アタナソフとベリーが開発した世界初の電子計算機ABCとコンピュータ誕生の真実

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このブログはブログシリーズ「コンピュータの思想と誕生」⑦です。

まとめはこちらから▶コンピュータの思想と誕生|Z3・ENIAC・EDVACなど11の起点を比較解説

前の記事はこちらから▶⑥コンラート・ツーゼとは?世界初のプログラム制御コンピュータ「Z3」の誕生


第0章|導入──「電子計算機」はノイマンよりも3年早く誕生していた


コンピュータの歴史において、“電子化”は最大の転換点です。

それまでの計算機は、歯車やレバー、あるいは電磁リレーといった機械的な動作に依存していました。
動作は遅く、壊れやすく、柔軟性に欠ける──
そんな時代に突如として現れたのが、「電子で計算する」というまったく新しいアプローチでした。

それが、**1942年にアメリカで試作されたABC(Atanasoff–Berry Computer)**です。

開発を主導したのは、アイオワ州立大学の物理学者ジョン・アタナソフと、彼の教え子だったエンジニアのクリフォード・ベリーでした。
大学構内の研究室で少人数体制のもとに進められたこの試作プロジェクトは、
電子回路によって数値演算を行うという新しい方式を初めて実装した装置として知られています。
この成果は、後に登場する電子計算機の構造設計にも影響を与える重要な基盤となりました。

ABCはZ3のようなプログラム制御型ではありませんでしたが、
真空管による演算・記憶・制御の自動化という意味では、
明らかにENIACやノイマン型コンピュータを先取りしていた存在です。

ではなぜ、この装置は長らく歴史の影に埋もれたのか?
そして、後に巻き起こるENIAC特許訴訟で、なぜABCの存在がクローズアップされたのか?

この記事では、ABCという“もう一つのコンピュータの原点”に光を当てながら、
電子計算機の誕生と再評価の物語を辿っていきます。


第1章|人物像──ジョン・アタナソフとクリフォード・ベリー


🧠 数学者ではなく“物理屋”──アタナソフの原点

ジョン・アタナソフ(John Vincent Atanasoff)は、1903年にアメリカで生まれた理論物理学者です。
専門は電磁気学と数値解析。とくに偏微分方程式を数値的に解く方法に強い関心を持っていました。

1930年代、アタナソフはアイオワ州立大学の物理学教員として勤務していましたが、
そこで抱えていた大きな悩みがありました。

「計算が、遅すぎる……」

複雑な物理方程式を解くには、人手での計算では追いつかず、
計算速度と正確性の限界に直面していたのです。


🧮 「人間ではなく、機械が計算すべきだ」

当時すでに手回し式の計算機パンチカードによる集計機は存在していましたが、
それらはすべて機械的・手動的で、動作も遅く柔軟性に欠けていました。

そんな中、アタナソフは次のような発想に至ります。

「計算機に必要なのは、機械ではなく電子だ」

機械的構造をすべて捨て去り、真空管・コンデンサ・論理回路などを用いることで、
“完全に電子で動作する計算機”を目指し始めたのです。

この時点で彼は、電子工学と数学の両方に精通していた、数少ない先駆者でした。


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👨‍🔬 ベリーとの出会い──若き協力者の存在

1939年、アタナソフは自身の構想を具体化するため、
**アイオワ州立大学の学生エンジニアだったクリフォード・ベリー(Clifford Berry)**を研究助手として迎え入れました。

大学の研究室で、2人は少人数の体制ながら試作機の設計と実験を進めていきます。

  • アタナソフ:理論設計と全体構造の立案

  • ベリー:真空管回路の設計・組立てなど実装面の担当

この共同研究によって誕生したのが、後に**「アタナソフ=ベリー・コンピュータ(Atanasoff–Berry Computer:ABC)」**と呼ばれる試作機でした。


🏛️ 国家プロジェクトではなかった、“地下室のDIY革命”

Z3やENIACのように、国家的な資金援助や軍事目的での開発ではなく、
ABCの研究は州立大学内の限られた環境で進められました。

小規模な研究室
限られた予算
少人数のスタッフ

という状況のなか、アタナソフとベリーは試作機の完成を目指しました。

その結果生まれたABCは、ENIACよりも数年早く電子回路による計算を実現し、
のちの技術者たちに「電子的に動作する計算装置」という新しい方向性を示したと評価されています。


第2章|ABCの仕組み──電子回路による論理演算のブレークスルー


💡 世界初の“電子回路式”コンピュータの誕生

ABC(Atanasoff–Berry Computer)は、1942年に完成した試作段階の特殊目的計算機です。
この装置は世界で初めて、真空管を用いて数値演算を処理することに成功しました。

それは単なる速度向上の話ではなく、
「論理演算を電子で行う」という現代コンピュータの根本原理の誕生でもあったのです。


🔌 使用された主要技術と構成要素

ABCの主な構成は、次のようなものでした:

機能 構成技術 特徴
演算 真空管回路(約300本) 電子信号によって加減演算を高速処理
記憶 回転ドラム式コンデンサメモリ(2進法) 約30組×50ビット分の情報を保持可能
入力 パンチカード(データ入力専用) プログラム制御機能は未搭載
制御 手動スイッチ+固定制御回路 一定の手順に基づいて動作

このように、ABCは汎用的なプログラム実行を目的とした装置ではなく、
主に数値解析を自動化するための専用計算機として設計されていました。

それでも、演算の中心部分に電子回路を採用していたという点で、
それまでの機械式や電気機械式の計算装置とは明確に一線を画していたのです。


⚙️ 二進法と電子メモリ──思想も先進的だった

ABCは、現代コンピュータでも使用されている**2進法(バイナリ)**を採用。
また、記憶装置として使われたのは、

回転するドラム上に並んだコンデンサ(静電容量素子)に電荷としてビットを保持する

という、当時としては極めて先進的な方式でした。
これは現在のDRAM(動的RAM)や磁気ディスクと思想的に通じるものであり、
「記憶を電気的に扱う」という発想を最初に実装した例のひとつとされています。


❌ プログラム制御は“未実装”──だが、それでいい

ABCには、Z3のような穿孔テープによるプログラム制御機能は備わっていませんでした。
構造はあくまで固定的で、入力と出力を手動で設定する形式の専用機だったのです。

一見すると未完成のようにも見えますが、
アタナソフが目指していたのは「計算の中核そのものを電子で置き換えること」。
彼の関心は、プログラム制御ではなく、計算の身体構造を電子的に実現することにありました。

Z3が「自動制御の概念」というソフトウェア的な発想を切り開いたとすれば、
ABCは「電子による論理構造」というハードウェア的な基盤を築いた装置でした。
互いに無関係に生まれながらも、異なる方向から同じ未来──現代コンピュータの誕生──へと近づいていたのです。


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第3章|なぜABCは忘れられたのか──戦時下での中断と消滅


⛔ “完成”はしたが、“公開”されなかった

ABC(Atanasoff–Berry Computer)の試作機は、1942年初頭までに数値計算が可能な状態に到達していたとされています。
しかしその成果は、正式な論文や特許として公表されることはなく、実用化にも結びつきませんでした。

その背景には、第二次世界大戦の影響がありました。
戦局の拡大により研究資金や人員が軍事分野へと集中し、大学での基礎研究を続けることが困難になっていったのです。


🪖 アタナソフ、軍事転属へ──プロジェクトの中断

完成から間もなく、アタナソフは米軍の研究任務に従事することになり、
コンピュータ開発から離れざるを得なくなりました。

助手のクリフォード・ベリーも大学卒業後は別の研究職に就き、
結果としてABCの開発チームは自然消滅します。

実機となったABCは、アイオワ州立大学の研究室に保管されたまま使用されなくなり、
その後、設備の入れ替えなどを経て解体・廃棄されたと伝えられています。


📄 記録の乏しさ──設計書も論文も残らなかった

Z3やENIACのように、図面・論文・特許などの形で記録が残っていれば、
後世の研究者がその成果をたどることもできたでしょう。

しかしABCの場合、

  • 完全な設計図が現存していない

  • 処理内容や制御方式の詳細な資料が乏しい

  • 科学論文として正式に発表されなかった

といった記録上の空白が多く、
のちの世代がその存在を確認することは困難でした。

このため、20世紀後半までABCの名を知る技術者はごく限られていました。


🤐 ENIACへの技術影響も、“広く知られなかった”

さらに不運だったのは、1940年代後半から1950年代にかけて登場した
ENIACやEDVACといった電子計算機の開発者たちが、
ABCの存在をほとんど知らなかったという点です。

「存在していたのに、知られていなかった」──
これこそが、ABCの最も大きな悲劇でした。

その後、1970年代に行われた特許訴訟をきっかけに、
ようやくこの“忘れられた原点”が再び注目されることになります。


第4章|再評価──ENIAC特許訴訟で明かされた衝撃の事実


⚖️ 1973年、ENIAC特許無効──“ABCの存在が先だった”

長い間、「世界初の電子式コンピュータ」として知られていたのは、1946年に発表された**ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)**でした。
その開発者チームは特許を取得し、電子計算の先駆者として広く称えられていました。

しかし1970年代に入り、この“常識”を覆す判決が下されます。
ENIACの特許が無効とされたのです。

その理由として、米国連邦地方裁判所は1973年の訴訟
**〈Honeywell v. Sperry Rand〉**において、
ENIACの設計が「アタナソフのABCに技術的に依拠していた」と判断しました。


👨‍🔍 モークリーの訪問──ABCからENIACへの“橋渡し”

この訴訟の中で重要な証拠とされたのが、
ENIACの共同開発者**ジョン・モークリー(John W. Mauchly)**による、1941年のアイオワ州立大学訪問です。

モークリーはアタナソフの招きで研究室を訪れ、
**ABC(Atanasoff–Berry Computer)**の仕組みについて見学・意見交換を行ったと記録されています。

さらに彼の残した手紙の中には、

「アタナソフの装置は非常に興味深く、学ぶ点が多い」

といった記述があり、裁判の証拠として提出されました。

これらの資料により、ENIACの発想形成にABCが一定の影響を与えていた可能性が示唆されたのです。


📜 判決:ABCは「電子計算機の起源のひとつ」

裁判所は最終的に、次のような判断を下しました:

  • ENIACは画期的な装置であったが、その基本的な考え方はABCによって先に示されていた

  • モークリーは明確にABCの研究から影響を受けていた

  • そのため、ENIACの特許は“発明としての独自性”を欠く

この判決によって、アタナソフとベリーが開発したABCは初めて、
**「電子計算機の技術的起源のひとつ」**として正式に評価されることになりました。


🕊️ 歴史に浮上したもう一人の「父」

この訴訟を契機に、アタナソフの名は改めて注目を集め、
**「コンピュータの父のひとり」**として紹介されるようになりました。

ただし、ABCは試作段階にとどまり、
プログラム制御や汎用性を備えた装置ではなかったことから、
その評価はノイマンやチューリングほど広く浸透してはいません。

それでも、
「電子回路によって論理演算を行う」という発想を
世界で最初に具体化した人物として、
アタナソフの業績は今も技術史の中で確かな位置を占めています。


第5章|まとめ──“身体としてのコンピュータ”はここから始まった


🔌 Z3とABC──ふたつの異なる“はじまり”

1940年代初頭、ドイツとアメリカという異なる場所で、
コンピュータの原型となる二つの装置が静かに誕生していました。

  • Z3(ドイツ):プログラム制御による自律的な演算を実現した、思想的ブレークスルー

  • ABC(アメリカ):電子回路によって論理演算と記憶を行った、物理的ブレークスルー

Z3は「演算の仕組み」を、
ABCは「電子という身体」を先に完成させた装置だったと言えます。
互いを知らぬまま、ドイツとアメリカで別々に進化した二つの流れ。
やがてそれぞれの思想と技術は、ENIACをはじめとする次世代の研究へと受け継がれ、
ノイマン型アーキテクチャという共通の構想へと収束していきました。


⚙️ “電子式”という大革命はABCから始まった

ABCには、後の電子計算機の基本となる要素がすでに組み込まれていました。

要素 技術内容 意義
演算 真空管による高速な論理演算 機械式を超える処理速度を実現
数値表現 二進法による演算処理 電子的演算に適した体系を採用
記憶 コンデンサメモリによる電気的記憶 データを電気信号として保持
制御 固定回路による処理(プログラム非搭載) 演算と論理を分離する構造の萌芽

これらの特徴は、後のENIACやトランジスタ計算機、
さらには現代のコンピュータアーキテクチャへと受け継がれる基盤となりました。

つまりABCは、「電子式コンピュータ」という分野における最初期の実装例であり、
電子回路による論理演算の可能性を世界に示した存在だったのです。


🕰️ 発表されなかった歴史、それでも残った遺産

ABCは、正式な論文発表も量産もされず、当時はほとんど注目されませんでした。
しかし、1970年代の特許訴訟(Honeywell v. Sperry Rand)を通じて再評価され、
**「電子回路を用いた最初期の計算機」**として正式に認知されるようになりました。

今日では、
「コンピュータの起源は一つではなかった」
──この歴史を語る上で、ABCは欠かすことのできない存在として位置づけられています。


💬 最後に──“速く、正確に、機械が考える”という時代は、ここから始まった

アタナソフが数値解析の限界に挑み、研究室で静かに試作した装置──ABC。
それは、まだ誰も知らなかった**“電子による思考のしくみ”**を先取りしていました。

私たちがいま使うスマートフォンやPCの内部でも、
真空管の代わりにトランジスタが並び、同じ論理の流れが息づいています。

その意味で、
ABCは現代コンピュータの身体的起点のひとつだったと言えるでしょう。


▶次に読みたい記事 「コンピュータの思想と誕生」⑧Harvard Mark Iとは?ハワード・エイケンが生んだ世界初の実用コンピュータとリレー式計算機の誕生


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