はじめに|印刷物は「文化」と「情報」の架け橋だった
新聞、雑誌、書籍、パンフレット、名刺、チラシ、ポスター──
私たちの日常には、数えきれないほどの「印刷物」が存在しています。
どれも“紙に何かが刷られたもの”ではありますが、その役割は驚くほど多様です。
情報を伝える。
商品やサービスを紹介する。
人と人をつなぐコミュニケーションの橋渡しをする。
さらに、芸術性やブランドイメージの表現、文化の保存、社会運動の記録としても、印刷物は欠かせない存在となってきました。
たとえば、戦時中に配られたビラや、歴史的に価値のある新聞の第一面、あるいは卒業アルバムや一冊の文集。
私たちの手元にある1枚1冊の印刷物の裏には、その時代の空気、社会の動き、人々の思いが刷り込まれています。
では、そんな印刷物はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか?
そして、どんな技術がどのように発展し、今日のような“瞬時に・大量に・高精度で刷れる”世界ができあがったのでしょうか?
本記事では、世界と日本における印刷技術の起源から発展、現代の最先端技術、そしてこれからの展望までを、わかりやすく丁寧に解説していきます。
技術の進化が社会に与えてきた影響、文化としての側面、そして未来への可能性──
読み終えたとき、きっと印刷物を見る目が変わるはずです。
また、印刷業界に関わる方やこれから印刷を依頼したいと考える方にも、「印刷物とは何か」を再発見できる内容としてお届けします。
“印刷”という営みは、人と人をつなぎ、社会を前に進めるための、静かで力強い技術です。
1|印刷物の起源と最初の印刷技術
「印刷物」というと近代の発明のように思われがちですが、その原点は想像を遥かに超える昔、古代文明の時代にまでさかのぼります。
最初の印刷技術は、「情報を記録し、複製し、伝える」という人類の根源的な欲求に応えるものであり、
それはやがて知識や文化、宗教、経済の発展に大きく貢献していくことになります。
1-1|世界における最初の印刷技術:木版印刷の誕生と広がり
印刷技術の起源としてよく知られているのが、中国における木版印刷です。
これは紙の発明(前漢時代)と並行して発展したもので、情報を広く、迅速に伝える手段として生まれました。
■ 唐代(7〜9世紀):木版印刷の原初期
中国・唐の時代、すでに木板に文字を彫り、紙に転写する木版印刷の技術が存在していました。
この技術は、主に仏教経典を広めるために用いられ、手書きで写経するよりもはるかに効率的であったため、仏教の布教活動を飛躍的に拡大させる一因となりました。
特に、9世紀中ごろに印刷された『金剛経』は、現存する世界最古の印刷された書籍とされています。
中国ではこの時期、すでに“大量複製して広く配布する”という概念が成立していたのです。
■ 宋代(10〜12世紀):活字の発明と応用
11世紀、中国・北宋の技術者 畢昇(ひっしょう) が「陶器製の活字」を発明したとされています。
これは、現在の活版印刷に近い「文字を並べて構成し、印刷する」という方法で、木版に比べて効率が良く、再利用も可能という点で革新的でした。
ただし当時は、漢字の種類が多く管理が難しかったため、活字印刷はあまり広く普及しませんでした。
それでも、この発明は活版印刷という概念の原型となり、後のヨーロッパにおける大革命へとつながっていくのです。
1-2|日本における印刷技術の導入と展開:仏教とともに伝来した印刷文化
日本における印刷技術の導入も、やはり中国からの影響によるものです。
特に、仏教の伝来とともに印刷文化がもたらされたという点が、日本における印刷の特徴です。
■ 奈良時代(8世紀):世界最古の量産印刷物「百万塔陀羅尼」
日本で最も古い印刷物とされているのが、奈良時代、**称徳天皇(しょうとくてんのう)**の命によって作られた『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』です。
これは、疫病の終息を祈念して作られた経文で、木版を使って印刷され、小さな木製の塔に納められて全国の寺院に配布されました。
この陀羅尼は現存しており、世界最古の量産印刷物として国宝にも指定されています。
仏教の力と印刷の力が結びつき、人々の信仰心と国家の意図が“印刷物”という形で具現化された最初の事例と言えるでしょう。
■ 鎌倉〜室町時代:禅宗・寺院文化の中で育った印刷技術
鎌倉時代には、禅宗の広がりとともに、印刷技術が再び活性化します。
京都や奈良を中心に、仏教経典や教本が木版で印刷されるようになり、各寺院が自ら印刷を行う「寺院印刷所」のような役割を担うようになります。
また、室町時代には商業印刷の芽生えも見られ、宗教書だけでなく、歴史書や実用書などの印刷物も登場し始めました。
1-3|印刷の“本質”とは何だったのか?
この時代の印刷技術に共通していたのは、
**「情報をできるだけ多くの人に、正確に、迅速に届けたい」**という社会的欲求です。
-
経典をより多くの人に届けたい僧侶たち
-
法令や通達を広く伝えたい為政者たち
-
宗教や学問を通じて心を豊かにしたい人々
そうしたニーズに応え続けてきたからこそ、印刷技術は脈々と受け継がれ、やがて大きな変革──
「活版印刷」革命という歴史的転換点へとつながっていくことになります。
2|活版印刷とその革新:グーテンベルクと情報革命の幕開け
印刷技術の歴史において、最も劇的な転換点となったのが、15世紀のヨーロッパで誕生した「活版印刷」です。
それは単なる技術革新ではなく、**社会の構造、知識の流通、宗教と政治の在り方を根本から変えた“情報革命”**でした。
この章では、活版印刷を生んだグーテンベルクの功績と、それが人類社会に与えた影響を、徹底的に掘り下げていきます。
2-1|ヨハネス・グーテンベルクの革新:活字が世界を変えた
ドイツの都市マインツに生まれたヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)は、もともと宝石彫刻師であり技術職人でした。
彼は既存の木版印刷では不可能だった「再利用できる印刷技術」を追い求め、ついに金属活字による印刷機の開発に成功します(1440年代後半)。
■ 活版印刷の仕組み
-
一文字ずつ独立した金属の活字を並べて版を構成
-
専用のインクを塗り、紙にプレスして印刷
-
使用後の活字は洗浄して再利用可能
この仕組みにより、1つの文書を数百・数千部単位で印刷できるようになり、これまでにない圧倒的な生産性とコスト削減が実現しました。
2-2|「グーテンベルク聖書」が生んだインパクト
グーテンベルクが手がけた最初の大規模印刷物は、**ラテン語訳聖書(グーテンベルク聖書)**です。
1455年頃に完成したこの印刷聖書は、美しい装飾と読みやすいレイアウトを兼ね備え、手書きの写本と遜色ない品質を持っていました。
当時の写本は、完成までに数年かかるうえ、1冊あたりの価格が非常に高額。
それに対して活版印刷なら、数百冊を短期間で安価に複製可能だったため、聖書が初めて“広く手に入る本”となったのです。
これがどれほどの衝撃だったかというと──
-
教会や貴族だけが独占していた聖書が、市民階級にも手の届く存在に
-
宗教改革を先導する思想家たち(例:マルティン・ルター)が、自らの著作を印刷し広く頒布
-
本の普及が、読み書き教育の拡大と知識の民主化を後押し
まさに、活版印刷は「読む権利」を人々の手に解放した革命的な技術だったのです。
2-3|印刷革命が社会をどう変えたか
グーテンベルクの発明によってもたらされた「印刷革命」は、ヨーロッパ社会を大きく揺るがせます。
特に以下の3つの側面で、歴史的な変革が起きました。
① 知識の“独占”から“共有”へ
印刷物によって書籍の複製が容易になったことで、知識は限られた支配層のものから、市民全体の共有財産へと変わりました。
-
学問や科学が爆発的に進化(ガリレオやニュートンなどが登場)
-
大学教育の拡充と、初等教育の普及
-
翻訳された文学作品が各国に広がり、国民文化の形成にも影響
② 宗教と政治に与えた影響
活版印刷によって、宗教改革を担うパンフレットや小冊子が爆発的に広がりました。
マルティン・ルターが掲げた**「95か条の論題」**が瞬く間にヨーロッパ中に広まったのは、まさに印刷の力によるものです。
-
教会の権威に対する批判が可視化され、宗教の多様化が進む
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パンフレットを使った政治プロパガンダの誕生
-
印刷業が「言論と思想の媒体」として確立
③ 印刷業という産業の誕生
印刷所が各地に設立され、活版職人、植字工、製本業者、販売者などの仕事が生まれました。
このころから、印刷は「技術」ではなく、「産業」としての地位を確立し、出版という新たなビジネスモデルが始まったのです。
2-4|グーテンベルクの技術は世界をどう変えたか?
グーテンベルクの発明がなければ、ルネサンスや宗教改革、近代科学の誕生はこれほど早くは訪れなかったとも言われています。
彼の印刷技術がなければ──
-
教育の拡大も
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知識の標準化も
-
世界共通の情報共有の概念も
ここまで速く育たなかったでしょう。
つまり、活版印刷は単なる「技術革新」ではなく、
**“人類の知的進化を加速させた装置”**だったのです。
3|日本における印刷技術の発展:宗教から大衆文化へ
中国で誕生した木版印刷技術は、仏教とともに日本へと伝わりました。
当初は限られた宗教・貴族層のためのものでしたが、やがて時代とともに進化を遂げ、江戸時代には庶民の生活にも溶け込む文化産業へと発展します。
日本における印刷の歴史は、単なる技術の物語ではなく、宗教・教育・出版・商業といったあらゆる側面と結びつきながら形を変えてきた“日本的印刷文化”の記録でもあります。
3-1|日本最古の印刷物と仏教文化との深い関係
前章でも触れた『百万塔陀羅尼』(8世紀・奈良時代)は、称徳天皇の命により大量に印刷された経文で、現存する世界最古の量産印刷物とされています。
木の塔の中に納められたこの小さな印刷物は、疫病平癒・国家鎮護を祈る宗教的な目的のもと作られ、全国の寺院に配布されました。
当時の印刷技術は完全手作業。
1枚1枚、版木に紙を押し当てて印刷するという、極めて手間のかかるものでしたが、“印刷によって思想・祈りを届ける”という概念はこの時点で既に確立されていたことがわかります。
3-2|鎌倉・室町時代:印刷の中心は“寺院”だった
時代が下ると、印刷の担い手は仏教寺院へと移ります。
とくに鎌倉時代には、禅宗や浄土宗などの新仏教が隆盛を迎え、印刷は経典の複製・布教活動の一環として広く用いられるようになりました。
■ 「版本文化」の成立
この頃から、印刷された経典や教義書を「版本」と呼ぶようになり、
-
法華経
-
阿弥陀経
-
禅宗の語録集
などが大量に印刷され、全国の寺社や学僧の間で流通するようになります。
また、「五山版」と呼ばれる室町時代の京都・奈良の高僧による書籍群は、学術的価値の高い印刷物として名高く、現在の学術書の原型ともいえる存在でした。
3-3|西洋からの衝撃:南蛮文化と金属活字の出会い
16世紀、日本はついに西洋の印刷技術と出会います。
それが、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルらが持ち込んだ金属活字による印刷機でした。
この技術は「南蛮印刷」と呼ばれ、1580年代には長崎に西洋式の印刷所が設立され、ラテン語・日本語の書籍(キリシタン版)が印刷されました。
代表的なのが『天草版平家物語』や『伊曽保物語』などの文芸作品です。
■ なぜ活版印刷は日本に広がらなかったのか?
技術としては革新的だった西洋式活版印刷ですが、当時の日本では広く普及しませんでした。
その背景には以下のような要因が挙げられます:
-
日本語(漢字・仮名)の複雑さ → 活字の数が膨大すぎた
-
宗教的背景 → キリスト教弾圧により印刷所が閉鎖
-
文化的好み → 滑らかで美しい木版の方が好まれた
結果として、日本では引き続き「木版印刷」が主流として根付き、活字印刷は一時的に姿を消すことになります。
3-4|江戸時代の大発展:印刷業の“商業化”と“庶民化”
江戸時代に入ると、日本の印刷文化は大きな転換を迎えます。
印刷の担い手は寺院から町人(商人)へと移り、出版=商売としての概念が確立されるようになりました。
■ 蔦屋重三郎と出版ブーム
江戸中期、浮世絵や読本の出版で有名な蔦屋重三郎などの版元が活躍。
-
滑稽本
-
美人画
-
武士の講談本
-
地図や旅行案内本(伊能図)
など多彩なジャンルの出版物が誕生し、江戸の庶民たちは「読むこと・知ること・楽しむこと」に目覚めていきました。
■ 木版技術の進化と分業制
江戸時代の木版印刷は、もはや技術として完成の域に達していました。
-
彫師(ほりし):原稿を版木に彫る
-
摺師(すりし):版に色をのせて紙に刷る
-
絵師(えし):元になる原画を描く
-
版元(はんもと):企画・販売・営業の全体指揮
このような分業体制と職人ネットワークによって、まるで現代の出版社のような構造が出来上がっていたのです。
3-5|「印刷=文化」の時代へ
江戸時代後期には、寺子屋の普及とともに識字率が高まり、印刷物は教育・娯楽・情報の主要メディアとして存在感を増していきます。
江戸の街には本屋が並び、毎月のように新刊が出版され、“出版カレンダー”まで存在していたとも言われています。
つまりこの時代、日本は世界的に見ても珍しい、
「印刷によって情報が日常に浸透していた社会」を築いていたのです。
4|近代印刷技術の進化:産業革命がもたらした大量印刷の時代
前章で見てきたように、江戸時代の日本では職人による木版印刷が独自に花開き、出版文化が根づいていました。
しかし19世紀に入ると、世界規模で“印刷の常識”を塗り替える技術革新が起こります。
そのきっかけとなったのが、産業革命と機械化の波です。
印刷は「職人の手仕事」から「産業化・大量生産の時代」へと突入し、印刷業界はここから急成長を遂げていきます。
4-1|19世紀:産業革命と蒸気印刷機の登場
18世紀後半から始まったイギリス発の産業革命は、印刷業界にも革命をもたらしました。
最大のポイントは、「蒸気機関による印刷機械の稼働」です。
■ スピードと規模が桁違いに進化
-
手動だった印刷機が、蒸気の力で1時間に数千枚を刷れるレベルに
-
丸いローラーを使ったシリンダー型印刷機(ロンドンのケーニッヒ兄弟が開発)により、新聞や本の大量生産が実現
-
イギリスの『ザ・タイムズ』が1830年代にこの方式を採用し、世界初の大量部数の新聞が誕生した
これにより、印刷物は一部の上流階級のものではなく、一般大衆の手に届く情報メディアへと変貌していきました。
4-2|リトグラフからオフセットへ:印刷方式の大転換
さらに19世紀〜20世紀初頭にかけて、印刷技術は“画期的な表現力”と“安定性”を獲得します。
■ リトグラフ(石版印刷)の誕生
1796年、ドイツのアロイス・ゼネフェルダーが開発したのが「リトグラフ」。
石の表面を利用し、油と水の反発性を利用して印刷する技法で、繊細な絵やグラフィック表現に適していたことから、
-
ポスター
-
絵本
-
音楽譜など
の印刷に広く用いられました。
■ そしてオフセット印刷へ
1900年代初頭、アメリカで開発されたのが、現代印刷の主流である「オフセット印刷」です。
特徴は以下の通り:
-
金属版に描いた図版を、ゴムローラー(ブランケット)経由で紙に転写
-
直接印刷しないため、版が摩耗しにくく、高品質を維持
-
用紙の素材を問わず印刷可能で、速乾性・量産性・画質の三拍子揃った印刷方式
この技術により、カラー印刷や商業印刷が飛躍的に進化し、
現代のチラシ、パンフレット、書籍、ポスターなどの大量印刷はすべてこの方式をベースにしています。
4-3|印刷と社会の関係:マスメディアの時代へ
印刷技術が進化したことで、「情報」の扱い方も劇的に変わっていきました。
-
新聞:全国紙が毎日100万部以上発行され、“一斉に読む”という体験が生まれる
-
書籍:教育の普及とともに教科書・辞書・参考書の印刷が急増
-
広告:印刷物による商品販促・ブランディングが一般化し、商業印刷の時代が到来
このように、印刷業は単なる“印刷”にとどまらず、「情報の量産と流通」を担う社会インフラとしての役割を担うようになりました。
4-4|日本における近代印刷の導入と普及
日本では、明治維新を契機に西洋の技術が一気に流入。
政府主導で教育制度が整備され、教科書や公文書の大量印刷が必要とされるようになります。
-
活版印刷の技術が本格導入され、各地に印刷所が設立
-
明治20年代には新聞・雑誌も急増し、出版文化が再び活性化
-
明治・大正時代には東京築地活版製造所などが活躍し、印刷業が一大産業へと拡大
また、活版印刷機の国産化も進み、日本独自の印刷機械メーカーが次々と誕生していきました。
4-5|昭和期〜平成初期:オフセット印刷が支えた大量印刷時代
戦後の復興期を経て、日本でも本格的なオフセット印刷が普及。
-
雑誌ブーム(『anan』『POPEYE』など)
-
チラシ広告の氾濫(折込広告の黄金時代)
-
商業印刷・業務印刷・教材印刷・行政資料の大量需要
こうした時代を支えたのが、安定性・高速性に優れたオフセット印刷でした。
この時代、日本の印刷業界は**「刷るだけ」ではなく、「企画・編集・製本・発送」までをトータルに担う業態**へと進化していきます。
このように、産業革命以降の印刷技術の発展は、単なる技術の進化にとどまらず、社会の情報構造そのものを再編する力を持っていたのです。
5|デジタル印刷と現代の印刷技術:変わるニーズと“刷る”の再定義
21世紀に入り、印刷業界は再び大きな転換期を迎えています。
キーワードは**「デジタル化」「小ロット」「多品種」「パーソナライズ」**。
これはかつての「大量・均一・低価格」という印刷の黄金時代とはまったく異なる価値基準であり、印刷の存在意義そのものが見直されつつあるのです。
5-1|デジタル印刷の登場:オンデマンド時代の始まり
デジタル印刷とは、版を作る工程を省略し、データから直接印刷する技術のこと。
1990年代後半から徐々に普及し、現在では以下のような分野で活躍しています:
-
名刺・ショップカード
-
パンフレット・カタログ
-
宛名入りDM・バーコード付きチケット
-
個別カスタマイズ対応のパーソナル印刷
この方式では「版」が不要なため、1枚からでも印刷可能。
つまり、従来の“たくさん刷らないと元が取れない”印刷のルールが崩れ、必要なときに、必要なだけ、すぐに刷るという発想が業界全体に広がっていったのです。
5-2|なぜデジタル印刷は求められるのか?
従来のオフセット印刷は、品質とコストパフォーマンスでは依然として高い評価を得ています。
しかし、デジタル印刷にはそれとは別の強みがあります:
■ デジタル印刷のメリット
特徴 | 内容 |
---|---|
少部数対応 | 1枚からでも対応可能。無駄な在庫を出さない |
スピード | データ入稿→即出力で、短納期に強い |
カスタマイズ性 | 宛名、番号、QRコードなど1枚ごとに内容を変えられる |
テスト印刷・小ロット試作に最適 | 製品開発やA/Bテスト用途にも強い |
これにより、イベントチラシ、SNS連携のキャンペーン、顧客へのDMなど、タイムリーかつ個別対応が求められる印刷物には圧倒的に強いという特徴があります。
5-3|変わる印刷の役割:「紙に刷る」から「人に届く」へ
現代の印刷は、ただ“モノを刷る”ことだけでは価値がありません。
求められているのは、「情報の伝達手段として、最も届くかたちは何か?」という設計力です。
そのため、現代の印刷会社には次のようなスキルが必要になっています:
-
マーケティング視点での提案(例:CVRの高いチラシ設計)
-
デザインとブランディング(見た目の統一、印象設計)
-
データ連携・Web連動(QRコードやLP誘導)
-
物流・発送代行(印刷後すぐに手元へ届くスピード感)
これにより、印刷会社はもはや“印刷を請け負う業者”ではなく、情報とクリエイティブのハブとしての役割を担っているのです。
5-4|現代の印刷業界の課題とチャンス
現在の印刷業界は、紙離れ・デジタル化・人手不足といった課題に直面しています。
しかしその一方で、**「リアルな印刷物の価値が再評価される動き」**も確実に存在します。
■ 再評価される“手に取る体験”
-
SNSでシェアされる、可愛いノベルティ
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パッケージ印刷の工夫で“開けたときの感動”を演出
-
イベントで手渡すフライヤーの“肌触りや香り”
印刷物は、デジタルにはない“手触りと感情”を届けるメディアです。
だからこそ、**「どんな印刷物を、誰にどう届けるか」**という問いに答えられる企業が、これからの時代に選ばれる印刷会社になります。
5-5|新潟フレキソの取り組み:地域×印刷×未来をつなぐ会社として
私たち新潟フレキソは、印刷の技術とノウハウを活かしながら、
地域社会にとって価値のあるサービスを追求しています。
-
小ロット・短納期対応のデジタル印刷ライン完備
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封筒・チラシ・シールから、Tシャツ・名入れグッズまでワンストップ
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新潟のイベント、学校、商店街の印刷物も多数サポート中
「紙に印刷する」だけではなく、“何をどう伝えるか”を一緒に考えられるパートナーとして、これからも地域のお客様と向き合っていきます。
6|印刷業界の未来:技術革新・サステナビリティ・印刷の“その先”へ
これまで印刷技術は、紙・版・インク・スピードの革新を軸に進化してきました。
しかし、今私たちが立っているのは、単なる「次の印刷方式」を待つ時代ではなく、「印刷の意味そのもの」を再定義する未来の入り口です。
環境問題、デジタルシフト、ライフスタイルの多様化……
これからの印刷業界に求められるのは、“刷る技術”を超えて、“社会と調和しながら価値を生み出す力”です。
6-1|次世代の印刷技術:3D・インクジェット・ナノ印刷の可能性
印刷技術の進化は紙だけにとどまりません。
既に以下のような次世代印刷の実用化・実験が世界中で進んでいます:
■ 3Dプリンティング
素材を積層して立体物を造形する技術で、医療・建築・製造分野で拡大中。
-
骨・人工関節などの医療部品
-
カスタム什器や部品の製造
-
建築用構造物の試作
印刷=「情報の転写」ではなく、「立体造形+情報」の融合へ。
■ インクジェット印刷の極小化・高精細化
すでに布・ガラス・金属などにも印刷可能。
今後は工業製品への直接印刷や、電子基板やセンサーの形成技術としても応用が広がります。
■ ナノ印刷・マイクロパターン技術
ナノレベルでインクや金属を配置する印刷は、半導体や医療分野で注目され、将来的には**バイオ印刷(人工臓器の形成)**にもつながると期待されています。
6-2|サステナビリティ:印刷業が取り組むべき環境課題
未来の印刷業界が避けて通れないのが、環境配慮と持続可能性です。
「紙=資源を使う」「インク=化学物質」などのイメージから脱却し、社会的責任を果たす印刷業としての進化が求められます。
■ 再生紙・FSC認証用紙の活用
森林資源の保護につながるFSC認証紙の利用は、印刷物の“企業姿勢”を伝える武器になります。
■ 植物由来インク(ソイインクなど)
石油系インクから、大豆やトウモロコシなどの植物由来成分を使った環境配慮型インクへのシフトが進んでいます。
■ カーボンオフセット印刷
印刷過程で排出されるCO₂を、森林保全や再生可能エネルギーの支援などで相殺する仕組み。
“地球に優しい印刷”は、これからの選ばれる条件に。
6-3|印刷の未来は“融合”の時代へ:紙×デジタル、技術×文化
未来の印刷は、「紙か、デジタルか」ではなく、“ハイブリッド”の活用が当たり前の時代へと進みます。
■ 紙とWebをつなぐ
-
印刷物にQRコードやAR技術を組み込む
-
チラシ→LP誘導→申込完了まで一気通貫
-
電子ペーパーやデジタル名刺との連携も拡大中
■ 印刷は“文化”として残る
デジタル全盛の時代だからこそ、あえて紙で届ける情報に、
-
「ちゃんと考えて届けた感」
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「手触り」「記念性」「アナログの信頼感」
といった非デジタルならではの価値が宿ります。
印刷は“消える”のではなく、“位置づけが変わる”。
それはメディアではなく、“体験”としての印刷の誕生です。
6-4|新潟フレキソが見据える未来:地域と技術と人をつなぐ印刷へ
私たち新潟フレキソは、印刷会社という枠を超え、
「地域とつながる」「人とつながる」「情報とつながる」存在でありたいと考えています。
-
小ロット対応で、アイデアをすぐに形に
-
地域イベントや教育現場を、印刷物で全力支援
-
Tシャツ・シール・名入れグッズなど多品種もOK
-
サステナブル素材への切り替えもご相談可能
“刷る”だけでなく、“価値を届ける”会社へ。
印刷のこれからを一緒につくっていきませんか?
まとめ|印刷の歴史は、人と社会をつなぐ「進化の軌跡」
印刷は、人類が「伝えたい」「残したい」と願った瞬間から始まった技術です。
紀元前の木版印刷から、グーテンベルクの活版印刷、江戸の出版文化、そして現代のデジタル印刷に至るまで、
情報・文化・商業・思想…すべてが“刷られること”によって社会に広がり、次の時代を築いてきました。
そしていま、印刷はまた新たなステージへと進もうとしています。
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紙とデジタルをつなぐメディアとしての役割
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環境に優しく、持続可能なものづくりとしての挑戦
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手に取った人の心を動かす「感情の伝達手段」としての価値
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