なぜ人は新年を祝うのか?元日が祝日になる前の日本史と世界の新年文化【祝日になった理由】

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0章|導入──なぜ「新年」だけは世界中で特別扱いされるのか?


一年のあいだに、私たちはさまざまな出来事を祝います。
誕生日、記念日、節句、季節の行事……。

しかし、そのどれとも比べものにならないほど
「新年」だけは、世界中の人びとが同時に祝う。

宗教が違っても、文化が違っても、政治体制が違っても。
北欧でも、アフリカでも、アジアでも。
そしてもちろん、日本でも。

なぜ、人類はここまで“新年”を特別視してきたのでしょうか?

しかも日本の場合、元日が祝日になったのは戦後の1948年
意外と最近です。

にもかかわらず、
はるか昔の古代から、武家の時代、江戸の町人社会に至るまで、
日本人はずっと正月を「一年で最も尊い日」として扱い、
元日はもちろん、その前後の“松の内”まで当たり前のように休んでいました。

いわば、
「法律より先に文化が祝日を作ってしまった国」
とも言えます。

世界的に見ても、新年を祝う文化はとても古く、
その背景には

  • 天体のリズム

  • 農耕のサイクル

  • 宗教による“再生”の思想

  • 家族や共同体のつながり

  • 人間の心理としての“区切りへの欲求”
    など、人類の根本的な生き方が強く関わっています。

だからこそ、
新年は単なる「日にちの切り替え」ではなく、
**人間が何千年もかけて磨き上げてきた“生きるための儀式”**と言えるのです。

日本における元日も同じ。
いや、むしろ日本は世界でも珍しいほど、
正月文化が“生活の中心”として深く根づいた国でした。

本記事では、

  • 人類がなぜ新年を祝ってきたのか

  • 日本の正月がなぜこれほど重んじられたのか

  • 元日が祝日になる前の“実質祝日”ぶり

  • 旧暦から新暦への転換と、祝日法で元日が定義された経緯

これらを、歴史と文化の流れを追いながらやさしく解説していきます。

あなたが今日、
「明けましておめでとう」と自然に口にする理由も、
実はこの長い長い歴史の中に隠れています。


1章|そもそも“新年”とは何か?──天体と暦から始まる「一年」の発明


私たちは当たり前のように「一年の始まり」を祝いますが、
そもそも “一年” という概念そのものが、自然界には存在しません。

一年をつくったのは人間です。
その出発点は――天体。


1-1|地球の動きが「1年」をつくった

地球は太陽のまわりを、ほぼ365日かけて一周します。
この“公転”が季節を生み、
その季節の変化が農耕文明を支えました。

春に種をまき、
夏に育ち、
秋に収穫し、
冬に備える。

このサイクルを理解することは、
古代社会にとって「生き延びる知恵」そのもの。

だから、
“季節のひと巡り=一年”
という時間の枠組みを、人間は自然と発見していきました。

つまり、一年とは――
「生きるために必要なサイクルを、人間が“時間”として定義したもの」
なのです。


1-2|古代文明はみんな“年の区切り”を祝っていた

地球を動かしているのは同じ太陽。
だから、どの文明も季節の流れを読みながら暦を作りました。

  • メソポタミア:アキトゥー祭(新年祭)

  • 古代エジプト:ナイル氾濫とシリウスの出現を基準に一年を決定

  • 古代中国:春節(旧正月)として1年最大の祝い事

  • 古代ローマ:ヤヌス神(門の神)を祀る新年儀式

すべてに共通しているのは、
**新年=「再出発」と「収穫祈願」**が一体化している点。

この感覚は、現代の私たちが抱く
「今年こそは」「リセットしたい」
という思いとまったく同じ。

むしろ、私たち現代人が新年に抱く高揚感・特別感は、
数千年分の“遺伝した文化の記憶”と言えるのかもしれません。


1-3|“年の始まりを祝う”のは人類の生存戦略だった

古代人にとって、新年はただの挨拶ではなく、
命が懸かったタイミングでした。

農耕が成功しなければ生き延びられない。
だからこそ、
新しい年の無事と豊穣を祈る儀式が必須だった。

新年を祝う行為は、
“文明が生き残るための初期設定”
のようなもの。

そしてその伝統は、
宗教の発展とともに形式化され、
やがて近代国家の暦制度の中に組み込まれました。

だから今でも、世界中の人が同じタイミングで祝うのです。

人間は天体に合わせて時間を作り、
その時間に合わせて社会を回し、
その社会の節目として新年が存在している。

新年を祝う理由の根っこには、
人間が自然と向き合いながら生きてきた、
とても長い歴史があります。


2章|なぜ新年を祝うのか?──宗教・心理・社会の3つの理由


新年を祝う文化は、国・宗教・時代を越えて存在します。
それは偶然ではなく、人間という生き物が持つ、根本的な性質に深く結びついています。
ここでは「宗教」「心理」「社会」の3つの視点から、その理由を読み解いていきます。


2-1|宗教──新年は“再生・清め・更新”の象徴だった

新年を祝うもっとも古い理由のひとつは、
「再生(リセット)」を重んじる宗教思想です。

多くの文明に共通しているのは、
新しい年の始まりを“神の世界がもう一度開かれる瞬間”と見なす感覚。

● 世界宗教と新年の価値観は驚くほど似ている

  • 古代メソポタミア
    新年祭アキトゥは「世界の再創造」を祈る儀式。

  • 古代エジプト
    ナイルの氾濫に合わせて“生命の蘇り”を祝った。

  • 中国・東アジア
    春節=天地が再び動き出す日。家の掃除で“厄落とし”をする。

  • キリスト教圏
    新年は「新しい生活への誓い」を象徴する。

  • ユダヤ教
    ロシュ・ハシャナは“魂の再生”を願う重要祭日。

  • イスラム
    年の移り変わり=巡礼や節目の祈りと結びつく。

宗教は文化ごとに違うように見えますが、
**“新しい年は、世界と人間がもう一度整う瞬間”**という感覚は驚くほど共通しています。

つまり新年は、
**「神に再び見守ってもらえる日」「人が生まれ直せる日」**として祝われてきたわけです。


2-2|心理──人間は“区切り”がないと生きにくい生き物

宗教がなくても、人は本能的に節目を求めます。

カレンダーができるより前から、
「夜明け・夕暮れ」「冬至・夏至」に意味を見出してきたように、
“区切りのある時間”は、心を落ち着かせる装置として働きます。

● 新年は心理的にもっとも強い「リセットスイッチ」

  • 前の年のしがらみを手放したい

  • 新しいことを始めたい

  • 目標を立てたい

  • 自分をもう一度整えたい

こうした“心理的に必要な棚卸し”が、
一年で最もやりやすいのが、新年です。

新年が近づくと、
人が自然と「現状を見つめ直すモード」になるのは、
**時間の区切りが行動を促す“心理のスイッチ”**になっているから。

誕生日でも記念日でもなく、
“全員が一斉に”同じ方向を見るからこそ、
そのパワーはさらに大きくなるのです。


2-3|社会──“みんなが一斉に止まる日”は極めて珍しい

現代社会では、
人のスケジュールが揃うこと自体がほとんどありません。

仕事の休みも、学校の区切りも、家庭の生活リズムもバラバラ。
だからこそ、新年は特別です。

● 元日だけは、世界が同時に止まる

  • 企業が休みになる

  • 役所が閉まる

  • 学校が止まる

  • 家族が集まる

  • 行事が集中する

  • グローバル企業でさえ休む

つまり新年は、
**「社会が全体で同じ呼吸をする日」**でもある。

これは、国家や文化が違っても共通する現象。
その希少性が、新年の価値をますます高めてきました。

● 日本は特に“全員がそろって休む”文化が強かった

日本は古代から

  • 仕事を止める

  • 家を整える

  • 神を迎える

  • 挨拶に回る
    という、社会全体の“再起動”が年中行事として定着していた国。

この特徴が、
後に「元日=祝日」という制度へ自然に流れていく土台になります。


2章まとめ

人間はなぜ新年を祝うのか?
答えはシンプルで、しかし深い。

新年は――
宗教的に“再生の時”であり、
心理的に“リセットの瞬間”であり、
社会的に“全員が揃う日”。

だからこそ、
どの文明でも新年は“特別扱い”され、
現代でも変わらず祝われ続けているのです。


3章|日本の正月文化の土台──年神さまと“家”の新年


日本ほど「正月」に意味を込める国は、世界でもそれほど多くありません。
その理由をひもとく鍵が、古くから続く “年神(としがみ)信仰” にあります。


3-1|年神(としがみ)信仰:新年は“神さまが家へ来る日”だった

日本の正月は、単なる「年が変わる日」ではありません。

昔の人にとって新年とは、
その年の豊穣と寿命を司る神が、家に訪れてくれる特別な日。

しかも年神は、“どこかの神社にいる神”ではなく、
各家庭に毎年降りてくる神と考えられていました。

だからこそ、日本の正月飾りにはすべて意味があります。

  • 門松:年神が迷わず家に来るための“目印”

  • しめ縄:穢れを断ち、神を迎える“結界”

  • 鏡餅:年神が宿る“依り代(よりしろ)”

  • 火を使わない元日の料理(おせち):穢れのない清浄な環境を保つため

  • 年越しの大掃除:神を迎えるための“家の清め”

これらはすべて、
「年神をお迎えし、豊かな一年を祈る」という一貫した思想のもとに成り立っています。

日本人が正月を“家”で過ごす文化が強い理由も、この信仰にあります。


3-2|正月は“家族と地域”を再確認する時間だった

年神を迎える正月は、家の行事であると同時に、
**家族・親戚・地域を再結びつける“社会的な儀礼”**でした。

江戸時代の武家も町人も、年始にはそれぞれの役割がありました。

  • 武家は家臣・主君へ年始の挨拶(祝儀)

  • 商家は店を閉め、取引先へ“互いの無事を祝う”年始回り

  • 庶民は親戚と集まり、地域で歳祝いを行う

  • 子どもたちはお年玉を受けとる(元々は「年神の力=年魂」を分ける儀式)

すべての行動に共通するのは、
「今年もよろしくお願いします」という関係性の初期化

現代の“仕事始めの挨拶”“年賀状”などの文化は、
この頃の風習をそのまま現代化したものです。

つまり正月は、
人間関係のメンテナンスが自然に組み込まれた“社会の再起動日”。


3-3|新年のあいさつの言葉が異常に豊富な理由

日本語には、新年を祝う言葉が驚くほど存在します。

  • 謹賀新年

  • 恭賀新年

  • 賀正

  • 迎春

  • 頌春

  • 新春

  • 新春を寿ぐ

  • 初春

  • 開運招福 …などなど。

なぜこんなに多いのか?

理由は3つあります。

① 宮中・武家社会・寺社が“儀礼の言語”を発達させた

年始の挨拶は、身分の高い順に整えられた重要儀式。
言葉の使い分けも厳格だったため、表現が多様化した。

② 書の文化が発展した(年賀状の祖)

日本は文字を“絵”としても扱う文化があるため、
新年の挨拶は文章そのものが儀礼=芸能になった。

③ 正月が“晴れの場”として最重要だった

冠婚葬祭の中でも正月は別格。
「一年を祝う最初の行いとして、言葉が洗練された」
結果、圧倒的な語彙量に。


3章まとめ──日本の正月は「神・家・社会」をまるごと結び直す日


日本の正月文化は、
年神信仰 → 家族・地域の儀式 → 社会構造
が何百年も積み重なってできた濃厚な文化圏。

そして重要なのは、

元日が祝日になるより遥か前に、
正月は誰もが休み、家に神を迎え、人間関係を整える“特別な日”だった。

文化が先にあり、法律が後から追いついたタイプの典型例。

日本の新年がここまで大切にされるのは、
単に日付が変わるからではなく、
家と神と社会が一斉に新しくなる“再生の日”だから。


4章|祝日になる前の元日──“法律より先に、文化が強く根づいていた日”


もし誰かに
「元日はいつから祝日になったの?」
と聞かれたら、多くの方はこう答えるでしょう。

「1948年からだよ」と。

もちろんこれは正しい答えです。
ただし、話としてはここからが面白いポイント。

日本では、元日が法律で“祝日”と定められるよりずっと前から、
社会のしくみ・仕事のリズム・人々の意識が、すでに“特別な日”として元日を扱っていたのです。

制度よりも、文化や生活習慣のほうが先に強く存在していた――
そんな珍しいタイプの祝日が「元日」なのです。


4-1|古代〜平安|宮中にとって元日は“国家儀式の中心”だった

古代日本の元日(旧暦一月一日)は、
宮中が一年で最も厳粛になる日でした。

  • 四方拝(しほうはい):天皇が天地四方の神々に拝礼

  • 歳旦祭(さいたんさい):新年最初の神事

  • 朝賀(ちょうが):貴族が天皇に新年の挨拶を行う

元日は “国の秩序” を改めて整える非常に重要な儀式日で、
宮中は年末から特別体制に入り、元日の朝は儀式が連続していました。

この時点で、元日はすでに
政治・宗教・社会が同時に動く特別な日として位置づけられていたことがわかります。


4-2|武家の時代|年始の挨拶を済ませたら、基本は休む日

鎌倉~江戸時代になっても、元日の扱いは大きく変わりません。

  • 武士:登城して主君へ年始挨拶 → 以後は休み

  • 公家:宮中へ年始挨拶

  • 町人:店を閉めて年神を迎える準備

  • 農民:年の祈願や初仕事の儀式(形式的なもの)

つまり元日はどの身分でも、
**「働く日というより、挨拶と祈りの日」**として扱われていました。

仕事よりも、**新年を迎える“けじめ”**のほうが優先されていたわけです。


4-3|江戸時代|松の内は“事実上の長期正月休み”

江戸時代の商家は特にわかりやすい特徴があります。

  • 元日〜7日(地域により15日)まで店を開けない習慣

  • 取引も原則停止

  • 年末年始の取り立ても控える

  • 町全体が“正月モード”で、都市の商いが大幅に縮小

さらに、火をなるべく使わない「忌火(いみび)」の習慣や、
「三が日はゆっくり過ごす」という風潮も広く見られます。

つまり江戸の正月は、現代に例えるなら

“全社会的な大型連休”

に近い状態が自然に出来上がっていたのです。


4-4|明治の改暦|旧正月→新正月に変わっても“休む文化”はそのまま残った

1873年、明治政府は太陰太陽暦を廃止し、
現在のグレゴリオ暦に移行しました。

この時点で初めて
「1月1日=元日」
という“今の形式”が誕生します。

本来なら旧正月を重んじる地域が反発しても不思議ではありませんが、
実際には、新暦正月は比較的スムーズに定着しました。

理由はシンプル。

正月を休む文化が、あまりに強かったため。

日付が変わっても、

  • 家を整える

  • 年神を迎える

  • 親族が集まる

  • 年始の挨拶をする

といった行動様式はそのまま新暦に移行し、
結果的に「1月1日」という日付だけが変わった形になりました。

文化が制度変更よりも強かった好例といえます。


4-5|戦前の「祝祭日」制度でも、元日は特別扱いのまま

明治〜昭和初期には国家行事中心の「祝祭日」制度がありましたが、
元日は他の祝祭日とは少し位置づけが異なっていました。

  • 祝祭日=皇室行事や国家記念日が中心

  • 元日=国民の年中行事として深く根づいた日

法律の規定よりも人びとの生活習慣のほうが強く、
元日は“実質的に最も休まれる日”であり続けました。


4-6|1948年|祝日法でようやく「元日=祝日」に明文化

戦後、日本は祝祭日の制度を一度リセットし、
国民生活に寄り添った新しい祝日制度を整えます。

その中心となったのが 「国民の祝日に関する法律(1948年)」

ここでようやく、

元日(1月1日)= 年のはじめを祝う日

と、法律上の定義が誕生しました。

ただし、実態としては
“法律が新しく祝日を作った”というより、

“既に祝われていた日を、制度として整理した”
と捉えたほうが近い状況でした。


4-7|まとめ|元日は「文化がつくった祝日」で、法律は後から整った

4章をまとめると、元日は次のような流れで重要性を高めてきました。

  1. 古代:国家最大の儀式日

  2. 中世~近世:家や地域の正月文化が成熟

  3. 江戸時代:松の内が完全な休暇期間として定着

  4. 明治改暦:日付が変わっても文化はそのまま移植

  5. 戦後:法律がようやく現実の文化を明文化

つまり元日は、
**法律が作り上げた祝日というより、
生活文化が自然に形づくった「長い歴史の結晶」**なのです。

制度よりも先に、人々の暮らしが“元日は特別”と決めていた――
その積み重ねが、現在の「元日は国民の祝日」につながっています。


5章|明治の改暦と「1月1日の元日」──旧正月から新正月へ


日本の正月文化は、千年以上にわたって「旧暦(太陰太陽暦)」を基準に育ってきました。
しかし、明治時代――日本はここで大きな転換を迎えます。


5-1|1873年の改暦──日本が“世界標準の時間”に合わせた瞬間

明治政府は1873年(明治6年)、
突然ともいえるスピードで太陰太陽暦を廃止し、
グレゴリオ暦(現在の暦)へ移行することを決定しました。

この改暦の表向きの理由は、

  • 欧米諸国と貿易・外交をスムーズにするため

  • “文明国”として国際標準に合わせるため
    と説明されました。

しかし実際のところは、
当時の財政事情や旧暦のままでは成立しなかった国家の働き方など、
複雑な思惑が絡みます。

それでも、この改暦は日本史の中で極めて大きな意味を持ちました。

なぜなら――
ここで初めて「1月1日=元日」という現在の形が生まれたからです。

もちろん、それ以前にも「正月の元日」はありました。
しかし旧暦では、日付は“毎年ずれる”。
改暦によって、初めて“世界共通の1月1日”を日本も採用したのです。


5-2|旧正月を捨てても“休む文化”だけは強烈に残った

興味深いのはここからです。

明治政府は旧正月(旧暦の正月)を廃止し、
「1月1日を新年として祝え」と指示しましたが、
その後の日本社会の反応はとてもシンプルでした。

――日付は変わっても、正月は正月。普通に休む。

商家も、武家文化を引き継いだ士族も、
各地域の村落共同体も、
旧暦であっても新暦であっても、
“新年を重んじる”という文化はそのままスライド。

つまり、暦は変わっても、
「正月はみんなで休んで一年を整えるもの」
という日本人の共通意識は揺るがなかったのです。

官公庁でも、年始は業務が止まるのが当たり前。
この頃からすでに
「元日=実質的な祝日」
になっていました。


5-3|祝日法の前に、社会のほうが“元日を祝日にしていた”

さらに言えば、
明治政府が“法律としての祝日制度”を整備する前から、
元日は社会の動きとして完全に “休む日” でした。

  • 年始挨拶

  • 儀礼・行事

  • 家のしつらえ

  • 贈答品

  • 親族の集まり

これらが文化として強すぎるため、
経済活動は自然とストップしてしまう。

つまり、法律がなくても、
元日は「休むのが社会のデフォルト」

だからこそ、後に祝日法で
「元日=年のはじめを祝う日」と明文化されたとき、
人々にとっては
“あ、やっぱりそうだよね” の確認にすぎなかったのです。


✔ その結果:

暦の変更によって「1月1日」という日付は変わったけれど、
日本の正月文化の核はまったく揺らがなかった。

むしろ、文化 → 社会慣習 → 法律の流れで整理されていき、
今日の「元日=国民の祝日」という形になったと言えます。


6章|1948年、ついに法律で「元日=国民の祝日」に


日本の正月は、古代から“事実上の祝日”として扱われてきました。
元日はもちろん、松の内まで店を閉めるのが当たり前で、
人びとは年神さまを迎え、家族が集まり、地域がひとつにまとまる“節目の大イベント”。

では、なぜ 1948年(昭和23年) に、改めて法律として「元日」を祝日と定めたのでしょうか?
その背景には、日本が大きく変わろうとしていた“戦後の制度改革”があります。


6-1|新しい祝日制度「国民の祝日に関する法律」誕生

1948年、戦後の日本は
“戦前の国家行事中心の祝祭日”から決別し、
“国民の生活を基準にした祝日制度”を作り直す方針に転換しました。

そこで制定されたのが、
「国民の祝日に関する法律(祝日法)」

この法律は、

  • 国家や天皇中心の祝祭日

  • 宗教色の強い行事

  • 軍事・皇国思想につながる日

をいったんリセットし、

国民全体が等しく休みを共有し、生活の節目とするための“民間ベースの祝日”

に制度を組み替えたのが大きな特徴です。

そのひとつとして、
元日(1月1日)は「年のはじめを祝う日」
という、現代にも続く定義が明文化されました。


6-2|法律より先に文化が出来上がっていた“珍しい祝日”

興味深いのは、
元日が祝日になっていない時代でも、みんな普通に休んでいた
ということです。

実際、

  • 古代:宮中の四方拝・朝賀の儀式

  • 中世:寺・社・武家の年始の儀礼

  • 江戸:商家は松の内まで店じまい

  • 明治〜昭和初期:官公庁も年末年始は執務停止

といった具合に、
法律の有無に関係なく、日本人は元日を「一年で最も特別な休み」として扱ってきました。

つまり、

法律が新しく祝日を作ったというより、
文化として完成していた正月を、後から法律が追認した。

これが元日に限らず、日本の正月文化がずっと強く残り続けた大きな理由です。


6-3|“なし崩し的祝日化”と言いたくなるほど自然だった

ここまでの経緯を整理すると、
正直、こう言いたくなるのも納得です。

「どうせみんな元日休んでるし、
じゃあもう法律でも祝日にしとこうか」

戦後の新たな民主国家として
制度を整えた結果ではあるものの、
その実態はあくまで

  • 生活文化が先

  • 社会の常識が先

  • 法律は後

という、極めて自然な“祝日への格上げ”でした。

日本人にとっての元日は、
法律より前に、
宗教儀礼より前に、
会社の就業規則より前に、

「年が新しくなるという、人間の根源的な感覚」を祝う日
だったのです。


7章|だから人は新年を祝う──元日が“最強の節目”であり続ける理由


ここまで見てきたように、
元日が重要視される理由は“たまたま”ではない。

新年は、人類の文化と心理のすべてが重なる日。

■ 天体:地球のリズム

1年という時間は、天体運動による自然の区切り

■ 農耕:次の生命を願う日

農業社会では収穫・繁栄を祈る日として絶対に必要。

■ 宗教:再生・清め・更新

世界中の宗教に“新しい年を祝う儀式”が存在。

■ 心理:人間は“区切り”に救われる

新しい年は、人間にとって
「やり直し」「再スタート」を象徴する強力な日。

■ 社会:全員が同時にリズムを合わせられる

個人の誕生日とは違い、
社会が一斉に休む唯一の時間

■ 日本文化:年神信仰+家・地域のつながり

日本は特に、正月を生活文化の中心に据えてきた国。
“年神を迎える家”という発想が根本にあり、
年賀の挨拶・初詣・正月飾りなど膨大な風習を生んだ。


**まとめ:

元日はカレンダーの「1ページ目」ではなく、
社会と心を整える“人類の儀式”**

新年を祝うという行為は、
単なるイベントではなく、
人間が生き残るために発明してきた“文化的テクノロジー”

日本の場合は特に、
その文化が長く深く育ちすぎて、
法律が文化に追いついたタイプの祝日だった。

だからこそ、
「明けましておめでとう」が自然に口から出るし、
「元日は休む」が当たり前に感じられる。

新年を祝うことには、
人類の歴史と、日本の長い文化の記憶がぎゅっと詰まっている。


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