩の報告書を託す

  • 寺社参詣者が、寄進者の手紙を届ける

こうして「人・物・情報」が一体化した流通網ができ、
のちの**飛脚制度(公式通信)**の基盤となりました。


📜 手紙文化を育てた「幸便文(こうびんぶん)」

当時の往来文(手紙の書き方の教本)には、
必ずといっていいほど「幸便にて申し上げ候」という表現が登場します。

たとえばこんな文面です👇

幸便にて一筆申し上げ候。
御安否伺い奉り候。
此度は江戸より〇〇殿上京の由にて、御機嫌伺い申し上げ候。

現代語訳:
「たまたま江戸から〇〇殿が上京されると聞き、そのついでに手紙を託してお送りします。」

このように、「幸便」は当時の書簡文化の中でごく自然な言葉。
「たまたま手紙を送れる機会があった」という一言が、
人と人をつなぐ温度のある挨拶になっていました。


💭 “偶然に託す”というリスクとロマン

もちろん、幸便にはリスクもありました。

  • 途中で手紙が失われる

  • 遅延する

  • 受け取り側が不在で伝わらない

しかし、それを恐れてもなお、
人々はこの「偶然のネットワーク」に頼りました。

なぜか?
それは、人の誠意と信用を信じていたから

「あなたに託すからこそ届く」──
そう思える関係性が、江戸の通信文化を支えていたのです。


🧩 幸便が生んだ「飛脚制度」への流れ

この“幸便文化”は、やがて制度化されていきます。

  • 商人が有償で手紙を運ぶ「町飛脚」へ発展

  • 藩が専属通信を整備して「大名飛脚」へ

  • 公的郵便の原型「継飛脚」や「公儀飛脚」へと発展

つまり、「人のつながり」が「ビジネス」に変わった瞬間です。
“好意”が“サービス”へ、“信頼”が“制度”へ。

💼 幸便は、江戸の社会が「通信を職業化」するきっかけとなった。
これが、明治の郵便制度誕生へとつながっていきます。


🕊️ まとめ:幸便=“偶然と信頼の通信ネットワーク”

要素 内容
用語 幸便(こうびん)=偶然の便・ついでの便
成立条件 信頼社会・人の移動・共同体文化
代表的表現 「幸便にて申し上げ候」
意義 飛脚制度の前身/庶民の通信手段
価値 人が人を信じて手紙を届けた“人情の通信”

📬 幸便とは、「偶然」と「信頼」で動くSNS。
メールでもAIでもなく、“人そのものがネットワーク”だった時代。
江戸の通信は、テクノロジーではなく「人間力」で成立していたのです。


🏃‍♂️ 第5章|飛脚とは?──馬より速い“人力ネットワーク”の誕生


🏯 江戸の通信革命「飛脚」登場!

江戸時代の通信インフラを支えたのは、
驚くことに──馬ではなく人でした。

その名も「飛脚(ひきゃく)」。
まさに“飛ぶように走る人”です。

彼らは、現代でいえば郵便配達員+新幹線+宅急便ドライバーを兼ねた存在。
江戸から京都、大坂、さらには九州まで、
たった数日で手紙や荷物を届けるプロフェッショナル集団でした。

🏃‍♂️「飛ぶように走る脚」=飛脚。
江戸の人々は、これを“人力インターネット”と呼んでもいいほど信頼していたのです。


🧭 飛脚のはじまり:武士の通信から民間へ

飛脚の原点は、武士社会の情報伝達にあります。

江戸幕府は、全国の大名に対して定期的な報告を義務づけました。
これに応じて、各藩は専属の通信員を雇い、
江戸と国元を結ぶ独自のネットワークを構築。

これが「大名飛脚」の誕生です。

  • 参勤交代で整備された街道を利用

  • 藩の機密文書や命令を中継

  • 宿場ごとにリレー方式で人を交代

この仕組みが、後に民間でも応用され、
**町飛脚(商業飛脚)**として発展していきます。


💰 商業通信を支えた「町飛脚」

江戸中期になると、商人の経済活動が拡大。
特に江戸・大坂・京都を結ぶ“三都経済圏”では、
相場情報や注文書、支払い書などが頻繁に行き交うようになります。

この需要に応えたのが「町飛脚」。
大阪の加賀屋飛脚、京都の淀屋飛脚など、
私設の通信会社のような業者が誕生しました。

  • 荷物や書状を有料で預かる

  • リレー形式で次の宿場へバトンタッチ

  • 紛失・遅延を防ぐための保証制度も整備

つまり、町飛脚は民間版の郵便局+宅急便
現代の「ヤマト運輸」や「日本郵便」の原型と言えます。


🐎 なぜ“馬”ではなく“人”が走ったのか?

ここが最大の疑問ポイントですよね。
「馬の方が速いじゃん!」──現代人の誰もが思います。

でも、江戸時代の現実は違いました。

❌ 理由①:馬は高価で維持が難しい

馬は戦国時代から**“武器”かつ“財産”**。
庶民はもちろん、商人でも簡単には所有できませんでした。
飼料・世話・宿泊コストが高すぎたのです。

❌ 理由②:街道は“人が走る仕様”

当時の街道は石畳やぬかるみも多く、
馬が全速力で走れる環境ではありませんでした。
人の足で走り抜け、宿場ごとにバトンをつなぐ方が効率的だったのです。

✅ 理由③:人の方が“リレーできる”

飛脚は数十キロごとに交代制。
次の飛脚が準備して待機しており、
書状を渡した瞬間に次が走り出す。

これにより、昼夜を問わないノンストップ配送が実現。
1人の馬より、チームで走る人間の方が早い

🏁 馬は速いが“止まる”。
人は遅いが“つながる”。
だから江戸は、人の足で全国を結んだのです。


⏱️ 実際の速度はどのくらい?

飛脚の速さは驚異的です。

区間 距離 所要日数
江戸〜京都(約500km) 約3日〜4日
江戸〜大坂(約550km) 約4日〜5日
江戸〜仙台(約350km) 約2日〜3日

※現代のマラソン選手に匹敵するペースで、リレーでつなぎ続けた結果です。

さらに「早飛脚」と呼ばれる緊急通信では、
江戸〜京都を2日で走破する記録もありました。

📡 まさに“リアルタイム通信”の始まり。
江戸の情報は、もう“翌日に届く”世界になっていたのです。


📦 飛脚の種類いろいろ

江戸後期には、用途によって飛脚が細分化されていきます。

種類 内容
公儀飛脚 幕府公用の通信(法令・命令)
大名飛脚 藩の公文書伝達
町飛脚 商人・庶民の書状・荷物運搬
継飛脚 宿駅で交代しながら運ぶ制度的リレー
早飛脚 緊急通信。命がけのスピード便

この中でも「町飛脚」は、庶民の暮らしを支えた通信の主役でした。
料金は距離ごとに決まり、今でいう“切手代”のような制度があったのです。


💬 飛脚と江戸の人々──“人が運ぶ信頼”

飛脚は単なる配達人ではなく、信用の象徴でした。
荷物や書状を預ける際には「〇〇飛脚は早くて確実」という評判が命。

江戸の商人たちは、飛脚を「足の速さ」だけでなく、
「信頼できる人物」かどうかで選んでいました。

💌 “情報”を運ぶには、“信頼”が必要。
江戸の通信は、人の誠実さで成り立っていたのです。


⚙️ 飛脚が変えた日本の社会構造

飛脚網の発達によって、江戸の社会は大きく変わりました。

  • 全国で相場情報がリアルタイムに流通

  • 政府・藩・商人が即日連絡可能に

  • 江戸〜地方の時間差が縮小

まさに“情報の中央集権化”。
江戸はデータセンター、飛脚は通信回線だったのです。

🧭 江戸時代の飛脚は、日本を「同期」させた。
情報のスピードが、国のかたちを変えたのです。


🏁 まとめ|飛脚=江戸の情報革命

要素 内容
名前 飛脚=“飛ぶように走る人”
起源 大名の通信→商人→庶民
方法 宿場リレー式の人力通信
速度 江戸〜京都を最速2日
特徴 信頼・チームワーク・即応性

🏃‍♂️ 江戸の通信は“人がインターネット”だった。
馬より速く、心でつながる。
それが、世界でも稀な“人力情報社会”の姿です。


📮 第6章|明治の郵便制度──人力から“国家インフラ”へ


🕊️ 幕末から明治へ──飛脚の終焉と新時代の始まり

江戸末期、日本の通信はすでに驚くほど発達していました。
飛脚網が全国を結び、商業・政治・文化を支える“人力ネットワーク”が完成していたのです。

しかし、時代は明治へ。
文明開化の波が押し寄せ、通信もまた“人から国家へ”と進化する瞬間を迎えます。

飛脚制度は、明治維新による中央集権化の中で整理・廃止され、
代わりに誕生したのが――

「郵便制度」=国家が運営する通信ネットワーク。


👨‍💼 郵便の父・前島密(まえじま ひそか)

明治の郵便制度を設計したのが、“日本の郵便の父”と呼ばれる前島密(まえじま ひそか)

彼は江戸幕府の役人としてオランダ語を学び、海外の通信制度を研究していたエリート官僚でした。
明治維新後、新政府に仕え、英国式の郵便制度を導入する構想を立ち上げます。

「通信を独占してはならぬ。すべての国民に平等に届くべし。」

この理念こそ、現代の郵便ネットワークの原点でした。


🗓️ 1871年(明治4年)──郵便制度の誕生

ついに1871年、
日本最初の郵便制度がスタートします。

開設当初のルートはこの3本👇

郵便路線 区間 備考
東京~京都~大阪線 東海道経由 最初の幹線ルート
東京~青森線 奥州街道経由 東北への通信ルート
東京~長崎線 中山道・山陽道経由 西日本ルート

全国の主要都市に「郵便役所(のちの郵便局)」が設置され、
飛脚のリレー方式から国家が一元管理する通信網へと転換しました。

💡 “飛脚の足”が“国家の線”になった瞬間。
江戸の人力通信が、明治のインフラに姿を変えたのです。


📬 郵便制度確立のタイムライン

1871年(明治4年)10月1日、前島密の提案により日本初の郵便制度がスタート。
東京〜京都〜大阪の三都市間で試験的に開始され、翌1872年には全国主要都市へ拡大。
翌1873年には切手・はがき制度が導入され、1877年には万国郵便連合に加盟。
わずか数年で、日本は世界屈指の通信国家へと変貌しました。


📯 郵便の仕組み:誰でも、どこへでも、同じ料金で

前島密が導入した最大の革新は、
**「均一料金制」と「全国共通の郵便網」**でした。

  • 距離に関係なく一律の料金

  • 誰でも利用できる公共サービス

  • 全国で統一されたルールと配達制度

これは当時の世界でも非常に先進的なシステムで、
イギリス・アメリカに次ぐスピードで実現。

江戸の「特権通信」から、
明治の「国民のための通信」へと劇的に変化したのです。

💬 江戸の通信が“人の信頼”で動いていたなら、
明治の通信は“国家の信頼”で動き始めた。


📨 「郵便」という言葉の誕生

ちなみに、「郵便(ゆうびん)」という言葉も前島密による造語です。

彼は中国の古典『漢書』に登場する「郵(宿駅)」と「便(たより)」を組み合わせ、
“宿場を経て便りを送る”という意味を込めました。

つまり、郵便=飛脚の文化を継ぐ言葉でもあったのです。

🏯 江戸の宿場制度 → 明治の郵便局
人力リレー → 国家ネットワーク
「郵便」という言葉は、まさにその“継承”の象徴。


💼 飛脚から郵便配達員へ──職業の変化

飛脚たちは郵便制度の登場とともに職を失う……かと思いきや、
多くの飛脚経験者がそのまま**郵便配達員(郵逓夫)**へ転職したとされています。

彼らは走る技術、地理の知識、体力、誠実さを備えており、
まさに“プロ中のプロ”。

江戸の「人力通信」が、そのまま「近代郵便」の現場力になった。
こうして、飛脚の魂は郵便制度の中に生き続けたのです。


🌏 世界に誇るスピード普及

明治5年(1872年)には、全国主要都市を結ぶ郵便網が完成。
翌1873年には切手・はがき制度も導入され、
1877年(明治10年)には外国郵便がスタート。

わずか6年で、日本は世界の通信先進国の仲間入りを果たしました。

🚀 走る飛脚から、世界とつながる郵便へ。
日本の通信は、たった10年で“江戸”から“近代”へ跳んだのです。


🕊️ まとめ:人力から国家へ、そして普遍の信頼へ

要素 内容
年代 1871年(明治4年)郵便制度開始
キーパーソン 前島密
制度の特徴 均一料金制・全国ネットワーク・公共通信
意味 江戸の人力通信が国家インフラに進化
継承 飛脚の精神と技術が郵便配達員へ

💡 江戸の通信は「人の信頼」、
明治の通信は「国家の信頼」。
そして今の通信は「テクノロジーの信頼」。

形は変わっても、“つながる力”はずっと同じです。


🔔 第7章|まとめ──江戸から現代へ、“つながる力”の進化


🕰️ 手紙からネットまで、すべては「つながりたい」から始まった

江戸時代の庶民が、
「幸便(こうびん)にて申し上げ候」と書いて、
たまたま旅に出る人に手紙を託した。

あの瞬間こそが、日本の通信文化の原点です。

そこには、“便利”や“効率”の発想はありません。
ただ「遠くの誰かに想いを伝えたい」という、
純粋な人間の願いがありました。

💌 江戸の通信はテクノロジーではなく、「人の温度」で動いていた。


🏃‍♂️ 人が走った社会──“人力ネットワーク”という奇跡

飛脚が全国を駆け抜けた江戸の情報社会は、
“人が通信回線そのもの”だった時代です。

  • 参勤交代で道が整い

  • 商業の発展で情報が動き

  • 寺子屋で手紙を書く力が育ち

  • 幸便で信頼が結ばれ

  • 飛脚で情報が走った

それらすべてが重なって、人力インターネットが完成しました。

🏯 江戸時代、日本は世界でも稀な“情報流通国家”だった。
銀行も電報もないのに、情報は数日で全国を駆け抜けていたのです。


📮 そして国家が引き継いだ「信頼のリレー」

明治になり、前島密の手によって郵便制度が誕生。
個人の“善意”に頼っていた通信が、
国家による“制度的信頼”へと進化しました。

  • 誰でも使える

  • どこへでも届く

  • いくらでも送れる

飛脚が運んだ「人の想い」は、郵便という形で社会の隅々まで広がり、
やがて電話、FAX、メール、SNSと姿を変えていきます。

📬 郵便とは、「人の走り」が制度に変わったもの。
現代のインターネットとは、「制度の信頼」がデジタル化したもの。


💡 江戸の通信に学ぶ、現代のヒント

現代の通信はどこまでも速く、便利で、安価になりました。
でも、江戸の人たちは、私たちが忘れかけている大切な何かを知っていました。

それは――
**「伝える相手がいることのありがたさ」**です。

江戸の人々は、書くこと、託すこと、届くことをすべて“奇跡”として受け止めていました。
その感覚があったからこそ、一通の手紙に心を込め、
言葉を磨き、丁寧に書いたのです。

💭 情報社会の原点は、“速度”ではなく“誠意”。
それが、江戸の通信が200年も続いた理由です。


🌐 現代の通信もまた、“人が中心”

いま私たちは、スマホ一つで世界中とつながる時代に生きています。
でも、どれだけテクノロジーが進んでも、
通信の本質は江戸時代から変わっていません。

  • 伝えたい気持ち(江戸の手紙)

  • 届ける仕組み(明治の郵便)

  • 瞬時の共有(現代のネット)

これらはすべて、「人をつなぐための技術」です。

🤝 江戸の人力、明治の制度、現代のデジタル。
形は違っても、“つながりたい”という心は同じ。


🕊️ まとめ:通信とは、技術ではなく「人間の文化」

時代 伝達手段 特徴
江戸時代 幸便・飛脚 人が運ぶ通信。信頼と誠意が中心
明治時代 郵便制度 国家が運営する通信網。制度的信頼
現代 インターネット・SNS デジタルによる即時通信。相互共有

📜 江戸の通信は“走る文化”、
明治の通信は“整う制度”、
現代の通信は“共鳴する世界”。

それぞれの時代が形を変えながらも、
いつの時代も変わらないのは――

「誰かに伝えたい」という人間の本能。


🌸 結び──江戸の飛脚が残したメッセージ

江戸の飛脚たちは、
手紙を背負って走るたびに、こう思っていたのかもしれません。

「この一通で、誰かが笑うかもしれない。」

その“想いを届ける”という原点は、
郵便にも、メールにも、SNSにも受け継がれています。

💬 江戸の通信は、最も“人間的なインターネット”だった。
そして現代の私たちは、最も“速い江戸人”なのかもしれません。


✅ まとめ:江戸の通信から見える「情報の本質」

  • 通信は、人が走る文化から始まった

  • 飛脚は馬より速く、信頼で動いた

  • 前島密の郵便制度が国をつないだ

  • 現代のネットも“人をつなぐ”ための進化形

技術が変わっても、“心が伝わる”という本質は変わらない。
それが、日本の通信史が教えてくれる最も大切なことです。


💬 完:江戸の情報インフラ──手紙と飛脚がつないだ日本


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