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0章|なぜ日本は「和の国」と呼ばれるのか
和食。
和室。
和風。
和服。
和菓子。
日本の文化を表す言葉には、「和」がつくものが数多くあります。
普段はあまり意識しませんが、こうして並べてみると、その多さに気づきます。
日本の国名は「日本」です。
しかし、文化や生活様式になると、「日」ではなく「和」が使われます。
日食とは言わず、和食と言う。
日室とは言わず、和室と言う。
なぜ、日本のものは「和」で表されるのでしょうか。
そもそも、日本は最初から「和の国」だったのでしょうか。
昔から調和や平穏を大切にしてきた国だったのでしょうか。
実は、この「和」というイメージは、自然に生まれたものではありません。
歴史の中で選ばれ、使われ、定着していった結果として、現在の形があります。
この記事では、
なぜ日本は「和」と結びついたのか。
その背景を、国名と漢字の歴史から整理していきます。
1章|昔、日本は「倭」と呼ばれていた
現在、日本は「日本」という国名を使っています。
しかし、古代の東アジア世界において、日本は長い間「倭」と呼ばれていました。
これは印象論ではなく、史料として残っています。
3世紀の『魏志倭人伝』には、
邪馬台国や卑弥呼とともに、「倭国」「倭人」という言葉が登場します。
日本に関する最古級の記録の中で、すでに「倭」という表記が使われているのです。
さらに、もっと古い例もあります。
福岡県で出土した金印には、
「漢委奴国王」という文字が刻まれています。
これは、1世紀ごろに後漢が、
倭にあった奴国の王に与えたものと考えられています。
この「委」は、「倭」を省略した表記と見る有力な説があります。
つまり、
1世紀の金印
3世紀の魏志倭人伝
この二つの時点で、すでに日本は「倭」と書かれていました。
しかも、これらはいずれも中国側の記録です。
当時の日本は、国号を国際的に統一して主張できる段階にはなく、
周辺国による呼び名が、そのまま定着していました。
2章|「倭」という漢字の意味と背景
では、「倭」という漢字には、どのような意味があったのでしょうか。
「倭」は、人偏に「委」と書きます。
この形から、
小さい
従う
曲がる
といった意味を連想する説明が紹介されることがあります。
そのため、「中国が日本を見下して使ったのではないか」という説も語られてきました。
ただし、現在では、より慎重な見方が主流です。
古代中国では、外国の地名や民族名を、
意味よりも音を優先して漢字に写す文化がありました。
「倭」も、日本側の呼び名の音を写した結果、
選ばれた可能性が高いと考えられています。
一方で、漢字が持つ印象が、
まったく無関係だったとも言い切れません。
現在では、
音写が中心
意味も一定程度影響
という理解が一般的です。
3章|日本は自分たちを「大和」と呼んでいた
中国の記録では「倭」と書かれていましたが、
日本の内部では、「やまと」という呼び名が使われていました。
奈良盆地を中心とする地域が、大和と呼ばれていたためです。
ここは、後に王権の中心となる場所でもあります。
つまり、
大和=政治と文化の中心地
でした。
やがて、この地名は、国全体を指す呼び名としても使われるようになります。
大和の国。
大和魂。
大和心。
こうした言葉が生まれた背景には、この流れがあります。
「やまと」という音は、漢字よりも先に存在していました。
「大和」は、後から当てられた表記です。
音が先で、文字は後。
この関係は、後の「和」への移行にもつながっていきます。
4章|なぜ「倭」から「和」に変わったのか
7世紀後半から8世紀にかけて、日本は国家としての形を整えていきます。
律令制度。
都の整備。
外交制度。
こうした制度が整う中で、日本は、
「自分たちをどう見せるか」を意識するようになります。
その過程で、「倭」という表記は次第に使われなくなっていきます。
代わって選ばれたのが、「和」でした。
「和」には、
調和
安定
穏やか
といった好意的な意味があります。
しかも、「倭」と同じく「わ」と読むことができます。
読みは変えずに、
イメージだけを切り替える。
非常に合理的な選択でした。
倭(わ) → 和(わ)
という変更は、日本の自己表現の転換でもありました。
5章|聖徳太子と「和を以て貴しとなす」
「和」が重視される背景には、
聖徳太子の存在もあります。
十七条憲法の第一条には、
「和を以て貴しとなす」と記されています。
争わず、協調することを大切にせよ、という意味です。
この文書の成立事情については、さておき、
少なくとも、「和」が政治理念として掲げられていたことは確かだと考えられます。
7世紀初頭の段階で、
すでに「和」は国家運営の重要な価値として意識されていました。
秩序を、力ではなく調整によって保とうとする姿勢が、
この言葉に込められています。
6章|「和」が日本文化になっていく
やがて「和」は、文化語として広がっていきます。
和歌。
和様。
和風。
和食。
和服。
これらはすべて、日本的なものを示す言葉です。
中国文化と区別しながら、
自分たちの文化を整理するために、「和」が使われました。
この過程を通して、
和=日本文化
という認識が社会の中に定着していきます。
「和」は、単なる漢字ではなく、
文化の象徴へと変化していきました。
7章|「日本」と「和」の役割分担
現在の正式な国名は「日本」です。
この名称は、7世紀後半から、
主に外交の場で使われるようになりました。
「日の昇る国」という意味を持つ、対外的な名称です。
一方で、「和」は国号ではありません。
主に、文化や価値観を表す言葉として使われました。
つまり、
日本=国名
和=文化的自己表現
という役割分担が生まれたのです。
この構造は、現在まで続いています。
8章|まとめ|日本は「和」を選び、使い続けた国だった
日本は、
倭と呼ばれ、
大和と名乗り、
和を選びました。
そして、そのまま使い続けました。
千年以上にわたり、
文化の名前として手放していません。
和食。
和室。
和風。
すべて、その延長線上にあります。
日本は、「和」というブランドイメージを、
とても気に入ってしまった国だったのかもしれません。
ここまで長く同じ言葉を使い続けてきた背景には、
日本が自らの歴史や正統性を、連続したものとして意識してきたことも関係しています。
支配の中心や制度は変化してきましたが、
国家の根本的な枠組みは、大きく断絶することなく受け継がれてきました。
そのため、
「日本は日本である」
「日本は和の国である」
という意識が、疑われることなく積み重なってきました。
もし途中で、国家の正統性が大きく断絶していたなら、
「和」という言葉は、ここまで残らなかったかもしれません。
日本は、「日本であり続けてきた国」だからこそ、
「和」でもあり続けているのです。
私たちは今も、
その選択の上に立って暮らしています。
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