世界初の加算機とは?ヴィルヘルム・シッカートが生んだ“機械が数える”革命

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このブログはブログシリーズ「数と計算の進化」⑤です。 前の記事はこちらから▶④筆算の歴史と仕組み──アナログから紙へ、計算が技術になった瞬間


第0章|導入──「機械が数を数える」という革命


📱 当たり前になった「機械の計算」

今やスマホの電卓、Excelの関数、AIの自動計算──
数を扱うことは、完全に“機械の仕事”になりました。
でも、ほんの400年前まで、人間は「頭」と「手」でしか数を扱っていなかったのです。


🧠 「人間が数える」が当たり前だった時代

そろばん、筆算、計算表──
どんなに便利な道具があっても、
最終的に計算するのは人間自身でした。
「計算機械」などという発想は、まだこの世に存在していなかったのです。


🧩 そこに現れた、ひとつの歯車

1623年、ドイツ。
ひとりの数学者が、常識を覆す装置を作りました。
その名はヴィルヘルム・シッカート(Wilhelm Schickard)。
彼が発明したのが、世界初の機械式加算機──**計算時計(Calculating Clock)**です。


🧭 このブログで辿る、歯車革命の原点

このシリーズ第5弾では、
人類史上初めて「機械が数を数えた」その瞬間を取り上げます。
まだ誰も“加算機”など知らなかった17世紀初頭。
天文学と税務、手紙と歯車、そして天才の発想から生まれた、
「計算する機械」のはじまりを深掘りしていきます。


第1章|天文学と税務の時代──背景にあった“数えたい欲求”


🪐 天文学者が抱えた、膨大すぎる計算地獄

17世紀初頭、天文学はまさに黄金期を迎えていました。
コペルニクスの地動説、ガリレオの観測技術、ケプラーの惑星運動法則──
宇宙の仕組みが少しずつ明らかになっていくなか、
観測→記録→計算という、膨大な数の処理が研究者の負担となっていました。

たとえば、軌道計算や日食の予測には、桁数の多い加減算が何十回も必要。
手計算でミスをすれば、すべてが台無しです。
天体の運行を追うには、正確で反復可能な計算手段が求められていたのです。


💰 税務・会計でも“数え間違えたくない”という現実

当時のヨーロッパでは、領主による財政改革が進み、
税の徴収や帳簿管理といった「事務的な数の処理」も急増していました。
数字は信頼とお金を司る“国家の道具”になりつつあり、
こちらでもやはり、計算の正確性と効率化が求められていたのです。


🤝 天文学と行政の狭間にいた男、シッカート

そんな中、天文学と数学、さらに行政事務にも通じた人物がいました。
それが、ヴィルヘルム・シッカート。
彼はケプラーの協力者として天文計算を手伝いながら、
地方行政に関わる中で、会計業務の現場も目の当たりにしていました。

彼の頭の中で交差したのは、こんな思いだったのかもしれません。
「なぜ、こんなにも“数える”作業を人間が延々とやらねばならないのか?」

そしてこの問いが、やがて“歯車の発明”へとつながっていきます。


第2章|ヴィルヘルム・シッカートとは何者か?


🎓 多才すぎる頭脳──数学・天文学・言語・芸術の人

ヴィルヘルム・シッカート(Wilhelm Schickard)は、1592年ドイツ・ヘレンベルク(Herrenberg)生まれ。
大学では神学・ヘブライ語・天文学・数学を学び、さらにカリグラフィーや銅版画にも才能を見せた“万能型の知性”の持ち主でした。
現代風に言えば、理系と文系の壁を自由に飛び越えるマルチクリエイターです。

その広範な知識と技術は、ただの学者にとどまらず、
“実用的な装置”を発明する土台となりました。


🔭 ケプラーとつながる、天文学者としての顔

彼の名を語る上で欠かせないのが、天文学者ヨハネス・ケプラーとの関係です。
シッカートはケプラーと実際に文通を交わし、観測や計算の支援もしていました。
この頃、ケプラーは「ルドルフ表」と呼ばれる詳細な天文表の完成に追われており、
膨大な計算処理に頭を悩ませていた時期です。

まさにその現場にいたシッカートは、
「機械で数を数えられたら、ケプラーの作業が劇的にラクになるのでは?」
と考え始めたのです。


🪛 発明家としての顔──歯車とそろばんを組み合わせたアイデア

シッカートのすごさは、「手間を減らす装置を作ろう」と本気で思い立ったことにあります。
しかもそのアイデアは、単なる思いつきではなく、
・そろばんのような手動入力
・時計のような歯車駆動
という、既存技術の“賢い組み合わせ”によって実現しようとしたのです。

つまり彼は、計算=頭脳作業という常識を打ち破り、
それを機械に委ねるという発想を世界で初めて形にした人物でした。


第3章|世界初の機械式加算機「計算時計」の構造と原理


🕰️ 名前は「計算時計(Calculating Clock)」

1623年、シッカートが発明した装置の名前は計算時計(Calculating Clock)
名前に“時計”とあるのは、内部構造に時計の歯車技術を活用していたからです。
この発明は、加減算を人の手ではなく歯車で実行するという、当時としては革命的な発想でした。


⚙️ 歯車とそろばんを融合させた構造

この加算機の設計は、そろばんと時計を合体させたような構造でした。

  • 入力部には「桁ごとのダイヤル(そろばんのようなレバー)」が並んでおり、
    使用者が数字を回すことで桁ごとに数値を設定。

  • 内部ではそれぞれのダイヤルに連動して歯車が回転し、
    桁ごとの加算を機械的に処理。

  • 「桁上がり」が発生すると、隣の歯車に自動で1が繰り上がる仕組みまで備わっていました。

つまり、一桁ずつ回すだけで、多桁の加算ができるという画期的な設計だったのです。


🔄 “減算”は「逆回し」で対応していた

シッカートの装置は、基本的に加算専用として設計されていましたが、
操作を逆方向に行うことで、減算にも応用できたと考えられています。

ただし、これは現在の電卓のように完全に自動で差し引きするものではなく、
桁借りの処理などに人の手が必要な半自動的な操作でした。
あくまで「機械が計算を補助する」という段階であり、
完全自動の減算機構が登場するのは、のちのパスカルの発明以降になります。


👀 出力は“数字の窓”に表示される

計算結果は、各桁ごとに設けられた**小さな窓(ダイヤル)**に表示されました。
これにより、視覚的に結果を確認できるという点でも、現代の電卓と似た“ユーザーインターフェース”が存在していたのです。


🧠 発明のすごさは、機能より「思想」にあった

もちろん、現代の視点で見ればシンプルな装置です。
ですがこの装置は、世界で初めて**「数を数えることを機械に任せようとした」**設計でした。
それは単なる計算道具ではなく、**思考の一部を外部化する“知的補助具”**の先駆けだったのです。


第4章|幻となった発明──戦火で消えた「最初の計算機」


🔥 現存しない、幻の計算機

シッカートの「計算時計」は、世界初の機械式加算機でありながら、
実物が一台も残っていません
なぜなら──この装置は、長い間“発明されたことすら忘れられていた”からです。

シッカート自身がこの装置を広く発表した記録はなく、
当時は身近な学者たちに手紙で知らせた程度。
そのため、後世の科学者たちはパスカルの加算機こそが最初だと考えていました。


✉️ 唯一の手がかりは「ケプラーへの手紙」

20世紀になって、シッカートの功績が再発見されるきっかけとなったのは、
彼がケプラー宛に書いた手紙の存在でした。
その中で、彼はこう綴っています。

「私は、6桁の数を加減算できる自動計算機を組み立てた」

加えて、その構造を描いたスケッチも残されており、
彼が本当に“歯車で動く計算機”を作ったことが証明されました。


🧯 第二次世界大戦で焼失した再現機

20世紀初頭、ドイツの研究者たちがこのスケッチをもとに“再現機”を制作。
ついにシッカートの計算時計は現代に蘇りました──が、
この再現機すら第二次世界大戦の空襲で焼失してしまいます。

再現機が消失、オリジナルも現存せず。
こうして、シッカートの装置は「幻の計算機」となってしまったのです。


🕵️‍♂️ しかし、その“最初の一歩”は消えなかった

失われた実機とは対照的に、
アイデアそのものは確実に次の世代へと受け継がれていきます
この発明の本当の価値は、現物ではなく、
「人間の代わりに数える機械を作ろう」という思想にあったのです。


第5章|ブレークスルーポイント:機械が“数える”という概念そのもの


💡 歯車を「考える道具」に変えた瞬間

シッカートの功績は、構造的な洗練でも、装置の完成度でもありません。
真に画期的だったのは、“数を数える”という人間の知的行為を、物理的な歯車に置き換えたという発想そのものです。

それまで、そろばんはあくまで「人間の手で操作する道具」でした。
しかしシッカートは、
「機械の中で数が動く」
「桁上がりを機械が処理する」
という**“自動計算”という概念**を、世界で初めて明確に打ち出したのです。


📐 計算=思考を、機械にやらせるという革命

この発明は、単なる装置の発明ではなく、
人間の知的作業の一部を機械に外注するという概念の出発点でした。

それは後に、

  • パスカルの実用加算機

  • ライプニッツの四則演算機

  • バベッジの解析機関

  • チューリングの論理機械

  • 現代のコンピュータ
    へとつながっていく**「計算する機械」の進化系譜の原点**にほかなりません。


🔄 シッカート以前と以後で、世界の見え方が変わった

もしこの発想がなければ──
計算は今も「人が手でやるもの」のままだったかもしれません。

シッカートの計算時計が残したのは、1台の装置ではありません。
「機械が考える」という可能性そのものだったのです。


第6章|まとめ──歯車が回した、計算革命のプロローグ


⚙️ 計算機の歴史は、ここから始まった

1623年、ヴィルヘルム・シッカートが生み出した「計算時計」は、
実用化もされず、現物も残らず、世間に広く知られることもなかった──。
けれどこの発明こそが、“数を扱う知性”を人間の外に出すという革命の第一歩でした。

それまで「計算」は人の頭の中でしか起こり得なかった。
しかし、歯車がカチリと噛み合ったその瞬間、
人類は“考える道具”を自らの外側に持つことを選んだのです。


🧭 パスカル、ライプニッツ、そして現代のコンピュータへ

シッカートの存在が再評価されたのは20世紀になってから。
それでも、彼の発明は確かにその後の歴史へとつながっていきます。

  • パスカルが「実用加算機」を作り、

  • ライプニッツが掛け算・割り算を可能にし、

  • 産業革命が機械を社会に広め、

  • チューリングが計算の論理を定式化し、

  • 現代のスマホやAIが「数を考える」存在になった今、
    私たちはみな、あの最初の歯車の恩恵を受けているのです。


🚀 そして次回──いよいよ「パスカリーヌ」へ

次に登場するのは、シッカートの夢を“製品”として実現させた男、ブレーズ・パスカル。
彼が生み出した「パスカリーヌ」は、ついに人々の手に届く“実用加算機”でした。

つまり──
シッカートは、計算機という物語の「プロローグ」を回した人物だったのです。


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