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このブログはブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」⑤です。
まとめはこちらから▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ
前の記事はこちらから▶④Xerox Altoとは?GUIとマウス操作が生まれた伝説のコンピュータをやさしく解説
第0章|導入:「パソコンって、最初からしゃべれるわけじゃなかったの?」
🤔 今の感覚では、プログラミングって“作る人”だけのもの?
私たちが普段使っているパソコンやスマホ。
電源を入れれば、すぐにアプリが起動し、マウスやキーボードで操作できる。
しかもプログラミングなんてしなくても、SNSもメールもゲームもできてしまう。
💬「プログラミングなんて、ソフトを“作る人”の話でしょ?」
──そう思っている人が多いかもしれません。
でも実は、パソコンが登場したばかりの1970年代。
当時は**「パソコンを使う」=「プログラムを書く」こと**が当たり前だったんです。
🔌 パソコンは“電源を入れても何も起きない箱”だった
1975年に登場した「Altair 8800(アルテア)」というマシンは、
“世界初のパーソナルコンピュータ”として大きな話題になりました。
けれど、それは今の私たちの感覚とはまったく違うものでした。
-
画面もキーボードもなし
-
操作は本体のスイッチのみ
-
出力は点滅するLEDだけ
-
電源を入れても“無言”のまま
そう、パソコンは最初、「ただの箱」だったのです。
🧠 じゃあ、どうやって使うの?
答えは──
🔧 自分で“命令”を教えてあげるしかなかった。
つまり、使いたければ、自分でプログラミングするしかない時代だったんです。
💡 そこに現れたのが「Altair BASIC」──“話せるパソコン”の始まり
この“無言の箱”に、
人間の言葉で命令を伝えられるようにしたのが「Altair BASIC(ベーシック)」というソフトウェア。
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英語のようなシンプルな命令(IF、PRINT、GOTO…)
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誰でも読めて、書けて、すぐに動かせる
-
ゲームも、電卓も、自分で作って遊べる!
💬「あ、パソコンって、しゃべれば動くんだ」
そんな驚きを、はじめて“普通の人”に届けたソフトウェアが、このAltair BASICだったのです。
🧑🎓 そして開発したのは、若き日のビル・ゲイツとポール・アレン
この画期的なソフトを作ったのは、まだ20代前半の青年たち。
のちにMicrosoftを創業する、ビル・ゲイツとポール・アレンです。
-
雑誌でAltairを見てひらめいたアレン
-
大学を辞めて怒涛のプログラミングをしたゲイツ
-
デモは一発成功、そしてソフトウェア産業の幕が上がった
🧩 ハードはAltair、命を吹き込んだのはBASIC。
そしてそれを生んだのは、若きエンジニアの情熱。
🚪 Altair BASICは「パソコンが話を聞いてくれる時代」の扉を開いた
GUIもマウスもない時代。
でもこの「人間の言葉で命令できる」Altair BASICこそが、
今のパソコンやスマホ、アプリ文化のすべての原点なのです。
🔜 次は:Altairってどんなパソコンだったの?
次の章では、
-
Altair 8800って何がすごかったの?
-
どこが“世界初のパソコン”だったの?
-
なぜみんなが夢中になったの?
といった、パソコン時代の幕開けをやさしく解説していきます!
第1章|Altair 8800とは?世界を驚かせた「最初のパソコン」
📦 Altair 8800──見た目は地味。でも中身は“革命”だった
1975年、アメリカの技術系雑誌『Popular Electronics(ポピュラー・エレクトロニクス)』の表紙に、
黒いボックスのような機械が大きく掲載されました。
💥「ついに、個人がコンピュータを手に入れられる時代が来た!」
そのマシンの名前が、Altair 8800(アルテア 8800)。
当時、衝撃をもって「パソコン元年」を告げた1台です。
🧰 Altairは“組み立て式”パソコンだった
Altair 8800は、完成品ではなくキット形式で販売されていました。
-
届くのは基板やケース、部品のセット
-
自分で半田ごてを握って組み立てる
-
ケースの前面にはスイッチとLEDが並ぶだけ
💬「プラモデルじゃないよ。これが“パソコン”なんだよ」
という感じです(笑)
でも、これが当時の人々にとっては夢のマシンでした。
💡 画面もキーボードもないのに、なぜそんなに人気に?
答えは、「個人が買える価格」で、「実際に動くコンピュータ」だったから。
当時のコンピュータは大学や企業が使う数百万円〜数千万円級のものでした。
それに対してAltairは、キットなら数百ドル(当時で約200〜400ドル)。
✨ 「自分の机に、自分だけのコンピュータを持てる」
→ このワクワクが、多くの技術者や学生たちを熱狂させたのです。
🚫 でも、届いたAltairは“動かない”のが当たり前だった!?
Altairは非常にベーシックな構造で、起動しても何も画面は出ません。
-
電源を入れると、LEDが点灯
-
前面のスイッチを「101101」みたいに切り替えて命令入力
-
結果がLEDでチカチカ返ってくる
🧠 つまり、使いたければ“命令を覚えて入力する”しかなかったのです。
この“無言のマシン”に言葉を与えたのが、次章で登場する「Altair BASIC」なんですね。
🚀 Altairが切り開いた“パソコンブーム”の始まり
Altairの登場によって:
-
自宅にコンピュータを置くという発想が生まれ
-
「自分で作る・改造する・プログラムを書く」文化が広まり
-
雑誌、クラブ、イベントなど“パソコン趣味”が一大ムーブメントに
この流れが、のちにApple、Microsoft、IBM、Commodoreなど
無数のパソコンメーカー誕生につながっていくのです。
📣 Altairのすごさを一言でいうと…
💡 「パソコンが、“誰かの持ち物”から“あなたの道具”になった最初の1台」
第2章|ビル・ゲイツとポール・アレン──高校生が作った革命のソフト
📖 すべては1冊の雑誌から始まった
1975年、ある日──
若きプログラマー ポール・アレン は、書店で1冊の雑誌を手に取りました。
それは『Popular Electronics』。
表紙には、黒くて無骨な機械が堂々と載っています。
💥「Altair 8800──個人向けマイコン登場!」
彼はその場で、ある“ひらめき”に取りつかれます。
💡「これに、僕たちがプログラムを載せれば、動かせるんじゃないか?」
🧑💻 一緒に動いたのは、あのビル・ゲイツ
アレンがこのアイデアを話した相手──それが、
当時ハーバード大学の学生だったビル・ゲイツです。
ふたりは高校時代からコンピュータ好きで意気投合していた“仲間”。
夜遅くまでPDP-10という大型コンピュータでプログラムを書いていた筋金入りのオタクでした。
✨「個人が使えるコンピュータが出た。なら、誰でも使える“言葉”を用意しよう。」
そうして、Altair BASICの開発が始まります。
💡 BASICを作るには…Altairが“手元にない”!?
問題は、まだAltair本体を持っていなかったこと。
それでも彼らは諦めません。
-
Altairの仕様を推測しながら
-
大型コンピュータ(PDP-10)上でエミュレートし
-
実機を持たずにプログラムを完成させた
という、まさに“奇跡の開発”だったのです。
🎯 デモは一発成功──“動かない箱”が動き出した瞬間
完成したプログラムを手に、アレンはMITS社(Altairの開発元)に乗り込みます。
そして迎えた、緊張のプレゼン当日。
⏱ Altairの電源が入る
🖱 入力されたコマンドが走る
✨ 「Hello, world!」のような文字が表示される…
成功!
この瞬間、Altairはただの箱から“人と会話できるマシン”に生まれ変わったのです。
🧑💼 そして、ふたりは「マイクロソフト」を名乗り始める
この成功を機に、ゲイツとアレンはパートナーシップを結び、
「Micro-Soft(マイクロ・ソフト)」という名で事業をスタート。
-
Altair BASICはMITSに正式採用され
-
全国のマイコン愛好家たちに広がり
-
個人が“話しかけて動かせるパソコン”の時代が始まりました
🔥 青年たちの情熱が変えた、ソフトウェアの歴史
このエピソードのすごいところは──
-
まだ20歳そこそこの若者たちが
-
本体も持たずにプログラムを書き
-
個人がパソコンと“言葉で会話する”時代を作ってしまったこと
📌 これは、のちに世界最大のIT企業となるMicrosoftの“最初の一歩”でした。
🔜 次は:「そもそもBASICってなに?」──“話しかける言葉”の正体をやさしく解説!
次の章では、
-
BASICってどんな言語?
-
なんで初心者向けだったの?
-
今の言語と何が違うの?
を、わかりやすく&楽しく紹介していきます!
第3章|BASICとは?プログラムを“話しかける”ものに変えた言語
💭 パソコンに命令する「ことば」って、難しいと思ってた?
プログラミングと聞くと、どんなイメージがありますか?
-
数字と記号だらけで、難しそう
-
理系の人やエンジニアの世界
-
自分には関係なさそう…
そんな印象、ありますよね。
でも、Altair BASICが登場した1970年代の人たちは、
パソコンに命令することをもっとシンプルに考えていました。
💬 「コンピュータに“やってほしいこと”を、言葉で伝えればいいじゃん」
その発想を形にしたのが、**BASIC(ベーシック)**という言語です。
🧠 BASICとは?正式名称と考え方
BASICは、1964年にダートマス大学のジョン・ケメニーとトーマス・カーツが
学生向けに開発した教育用プログラミング言語です。
正式名称は──
Beginners’ All-purpose Symbolic Instruction Code
つまり:
💡「初心者でも使える、万能な命令コード」
目的はただひとつ。
人とコンピュータの距離を縮めること。
-
初心者にもわかりやすい
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英語のように読める
-
実用的な処理ができる
BASICは、「命令」というより“対話”に近い感覚を目指していました。
📏 機械語やアセンブリとの違い──BASICの“やさしさ”
たとえば、画面に「HELLO」と表示したいとき。
従来の機械語やアセンブリ言語では、
メモリアドレスやレジスタを細かく指定する必要がありました。
1文字の間違いで動かなくなることも珍しくありません。
でもBASICなら──
10 PRINT “HELLO”
-
「10」=行番号
-
「PRINT」=表示しろ
-
「”HELLO”」=文字列
たったこれだけ。
英語のように読めて、子どもでも理解できる。
この「わかりやすさ」が、BASICの最大の革命でした。
🧒 “誰でもプログラミングできる”文化の入り口に
1970〜80年代のBASICは、まさにみんなの言語でした。
-
学校でBASICを学ぶ授業が始まった
-
雑誌にゲームやツールのコードが掲載され、読者が手入力
-
友達同士で自作ソフトを見せ合う
-
家計簿や占いなど、家庭用プログラムを作る人も登場
つまり、**「使う人=作る人」**だった時代。
プログラミングは、専門家だけのものではなかったのです。
🧪 BASICの命令の例(当時の“動く感動”)
第4章|Altair BASICの衝撃──パソコンが“動き出す”魔法の言葉
🔌 ただの箱に、命を吹き込んだ「魔法のコード」
前章で紹介したとおり、Altair 8800は“何もしゃべらない箱”でした。
電源を入れても、画面も音もなく、ただLEDが点灯するだけ。
そこに登場したのが「Altair BASIC」。
これを読み込むことで──
💬「やっとこいつに、話しかけられる!」
という感覚が、パソコンユーザーに広がったのです。
🧠 BASICがあれば、やりたいことが“自分で作れる”
Altair BASICで書かれたプログラムは、どれもシンプルだけど夢がありました。
-
🧮 電卓代わりに使える「四則演算プログラム」
-
🎲 サイコロゲームや占いソフト
-
💾 名前を打つとデータベース的に保存・呼び出しができる
-
📈 家計簿や成績管理、在庫管理まで自作!
つまり、
✅「プログラムを書く人」=「使いたい人」だったのです。
🧒 雑誌文化と“手打ちの時代”──プログラミングが日常だった
1970〜80年代には、こんな世界が広がっていました:
-
月刊『I/O』や『ASCII』に、ゲームやツールのプログラム全文が掲載
-
読者はそれを1文字ずつ手入力して、自分のパソコンで動かしていた
-
プログラムにバグがあれば、自分で直す(=学ぶ)
小学生から主婦まで、年齢・職業を問わず
✍️「打って、動かして、感動する」
という体験をしていたのです。
今では考えられないほど、**“使うこと=作ること”**が身近だった時代でした。
📚 たとえば、こんな投稿も実在!
🧑🎓 中学2年生が作った「都道府県クイズ」
👩 主婦が自作した「家計簿管理ソフト」
🧑💼 営業マンが作った「営業成績ランキング表示」
👨👩👧👦 親子で一緒に作った「おみくじソフト」
しかもそれを雑誌が大真面目に掲載してくれる。
そんな時代だったんです。
🧩 Altair BASICが教えてくれた“動かすことのよろこび”
今のパソコンは、電源を入れればすぐに何かが起動します。
でもAltair BASICの時代は、自分で作らなければ何も起きない。
でも逆に言えば──
💡「自分が書いた命令どおりに、マシンが動く」
→ その感動は、何にも代えがたいものでした。
🧨 この時代が、最後の「全員が“作る人”だった時代」
1980年代に入ると、ソフトウェアは“買うもの”になります。
-
表計算ソフト(Lotus 1-2-3、Excel)
-
ワープロ(WordStar、Word)
-
完成されたゲームやアプリ
そして、ユーザーは「作る人」と「使う人」に分かれていきます。
🕰 Altair BASICの時代は、「全員が“作る人”だった最後の時代」だったのです。
🔜 次は:ソフトは“タダ”じゃない!?──ゲイツが世に放った怒りの手紙と著作権の夜明けへ
次章では、
-
Altair BASICの“流出事件”とは?
-
ゲイツが「盗むな」と宣言した理由
-
ソフトウェアに“価値”がついた瞬間
を解説します。
第5章|ソフトウェアが「売り物」になる瞬間──ゲイツの宣戦布告
🧾 Altair BASIC、大ヒット──でも「お金」は入らなかった
1975年、Altair BASICは大成功します。
-
パソコンが“話せるようになるソフト”として注目
-
全国のAltairユーザーがBASICを使いはじめた
-
MITSからも正式採用され、Microsoftの最初の収入源に
ところが──
💥「売ったはずのソフトが、勝手に配られていた」
つまり、不正コピー(いわゆる“割れ”)が爆発的に広がったのです。
😠 ビル・ゲイツ、激怒。「これは盗みだ」
当時の文化では、プログラムの共有は“当たり前”。
BBSやクラブで「便利だからコピーしてあげるよ」という感覚が普通でした。
でもゲイツは、それを見て怒りました。
自分たちが時間と頭脳を削って作ったソフトが、タダでばらまかれている…。
そして彼はある日、1本の公開書簡を書きます。
✉️ 「Open Letter to Hobbyists」──趣味人たちへの怒りの手紙
1976年2月、全米のパソコン雑誌やクラブに、
ゲイツの署名入りの手紙が掲載されました。
その冒頭はこうです:
🗣「あなたがしていることは“盗み”だ。
ソフトウェアを無料だと思っている限り、誰も質の高いソフトを作れなくなる」
この手紙の中で、ゲイツははっきり主張します:
-
ソフトウェアは知的財産である
-
開発にはコストがかかっている
-
無断コピーは、作者の努力を踏みにじる行為だ
💡 この一件が、「ソフトに値段がつく時代」のはじまり
このゲイツの手紙は賛否を呼びましたが、
結果的にソフトウェア=商品であるという考え方が、業界全体に広まっていきます。
💸「プログラムはタダじゃない」
💼「ちゃんとお金を払って使うもの」
→ この意識が、ソフトウェア産業の出発点になったのです。
🧠 ゲイツの頭の中には、すでに未来が見えていた?
この時点でゲイツは20歳そこそこ。
でも彼はすでにこう考えていました:
✨「ソフトこそが、コンピュータの価値を決める」
✨「ハードを売る時代から、ソフトを売る時代へ」
この思想はやがて、Microsoftを
世界最大のソフトウェア企業に育てていく原動力となります。
📈 以後、ソフトウェア業界は「売る」「守る」方向へ
この事件以降、ソフトウェアには:
-
ライセンス(使用許諾契約)
-
コピーガード
-
著作権法の適用
-
ソフト販売ビジネス(CD、ダウンロード、SaaS)
といった仕組みが次々に生まれていきました。
そして、
📌「プログラムも“商品”として扱われる」
という常識が、完全に定着するようになったのです。
🔜 次は:まとめ──Altair BASICが生んだ“話しかける時代”の始まり
次章では、ここまでの内容をまとめながら、
-
なぜAltair BASICが歴史的なのか?
-
何を変え、何を残したのか?
-
現代につながる“思想”とは?
をやさしく振り返ります!
第6章|まとめ:Altair BASICが生んだ“話しかける時代”の始まり
💻 パソコンは、最初から“しゃべる道具”じゃなかった
1975年のAltair 8800。
それは見た目も機能も地味で、“ただの箱”のような存在でした。
電源を入れても、画面は真っ暗。
入力もスイッチ、出力はLEDの点滅だけ。
🔇「この機械と、どうやってコミュニケーションを取ればいいのか?」
そんな“無言のパソコン”に命を吹き込んだのが──
Altair BASICだったのです。
💬 Altair BASICは、人間の“ことば”でマシンと対話できるようにした
それまでのコンピュータは、
専門家だけが使える難しい“記号のかたまり”でした。
でもBASICは違った。
-
PRINT “HELLO” と書けば、「HELLO」と返してくれる
-
IF〜THEN のような論理文で、自由に命令できる
-
数学もゲームも会話も、自分の発想でつくれる
💡 Altair BASICは、コンピュータを“しゃべらせる道具”に変えたのです。
👦 しかもそれを作ったのは、20歳そこそこの若者たち
ビル・ゲイツとポール・アレン。
彼らは、Altairという未知のマシンに出会い、
**「誰でも使える言語を載せよう」**と立ち上がりました。
-
実機なしで開発
-
手紙1枚でデモを申し込み
-
成功と同時に、ソフトウェアの未来を動かし始めた
彼らが開いたのは、「知ってる人だけが使える世界」ではなく、
**「知らなくても学べば使える世界」**でした。
👨👩👧👦 BASICが広げたのは、ソフトだけじゃなく“文化”
BASICは単なるプログラム言語ではありませんでした。
-
雑誌でコードを手打ちして動かす楽しさ
-
子どもや主婦も、自作アプリで活躍できる自由さ
-
自分が作ったものが、そのまま“作品”になる喜び
これは、“使う人が作る人でもあった”最後の時代の象徴です。
💥 そして、ソフトウェアに“価値”が生まれた
Altair BASICは“盗まれ”もしました。
でもそのことで、ビル・ゲイツは声を上げます。
📢「プログラムは無料じゃない。
僕らの努力には価値がある」
この言葉が、ソフトウェアビジネスの起点となり、
やがて世界は「ソフトで動く社会」へと向かっていきました。
📱 いま、私たちが使うスマホにも、BASICの思想が生きている
-
アプリをタップすれば反応する
-
音声で話しかけると動いてくれる
-
ゲームも表計算も、文章も動画も、命令ひとつで自在に動く
それは全部、Altair BASICがはじめた「人と機械の対話」の延長線上にあります。
💡 Altair BASICは、小さなプログラムかもしれない。
でもその中には、「人がコンピュータに話しかけられる世界」が詰まっていました。
🔜 次回:「Apple II──家庭に届いたパソコン革命」へ!
次は、ついに“家の中”へパソコンがやってきます。
1977年、Apple II が登場。GUIはまだないけど、カラフルで使いやすいパソコンが世の中を変えていきます。
-
Altairで火がついた個人コンピュータ文化が
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Appleによって、一般家庭にまで届いた──
▶次に読みたい記事 「商用コンピュータとパソコンの進化」⑥Apple IIとは?スティーブ・ジョブズが家庭にパソコンを届けた“最初の革命”
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🖊ブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」はこちらから
まとめ記事▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ
①UNIVAC Iとは?世界初の商用コンピュータが切り開いた“情報の時代”の始まり
②System/360とは?IBMが作った“標準化”の原点と現代まで続くプラットフォームの歴史
③Intel 4004とは?世界初のマイクロプロセッサと小型コンピュータ時代のはじまり
④Xerox Altoとは?GUIとマウス操作が生まれた伝説のコンピュータをやさしく解説
⑤当記事
⑥Apple IIとは?スティーブ・ジョブズが家庭にパソコンを届けた“最初の革命”
⑦IBM PCとMS-DOSとは?1981年に誕生した“世界標準PC”とMicrosoftの躍進
⑧Windows 95とは?AppleとIBMの時代を超えた“誰でも使えるOS”の革命[1995年]
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