カラー写真はいつから始まったのか──三色分解法・加法混色法・減法混色法と発明者ルイ・デュコ・デュ・オーロンのすべて

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第1章|なぜ今、オーロンを知るべきなのか──写真と印刷の「色」はどこから来た?


白黒からカラーへ──人類の夢

私たちが日常的に目にする「カラー写真」や「フルカラー印刷」。その豊かな色彩が、どれほど当たり前に感じられているか、普段あまり意識することはないかもしれません。しかし、ほんの150年前までは、写真も印刷も「白黒」こそが当たり前。色を正確に写し、紙の上に再現することは、長い間“夢の技術”でした。

「現実の色を、そのまま写真や印刷物で残したい」
その思いは、19世紀の科学者や芸術家たちを突き動かし、多くの挑戦と発明を生みました。カメラの登場からしばらくの間、写真や印刷の世界は「いかに精密に白黒で写すか」が最大のテーマでしたが、人々の“色を残したい”という願いが、やがて大きな革命をもたらします。


カラー写真はいつから始まったのか?

「カラー写真はいつから始まったのか?」
この問いに、はっきりと“たった一人”の発明者だけを挙げるのは、実はとても難しいことです。なぜなら、カラー写真の歴史は、理論と実験の積み重ね、さまざまな発明家たちのリレーによって形作られてきたからです。

それでも、“紙に定着したフルカラー写真”という「物体」を世界で最初に生み出した人物がいるとすれば、それはフランスのルイ・デュコ・デュ・オーロンであることに疑いはありません。

彼は、19世紀の中頃に三色分解法と加法・減法混色法の設計図を描き、マクスウェルの色の理論を“現実”へと転換させました。そのバトンは、のちのリュミエール兄弟のオートクロームへとつながり、「カラー写真」が一般の人々の手に届く時代を切り開いていくのです。


写真・印刷・デジタル社会まで貫く「三原色」の正体

色の再現――それは単なる芸術的な贅沢ではありません。科学的な原理に裏打ちされた「三原色」の考え方が、やがて写真・印刷・デジタル社会のすべてを貫く根本原理となりました。

今やスマートフォンやディスプレイで“当たり前”に感じている色再現。印刷会社が毎日扱うフルカラー印刷。どちらも、「色の三原色」をどう使いこなすか、という課題の上に成り立っています。この“三原色”のアイデアがいつ、どのように技術として結晶化したのか――
その問いに真正面から挑んだのが、フランスのルイ・デュコ・デュ・オーロンという発明家でした。

彼は白黒の時代を抜け出し、**「色を科学で、技術で、そして写真で残す」**という、人類の夢のバトンを次世代へつないだ“設計者”だったのです。


第2章|ルイ・デュコ・デュ・オーロン──知られざる“設計者”の横顔


生涯と時代背景

ルイ・アルチュール・デュコ・デュ・オーロン(Louis Arthur Ducos du Hauron)は、1837年にフランス南西部ジロンド県ランゴンで誕生しました。
19世紀のフランスは、産業革命と芸術の革新が進む激動の時代。写真そのものもまだ黎明期であり、ヨーロッパ全体が“光と色”を記録する新しい方法を模索していました。

デュコ・デュ・オーロンは、生涯を通して「自然の色彩をどのように写真で忠実に再現できるか」というテーマに取り組み続けた人物です。
当時の写真技術は白黒が当たり前で、「本物の色」を写真で残せると信じていた研究者はごく一部しかいませんでした。


科学と芸術のはざまで

19世紀半ば、色の科学──特にヤングやヘルムホルツによる「三原色理論」(赤・緑・青の光による色の再現)は急速に進歩しましたが、
この理論を実際に写真技術へ応用し、「色を記録し再現する」方法はまだほとんど確立していませんでした。

オーロンは、この三原色原理を実用的な写真技術に応用できないかと考え、加法混色と減法混色の両方の手法で実験を繰り返します
彼は、論理的な科学の思考と、色への理想を追い求める情熱とを両立させるために、多くの失敗と試行錯誤を重ねていきました。

やがて彼の発想は、現代のカラーフィルムや印刷にもつながる「三色分解法」として結実していきます。


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第3章|1868年特許と“設計図”の全貌──三色分解法からカラープリントまで


三色分解法(Three-Color Separation Process)の発明

1868年、ルイ・デュコ・デュ・オーロンは、写真史に名を刻む三色分解法の特許を取得しました。
この方法は、被写体を赤・緑・青、三つのカラーフィルターを通してそれぞれ撮影し、三つの分離ネガを作ることが特徴です。
自然界のどんな色も“3つの要素”に分けて記録し直し、再合成することで元の色を再現できる──この原理が、現代のカラーフィルムや印刷にも通じる“色の設計図”となりました。

三色分解法のポイント

  • 赤・緑・青フィルターで3枚の画像を取得

  • それぞれを“色の設計図”として分けて管理

  • 後で重ね合わせてフルカラー画像を得る

当時の材料や感光剤にはまだ多くの制約があり、実際の撮影やプリントには苦労が絶えませんでしたが、この三色分解法こそ「カラー写真の基礎」として世界標準となっていきます。


加法混色法(Additive Process)の特許と光による色再現

オーロンの特許には、「加法混色法」も含まれていました。
これは、赤・緑・青フィルターで撮影した3枚の白黒写真を、それぞれ対応する色の光で投影し、1枚のスクリーン上で重ね合わせてカラー画像を再現するというものです。
この仕組みは、現代のテレビやスマートフォン、パソコンディスプレイとまったく同じ“光の三原色”原理です。

この方式では、「光を加えるほど明るくなり、3色がすべて揃うと“白”になる」という科学的な性質を使い、物理的に“色を作る”ことができます。


減法混色法(Subtractive Process)とCMYカラー写真の原理

さらに注目すべきは、「減法混色法」のプロセスも、オーロンが特許化していた点です。
三色分解ネガから、それぞれ**シアン・マゼンタ・イエロー(CMY)**の染料や顔料でプリントを作り、それを紙の上で重ねてフルカラー画像を作成する方法です。

減法混色は、インクや絵の具など“色材”を重ねるほど暗くなり、三色すべてを混ぜると理論上“黒”になります。
現代のカラーフィルムやインクジェットプリンター、オフセット印刷など「すべてのカラー印刷」がこの原理で成り立っています。

オーロンは、加法混色だけでなく、減法混色による“紙の上のフルカラー再現”にも世界で初めて挑み、その設計図を特許にまとめました。


多層プリント法・カーボン/染料浸透プリントの特許

オーロンの1868年特許には、「三色分解で得た3枚のネガから、それぞれ異なる色のプリント(染料・顔料)を作り、それを重ねて1枚のフルカラー画像を得る」という多層プリント法も含まれていました。
この考え方は「カーボンプリント」や「染料浸透プリント(dye imbibition)」として発展し、20世紀の高級カラープリントや商業印刷の先駆けとなりました。

こうした発想は、オーロンの時代には非常に先進的で、現代写真や印刷の礎として高く評価されています。


スクリーンプレートの先見性

オーロンは、後のリュミエール兄弟によるオートクローム法を先取りするような「スクリーンプレート」──微細なカラーフィルターを配列した板を使った色再現技術──も特許で提案していました。このアイデアは、20世紀に商業化されたカラー写真術やカラーフィルムの直接のルーツとなっています。


デュコ・デュ・オーロンの1868年特許には、「色を記録し、再現する」という夢を実現するための革新的な設計思想が詰まっていました。
この特許こそが、現代の写真・印刷・ディスプレイに至る“色の科学”の礎となったのです。


第4章|リュミエール兄弟・マクスウェル・現代技術との“本当の系譜”


オーロン技術の継承と進化

オーロンが1868年に描いた“設計図”は、彼一代で終わったわけではありません。
その三色分解法と混色原理は、後世の多くの発明家・技術者によって継承・発展されていきました。

たとえばイギリスの科学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、1861年に世界初の加法混色によるカラーフォト投影実験を行いましたが、材料の限界もあり、技術として普及はしませんでした。
オーロンはマクスウェルの理論に実用的な方法を与え、紙の上に残る“写真”としてカラー画像を作り出すことに成功します。

その後、フランスのリュミエール兄弟は、1907年に世界初の実用的なカラーフィルム「オートクローム」を発売。このオートクロームは、三色分解原理を“スクリーンプレート”という新しい形で実装し、一般の人々が本格的なカラー写真を撮影できる時代を切り拓きました。

また、オーロンの減法混色法は、その後の銀塩カラーフィルム(カラーネガ・カラーポジ)やカラー印刷にも、技術的な根幹として受け継がれます。
オーロンの発想は、**単なる科学理論にとどまらず、「現代社会に浸透した実用技術」**へと変貌していったのです。


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なぜ“減法混色”こそ現代写真・印刷の本流となったのか

今日、私たちが手にする写真プリントやカラーカタログ、雑誌のフルカラー印刷、そのすべては“減法混色(CMY)”が基本原理です。
この方式は、「色材(インクや染料)を重ねることで色を作り出す」減法混色プロセスによって、どんな色でも現実に再現できるという特徴があります。

実際に現代のカラーフィルムやインクジェットプリンター、オフセット印刷では、シアン・マゼンタ・イエロー(CMY)という三原色を使い、オーロンが考案した方法そのままに“色”を作っています。
オーロンの三色分解法と減法混色の設計思想は、今や生活のあらゆる場面で「当たり前」の技術となっています。

そして、リュミエール兄弟のオートクロームのような加法混色方式も一時代を築きましたが、**「紙の上に色を残す」「印刷する」**という実用性・大量生産性の観点からは、減法混色が主流となり、21世紀の今もなお現役です。


第5章|現代に生きるオーロンの設計思想──印刷・映像・デジタルの根本原理


カラーフィルム・印刷・ディスプレイへの影響

ルイ・デュコ・デュ・オーロンが19世紀に描いた“設計図”は、今も私たちの生活の隅々に息づいています。
家庭用カラーフィルムや写真プリント、雑誌やカタログの鮮やかなフルカラー印刷、さらにはスマートフォンやパソコンのディスプレイ──
これら全ての「色を再現する技術」は、三色分解法や減法混色・加法混色というオーロンの発明と理論を源流に持っています。

カラーフィルムは、光を三色に分けて記録し、現像時にシアン・マゼンタ・イエロー(CMY)で発色させる“減法混色”方式。
印刷会社が日々扱うオフセット印刷やインクジェットも、CMY三原色による減法混色が基本原理です。
さらに、ディスプレイやデジタル画像はRGB三原色による“加法混色”であらゆる色を表現します。

つまり、現代社会のあらゆる「色」は、オーロンの設計思想の延長線上にあると言えるでしょう。


偉人から偉人へ──“色のバトン”をつないだ象徴的な瞬間

オーロンの発明と理論は、次世代の発明家たちに確かに受け継がれました。その象徴が、20世紀初頭のリュミエール兄弟によるエピソードです。

リュミエール兄弟は、三色分解法を原理とした世界初の商業カラーフィルム「オートクローム」を1907年に発売し、“色で残す写真”を一般の人々に届けました。
その際、彼らはオートクローム法を使い、オーロン本人のポートレート写真を撮影しました。自らが生み出した理論をもとに進化した新しい技術によって、オーロンの肖像が“色”で未来に記録されたのです。
まさに、写真と色彩技術の“バトンリレー”を象徴する出来事です。


名前なき「設計図」の継承──オートクロームからアグファカラーへ

オーロンの名前は、商品のブランドや大衆の記憶には残りませんでしたが、彼の理論や発明は静かに、しかし確実に次世代の技術へと受け継がれていきました。

1907年に登場したオートクロームは、オーロンの三色分解法と加法混色の理論を、スクリーンプレートという独自の構造で商品化し、世界のカラー写真市場に革命を起こしました。

続く1936年、ドイツの**アグファカラー(Agfacolor Neu)**は、減法混色(CMY)を用いた三層式多層カラーフィルムを初めて商品化し、以降のカラーネガフィルムや印刷の“世界標準”となりました。
このフィルム構造は現代に至るまで改良されながら使われ、
「減法混色一体型フィルム」としてはアグファカラーが世界初であり、その原理もまたオーロンの設計図にたどり着きます。


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なぜ彼の名前は“静かに”受け継がれたのか

では、なぜオーロンの名前は広く語り継がれなかったのでしょうか?
その最大の理由は、彼が残した特許と理論の範囲があまりにも広く、そして時代の先を行きすぎていたからです。
また、19世紀当時は化学材料や商業化のインフラが未成熟で、発明自体を大規模に普及させることが困難でした。

のちにリュミエール兄弟や大手メーカーが、実用化・大量生産・ブランド化によって世の中を変えましたが、
「原理そのもの」は、すでにオーロンが19世紀に設計していた――
この事実は、写真・印刷・技術分野では静かに語り継がれてきたのです。

今、私たちが手にするフルカラー写真や美しい印刷物、鮮やかなディスプレイの“色”のすべては、無名の発明者が遺した設計図の上に咲いているのです。


第6章|まとめ──「色で残す」ことの意味と、次世代へのメッセージ


三原色の時代を超えて

19世紀、白黒の写真が当たり前だった時代に「現実の色をそのまま写真で残す」という夢を本気で追い求めたのが、ルイ・デュコ・デュ・オーロンでした。
彼が発明した三色分解法や減法混色の設計思想は、リュミエール兄弟をはじめ多くの後続の技術者たちに受け継がれ、やがてカラーフィルムや印刷、そしてデジタル時代へと進化していきました。

現代の印刷や写真、ディスプレイのすべての「色を再現する技術」は、オーロンが描いた“設計図”の上にあります。
たとえば雑誌やカタログの鮮やかなフルカラー、スマートフォンで気軽に撮れるカラー写真も、その根底には三原色理論や減法混色、三色分解という原理があります。
オーロンのチャレンジは、技術や時代を超えて、私たちの日常や仕事、文化を豊かにし続けているのです。


写真・印刷の未来はどこへ向かうのか

技術がどれだけ進化しても、「現実の色をどう残すか」「どう伝えるか」というテーマは、これからも人類の創造活動の中心であり続けるでしょう。
AIやデジタル化が進む今こそ、“原点”に立ち返り、オーロンのような本質的な問いと情熱を持ち続けることが、新しい時代の技術や文化を切り拓く力になるはずです。

写真や印刷は、単なる記録や装飾を超え、「色で残す」という人間らしい夢そのものです。
このブログが、過去と未来、技術と感性をつなぐヒントとなり、「色」という視点で写真や印刷を楽しむきっかけになれば幸いです。


▶次に読んでほしい記事 オートクロームとは?リュミエール兄弟が実現した世界初の“カラー写真”技術をやさしく解説


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