物事とは?意味・語源・使い方から考える「物」と「事」──世界をどう捉える言葉なのか

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0章|導入──「物事」という言葉は、説明しなくても分かる気がしている


物事がうまくいかない。
物事の本質を見る。
世の中の物事を冷静に捉える。

私たちは日常の中で、「物事」という言葉を何の抵抗もなく使っています。
意味を説明しなくても通じるし、むしろ説明する必要すら感じない。
それほどこの言葉は、日本語の中に深く溶け込んでいます。

けれど、ふと立ち止まって考えてみると、少し不思議です。

物事とは、いったい何なのでしょうか。

「物」と「事」が合わさっているのだから、
モノの話なのか、出来事の話なのか。
あるいは、考え方や姿勢のような、もっと抽象的な話なのか。

たとえば「物事がうまくいかない」と言うとき、
うまくいっていないのは、
モノでしょうか。
出来事でしょうか。
それとも、人の考え方や関係性でしょうか。

実際には、そのすべてが含まれている気がします。
にもかかわらず、私たちはそれらを一つひとつ分けて説明せず、
まとめて「物事」と呼んで済ませてしまう。

ここに、「物事」という言葉の特徴があります。

この言葉は、
何かをはっきり定義するための言葉ではありません。
結論を出すための言葉でもありません。

むしろ、
まだ整理しきれていない状態、
一言では言い切れない状況、
考え続ける必要がある対象を、
いったん丸ごと受け止めるための言葉です。

だから私たちは、

「まずは物事を整理しよう」
「物事には順序がある」

といった言い方をします。
そこには、すでに答えがあるわけではありません。
これから考える、という姿勢だけが示されています。

では、なぜ日本語は、
わざわざ「物」と「事」という二つの異なる字を組み合わせ、
このような便利で、しかし曖昧な言葉を作ったのでしょうか。

そして、
この世のあらゆるものは、本当に「物事」として説明できるのでしょうか。

その答えを探るために、
次の章ではまず、「物事」という言葉を分解し、
「物とは何か」「事とは何か」から考えていきます。


1章|物事とは?──現代日本語での基本的な意味


まずは、現代日本語としての「物事」の意味を整理しておきましょう。

辞書的には、物事とは次のように説明されます。

世の中のさまざまな対象や出来事、またそれらをまとめて捉えたもの。

一見すると、かなり大ざっぱな定義です。
「対象」も「出来事」も含み、しかも「まとめて捉えたもの」とされている。
ここには、あえて厳密にしない姿勢が最初から組み込まれています。

重要なのは、「物事」という言葉が
何かを正確に指し示すための言葉ではない という点です。

たとえば、

  • 契約

  • 事故

  • 会議

  • 感情の変化

これらを一つずつ挙げれば、名称はいくらでもあります。
それでも私たちは、それらを横断して、

「最近、いろいろ物事が立て込んでいて」

と言ってしまう。

ここで話されているのは、
個々のモノや出来事ではありません。
それらが重なり合って生まれている「状況全体」 です。

つまり「物事」とは、
細かく分解する前の、ひとまとまりの世界を指す言葉なのです。


物事は「結論の言葉」ではない

もう一つ大事な点があります。

「物事」は、結論を示すときにはあまり使われません。

  • ✕「結論として、この物事はこうだ」

  • 〇「この物事について考える必要がある」

この違いは、意外と決定的です。

物事という言葉は、
何かを断定するためではなく、
考え始めるために置かれる

だからこそ、

  • 物事を整理する

  • 物事を冷静に見る

  • 物事の本質を考える

といった表現が自然に成立します。

これらはすべて、
「もう答えが出ている」という状態ではありません。
むしろ、

まだ分からないが、
分けて、動きを見て、考えていこう

という姿勢を含んでいます。


なぜ「便利すぎる言葉」なのか

物事という言葉は、非常に便利です。

  • 対象を限定しなくていい

  • 主語を固定しなくていい

  • 感情と事実を無理に切り分けなくていい

その代わり、
意味の輪郭はどうしても曖昧になります。

しかし日本語は、
この曖昧さを欠点とは見なしてきませんでした。

むしろ、

はっきり言えない状態を、
はっきり「まだはっきりしていない」と置いておく

そのための言葉として、
「物事」が選ばれてきたのです。

ここまでで見えてきたのは、次の点です。

  • 物事は
    モノでもあり、出来事でもある

  • しかし、そのどちらかに限定されない

  • 世界を一度まとめて受け止めるための言葉である

では、その構成要素である
「物」と「事」は、それぞれ何を意味しているのでしょうか。


2章|「物」とは何か──見えるものだけを指していない


「物事」という言葉を理解するためには、
まず「物」という字を、私たちが思っているよりも広く捉え直す必要があります。

多くの人が直感的に思い浮かべる「物」は、
目に見えて、手で触れられるものです。

机、石、本、建物。
確かにそれらは、典型的な「物」です。

しかし、日本語の「物」は、
それだけに限定された言葉ではありません。


「物」という漢字が示しているもの

漢字の構成を見ると、「物」は

  • 牛(牜)

という二つの要素を組み合わせた字だと説明されます。

ここで注目したいのは、「勿」よりも、
むしろ「牛」という存在が持っていた意味です。

牛は、単に動物の一種ではありません。

古代社会において牛は、

  • 大きく

  • 目立ち

  • 財産として重要で

  • 他と区別して管理される存在

でした。

数ある生き物の中でも、
牛は「これはこれだ」と明確に認識され、
特別に扱われる対象だったのです。

つまり「物」という字の背景には、

数ある存在の中から、
はっきりと区別され、
対象として取り出されたもの

という感覚が、早い段階から含まれていたと考えられます。

ここで重要なのは、
それが形ある物体かどうかではありません。

触れるかどうか、
重さがあるかどうかも、本質ではない。

重要なのは、

他と区別され、
「これはこれだ」と認識されているかどうか

という点です。


見えないものも「物」になる

この視点で日本語を見直すと、
「物」という言葉が指してきた範囲は、一気に広がります。

たとえば、

  • 感情

  • 記憶

  • 思考

  • 価値観

これらは目に見えません。

それでも日本語では、ごく自然に、

  • 怒りというもの

  • 思いというもの

  • 考えというもの

と表現されます。

つまり日本語における「物」とは、

存在していると認識でき、
他と区別して扱うことができるもの

を指す言葉なのです。


「物の見方」という言葉が示すこと

この感覚は、日常表現にもはっきりと表れています。

  • 物の見方

  • 物の考え方

  • 物分かりがいい

  • 物を見る目がある

ここで語られている「物」は、
机や石の話ではありません。

世界や状況、出来事を、
どのように切り分け、
どのように捉えるか。

つまり「物」とは、

世界の中から
「これはこれだ」と切り出された
思考の対象

でもあるのです。


まだ「物」になっていないものもある

ただし、すべてが最初から「物」になるわけではありません。

私たちの内面には、

  • 言葉になる前の違和感

  • なんとなくの不安

  • 形にならない気配

のように、
まだ「これはこれだ」と区別できない状態のものも存在します。

それらは感じ取られてはいても、
まだ対象として置かれていない。

この段階では、
それらはまだ「物」ではありません。

「物」とは、

認識され、
区別され、
対象として置かれた瞬間に成立する言葉

なのです。


3章|「事」とは何か──起こり、動き、関係するもの


「物」が、区別できる存在を指す言葉だとすれば、
「事」は、その存在が関わることで生じる 動き を指す言葉です。

日本語において、「事」は
決して静止した状態を表しません。


「事」という漢字が含んでいる意味

漢字としての「事」は、

  • 行為

  • 働き

  • できごと

を表します。

どれも共通しているのは、
時間の中で起こる という点です。

事は、
そこに至る前があり、
起きている最中があり、
終わった後があります。

つまり「事」とは、

変化の途中にあるもの

だと言えます。


「事」は必ず関係を含む

もう一つ重要なのは、
「事」には必ず 関係性 が含まれることです。

たとえば、

  • 事件

  • 仕事

  • 用事

  • 大事(だいじ/おおごと)

これらはすべて、
誰かが関わり、
何かが影響し合った結果として生まれます。

一人も関わらず、
何も影響を与えない「事」は存在しません。

だから「事」は、
単なる出来事ではなく、

存在同士が接触した結果として生まれるもの

なのです。


「事」は時間と切り離せない

「物」が、
ある時点で「そこにある」と捉えられるのに対して、

「事」は、
常に「進行中」か「振り返られたもの」として語られます。

  • これから起こる事

  • 今まさに起きている事

  • すでに起きた事

事は、
現在・過去・未来 をまたいで存在します。

だから日本語では、

  • 事の成り行き

  • 事の経緯

  • 事の顛末

といった言い方が自然に成立します。


「物」と「事」の決定的な違い

ここで、改めて両者を並べてみましょう。


  • 区別できる存在、対象として置けるもの


  • 存在が関わることで生じる変化や流れ

物は、
切り出して「これだ」と指せます。

しかし事は、
その途中を含めて見なければ理解できません。

ここに、日本語の重要な認識があります。

世界は、
「あるもの」だけでは成り立たない。
「起きていること」だけでも成り立たない。

存在と変化、
対象と流れ、
静と動。

どちらか一方だけでは、
世界は片手落ちになってしまう。

だから日本語は、
次の章で見るように、
この二つを切り離さずに扱う言葉を必要としました。

それが、
「物事」 です。


4章|なぜ「物」と「事」は結びついたのか


「物」と「事」は、それぞれ単独でも意味を持つ言葉です。
それにもかかわらず、日本語はこの二つを並べて
「物事」 という言葉を作りました。

そこには、偶然ではない理由があります。


物だけでは、世界は止まってしまう

「物」は、区別できる存在を指す言葉でした。

  • 机がある

  • 人がいる

  • 考えがある

こうした言い方は、
世界を切り分けて捉えるのにとても便利です。

しかし、「物」だけで世界を見ていると、
ある問題が生じます。

世界が、動かないのです。

存在は並ぶけれど、
それらがどう関わり、
どう変わっていくのかが見えてこない。

静止画としての世界は描けても、
進行中の現実 は捉えきれません。


事だけでは、主体が消えてしまう

では、「事」だけで世界を見ればいいのかというと、
それもまた不十分です。

「事」は、変化や出来事を表します。

  • 会議があった

  • 問題が起きた

  • 事態が動いた

しかし、「事」だけを追っていると、
今度は別の違和感が生まれます。

何が、誰が、関わっていたのか

が見えにくくなるのです。

出来事は語られても、
それを構成していた存在が薄れてしまう。

事だけでは、
世界が「出来事の連続」に還元され、
具体性を失ってしまいます。


世界は「存在」と「変化」でできている

ここで見えてくるのは、
とてもシンプルな構造です。

  • 世界には、区別できる存在があり

  • それらが関わることで、出来事が起きる

どちらか一方だけでは、
現実は成立しません。

存在だけでは、世界は止まり、
変化だけでは、世界は空転する。


「物事」という結合が意味するもの

そこで日本語は、
「物」と「事」を切り離すのではなく、
最初から並べて扱う という選択をしました。

物事とは、

存在(物)と変化(事)を、
同時に視野に入れるための言葉

です。

これは、
世界を細かく定義するための言葉ではありません。

むしろ、

  • 分けすぎない

  • 固定しすぎない

  • どちらかに寄りすぎない

ための言葉です。

だから私たちは、

  • 物事を全体で見る

  • 物事の流れを読む

と言います。

それは、
存在だけを見るでもなく、
出来事だけを追うでもなく、
両方を同時に抱える という態度を示しています。


「物事」は、思考のための装置である

ここまで来ると、
「物事」という言葉の性格がはっきりします。

物事は、
世界を説明しきるための言葉ではありません。

世界を、

  • いったんまとめて受け止め

  • まだ結論を出さず

  • 考え続けるために置いておく

そのための 思考装置 です。

だからこそ、
日本語はこの言葉を、
日常から思考まで、幅広く使い続けてきたのでしょう。

では、
この「存在と変化を同時に捉える」という視点は、
他の思想や言葉と比べると、
どのような位置にあるのでしょうか。


5章|似ているが、同じではない──物事と「色即是空」


「物事」という言葉について考えていると、
多くの人が、ある仏教語を思い出します。

色即是空(しきそくぜくう)

形あるものに実体はない、というあの有名な言葉です。
たしかに、「物事」と「色即是空」には、
どこか似た匂いがあります。

どちらも、
世界を固定されたモノとして見ることに疑問を投げかけ、
関係や変化の中で捉えようとする視点を持っているからです。

しかし、この二つは、
似ているようで、決定的に同じではありません。


色即是空とは何か

色即是空の「色」とは、
色彩のことではなく、

  • 形あるもの

  • 認識できる存在

  • 目に見え、名づけられる対象

を指します。

一方の「空」は、

  • 固定した実体を持たないこと

  • 単独で成立しないこと

  • 関係と条件によって成り立っていること

を意味します。

つまり色即是空とは、

あるように見えるものに、
固定した実体はない

と見抜く言葉です。


物事と色即是空の共通点

まず、共通している点を確認しておきましょう。

  • 固定された「モノ」だけで世界を見ない

  • 変化や関係を重視する

  • 一面的な捉え方を疑う

この意味で、
物事と色即是空は、
同じ方向を向いているように見えます。


決定的な違い①──「ほどく」か、「抱える」か

しかし、ここからが重要です。

色即是空は、
世界に対する執着を ほどく 言葉です。

「これはこういうものだ」という認識そのものを解体し、
最終的には、
実体へのこだわりを手放す方向へ向かいます。

一方で、物事はどうでしょうか。

物事は、
世界を解体しません。
空に還元もしません。

分かった上で、
それでも扱い続ける

ための言葉です。


決定的な違い②──結論を出すか、出さないか

色即是空は、
強い結論を持っています。

すべては空である

という断言です。

それは、認識のゴールでもあります。

一方で、物事は結論を出しません。

  • 物事として考える

  • 物事を見守る

  • 物事の流れを見る

そこには、
「最終的にこうだ」と言い切る姿勢がありません。

物事は、
認識を終わらせない言葉 なのです。


決定的な違い③──世界との距離感

色即是空は、
世界から一歩引く視点を与えます。

苦しみや執着から離れるために、
内面へ向かう言葉です。

対して物事は、
世界の中に留まります。

人間関係、社会、現実の調整。
そうした場面で、
世界を抱えたまま考えるために使われます。


似ているが、役割が違う

ここまで整理すると、
二つの言葉の関係ははっきりします。

  • 色即是空
    → 世界を見切る言葉

  • 物事
    → 世界を扱い続ける言葉

同じように見えて、
向いている方向は正反対です。


この対比が分かると、
「物事」という言葉の立ち位置が、
よりはっきり見えてきます。

では次に、
もっと根本的な問いへ進みましょう。

人間の思考や感覚そのものは、
本当に「物事」なのでしょうか。


6章|人間の思考や感覚は「物事」なのか?


ここまで、「物」「事」、そしてそれらを重ねた「物事」という言葉を見てきました。
すると、自然にこんな疑問が浮かびます。

人間の思考や感覚そのものは、物事なのだろうか。

先に結論から言ってしまいましょう。

人間の思考や感覚は、
最初から「物事」として存在しているわけではない。
しかし、人が理解しようとした瞬間、物事として扱われる。

この少し回りくどい言い方が、
実は一番実態に近いと思います。


思考や感覚は、最初は「流れ」のまま存在している

私たちの内面で起きていることを思い出してみてください。

  • なんとなくの違和感

  • 言葉になる前の不安

  • まとまりきらない考え

  • 気づいたら消えている感情

これらはすべて、

  • 境界がはっきりせず

  • 形も名前もなく

  • 常に変化し続けている

という特徴を持っています。

この段階では、

  • 区別できる対象としての「物」でもなく

  • ひとまとまりの出来事としての「事」でもない

ただ 内面を流れている状態 です。


思考や感覚が「物事」になる瞬間

では、思考や感覚はいつ「物事」になるのでしょうか。

それは、たとえば次のようなときです。

  • 言葉にしたとき

  • 振り返って意味づけしたとき

  • 他人に説明しようとしたとき

  • 「あれはこういうことだった」と整理したとき

たとえば、

  • 「あの時、怒りを感じた」

  • 「最近、考え方が変わってきた」

  • 「あの違和感が転機だった」

こう語った瞬間、
流れていた内面は、

  • 区別できる対象(物)

  • 時間の中で起きた出来事(事)

として、ひとまとめに扱われます。

このとき、
思考や感覚は 物事として立ち上がる のです。


人は世界を「物事化」して理解する

ここで見えてくるのは、人間の理解の仕方そのものです。

世界そのものは、
最初から「物事」として存在しているわけではありません。

それでも人は、

  • 説明するために

  • 判断するために

  • 共有するために

  • 記憶するために

世界を 物事として切り出して理解する しかありません。

思考や感覚も同じです。
そのままの流れでは扱えないからこそ、
言葉によって「物事」に変換するのです。


色即是空との関係で見ると

ここで前章の「色即是空」を思い出すと、理解が整理されます。

  • 色即是空
    → 思考や感覚ですら、固定した実体ではないと見抜く視点

  • 物事
    → 実体ではないと分かっていても、
      いったん対象として扱うための視点

つまり、

  • 空は「ほどく」ための考え方

  • 物事は「扱い続ける」ための考え方

どちらが正しいかではなく、
役割が違う のです。


小まとめ

  • 思考や感覚は、そのままでは物事ではない

  • しかし、人が理解しようとした瞬間、物事になる

  • 物事とは、流れを止める言葉ではなく、流れを扱うための言葉


7章|この世のすべては「物事」で説明できるのか


ここまで読んできて、
こんな疑問が浮かんでいるかもしれません。

結局、この世のすべては「物事」で説明できるのだろうか。

答えは、少し皮肉な形になります。


世界そのものは、言語の枠組みとしての「物事」ではない

まず、はっきりさせておきましょう。

世界そのものは、
最初から 言語の枠組みとしての「物事」 として
存在しているわけではありません。

自然は、

  • 物と事に分かれて動いているわけでもなく

  • 区切られた単位で進んでいるわけでもない

感情も、

  • 「これは物」「これは事」と整理されて
     湧き上がってくるわけではありません。

世界はただ、
連続して、関係し合いながら流れている

区切りも、名前も、意味も、
最初から備わっているものではありません。


それでも人は「物事」で説明する

それでも、私たちは世界を「物事」として語ります。

なぜなら、人が生きるためには、

  • 理解

  • 判断

  • 共有

  • 記録

が必要だからです。

そして、これらはすべて
区切りを作らなければ成立しない

「これは何か」
「何が起きたのか」

そう問うために、
人は世界を切り分けます。

その切り分け方として、
もっとも負担が少く、しかも柔軟だったのが
「物事」という言葉でした。


「物事で説明できる」の本当の意味

ここで重要なのは、
「説明できる」という言葉の意味です。

物事は、

  • 世界を完全に言い尽くすための言葉ではありません。

むしろ、

  • 完全には説明できないと分かっているからこそ、
     いったん物事として扱う

ための言葉です。

だから、

  • 物事が複雑だ

  • 物事は一筋縄ではいかない

といった表現が自然に生まれます。

これらは、
「分かった」という宣言ではありません。

簡単には分からないと認める言葉 なのです。


物事は「答え」ではなく「置き場所」

ここまでを踏まえると、
物事の正体はかなりはっきりします。

物事は、

  • 世界の説明そのものでもなく

  • 説明のための準備でもなく

説明を続けるための置き場所 です。

答えを急がず、
意味を固定せず、
それでも投げ出さない。

そのために、
人は「物事」という言葉を使います。


小まとめ

  • 世界そのものは、言語としての物事ではない

  • しかし人は、物事としてしか世界を語り続けられない

  • この矛盾を引き受ける言葉が「物事」


8章|物事の使い方と注意点


8-1 物事が力を発揮する場面

物事が有効に働くのは、次のような場面です。

感情と距離を取りたいとき

  • 物事を冷静に見る

  • 物事を客観的に考える

感情を否定するのではなく、
一歩引いた視点を確保するための言葉です。

範囲をあえて限定しないとき

  • 物事の全体像

  • 物事の流れ

  • 物事の背景

原因が一つに定まらないとき、
関係が複雑に絡んでいるとき、
「物事」はそれらをまとめて受け止めます。

すぐに結論を出すべきでないとき

  • まずは物事を整理しよう

  • 物事を見極める必要がある

物事は、
判断を保留するための言葉 でもあります。


8-2 注意すべき使い方

一方で、「物事」には弱点もあります。

主語や責任をぼかしてしまう

  • 「物事がうまくいかなかった」

この言い方では、
何が、誰が、どこで、が見えにくくなります。

思考停止の言葉になる危険

  • 「まあ、物事だから仕方ない」

本来は考えるための言葉が、
考えない理由に変わってしまう瞬間です。


8-3 使いこなすための基準

一つだけ、意識しておくとよい基準があります。

物事と言ったあと、本当に考えようとしているか

同じ言葉でも、
その後の態度で意味はまったく変わります。


まとめ|物事とは「世界を終わらせないための言葉」


物事とは、

  • 存在(物)と

  • 変化(事)

を切り離さず、
世界を一度まとめて受け止めるための言葉でした。

世界そのものは流れ続けています。
ある意味では、世界全体が「物事」のようでもある。

しかし、
言語としての物事は、その流れを切り取った一部 にすぎません。

それでも人は、
物事としてしか世界を考え続けることができない。

だからこそ、
日本語はこの言葉を捨てなかったのでしょう。

物事とは、答えではありません。

考え続けるための置き場所。
世界を終わらせないための言葉。


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