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このブログはブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」⑥です。
まとめはこちらから▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ
前の記事はこちらから▶⑤Altair BASICとは?ビル・ゲイツが作った“最初のパソコン言語”をやさしく解説
第0章|導入:パソコンが“個人の夢”から“家族の道具”になった日
💻 昔のパソコンって、実は“しゃべらない箱”だった?
今、私たちの家には、スマホやパソコンが当たり前のようにあります。
電源を入れれば、カラフルな画面が立ち上がり、
検索も、メールも、ゲームも、すぐにできる。
でも、パソコンが“家庭にある道具”になったのは、実はそんなに昔の話ではありません。
たった50年ほど前──
パソコンは、**電源を入れても何も起きない“ただの箱”**だったのです。
🧠 Altair、BASIC、Alto──“夢”を積み重ねた時代
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Altair 8800:パソコンを“個人の手に”届けた最初のマシン
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Altair BASIC:人間の言葉で“命令を話しかけられる”ようにした言語
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Xerox Alto:コンピュータに“人間の操作性”を取り入れた未来機
これらは、どれも歴史的なブレークスルーでした。
でもまだ、“誰でも使える”とは言いがたかった。
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Altairは組み立てが必要
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BASICはコードを打たないといけない
-
Altoは研究機で、一般には売っていなかった
💬「パソコンって、面白いけど…うちには置けないよね」
そんな声が、普通の家庭にはあったのです。
☟併せて読みたい記事
Xerox Altoとは?GUIとマウス操作が生まれた伝説のコンピュータをやさしく解説
Altair BASICとは?ビル・ゲイツが作った“最初のパソコン言語”をやさしく解説
🏡 そこに現れたのが「Apple II」
1977年。
白くて丸みのある筐体に、カラフルな画面。
キーボードもついていて、テレビにつなげばすぐに使える。
🔌「これなら、うちでも使えるかも」
→ そう思わせた最初のパソコンが、**Apple II(アップル・ツー)**でした。
Apple IIは、**“家電っぽいパソコン”**を世界ではじめて実現した製品。
それは同時に、パソコンを“家庭に置くもの”へと変えた革命でもありました。
🧑🤝🧑 2人のスティーブが起こした、“やさしさの革命”
Apple IIを生んだのは、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック。
-
ジョブズは、パソコンを「誰にでも届く道具」にしたいと考えた
-
ウォズは、それを「小さくて賢い機械」として見事に作り上げた
🧩 血はつながっていないけれど、互いの強みが重なり合い、“思想と技術”を結びつけたふたりのスティーブ。
この出会いが、世界に「家庭用パソコン」という文化を生んだのです。
📣 Apple IIは、何が違ったのか? なぜ人々の暮らしに受け入れられたのか?
このブログでは、Apple IIが登場したことで:
-
なぜパソコンが“みんなのもの”になったのか?
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どんな人が使って、何ができたのか?
-
それ以前のAltairやAltoと、どんな思想を継承したのか?
──を、やさしく・楽しく・深く紹介していきます。
🔜 次は:「Apple IIとは?」──見た目は家電、中身は本物のコンピュータ!
次章では、
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Apple IIってどんな機械だったの?
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見た目の美しさと、驚きの性能
-
そして「技術」じゃなく「人」に寄り添う設計思想とは?
──を、わかりやすく解説していきます!
第1章|Apple IIとは?Altair・Altoの思想を継いだ“最初の家庭用パソコン”
🖥️ 家電のように見えて、中身は“未来”だった
1977年。
パソコンの世界に、ひときわ異質なデザインのマシンが登場します。
-
白くて清潔感のあるボディ
-
キーボードが本体と一体型
-
テレビに接続すればカラフルな画面が表示
-
電源を入れると、すぐにBASICが立ち上がる!
🔌 そう、それが Apple II(アップル・ツー)。
見た目はまるで家電。でも中身はれっきとした“本格コンピュータ”。
この1台が、パソコンの世界を大きく変えていくことになります。
🔧 Altairの“個人用”という発想を、完成品にした
Apple IIが登場する数年前──
Altair 8800が「個人が買えるコンピュータ」として話題になりました。
でもAltairは:
-
組み立てキットで、はんだ付け必須
-
スイッチ入力、LED出力(画面なし)
-
本体以外にモニターや記憶装置が必要
つまり、**「使えるようにするまでが大変」**だったのです。
🍏 Apple IIは「すぐに使える」がコンセプト
Apple IIはまるで真逆でした。
| Altair | Apple II |
|---|---|
| 組み立て式 | 完成品として届く |
| 画面なし | テレビ出力でカラフルに |
| スイッチ操作 | フルキーボード |
| プログラムを読み込む必要あり | 電源ONですぐBASIC起動 |
💡 Apple IIは、「コンピュータを初めて“使える状態で”売った」製品だったのです。
💬 そしてAltoの“人間中心設計”も受け継いだ
Xerox Alto(1973年)は、まだ研究用の試作機でしたが:
-
GUI(マウス・アイコン・ウィンドウ)を採用
-
デザインもフレンドリーな白ベース
-
技術者ではなく“人間の操作”に寄り添った作り
Apple IIはGUIこそ搭載していませんが、その思想──
🧑🍼「技術より、“使う人”の感覚に合わせる」
という方向性を、しっかり継承しています。
🧠 BASIC搭載=“言葉で命令できる”文化も内蔵
Altairの革命の1つは、Microsoftが開発した「Altair BASIC」。
人間が「PRINT」「IF」「GOTO」などで話しかけられるようになった初の言語でした。
Apple IIにもこのBASICが内蔵されており、
-
電源を入れたらすぐBASICプロンプトが起動
-
誰でも「10 PRINT “HELLO”」と打てる
-
遊び、学び、創造がすぐスタートできる!
💬 Apple IIは、「パソコンに“話しかける文化”をあらかじめ持っていた」マシンだったのです。
📈 性能も高水準。拡張性もバッチリ
Apple IIは、ただ使いやすいだけじゃなく──
-
8ビットCPU(MOS 6502)搭載
-
カラーテキスト&グラフィック表示(NTSCテレビ)
-
拡張スロット多数(ゲーム・プリンタ・メモリ増設OK)
-
のちにディスクドライブにも対応(Apple Disk II)
⚙️ 本気で使えば、「ゲーム機」「学習機」「ビジネスPC」なんでもアリ。
見た目は家電、中身は多用途。
これが、Apple IIが“みんなの道具”になれた理由でした。
🔜 次は:ふたりのスティーブ──ジョブズとウォズが革命を生んだ裏側へ
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なぜ、Apple IIはこんなに“人間的”な設計だったのか?
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なぜ、ここまで洗練された思想が盛り込まれていたのか?
-
実はこれ、“技術の天才”と“理想の狂人”のタッグによって生まれたんです
次章では、そのキーパーソン2人──
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの物語に迫ります!
第2章|スティーブとスティーブ──思想と技術が重なった“家庭パソコンの原点”
👦 スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック。血はつながっていない。でも、革命を起こした
Apple IIの誕生には、ふたりの「スティーブ」が深く関わっています。
**スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)**と
スティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)。
🧩 彼らは兄弟ではありません。でも、**コンピュータ革命の“親”**でした。
この章では、この2人の出会い・性格・役割──
そしてApple IIにどう関わったかをやさしく紹介します。
🎨 ジョブズ──未来を語り、製品に“美しさ”を求めたビジョナリー
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養子として育ち、若いころは東洋思想や美術に傾倒
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エンジニアではないが、人間の感覚と製品の関係性を強く意識していた
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「見た目」「使い心地」「ワクワク感」を徹底的に重視
-
完成品としての“パッケージング”や“売り方”に異常なこだわりを持つ
💡 Apple IIの「白い筐体」「すぐ使える完成品」「テレビにつながる楽しさ」は、
まさにジョブズのこだわりが生んだ“人間中心設計”。
🛠️ ウォズニアック──天才すぎる発明家、“裏方の神”
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幼い頃からラジオや回路設計に夢中
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電話網ハッキングや回路の自作を遊びのようにやっていた
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高校生のときにはすでに“世界に通用する技術”を持っていた
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Apple IからApple IIにかけて、設計・プログラム・回路すべてを1人でこなした
💡 Apple IIの「グラフィック性能」「BASIC互換性」「拡張スロット」など、
ほぼすべての“技術的価値”は、ウォズの頭の中から生まれている。
🤝 出会いは1971年──ブルーボックスから始まった“共犯関係”
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共通の友人を通じて出会ったふたり
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最初に手がけたのは「ブルーボックス(違法な電話ハッキング装置)」
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ジョブズが「これ売れるよ!」と言えば
-
ウォズが「もう作ったよ」と即答する──息ぴったりのコンビ
この頃から、2人の関係性はすでに出来上がっていました。
| ジョブズ | ウォズ |
|---|---|
| こんなモノを作りたい | よし、じゃあどう作るか考える |
| 見た目・使いやすさ | 回路・効率・機能性 |
| 売る・広める・魅せる | 作る・動かす・楽しむ |
📌 “思想のジョブズ”と“技術のウォズ”。
このふたりが組んだからこそ、Apple IIは単なるパソコンではなく、
“みんなの道具”として受け入れられたのです。
🛍 Apple IIの“完成度”は、2人の強みがフルに発揮されたから
-
ジョブズが「家に置きたいと思わせる外観・使いやすさ」を企画し、
-
ウォズが「その要件を、低コストかつ高性能で実装」した
これは、“製品開発の理想形”とも言える関係でした。
💬 「2人のうち、どちらか一方がいなければ──Apple IIは世に出なかった」
😌 余談:2人は本当に仲が良かったの?
性格の違いは大きかったですが、若い頃は信頼しあっていました。
-
ウォズは「ジョブズがいなければ、Apple IIは僕の机で終わっていた」と語り、
-
ジョブズは「ウォズは、Appleで一番純粋で優れた技術者だった」と回想しています。
ただし──
のちに価値観の違いでウォズはAppleを離れ、
Appleは“ジョブズの会社”として独自路線を進んでいくことになります。
🔜 次は:なぜApple IIは人々に受け入れられたのか? “誰でも使える”という設計思想
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Altairと何が違ったの?
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なぜ家庭に受け入れられたの?
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パーソナルから“ファミリー”へと進化した背景は?
そんな疑問に答えるのが次章です!
第3章|なぜApple IIは個人に受け入れられたのか?
🏠 技術だけじゃ、家庭には届かない
Altair 8800は「最初のパソコン」として確かに革命的でした。
でも、それを**“自宅に置いて毎日使おう”と思う人はほとんどいなかった**のです。
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組み立てが必要
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画面がない
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キーボードがない
-
ソフトは自分で打ち込まなければならない
💬「それ、ちょっと“趣味人”すぎない…?」
そんな空気のなか登場したApple IIは、見た目も中身も“普通の人向け”に作られていたのです。
✅ 理由①:完成品として“届いたその日から使えた”から
Apple IIは、組み立ても知識もいりませんでした。
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箱から出せば、すでに完成された1台
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テレビにケーブルをつなぐだけでカラフルな画面が登場
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キーボードも内蔵。入力もすぐにできる
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BASICがROMに焼かれていて、電源ONですぐ使える!
💡 「はじめて“動かすこと”がスタートラインじゃなくなった」
→ これが、家庭での“導入ハードル”を一気に下げました。
✅ 理由②:白くて丸いボディ=“リビングに置けるパソコン”だったから
Apple IIは、それまでの黒くて無骨な機械とは正反対。
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白くて丸みを帯びたデザイン
-
家具や家電と並べても違和感がない
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「道具感」より「親しみ」がある見た目
これはジョブズの「家に置きたくなるパソコンを作ろう」という美意識が反映されています。
🪑 インテリアになじむ=家庭に入る第一条件を突破していた。
✅ 理由③:誰にでも“使い道”があったから
Apple IIは、「何ができるか」が明確でした。
| ユーザー | 活用イメージ |
|---|---|
| 子ども | ゲーム、算数・英語ソフト、BASICで遊ぶ |
| 学生 | プログラミング、レポート、表計算ツール |
| 主婦 | 家計簿、名簿管理 |
| 父親 | 株式管理、仕事の下書き、電子表計算 |
🎮🧮🧾 Apple IIは「使い方が分からない」ではなく、
「何をしようか迷う」レベルで用途が多かった。
✅ 理由④:ファミリーで囲める“初の情報機器”だったから
Apple IIは、家族の中心に置ける情報端末でした。
-
テレビに接続 → みんなで画面を見られる
-
ゲームソフト → 家族で遊べる
-
教育ソフト → 親が子どもに使わせたくなる
-
BASIC → 子どもがコードを打ち、親が感心する
つまり、パーソナル(個人)から、ファミリー(家族)へという使い方の進化があったのです。
✅ 理由⑤:「やってみたい」が「やれた」時代だったから
Apple IIは、やってみたいことが“現実にできた”マシンでした。
-
「こんなゲームを作ってみたい」→ BASICで可能
-
「計算を楽にしたい」→ 表計算ソフト登場
-
「自分だけのアプリを作りたい」→ プログラムで実現可
🧠 “やってみたい”が、技術者でなくても“やれた”。
その体験が、パソコン文化を支える原体験になったのです。
🔁 結論:Apple IIは「人の感覚にフィットした最初のパソコン」だった
| ポイント | 内容 |
|---|---|
| 使える状態で届く | 初心者OK |
| 見た目がやさしい | 家族もOK |
| 用途が明確 | 誰でもOK |
| 楽しみながら学べる | 子どもでもOK |
| 生活に入り込める | リビングOK |
💬 Apple IIは「パソコンって、家にあってもいいよね」をはじめて成立させたマシンでした。
🔜 次は:「Apple IIで何ができたのか?」──ゲーム、教育、表計算、そして創造の時代へ!
次章では、
-
Apple IIで実際に動いた“名作ゲーム”や“教育ソフト”
-
自作アプリを作る文化
-
「動かす楽しさ」「作る喜び」の両方が詰まった時代
を紹介していきます!
第4章|何ができた?ゲーム・学び・創造──Apple IIが切り開いた“使う楽しさ”
🎮 パソコンなのにゲームができた!?
Apple IIの魅力のひとつは、
「えっ、こんなに遊べるの!?」という驚きでした。
1970年代後半〜80年代前半、Apple IIには次のような名作ゲームが次々に登場します。
🎲 代表的なApple IIのゲームたち
-
『オレゴン・トレイル(The Oregon Trail)』
開拓時代のアメリカを旅するゲーム。子どもたちの学習用ソフトとして爆発的に普及。 -
『ロードランナー(Lode Runner)』
パズル+アクションが融合した、当時としては高度なステージ構成。 -
『ウィザードリィ(Wizardry)』
後のRPGの原点となる超名作。パソコンで“冒険”ができる感動。
💡 Apple IIは、**世界で最初に“家庭でRPGができるパソコン”**でもあったのです。
🧮 教育ソフトでも大活躍!“学べるパソコン”として学校にも導入
ゲームだけではありません。Apple IIは教育機関でも広く使われました。
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小学校での算数・英語学習
-
タイピング練習・図形認識・自然科学入門
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アメリカの学校では“Apple IIで勉強する授業”が当たり前に
🎓「黒板とチョーク」から「キーボードと画面」へ──
Apple IIは、教育のあり方さえ変えたパソコンだったのです。
📋 仕事にも使えた!表計算や名簿ソフトも登場
Apple IIは趣味や教育だけでなく、ビジネス用途でも一部使われていました。
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家計簿や住所録、売上管理のソフト
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企業向けに簡易POSシステムや在庫ソフト
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拡張カードでプリンタ・ディスク・通信機能を追加すれば本格運用も可能に!
しかも**表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク)」**はApple IIから始まった!
💼 「電卓より便利」「紙より速い」──Apple IIは“仕事の効率化”にも貢献していました。
💡 BASICで“作る楽しさ”まで体験できた!
Apple IIにはBASICが内蔵されていたため、ユーザー自身がプログラムを作れるのも特徴。
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自分でゲームを作る
-
クイズや占いソフトを打ち込んで遊ぶ
-
雑誌のコードを打ち込んでオリジナル化する
-
学校で“自作ソフト発表会”が行われる時代も
✍️ 「書いたら、動いた」
その感動は、今のアプリ開発やゲーム制作にもつながる原体験でした。
🧑🎓 Apple IIのユーザー像は「使う人」ではなく「育てる人」
Apple IIは、いわゆる“完成品”ではありましたが、
多くの人はその上で:
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ソフトを入れ替え
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周辺機器を追加し
-
プログラムを試行錯誤し
-
学び、遊び、表現しながら“育てて”いました。
📌 「使って終わり」ではなく、「使いながら育てるパソコン」──
これが、Apple IIが家庭で長く愛された理由でもあります。
🔜 次は:Apple IIはどれくらい売れた?──世界が本当に“家庭でパソコンを使いはじめた日”
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ヒット商品だったの?
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どのくらいの台数が売れた?
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なぜ教育機関でも広がった?
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Appleという会社がどう伸びた?
そんなApple IIの“実績と広がり”に迫ります。
第5章|Apple IIは本当に売れたのか?──家庭と学校に広がった500万台の衝撃
💰 結論から言おう。Apple IIは「爆売れ」した
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累計販売台数:500万台以上(Apple IIシリーズ全体)
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販売期間:1977年〜1993年(なんと16年間!)
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初年度から勢いがあり、数千台 → 月産1000台超のペースへ
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一時はAppleの売上の9割以上がApple II関連
💡 Apple IIは、“家庭用パソコン”としてはじめて大規模に売れたマシンでした。
🏠 家庭用パソコンとして受け入れられた理由
これまでの章でも述べてきた通り、Apple IIは:
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箱を開けたらすぐ使える完成品
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家庭のテレビにつながる
-
子どもも遊べるゲーム&学習ソフト
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大人も仕事に使える表計算や管理ソフト
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BASICで自由にプログラムも可能
この“なんでもできる感”が、多くの個人・家庭にヒットしたのです。
🧑🏫 教育機関でも爆発的に広まった
特にアメリカでは、Apple IIは学校用コンピュータの代名詞に。
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Appleが「Apple Classroom of Tomorrow」計画を推進
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小学校〜高校にApple IIを積極導入
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教育ソフトも専用に開発され、教育委員会に採択
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“Apple IIで学ぶ”世代が生まれた
🎓 アメリカの1980年代の子どもたちにとって、
「パソコン=Apple II」という時代が確かに存在していたのです。
🏢 企業・店舗でも一部導入された
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小規模オフィスではApple IIで売上・在庫・名簿管理
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小売店ではPOS的な使い方も
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プリンタ・ディスク・モデムなどの周辺機器も揃っていた
「業務用PC」としてはIBMに席を譲ることになりますが、
Apple IIは“仕事でも十分使える家庭機”という新しい立場を確立しました。
📈 Appleという企業が大躍進したきっかけでもあった
Apple I(初号機)は数百台の売上で終わったものの、
Apple IIの商業的成功により、Apple社は:
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大手VC(ベンチャーキャピタル)から出資を受け
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製造ラインを拡張し
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1980年、NASDAQに株式上場
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世界的な“ブランド企業”の仲間入りへ
💡 Apple IIが売れなければ、今のAppleは存在していなかったかもしれません。
🏆 パソコンが「一家に一台」へ──その先駆けとなった
Apple IIが広まったことで、社会には次のような変化が起きます。
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「パソコンは一部の人の道具」→「家にもあって当然」へ
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「作業場にある」→「リビングにも置ける」へ
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「数字やコードの世界」→「遊び・学び・暮らしの一部」へ
📌 Apple IIは、“パソコンを社会に溶け込ませた”第一号機でした。
🔜 次は:Appleの神話はここから始まった──ジョブズの思想が世界に届いた瞬間
次章では、
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なぜApple IIがAppleブランドを押し上げたのか?
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ジョブズがこの製品に込めた“思想”とは何だったのか?
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その後のMacやiPhoneにつながる美学の原点とは?
を、やさしく紐解いていきます!
第6章|Apple神話のはじまり──ジョブズの思想とApple IIの“人間らしさ”
🍏 Apple IIの成功、それは単なる「ヒット商品」ではなかった
1977年、Apple IIは発売され、
累計500万台以上の大ヒットとなります。
でもこの製品が後世に与えた影響は、
「売れた」「広まった」だけでは終わりません。
💡 Apple IIは、Appleという企業に“哲学”を与えました。
🎨 ジョブズが貫いたのは「技術」ではなく「体験」
スティーブ・ジョブズはエンジニアではありませんでした。
でも、誰よりも**“人間が感じる操作感・美しさ・感動”**に敏感な人物でした。
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「パソコンは、使いやすくなければ意味がない」
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「見た目が美しくなければ、家庭に置かれない」
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「人は、“道具”ではなく“体験”を買う」
🧠 技術を売るのではなく、人に届く体験を作る。
→ それがApple IIに込められたジョブズの思想でした。
🧑🏫 そして、それは家庭や学校で“当たり前”になっていった
Apple IIはこう変えました。
| Before | After |
|---|---|
| パソコンはオタクの道具 | 家族のリビングにある道具 |
| コードは専門家が書く | 子どもがBASICで遊ぶ |
| 機械は黒くて怖いもの | 白くて清潔でやさしいもの |
| 起動は難しい手順が必要 | 電源ONですぐ使える |
この“人にやさしいパソコン”という考え方は、のちのMacintoshにも引き継がれ、
そしてiPod、iPhone、iPadへと発展していきます。
🧩 Apple IIは「Appleのすべての製品」の原点だった
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Apple IIは、見た目にこだわった
→ Macも、iMacも、iPhoneも「見た目」を重視 -
Apple IIは、すぐに使えた
→ Macは「箱を開けて3分で使える」がテーマ -
Apple IIは、誰でも触れた
→ iPhoneは「誰でも使えるコンピュータ」そのもの
📌 Apple IIは、Appleというブランドの“哲学の原型”だったのです。
✨ ふたりのスティーブが起こしたのは、技術の革命ではなく「人間らしさの革命」
Apple IIは、決してスペック最強のマシンではありませんでした。
でも:
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技術を“体験”に変え
-
パソコンを“人の暮らしに寄り添うもの”に変え
-
コンピュータに“優しさ”を与えた
この価値は、のちのApple製品のすべてに通じています。
🍎 Apple IIがあったからこそ、
Appleは「人のためのテクノロジー」を追求する会社として記憶されているのです。
🔚 次章は:いよいよ「標準化」の時代へ──IBM PCと業界の“ルールブック”ができた日
Apple IIが「家庭にパソコンを届けた」なら、
次のIBM PCは「パソコン業界に標準を持ち込んだ」存在。
-
なぜIBMが参入したのか?
-
どんな戦略でPC業界の覇者になったのか?
-
なぜMS-DOSが業界の土台になったのか?
次は、1981年──IBM PCの衝撃に続きます!
▶次に読みたい記事 「商用コンピュータとパソコンの進化」⑦IBM PCとMS-DOSとは?1981年に誕生した“世界標準PC”とMicrosoftの躍進
▶地元企業様や個人事業主様をサポートし、シール・名刺・チラシ・封筒・冊子・伝票からTシャツプリントまで、幅広く承っています。
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🖊ブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」はこちらから
まとめ記事▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ
①UNIVAC Iとは?世界初の商用コンピュータが切り開いた“情報の時代”の始まり
②System/360とは?IBMが作った“標準化”の原点と現代まで続くプラットフォームの歴史
③Intel 4004とは?世界初のマイクロプロセッサと小型コンピュータ時代のはじまり
④Xerox Altoとは?GUIとマウス操作が生まれた伝説のコンピュータをやさしく解説
⑤Altair BASICとは?ビル・ゲイツが作った“最初のパソコン言語”をやさしく解説
⑥当記事
⑦IBM PCとMS-DOSとは?1981年に誕生した“世界標準PC”とMicrosoftの躍進
⑧Windows 95とは?AppleとIBMの時代を超えた“誰でも使えるOS”の革命[1995年]
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