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1|畢昇とは誰か──宋代に現れた革新者
活版印刷といえば、ドイツのヨハネス・グーテンベルクを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、彼の発明よりもおよそ400年も早く、“可動式活字”という革命的な技術を生み出した人物が、中国・宋代に実在しました。その名が 畢昇(ひっしょう、Bi Sheng) です。
生没年と時代背景──宋代の庶民から生まれた発明家
畢昇が活躍したのは、北宋時代の真宗(在位:997〜1022)から仁宗(在位:1022〜1063) にかけての頃。生年は明確に記録されていませんが、死没年は1051年頃とされ、活動時期は1041〜1048年ごろと推定されています。
彼は官僚や書家ではなく、身分の高くない職人階級の人物だったと伝えられています。当時の中国は木版印刷が全盛で、宗教書や儒教経典などの大量複製に使われていました。ですが、木版は一枚の版を彫るごとに労力と時間がかかり、誤植があれば最初から作り直す必要がありました。
この“非効率さ”に対して疑問を持った畢昇は、新たな発明に挑みます。
たった一冊の記録──《夢渓筆談》にのみ残された功績
畢昇の名前と活躍は、北宋の政治家・科学者である**沈括(しんかつ/1031–1095)**の著作『**夢渓筆談(ぼうけいひつだん)』**の中に記されています。この書は、天文、数学、医学、地理、技術など多岐にわたる科学的観察記録で、彼が畢昇に会ったときの印象や技術の詳細が描かれています。
沈括はその中で、次のように書いています:
「畢昇、膠泥にて字を作る。字のごとに一印を作り、火にて焼きて堅くす。……用いて一板を排す。」
(訳:畢昇は粘土にて文字を刻み、火で焼いて硬化させ、それを用いて組み合わせ、印刷に用いた)
これが、世界最古の「可動式活字印刷」の記録です。
革新の本質──“文字を動かして印刷する”という発想
畢昇の発明は、たんに印刷方法を変えたのではなく、「文字をひとつひとつ独立させ、再利用可能にする」という概念を生んだ点で極めて革新的でした。
これはまさに、現代のDTP(デスクトップ・パブリッシング)やレイアウトソフトに通じる“編集可能性”の原点とも言えます。畢昇は、印刷という技術を「一枚の版」から「再構成できるパーツ」の集合体へと進化させたのです。
第2章|膠泥活字の構造を分解する──“一文字ずつ”という革新のはじまり
1|「膠泥活字」とは何か?
畢昇が生み出した「膠泥活字(こうでいかつじ)」とは、
膠(にかわ)を混ぜた粘土で一文字ごとに成形し、焼き固めた印刷用の活字のことです。
これにより、文字を一つひとつ独立して扱えるようになり、文章を自由に組み替えたり再利用できる「可動式活字印刷」が成立しました。
これは、固定版を使う従来の木版印刷とは全く異なる概念であり、世界に先駆けた技術革新でした。
2|使用された材料と加工の特徴
この活字に使われた「膠泥」は、粘土に膠(動物由来の天然接着剤)を混ぜ合わせたものです。
膠を加えることで粘土の可塑性が増し、刻字がしやすくなるだけでなく、焼成後に一定の強度と寸法安定性が得られます。
粘土の板に文字を刻み、窯で焼き固めることで、印刷用の“タイル状文字パーツ”が大量に作成可能になったと考えられています。
3|印刷の手順と仕組み
史料から読み取れる当時の印刷工程は、おおよそ以下のような流れだったとされています:
-
文字を組み並べる:印刷に使う文字を、必要な順序で並べる
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版として固定する:粘着性のある物質で活字を仮止めして固定
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墨を塗って印刷:紙を当てて圧力をかけ、文字を転写
-
文字を外す:印刷後、活字を取り外して再利用する
この方式により、同じ活字を複数の印刷物で使い回すことができるようになりました。
4|なぜ「膠泥」だったのか?──木材との比較
畢昇が木材ではなく、あえて膠泥を選んだ理由は明確には残っていませんが、
以下のような利点があったと考えられます:
-
加工のしやすさ:粘土は柔らかく、文字を刻むのに適していた
-
材料の安さと入手性:木材は建築や工芸用として高価だった一方、粘土は広く採取可能だった
-
寸法の安定性:焼成することで形が定まり、高さを揃えるのに有利だった
一方で、焼き物である膠泥活字は衝撃に弱く、割れやすいため、長期使用や大量印刷には不向きだったとみられます。
5|まとめ:印刷技術の“分業化”が始まった瞬間
畢昇の膠泥活字は、文字を一体の版に彫る時代から、「文字をパーツとして扱う」時代への転換点となりました。
文字の修正や再配置が可能になったことで、印刷はより柔軟かつ効率的になり、
後の活版印刷やデジタル組版に通じる「編集可能性」の萌芽となったのです。
第3章|なぜ畢昇は“粘土”を選んだのか?──木との比較と時代的背景
1|畢昇の登場以前:整版印刷(木版印刷)が支配していた時代
畢昇が活躍した11世紀初頭の中国では、すでに仏教経典や儒教の古典を大量に印刷できる「整版印刷(せいはんいんさつ)」が普及していました。これは、1ページ単位で文字全体を木の板に彫って版とするもので、版木の保存・再利用が可能な点で当時としては画期的でした。
しかし整版印刷には、「誤植があっても版をすべて作り直す必要がある」「内容改訂に柔軟に対応できない」「大量の版木保管スペースが必要」といった限界がありました。
この課題を乗り越えようと試みたのが、畢昇の“膠泥活字”という革新的技術だったのです。
2|木ではなく粘土を選んだ理由──整版印刷との構造的な違い
畢昇が取り組んだ可動式活字は、「文字を1つずつ独立させ、再利用する」という発想に基づいています。そしてその素材として「焼成した粘土(膠泥)」が選ばれた背景には、当時の木材事情や印刷品質へのこだわりがありました。
以下、整版印刷に使われた“木”と、畢昇が選んだ“粘土”の特徴を比較します。
▼ 木材の課題(整版印刷)
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吸水性が高い
木は導管による毛細管現象でインクや湿気を吸いやすく、印刷中に膨張・変形を起こすリスクがありました。とくに、印刷面の高さが揃わず、かすれやにじみの原因となります。 -
彫刻後も平滑に仕上がりにくい
木目や年輪による硬度のムラがあり、細字の再現性が低い点も問題でした。精緻な宗教書のような用途では、文字の輪郭が崩れる恐れがあります。 -
湿度変化に弱く、反りや割れが生じる
長期保管や繰り返し使用の中で、木は反ったり割れたりすることが多く、版の耐久性に難があったのです。
▼ 畢昇の採用した粘土活字のメリット
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形状が安定し、吸水率が低い
焼成された粘土は陶器のような性質を持ち、湿気を吸いにくく、形が崩れにくい素材です。これにより、版面の高さや印圧の均一性が確保されました。 -
彫刻面が滑らかに仕上がる
均質な粒子で構成される粘土は、細線や小文字も鮮明に仕上げやすいという特徴があります。 -
材料コストが低く、入手しやすい
良質な木材は建築・造船など他用途でも需要が高く高価でしたが、粘土は各地の川沿いなどから安価に採取可能だったため、活字の量産に適していました。 -
再利用が前提の設計が可能だった
接着には松脂や蝋などを混ぜた「可逆性のある接着剤」が使われていたと記録されており、加熱によって活字を簡単に取り外すことができる構造だったと考えられています。
3|それでも“木製活字”が再評価されたのはなぜか?
畢昇の膠泥活字は、思想的には革新的でしたが、実際の運用には限界もありました。とくに**焼き物ゆえの「割れやすさ」「衝撃への弱さ」**は無視できない欠点でした。
そのため可動式活字印刷は一時的に姿を消しますが、約250年後の元代(13世紀末)には、政治家・技術者の**王禎(おうてい)**が木製の可動式活字を再発明します。彼は以下のような工夫で活字印刷の課題を克服しようとしました。
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防水処理を施した樟(しょう)材を使用し、膨張を抑制
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“字書棚”というキャビネットを用いて活字の検索性を向上
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科挙や地誌のような、改訂頻度の高い印刷物に活字印刷を適用
これにより、畢昇が拓いた「可動式活字」の思想が、実用技術として花開く道が整ったのです。
▶併せて読みたい記事 王禎と木活字とは?中国で発明された画期的な活字印刷技術の歴史とその意義をやさしく解説
4|まとめ──粘土の選択は“技術的妥当性”に基づいていた
畢昇が木材ではなく粘土を選んだ理由は、次の3点に集約できます。
-
印刷品質を安定させるための形状精度と平滑性
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宋代の木材不足を補う資源コストの安さ
-
活字の再利用を可能にする工程設計との相性
その後の技術史の中で、彼の採用した素材は見直されることはありませんでしたが、可動式活字という思想はしっかりと引き継がれていきました。畢昇の真価は、素材にあるのではなく、“印刷を再構成可能なものへと変えた”発想そのものにあるのです。
第4章|膠泥活字が主流にならなかった3つの理由
「なぜ、世界初の可動式活字が普及しなかったのか?」──
これは畢昇(ひっしょう)の功績を語るうえで避けて通れない疑問です。結論からいえば、それは技術の限界よりも、当時の社会構造が“可動式活字”を必要としなかったという背景によるものでした。
ここでは、その理由を3つの視点から読み解いていきます。
1️⃣ 理由①:活字管理が複雑すぎた
膠泥活字は、文字を1つひとつ独立させて自由に組み換えられるという画期的な技術でしたが、実際の運用には膨大な手間がかかるものでした。
漢字文化圏では、常用漢字だけでも数千字にのぼります。印刷のたびに、必要な文字を棚から探して並べ、印刷後にはまた元の位置に戻す──という作業が発生します。
これは欧文のアルファベットのように文字数が限られている文化圏と比べて、圧倒的に時間と労力がかかる作業です。
《夢渓筆談》にも「旁近爐處、皆陳列字印也(炉のそばに、活字を整然と並べていた)」と記されており、畢昇が活字を種類ごとに棚へ整理しながら運用していた様子がわかります。つまり、活字の物理的な管理コストが非常に高かったのです。
2️⃣ 理由②:印刷品質の安定が難しかった
膠泥活字は粘土を焼き固めて作られるため、形状の安定性にはある程度の利点がありましたが、それでも印刷精度には課題が残りました。
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焼成の段階でわずかな歪みや寸法差が生じる
-
すべての活字の高さを揃えるのが難しく、印圧が均一にならない
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印刷時にかすれやにじみが発生しやすい
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使用中に欠ける・割れると交換が必要になる
このように、大部数印刷に耐えるほどの耐久性と精度を持ちにくいという点が、膠泥活字の普及を妨げる一因となりました。
3️⃣ 理由③:当時の出版文化と噛み合わなかった
宋代の印刷文化は、仏教経典・儒教の教典・行政帳簿など、内容が変わらない書物を何千部と刷るという需要が主でした。
こうした「定型の書物」には、木版印刷(整版印刷)のほうが圧倒的に適していました。
一度木の版を彫ってしまえば、版が壊れるまで同じ内容を何度でも印刷できるからです。
一方、膠泥活字が本領を発揮するのは、次のような印刷物です:
-
情報の更新頻度が高い新聞や公告
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小ロット・多品種の印刷物
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修正や再版が頻繁に発生する教材や法令
しかし、宋代にはそうした印刷需要はまだ一般化しておらず、「活字を組み直して印刷する」という発想が生きる場面がほとんどなかったのです。
🔚 小まとめ:技術は時代を先取りしすぎていた
畢昇の膠泥活字は、印刷技術において間違いなく革命的な発明でした。
けれど、それを支えるための社会的な条件──出版制度、活字管理技術、市場のニーズ──がまだ整っていなかったのです。
後世になって木製や金属製の活字が改めて活用されるようになったのは、印刷技術を取り巻く環境そのものが変わったからでした。
畢昇の活字が「世界最初の可動式活字」として記録されながらも広まらなかった理由は、**「技術の未熟さ」ではなく「時代の未成熟さ」**にこそあったと言えるでしょう。
第5章|東西比較:グーテンベルク活版との“400年差”
世界で初めて可動式活字を実用化したのは、中国の畢昇(1040年代)です。
しかし世界史の教科書では「活版印刷の父=グーテンベルク」とされるのが一般的。
なぜ畢昇よりも400年後の西洋技術が“印刷革命”として語られるのでしょうか?
ここでは両者の違いを技術・運用・社会構造の3軸で比較します。
1️⃣ 技術構造の違い:粘土 vs 金属
項目 | 畢昇の膠泥活字(1040年代) | グーテンベルクの金属活字(1450年頃) |
---|---|---|
材料 | 焼成した粘土に膠を混ぜたもの | 鉛+錫+アンチモンの合金(可溶性・鋳造性) |
耐久性 | 数百回印刷で摩耗・割れあり | 数千回印刷可能で量産性高い |
字数 | 漢字3,000字以上 | アルファベット26文字+記号数十点程度 |
活字鋳造法 | 手彫りの粘土整形 → 焼成 | 鋳型(モルド)に溶解金属を流す鋳造方式 |
印刷方式 | 手押し → 圧接 | スクリュープレスによる均等加圧 |
→ 欧州では、少数文字×高耐久×鋳型整形=再現性と大量印刷を実現。
→ 一方、中国では多字種・脆性素材・高整理負担で量産が困難でした。
2️⃣ 運用・出版インフラの違い
比較軸 | 中国・北宋 | ドイツ・15世紀 |
---|---|---|
印刷主目的 | 仏教経典・儒教古典などの長期固定物 | 新聞・告示・聖書などの変動性コンテンツ |
読者層 | 官僚・学者などごく限られた層 | 聖書普及による庶民への情報浸透が目的 |
活字整理技術 | 個人レベルで棚管理 | 工房単位での体系的な分類と保管制度あり |
価格競争 | 木版職人が主流・活字印刷の単価が不利 | 活字印刷がコスト低下を牽引(1冊あたり約1/8) |
→ 西洋では出版・流通を支えるインフラが整っており、「活字」が社会に受け入れられる下地があった。
3️⃣ なぜ“印刷革命”は西洋で起きたとされるのか?
世界史で「印刷革命」と呼ばれるのは、グーテンベルクの金属活字によって出版物が爆発的に増加した現象を指しています。
これには以下の理由があります:
-
活字印刷が情報アクセスの民主化に直結した(識字率↑・知識の共有化)
-
宗教改革・ルネサンス・科学革命などとリンクし、社会構造を変えた
-
数百万冊単位での流通インパクトが明確に記録されている(例:ラテン語聖書1455年〜)
一方、畢昇の膠泥活字は試みとして記録されていても、実用化と拡散のインパクトが限定的でした。
→ よって、技術的には東洋が先行していたが、社会変革としての“革命”は西洋由来とされているのです。
🔚 要点まとめ:東洋が技術で先行し、西洋が社会で花開かせた
-
畢昇は「世界初の可動式活字技術者」であり、構造上の概念はグーテンベルクに先行
-
ただし西洋では「少文字×大量鋳造×出版制度」が揃い、実用・普及につながった
-
「印刷革命」は技術革新+社会実装の両輪が噛み合って初めて起きる
第6章|東アジア印刷技術の系譜──中国→高麗→日本
畢昇の膠泥活字は単発で終わった技術ではありません。
実はその発想は、のちの朝鮮・日本にも間接的に受け継がれ、地域ごとに異なる形で昇華されていきました。
このセクションでは、「膠泥活字」以後のアジアにおける可動式活字の展開史をたどります。
1️⃣ 中国の“第2の活字革命”──王禎と木活字(13世紀)
畢昇から約250年後、元代に**王禎(おうてい/活躍期:1280年代〜1313年頃)**が再び可動式活字に注目します。
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1313年、著書『農書』で木活字の組版・活字棚の運用図を詳述
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1文字ずつ手彫りし、油処理して耐水・耐摩耗性を向上
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**“字書棚”の分類システム(声母順)**で活字整理コストを大幅削減
→ 畢昇の粘土活字に対して「実用性」「整理効率」が大きく進化した事例と言えます。
2️⃣ 朝鮮(高麗)の金属活字──世界最古の鋳造活字文化
高麗王朝(918–1392)の末期、金属活字の鋳造による書籍印刷が行われたという記録が残っています。
-
1377年:『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』(通称『直指』)を金属活字で印刷
-
活字は銅・鉛・錫などの合金で製造され、鋳型で量産可能だったとされる
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世界で現存する最古の金属活字印刷物(Gutenbergより78年早い)
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この直指は現在、韓国・清州の「直指博物館」に所蔵(UNESCO認定)
✅補足:記録上の技術発明年は明確ではないが、遅くとも1377年には金属活字による実用品が存在
3️⃣ 日本への伝播と“木版文化”の強さ
日本では、可動式活字は朝鮮・明代中国を経て16〜17世紀に導入されましたが、
定着せず、木版印刷が主流のまま残ることになります。
📜 主な活字印刷事例
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1590年:天正遣欧使節帰国後にグーテンベルク式活字印刷を伝来(イエズス会)
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1593年:京都・印刷所で『キリシタン版』聖書印刷が始まる(鉛活字)
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1599年:豊臣秀吉が日本初の国営活字印刷事業「駿河版」を展開
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1630年頃:徳川家光期に「活字禁止令」が出され、木版印刷が再興される
📌 なぜ定着しなかった?
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漢字の総数が多すぎ、活字管理が現実的でない
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武家社会において、出版=情報拡散と見なされ、警戒された
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職人の技術が「木版の細密な彫刻」に特化し、手作業品質が文化的に評価された
→ 結果として、日本は東アジアの中でもっとも“木版重視”の出版文化を築いた国となります。
🔚 まとめ:技術を受け継ぎつつ、文化ごとに異なる道を選んだアジア
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畢昇の膠泥活字(11世紀)→ 王禎の木活字(13世紀)→ 高麗の金属活字(14世紀)
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中国では技術継承が断続的ながら続き、朝鮮では量産的に確立
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日本は活字を「部分的に導入」しつつも、独自の木版文化へと発展させた
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結果として、東アジアは「活字技術を持ちながらも文化的選択で普及度が異なる」歴史を歩んだ
第7章|現代への影響:DTPとフォント設計に宿る思想
畢昇が発明した「膠泥活字」は、古代の印刷技術の話にとどまりません。
実はその発想は、現代のデジタル印刷やフォント設計思想の根幹にも深くつながっています。
ここでは、可動式活字がどのようにしてDTP・デザイン・レイアウト技術へと“思想的に継承”されているのかを見ていきましょう。
1️⃣ 文字を“部品”と捉える──DTPの基本概念は畢昇に通じる
畢昇の革新性は、「文章=版ではなく、文字=可動部品」と捉えた点にあります。
この考え方は、今日の**DTP(Desktop Publishing)**の仕組みにそっくりです。
比較軸 | 畢昇の膠泥活字 | 現代DTP |
---|---|---|
文字処理 | 一文字ずつ作成し、並べてレイアウト | 文字をテキストボックス単位で操作 |
組版操作 | 活字を手作業で並べて印刷 | ソフト上でリアルタイムに位置・字間を調整 |
再利用性 | 使用後の文字を解体・保存 | フォントとしていつでも再使用可能 |
→ **「固定レイアウトを解体し、文字を再利用可能なパーツとして扱う」**という概念は、DTPの思想的祖先といえます。
✅ Adobe InDesign、Illustrator、Word、Pagesなど、ほぼすべてのレイアウト系ソフトは**「組み直せる活字思想」**を前提に構築されています。
2️⃣ フォント設計思想に生きる「単位文字」の哲学
可動式活字の発明は、「1つひとつの文字に個別の物理的存在がある」という点でも重要です。
この発想は、現代のフォント設計における基本単位、「グリフ」や「アウトライン」に受け継がれています。
📐 フォント制作との共通点:
-
活字=グリフ(1字ずつの設計単位)
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活字整理棚=Unicode表のような体系的整理
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印刷精度=アウトラインと解像度での補正技術
特に、日本語のように文字数が多い言語では、
畢昇が直面した「文字数が多いゆえの設計・管理の困難さ」が、今もフォント開発者の課題となっています。
たとえば、Adobeの日本語フォント「源ノ角ゴシック」には6万字以上のグリフが存在。まさに「活字を整備する哲学の現代版」といえます。
3️⃣ 教育と文化史で再評価される畢昇の遺産
近年、畢昇の発明した可動式活字に対する評価は、歴史技術の枠を超えて広がりつつあります。
とくに東アジアでは、教育・文化の分野でその意義が見直される動きが進んでいます。
たとえば、中国国内では《夢渓筆談》をはじめとする古典資料をもとに、膠泥活字の復元研究や教材化が進行。
展示施設や学術機関では、模型やレプリカを通して活字の構造や運用方法を学ぶ機会が設けられています。
また、国際的にも「印刷技術の源流が東洋にあった」という視点から、畢昇の存在が再評価されています。
たとえば**大英図書館(British Library)**などでは、中国における初期印刷技術の展示や解説を通して、畢昇の位置づけに注目する動きが見られます。
このように、畢昇の可動式活字は単なる発明品ではなく、
「情報を構造化し、再利用可能な形に整理する」という思想の原点として、現代の教育・文化の中に静かに息づいているのです。
🔚 結論:畢昇が示した「文字を動かす」という発想は、今日の情報デザインの根本思想として生き続けている
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畢昇は「文字を動かす」という発想を発明した人物
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その概念は、DTPソフト・フォント設計・組版思想に今なお息づく
-
現代の情報社会においても、畢昇の哲学は「整理・再利用可能な情報」の構造として活用されている
第8章|まとめ
✅ この記事の要点まとめ
畢昇は1041年頃、世界初の可動式活字「膠泥活字」を発明し、印刷の概念を根本から変えた人物です。
粘土と膠によって焼成された活字は、再利用・組み換え可能な“文字パーツ”として、現代のDTP思想にも通じています。
西洋の金属活字より400年も早かったにもかかわらず、出版制度や社会構造の未整備により、大規模な普及には至りませんでした。
🔚 終わりに:畢昇を「印刷革命のもうひとつの起点」として捉えよう
畢昇は、グーテンベルクと並び立つべき「もうひとりの可動式活字の発明者」です。
もし彼の技術が当時の社会に広く受け入れられていたならば、東洋における“情報革命”はもっと早く訪れていたかもしれません。
それでも彼が築いた「文字を分解して再構成する」という思想は、今日のデジタル印刷やフォント設計にまで受け継がれています。
だからこそ、今こそ畢昇の功績を正しく知り、その存在を次の世代へと伝えていくことが大切です。
このブログが、そのきっかけになれば幸いです。
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