UNIVAC Iとは?世界初の商用コンピュータが切り開いた“情報の時代”の始まり

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このブログはブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」①です。

まとめはこちらから▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ

前の記事はこちらからブログシリーズ「コンピュータの思想と誕生」EDVACとは?ノイマン型アーキテクチャを初めて実装したコンピュータの原点を解説


第0章|ENIACの次に来たのは、社会を動かす“商用コンピュータ”だった


📡 「ENIACの次」はどこへ向かったのか?

1946年、世界初の汎用電子式計算機として登場したENIAC(エニアック)
真空管約18,000本を使い、従来の計算速度を桁違いに引き上げたこのマシンは、まさに「電子頭脳」と呼ばれるにふさわしい存在でした。

しかし、ENIACが“発明”にとどまらず、やがて“社会を変える技術”へと進化したのは、その後の流れがあったからです。


▶併せて読みたい記事 ENIACとは?世界初の電子式コンピュータとノイマン型以前の原点を解説


🖨️ UNIVAC I──世界を変えた“商用コンピュータ”

1940年代後半、ENIACを開発したジョン・モークリージョン・プレスパー・エッカートの二人は、次なる構想に取り組んでいました。
それが、より実用的で、誰もが利用できる電子計算機──**UNIVAC I(ユニバック・ワン)**です。

1951年、アメリカで正式に稼働したUNIVAC Iは、
“商業的に販売された電子計算機”としては世界初期のモデルとされています。
開発・販売を担ったのは、タイプライターやオフィス機器で知られたRemington Rand(レミントン・ランド)社
ENIACの技術者たちが、大学研究から企業の現場へと飛び出したことで、コンピュータは“軍の実験装置”から“社会のツール”へと歩み始めたのです。


📊 ビジネスと政治に広がったUNIVACの衝撃

最初のUNIVAC Iは、アメリカ国勢調査局(U.S. Census Bureau)に納入され、統計計算やデータ整理に活用されました。
その実績が評価され、1952年にはテレビ局CBS
がアメリカ大統領選挙でUNIVACを使って当選予測を実施。
実際にアイゼンハワーの勝利を的中させ、全米が「コンピュータの計算力」に驚嘆しました。

この出来事は、コンピュータが科学者だけのものではなく、**“社会の意思決定を支える存在”**へと進化した象徴的な瞬間でした。


💡 そして現代へ──UNIVACが開いた未来の扉

今日、私たちはスマートフォンやクラウドを使い、日常的に膨大な情報を処理しています。
その原点にあったのが、このUNIVAC Iでした。

ENIACが「計算の機械」だったのに対し、
UNIVACは「情報を扱う仕組み」として設計された最初のマシン。
“科学技術”から“社会インフラ”へ──
この転換点こそが、商用コンピュータ時代の幕開けだったのです。


第1章|UNIVAC I登場までの背景──ENIACからの進化と課題


🧠 ENIACの誕生が生んだ“次の問い”

1946年、アメリカ・ペンシルベニア大学で完成した**ENIAC(エニアック)は、
世界で初めて実用レベルに達した
汎用電子式計算機(general-purpose electronic computer)**として歴史に名を残しました。

開発を主導したのは、**ジョン・モークリー(John W. Mauchly)**と
**ジョン・プレスパー・エッカート(J. Presper Eckert)**の二人。
彼らは第二次世界大戦中、アメリカ陸軍の依頼により、弾道計算の自動化を目的に真空管式の高速演算装置を構築しました。

ただし、ENIACは初期の電子計算機として画期的ではあったものの、
いくつかの明確な課題も抱えていました。


🔧 ENIACの主な制約

  • プログラム変更に時間がかかる(配線を物理的に組み替える必要があった)

  • 入出力が非効率的(パンチカード依存で手作業が多い)

  • 消費電力が莫大(約150kW、真空管約18,000本)

  • 構造が固定的(自動制御的な柔軟性が乏しい)

これらの制約は、後のコンピュータ開発における「次の問い」を生みました。
すなわち──「プログラムを自由に書き換えられるコンピュータは作れないか?」という課題です。


📘 EDVACと“ノイマン型アーキテクチャ”の誕生

ENIACの完成を待たずして、モークリーとエッカートは次世代機構想に着手していました。
それが**EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)**です。

このEDVACの設計段階で、大きな理論的転換点となったのが**ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)による提案でした。
ノイマンは、EDVACの設計草案を基に
「プログラム内蔵方式」**の考え方を整理し、
1945年に提出した有名な報告書 “First Draft of a Report on the EDVAC” の中で、
今日「ノイマン型アーキテクチャ」と呼ばれる構造を体系化しました。

プログラムもデータも同じメモリに格納し、制御装置が順次読み出して実行する。

この思想こそが、のちのすべての現代コンピュータの基本設計原理となりました。


▶併せて読みたい記事 EDVACとは?ノイマン型アーキテクチャを初めて実装したコンピュータの原点を解説


💼 商用化を見据えた独立と、Remington Randとの合流

ENIACとEDVACの開発を経て、モークリーとエッカートはペンシルベニア大学を離れ、
1946年に**エッカート=モークリー社(Eckert–Mauchly Computer Corporation)**を設立します。

目的は明確でした。
軍や研究機関だけでなく、企業や行政でも使える電子計算機を開発・販売すること。
つまり、「コンピュータをビジネスツールにする」時代を見据えていたのです。

しかし、当時の電子計算機は非常に高価で、資金調達は難航しました。
そこで彼らを支援したのが、老舗オフィス機器メーカーのRemington Rand(レミントン・ランド)社です。
1950年、同社がエッカート=モークリー社を買収し、
ここからUNIVAC(Universal Automatic Computer)プロジェクトが正式に始動します。


🚀 ENIACの“技術実験”から、UNIVACの“社会実装”へ

ENIACは軍事研究における技術実験の産物でしたが、
UNIVACは最初から商用利用と実務処理を想定して設計されました。

単なる計算装置ではなく、
信頼性・保守性・操作性・量産性を意識した“社会の中で動く”マシン。

こうして、ENIACで始まった電子計算の時代は、
EDVACによる理論的進化と、UNIVACによる商用化を経て、
本格的な「情報処理社会」への第一歩を踏み出したのです。

“技術”が“社会”へと広がった──
その転換点に立っていたのが、UNIVACの誕生背景でした。


第2章|UNIVAC Iの技術と構造──当時としては驚異の性能


🧪 “ただの大型電卓”ではなかったUNIVACの本気

ENIACから数年後に誕生した**UNIVAC I(ユニバック・ワン)**は、
単なる速度向上や小型化ではなく、構造そのものを再設計した最初の実用電子計算機でした。

当時としては珍しく、「ビジネスや行政の現場で日常的に使えること」を目的に開発された設計思想を持ち、
研究用マシンではなく**“社会のための道具”**として生まれた点が大きな特徴でした。


💾 メモリには“水銀遅延線”という独創的技術

UNIVAC Iの主記憶装置には、**水銀遅延線メモリ(mercury delay-line memory)**が採用されました。
これは、細長いチューブ内の水銀を通して音波の形でデータを伝達・保持するという、きわめて物理的な方式です。
いわば「音のバケツリレー」で情報を循環させる仕組みでした。

  • 1本あたりおよそ100〜120ワードを保持

  • 全体で約1,000ワード(12文字×1ワード)を記憶

  • サイクルタイムはおよそ400マイクロ秒〜1ミリ秒

現代のRAMと比べれば桁違いに遅いものの、当時としては極めて高性能な揮発性メモリでした。
ENIACがプラグボード配線でデータを固定的に扱っていたのに対し、UNIVACはデータを一時的に蓄え、
ソフトウェア的な処理を可能にした点で画期的だったのです。


🎞️ パンチカードから“磁気テープ”へ──データ保存の革命

ENIACではパンチカードが主な入出力手段でしたが、
UNIVAC Iでは初めて**磁気テープ(Uniservo I)**を本格導入しました。

この変更は、のちのコンピュータ史において保存技術の大転換とされています。

  • より高速で大容量のデータ転送が可能

  • 読み書きの繰り返しに強く、再利用が容易

  • パンチカードに比べて省スペース

磁気テープはその後30年以上、企業のデータ保存やバックアップ媒体の主流として使われ続け、
今日のデジタルストレージ技術の原型にもなりました。


🧮 処理能力:約1,000〜2,000命令/秒

UNIVAC Iの演算速度は、1秒あたり約1,000〜2,000命令(命令周期約2〜3ミリ秒)。
ENIACの数百倍のスピードで、当時としては人間の手計算を何十万倍も上回る速さでした。

演算は加算・減算・乗算・除算のほか、分岐・条件処理を含む制御命令にも対応。
つまり、プログラムによる業務処理の自動化が初めて実現したのです。


⚙️ 主な仕様(1951年時点・UNIVAC I)

項目 内容
メモリ 水銀遅延線メモリ(mercury delay-line memory)方式。
約1,000語を格納(1語=12文字/100本のチューブ構成)
演算速度 約1,000〜2,000命令/秒(加算:約1,900回/秒、乗算:約200回/秒)
入出力装置 磁気テープ装置「Uniservo I」を標準搭載。
タイプライター端末やパンチカードリーダーも補助的に使用可能
使用真空管数 約5,000〜6,100本(資料により差あり)
消費電力 約125キロワット
重量 約13トン(約29,000ポンド)
占有面積 約35平方メートル(オフィス1室分に相当)

UNIVAC Iは、その巨大さにもかかわらず、一台で事務処理を自動化できる初の電子計算機でした。
この高い信頼性と処理能力が、1952年のCBS大統領選予測企業・行政でのデータ処理を可能にし、
「コンピュータが社会を動かす」時代の扉を開いたのです。


第3章|初の「商用コンピュータ」としての意義


💰 「買えるコンピュータ」が登場した日

1951年、アメリカ合衆国の国勢調査局(U.S. Census Bureau)に、世界で初めて**商用として販売された電子計算機「UNIVAC I(ユニバック・ワン)」が納品されました。
それは単なる技術導入ではなく──
“コンピュータが製品として世の中に流通した”**という、人類史における新たな扉の開いた瞬間でした。

それ以前の ENIACEDVAC は、軍や研究機関による個別開発であり、市販されることのない「特注品」でした。
これに対しUNIVAC Iは、価格が設定され、契約書に基づいて納品・設置・保守まで行われた、**初めての「商品化されたコンピュータ」**とされています。


🏢 ユーザー第1号は“政府の統計部門”

最初の導入先は、アメリカ合衆国国勢調査局(U.S. Census Bureau)。
UNIVAC Iは膨大な人口・商業・経済統計を自動処理し、これまで手作業で行われていた帳票整理を一気に機械化しました。
当時としては画期的な「電子集計センター」が誕生したのです。

その後、ゼネラル・エレクトリック(GE)、デュポン(化学)、メトロポリタン生命保険会社、アメリカ空軍など、政府機関から民間企業にまで導入が拡大。
1950年代半ばまでにおよそ46台が出荷され、UNIVACは“実用可能な電子計算機”として着実に存在感を高めていきました。


📈 社会に「情報処理」という概念が芽生えた

UNIVAC Iの登場により、初めて社会全体に**「データを機械で処理する」という概念**が広まりました。
人手で行っていた集計や分類の作業を、電子的に自動化できることが示されたのです。

  • 集計・統計・経理などの定型業務を高速かつ正確に処理

  • 政策判断や経営分析に使える数値を短時間で抽出

  • 人間の手では扱いきれない量のデータを整理・保存

この変化によって、「情報」は紙の記録ではなく、価値を持つ“データ資産”として管理・活用されるべきものという意識が芽生えました。
それは、のちに“情報社会”と呼ばれる時代の原型です。


📉 価格は“約100万ドル”──高額でも投資価値あり

UNIVAC Iの販売価格は、当時の資料によればおよそ100万ドル前後(現在の価値で数億円規模)
価格だけを見れば非常に高額ですが、従来は何十人もの職員が何週間もかけていた集計作業を、数時間で完了できる性能を持っていました。

当時の導入企業にとって、これは**費用対効果の非常に高い“計算資産”**でした。
その能力の高さから、UNIVACは単なる機械ではなく「経営判断を支える頭脳」として扱われるようになります。


🖨️ 事務計算を「自動化」するという発想の始まり

ENIACが軍事・科学研究のために作られたのに対し、UNIVAC Iは経理・保険・在庫管理・給与計算・統計処理など、企業の日常業務を支援するために設計されました。
つまり、目的そのものが「社会・経済活動の効率化」にありました。

今日でいえば、クラウド会計ソフトやSaaS業務システムの“原点”とも言える存在です。
UNIVAC Iは「計算のための機械」から「業務を支える仕組み」へと進化した最初のステップであり、
ここに“商用コンピュータ”という新しい市場カテゴリー
が生まれたのです。


🔍 まとめ:製品としての「コンピュータ」が世界を変えた

  • UNIVAC I(1951)は、人類史上初めて販売・契約・納品された電子計算機

  • 初号機はアメリカ国勢調査局で統計処理を担当

  • 約46台が製造・出荷され、政府から民間まで幅広く導入

  • 情報を「処理・活用すべき資産」と捉える時代を切り開いた

  • “科学の機械”から“社会の基盤”へ──商用コンピュータの誕生


第4章|メディアと世間の衝撃──テレビで選挙予測


📺 1952年、UNIVACが全米のテレビに登場

1952年11月4日。
アメリカ合衆国では、**ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)とアドレー・スティーブンソン(民主党)**による大統領選挙が行われていました。

この日、**CBS(コロンビア放送)**は、ある“実験的な試み”を行います。
それが──電子計算機「UNIVAC I(ユニバック・ワン)」による当選予測でした。

「最新の電子頭脳が、当選者を予測します──」

こう紹介されたUNIVACは、当時まだ一般にはほとんど知られていなかった“コンピュータ”という存在を、テレビ放送を通じて初めて一般家庭へと届けたのです。

実際のUNIVAC本体はCBSのスタジオに設置されていたわけではなく、
ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるRemington Rand社の施設に置かれ、
テレタイプ端末を通じてスタジオとデータをやり取りしていました。

それでも、**「機械が未来を予測する」**という前代未聞の演出は、視聴者に強烈な印象を残しました。


🔮 当選予測──人間の予想を覆したUNIVAC

選挙前の世論調査では、多くの報道機関がスティーブンソンの善戦を予測していました。
ところが、UNIVACは当日の初期開票データを解析し、
**「アイゼンハワーが圧勝する」**という結論を導き出します。

スタジオの関係者たちはその結果に驚き、当初は放送をためらったほどでした。
「まさか、そんなに差がつくはずがない」──
そう考えたスタッフたちは、出力された予測を一時的に控えめに修正して報道したといいます。

しかし、最終的な開票結果はUNIVACの予測にほぼ一致。
アイゼンハワーが約55%の得票率で圧勝し、**「機械の判断は人間よりも正確だった」**ことが証明されたのです。

🔹 人間の直感ではなく、データだけを根拠に未来を示した初の“電子頭脳”

この出来事によって、UNIVACは単なる計算機ではなく、
**「データから未来を読む知的な存在」**として認識されるようになりました。
そして、コンピュータが社会の意思決定や予測に関わる時代の幕開けを象徴する事件となったのです。


🌍 「コンピュータとは何か?」が一気に広まる

このCBSの放送をきっかけに、アメリカ全土で「コンピュータ」という言葉が一気に注目を集めました。

それまでは研究所や軍にしか存在しなかった電子計算機が、
**「テレビで選挙を予測する装置」**として一般家庭に紹介されたことで、
国民の間に“電子頭脳”という新しいイメージが定着します。

  • コンピュータ=未来を読む知能機械

  • 情報を処理し、数値で答えを出す存在

  • 「勘」ではなく「データ」で判断する新しい時代の象徴

このインパクトは大きく、放送後には「UNIVACを導入すれば経営判断に使えるのでは」と考える企業も現れ、
ビジネス分野でのコンピュータ活用が一気に現実味を帯びていきました。


🧠 人間 vs 機械──初めての“頭脳の共演”

CBSの試みは、結果的に**人間の予測と機械の予測の“競演”**となりました。

  • 経験と直感で語るアナリストたち

  • 膨大な数値を瞬時に処理するUNIVAC

そしてこの夜、勝利を収めたのはデータに基づく“機械の判断”

後年のAI技術やデータ分析の発展を振り返ると、
この1952年の放送はまさに、「AI vs 人間」時代の先駆けとも言える象徴的な瞬間でした。

“電子頭脳が人間に挑んだ夜”──それがUNIVACの名を永遠に残したのです。


📚 まとめ:テレビが広めた「電子頭脳」という神話

  • 1952年大統領選でUNIVAC Iが選挙結果を予測

  • CBSがテレビ報道に初めてコンピュータを活用

  • 実際の開票結果とほぼ一致する精度を見せた

  • コンピュータ=「未来を読む知能」として一般に浸透

  • “人間 vs 機械”という構図が初めて社会に提示された

この放送は、単なる技術実験ではなく──
「情報処理の時代が到来した」ことを世界に示す文化的事件でした。


🧩 第5章|その後の拡張と、IBMとの競争時代へ


🧱 UNIVAC I、その後もじわじわと普及

UNIVAC Iの商業的成功を受けて、Remington Rand社は同機を改良しながら、徐々に納品先を拡大していきました。
結果として合計46台が製造・販売され、当時としては異例の“量産型コンピュータ”となりました。

導入先は、企業・政府機関・保険会社・軍・研究機関など多岐にわたり、
アメリカ国内のみならず、海外にも少数ながら輸出が行われています。

こうしてUNIVACは、「商用コンピュータの実用化」を実現した先駆的存在として、確かな足跡を残しました。


🏭 そして登場した“巨人”──IBMの本格参入

1950年代半ば、**IBM(International Business Machines)**がコンピュータ市場に本格参入します。
もともとタイプライターや会計機器のメーカーだったIBMは、
もともとの営業網・サポート力・教育体制を武器に、急速に市場シェアを拡大していきました。

代表的な初期モデルとしては:

  • 1953年:IBM 701(科学技術計算向け)

  • 1954年:IBM 650(事務処理向け)

特にIBM 650は、リース販売やサポート体制の充実によって多くの企業に導入され、
短期間でUNIVACのシェアを上回る台数が稼働するようになります。

Remington Randが年間で数台しか生産できなかったのに対し、IBMは月単位で製造・納品を行い、
さらに全国的な保守・教育体制を整備しました。
こうして「安心して導入できるコンピュータ」としてのブランドイメージが確立し、
1950年代後半には、IBMが商用コンピュータ市場の主導的地位を占めるようになります。


🔁 UNIVACシリーズは続いたが…

Remington Rand(のちのSperry Rand)は、UNIVAC Iに続いて改良版を次々と発表しました。

  • UNIVAC II(1958年):磁気コアメモリ採用、演算性能の向上

  • UNIVAC III(1962年):命令セットを刷新し、事務処理を高速化

  • UNIVAC 1100シリーズ(1960年代後半〜):メインフレーム世代へ進化

これらの機種は着実に性能を高めていきましたが、
IBMが確立した販売体制やソフトウェア互換性の概念に追いつくことはできませんでした。

互換性の欠如・価格競争力の差・マーケティング力の不足などが影響し、
UNIVACブランドは次第に業界の中心から遠ざかっていきます。

それでもUNIVACは、「商用コンピュータ」という概念を最初に社会へ提示した存在として、
確固たる歴史的価値を持ち続けました。


🔗 バトンはIBM System/360へ

UNIVACが切り開いた“商用化の道”をさらに押し広げたのが、
1964年に登場するIBM System/360でした。

System/360は、ハードウェアの互換性とソフトウェアの共通基盤を初めて体系的に取り入れたシリーズであり、
この発想が“業界標準”という時代を決定づけました。

UNIVAC Iが築いた「社会で使うコンピュータ」という土台の上に、
IBMが「共通のプラットフォームとして使えるコンピュータ」を打ち立てた──
この連続こそ、コンピュータ史の大きな転換点だったのです。


🎓 先駆者としてのUNIVAC──IBMとは違う意義

UNIVACは、世界初の商用電子計算機として歴史に名を刻みました。
その革新性は、単なる技術的完成度ではなく、
「コンピュータを社会に売る」「日常業務に使わせる」という発想そのものにありました。

のちのIBM、DEC、HP、Apple、Microsoft、Googleといった企業が築いた情報産業も、
すべてはこの“社会実装の思想”の延長線上にあります。

UNIVACが確立した「売る仕組み」「使う目的」「社会に浸透させる構造」こそ、
今日の情報化社会の根幹を形づくった原点のひとつなのです。


🧩 第6章|まとめ:UNIVACが切り開いた“商用の扉”


🚪「計算機」が、社会を動かす“道具”に変わった日

UNIVAC Iは、単なるコンピュータではありませんでした。
それは、人類が初めて「情報を処理する仕組み」を社会全体の中で活用しようとした試みだったのです。

それまで計算機は軍事・学術研究など専門領域の道具でした。
しかしUNIVAC Iの登場によって、経済・行政・保険・メディアといった日常の業務領域へと活用が広がっていきます。

このとき、コンピュータは“特別な研究装置”から、
社会を支える実務的なインフラへと歩み出しました。
その転換点を開いたのが、1951年のUNIVAC Iだったのです。

「考えるマシン」という表現が誇張であったとしても、
UNIVACは確かに、人間の知的労働を支援する道具としての最初の一歩を刻みました。


📊 情報の時代は、ここから始まった

今日、私たちはクラウドやスマートフォン、AI、SaaS、IoT、ビッグデータなど、
情報を中心に動く世界の中で暮らしています。

こうした「情報社会」の根には、1950年代に始まった**“情報を資産として扱う”という思想**があります。
その発想を実際の社会で具現化した最初の存在こそ、UNIVAC Iでした。

UNIVAC Iがもたらしたのは、単なる計算速度の向上ではなく、
“情報を使って社会を運営する”という、現代的な情報システムの原型だったのです。


🔄 ただし…標準化の主導権はIBMへ

UNIVACが開けた“商用コンピュータの扉”の先で、
その道を整備し、広大な情報社会の基盤を築いたのがIBMでした。

IBMは1964年にSystem/360を発表し、ハードウェアの互換性やソフトウェアの共通基盤といった概念を導入。
これにより、コンピュータは単体の製品から“接続されたシステム”へと進化します。

UNIVACが「社会に導入する」段階を切り拓いたのに対し、
IBMは「業界標準として定着させる」段階を完成させました。

つまり──
UNIVACが始めた革命を、IBMが制度として確立したとも言えるのです。

この流れを理解することは、
「なぜIBMが商用コンピュータの覇権を握ったのか?」を知るうえで、重要な手がかりとなります。


🔜 次回予告:1964年|IBM System/360──プラットフォームという概念の始まり

次回は1964年、IBMが放った“業界標準の怪物”
**「System/360」**の登場です。

なぜこの製品が「史上もっとも重要なコンピュータのひとつ」と呼ばれるのか?

「同じソフトウェアが、異なる機種でも動く」という発想が、
当時どれほど革新的だったのか?

そしてこの仕組みが、世界のIT産業の構造をどのように変えたのか?

UNIVACが開けた“商用の扉”の先に広がる、
「標準化」というもう一つの革命を一緒に見ていきましょう。


▶次に読みたい記事 「商用コンピュータとパソコンの進化」②System/360とは?IBMが作った“標準化”の原点と現代まで続くプラットフォームの歴史


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🖊ブログシリーズ「商用コンピュータとパソコンの進化」はこちらから

まとめ記事▶商用コンピュータとパソコンの進化|UNIVACからWindows95まで50年の歴史を総まとめ

①当記事

System/360とは?IBMが作った“標準化”の原点と現代まで続くプラットフォームの歴史

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