\ ようこそ!新潟市の印刷会社「株式会社新潟フレキソ」のブログへ /よかったらぜひ、[当社トップページ](https://n-flexo.co.jp)もご覧ください!
名刺・チラシ・封筒・冊子・伝票からTシャツプリントまで、新潟市で幅広く対応しています。
第0章|「目で見ている」は錯覚?──夢に広がる“映像世界”の正体
見ていないのに、見えている──そんな経験ありませんか?
たとえば、夜、目を閉じているのに「夢の中では色鮮やかな世界が広がっていた」こと。
あるいは、赤いリンゴを思い浮かべたら、まるで目の前にあるかのように“見えた”こと。
光もない。目も使っていない。
それなのに、なぜ私たちは**「見えている」感覚**をもてるのでしょうか?
光がないのに「カラーの夢」を見ている不思議
多くの人は、夢の中を白黒ではなくカラーで体験しています。
夕焼けの空はオレンジに染まり、知人の服もちゃんと色がついている。
でも、よく考えてみてください。
夢の中で私たちは目を閉じています。
光は入ってきていません。錐体細胞も網膜も、使われていない。
それなのに、なぜこんなにも鮮やかな世界を「見た」と感じられるのでしょうか?
「見る」という行為は、目ではなく脳で行われている
この問いの答えは──
人間は“目で見ている”のではなく、“脳で映像を再構成している”から。
実際、夢を見ているとき、私たちの**後頭葉にある視覚野(V1〜V4)**は活発に活動しています。
そこでは、現実の光ではなく、記憶・感情・過去の経験が映像として再構成されているのです。
つまり、目や光は「情報の入力装置」にすぎず、
最終的な「映像」は**脳という“内部のスクリーン”**でつくられている。
このブログで見えてくる“本当の視覚”の話
この記事では、そんな「脳が作る視覚」について深く掘り下げていきます。
-
なぜ夢に色があるのか?
-
なぜ頭の中のリンゴは赤いのか?
-
なぜ想像できても、描くと下手なのか?
-
なぜ夢に匂いが出ないのか?
-
なぜ現実の匂いでは目が覚めるのか?
-
脳が壊れると“夢の映像”も壊れるって本当?
これらすべての問いの中心にあるのは、
**「見るとは何か?」**というシンプルだけど深いテーマです。
見えている世界は“現実”ではないかもしれない
私たちが「見ている」と感じている世界は、
実は**脳という映写機が作った“主観的なリアリティ”**かもしれません。
光でも、目でもない。
この世界をつくっているのは、あなたの脳そのものなのです。
第1章|夢に色があるのはなぜ?──レム睡眠と脳の“視覚再生装置”
「夢ってカラーだった?」の答えは、ほとんどの人がYES
朝、目が覚めて──
「昨日の夢、やたら鮮やかだったな…」と思ったことはありませんか?
空の青さ、洋服の赤、夕焼けのオレンジ。
多くの人は夢の中で“色つきの世界”を体験しています。
ある調査では、80%以上の人が「夢はカラーだった」と回答しているとのことです。
でも、不思議ですよね。
夢を見ている間、目は閉じていて、光は一切入ってきていません。
では、なぜ夢に「色」があるのでしょうか?
夢を見ているとき、脳の“視覚野”が本当に動いている
答えは、脳が勝手に映像を再生しているからです。
夢の多くは、睡眠の中でも**レム睡眠(Rapid Eye Movement)と呼ばれる段階で発生します。
このとき、脳は非常に活発に動いていて、特に後頭部にある視覚野(V1〜V4)**が顕著に活動しています。
-
V1:基本的な形やコントラスト
-
V2〜V4:色・質感・動きなどの情報処理
つまり、夢の中で「赤いリンゴが出てきた」と感じるのは、
実際に“色を処理する脳の領域”が動いているからなのです。
目や光がなくても「色が見える」のは、脳が“再構成”しているから
夢の中での色彩は、現実の光ではなく、
記憶・経験・感情と結びついた“視覚イメージ”の再構成です。
例えるなら…
🔵 現実の視覚:カメラで撮った写真をプリント
🔴 夢の視覚:記憶と感情を素材に、脳が描き直したイラスト
どちらも「見えている」と感じますが、
**夢の映像は完全に脳内で作られた“主観映像”**です。
そもそも「見る」とは、外を見ることではなく、脳が再生すること
この現象が意味しているのは、
私たちが“見ている”と思っている世界の正体が「脳内映像」だということです。
夢でも現実でも、
「色が見える」「映像がある」と感じるためには、視覚野が働いていることが絶対条件。
目も光もなくてOK。
必要なのは「脳が起動していること」だけ。
第2章|想像した映像はどこで“見ている”?──脳内イメージと視覚野の関係
頭の中に思い浮かべたリンゴ──それ、どこに“見えて”ますか?
「赤くて、ツヤがあって、丸いリンゴ」──
目を閉じても、その姿を頭の中で思い浮かべることができます。
でも、ここで不思議な問いが浮かびます。
「そのリンゴ、どこで見てるんだろう?」
現実のリンゴを見ていないのに、
頭の中では“ちゃんと見えている”。
これは錯覚ではなく、脳が本当に“見ている”状態なんです。
想像しているとき、脳の“視覚野”がふたたび動き出す
fMRI(機能的MRI)を使った研究では、
人があるイメージを思い浮かべると、実際に視覚野(V1〜V4)が活動することが分かっています。
しかもその活動パターンは、現実に見ているときとよく似ている。
-
実際に赤いリンゴを見る → V4が反応
-
頭の中で赤いリンゴを思い出す → やはりV4が反応
つまり、想像とは「目で見ない視覚」──
脳が記憶を再生して“内部的に見る”行為なのです。
視覚は「再現性のある感覚」、だから想像も“映像化”される
人間の五感のなかで、視覚は再現性が高いことで知られています。
たとえば…
-
風景を思い出すと、空の青さや地平線の形まで蘇る
-
知人の顔も、特徴や色合いを想像できる
-
リンゴやバナナの色・質感・光の反射まで“なんとなく”わかる
これは、視覚が脳の広範囲に保存され、再生できる構造を持っていることの証拠です。
“想像している映像”も、実は“脳が見る世界”
人は、現実の映像と、頭の中の映像をほとんど区別せずに処理しています。
だから、映画を思い出したり、未来を想像したりするたびに、
脳の中には“映像”が生まれ、実際に視覚野が起動している。
つまり──
🔁 見る
🔁 思い出す
🔁 想像するこれらはすべて、脳の中の“視覚システム”で処理されているんです。
視覚とは「入力」だけでなく「再生」もできる能力
目はカメラのように外の世界を捉えますが、
脳はその情報を記録し、いつでも“もう一度見る”ことができる装置。
それが、私たちが「思い浮かべる」ことができる理由であり、
目を閉じていても「赤いリンゴが見える」理由でもあるのです。
第3章|なぜ描けない?──脳内イメージが手から出力できない理由
頭の中では完璧なのに、描くとヘタ──なぜこうなる?
「頭の中では赤くて立体的なリンゴが見えているのに、描くとまん丸にもならない…」
そんな経験、ありませんか?
想像ではしっかり見えているのに、紙に描こうとすると
「ん? なんか違う…」と感じる。これは多くの人に共通する現象です。
でも、なぜこんなにズレるのでしょうか?
原因①:視覚イメージと運動制御の間に“翻訳エラー”がある
まず前提として、頭の中に浮かんだ映像(視覚イメージ)を描くには、
以下のプロセスが必要です:
-
視覚野でイメージを再生する(V1〜V4)
-
前頭葉でそれを「描こう」と意図する
-
運動野が手や腕の動きを指示する
-
実際に手を動かして線にする
-
目で確認しながら修正する
この一連の流れには、複数の脳領域の連携が必要ですが、
慣れていないと変換の精度が低くなり、ズレが起こるのです。
原因②:運動の記憶(描き慣れ)が足りない
プロのイラストレーターや画家は、
この「頭の中の映像 → 手で描く」ルートを何万回も訓練しています。
-
脳の中に“描き方の記憶”がある
-
イメージを描くための“運動プログラム”が蓄積されている
-
だから思い通りに出力できる
逆に言えば、私たち一般人はこの経路が未熟でノイズが多い。
イメージはあっても、うまく再現できないのは当然とも言えます。
原因③:ワーキングメモリの容量に限界がある
「脳内のリンゴを見ながら描く」には、細かい特徴を一時的に保持する記憶力が必要です。
これをワーキングメモリといいます。
でも──
-
輪郭を考えているうちに色を忘れる
-
質感を思い出そうとして大きさがズレる
というように、描いている途中でイメージが崩れてしまうことがよくあります。
脳内の完璧なリンゴは、すぐに“ぼやけたコピー”へと劣化していくのです。
印刷も「完全再現」できない──脳の出力と同じ構造
ここで面白いのが、この構造が印刷にもよく似ているという点。
-
現実のリンゴ(立体・光・質感)
→ CMYKインクで紙に再現しようとしても、どうしてもズレが出る -
脳内のリンゴ(鮮明なイメージ)
→ 手で描こうとしても、どうしても歪む・足りない・違う
つまり、人間の表現とは「誤差込みで成立する出力行為」なのです。
人間の“表現”とは、変換精度の誤差を許容するプロセス
上手く描ける人は、「脳内イメージ → 手の動き」までの翻訳精度が高いだけ。
出力に使える筋肉、記憶容量、調整能力が鍛えられている。
でも描けなくても大丈夫。
それは視覚が壊れているのではなく、“翻訳が荒い”だけなのです。
第4章|夢に匂いが出てこないのはなぜ?──“再生できない感覚”としての嗅覚
映像も音もあるのに、“匂いだけ”が夢に出てこない
夢の中で──
景色は見えるし、誰かの声も聞こえる。感触さえあることもある。
でも、匂いはどうでしょう?
たとえば、雨上がりのアスファルトの匂いや、誰かの香水、焚き火の煙──
現実では鮮明に感じるはずのそれらが、夢の中ではなぜか再現されにくい。
実際、研究によると夢の中で匂いを感じたと答える人は全体の1〜2%程度。
圧倒的に少数です。
嗅覚は“再生が苦手”な感覚だった
私たちは、映像や音はある程度「頭の中で再現」できます。
風景を思い出す。好きな音楽を脳内再生する。これは割と簡単にできる。
でも匂いはどうでしょう?
「リンゴの香りを思い出して」と言われても、ぼんやりとしか再現できない。
香りの記憶はあるのに、“再び嗅ぐ”ことができないのです。
それもそのはず──
嗅覚はそもそも“視覚や聴覚のように記憶に乗りにくい”感覚なのです。
嗅覚だけ“脳の本能ルート”に直結している
嗅覚は五感の中でも異質な経路をたどります。
-
視覚・聴覚・触覚などは「視床(ししょう)」という中継ステーションを通ってから大脳に届く
-
でも嗅覚は視床を通らずに、扁桃体や海馬に直行します
つまり──
✔ 本能や感情とは強くつながるけれど、
❌ 意識的にコントロールしたり、再現するのが苦手な感覚
この構造が、「夢に匂いが出にくい」ことを説明してくれます。
クオリアとしての「匂い」は、記憶には残っても、夢には出てこない
たとえば“焼きたてのパンの匂い”を嗅いだとき、
それがきっかけで昔の記憶が蘇る──そんな経験、ありませんか?
これはいわゆる**「プルースト効果」**と呼ばれ、匂いが強力に記憶を引き出すことを示しています。
でも逆にいえば、匂いは記憶を“呼び出す引き金”にはなれても、再現そのものには不向き。
だから夢の中で「匂いを体験すること」は、ほとんど起こらないのです。
一部の人は“夢に匂いが出てくる”こともある
例外もあります。
たとえば、香水メーカーの調香師(パフューマー)や、料理人、ソムリエなど──
嗅覚を職業レベルで鍛えている人は、夢の中で匂いを感じることがあると報告されています。
しかしこれはあくまで少数例。
嗅覚の夢は、人類全体としては“ほぼ例外的な現象”です。
夢に登場しやすい五感ランキング(脳科学ベース)
感覚 | 夢での登場頻度 | 脳内再現しやすさ |
---|---|---|
視覚 | ◎ 非常に高い | ○ 高い |
聴覚 | ○ 高い | ○ 高い |
触覚 | △ ふつう | △ 限定的に再現可能 |
味覚 | △ 稀に出る | × 難しい |
嗅覚 | ✖ 極めて低い | ✖ 非常に困難 |
第5章|でも現実では“匂いで目が覚める”──睡眠中も働き続ける嗅覚の防衛本能
夢では匂いが出てこないのに、現実では“臭くて目が覚める”
夢の中では匂いがほとんど登場しない。
それなのに、現実ではちょっとした異臭で目が覚めてしまう──。
たとえば、
-
ガスのようなにおい
-
焦げたような煙のにおい
-
腐敗臭や強い刺激臭
こういった“ヤバそうな匂い”に対して、人間の脳は寝ていても強く反応します。
それはなぜか?
答えは、嗅覚が「危険を知らせるセンサー」だからです。
嗅覚だけは「眠っていても起きている」感覚
睡眠中、人間の脳は基本的に外部からの刺激をシャットアウトします。
音や光、触覚への反応は鈍くなるのがふつうです。
ところが──
嗅覚だけは“完全にはオフにならない”。
これは、生物としての生存に直結するからです。
「危険な匂いにすぐ気づく」ことが、生き延びるために不可欠だったからです。
危険なにおい → 脳の“扁桃体”が警戒 → 覚醒指令
脳は危険な匂いを感知すると、次のようなプロセスを即座に走らせます:
-
匂い分子が鼻の奥に届く
-
嗅球 → 扁桃体(危険処理中枢)に直送
-
脳幹や視床下部が「目を覚ませ!」と指令
-
覚醒反応が起こる
つまり、「臭くて目が覚めた」というのは、
脳が「やばい!」と判断してあなたを“強制再起動”した状態なのです。
逆に「いい匂い」では目が覚めないのはなぜ?
一方で、
-
ラベンダーのアロマ
-
お香や森林の香り
-
焼きたてのパンの匂い
こういった快い匂いでは目が覚めないことが多いですよね。
それどころか、むしろリラックスして眠りが深くなることもあります。
これは、扁桃体や視床下部が「問題なし」と判断し、
睡眠状態を維持するように働くからです。
嗅覚は“夢には登場しないけれど、現実では最後まで働く”感覚
視覚や聴覚は、眠っている間ほとんど働かなくなります。
夢で見たり聞いたりするのは、あくまで脳内の再構成です。
それに対して嗅覚は──
🔁 脳内再現は苦手(だから夢に出にくい)
🔔 でも、外からの危険には超敏感(だから覚醒に使われる)
という、非常に“防衛に特化したセンサー”なのです。
匂いは「夢には映らず、命を守る」影のヒーロー
まとめると──
匂いは、夢の中では役に立たないけれど、現実ではあなたを救う感覚です。
-
映像や音のように“見せる”力は弱い
-
でも、生き延びるために“知らせる”力は最強
夢で活躍しないのは、その分、現実で常に働いているからなのです。
第6章|脳が損傷すると夢の映像も消える?──視覚野こそ“夢のスクリーン”
「目が見えなくても夢は見える」は本当。でも脳が壊れると…
夢は脳がつくっている──そう言われても、どこかピンと来ないかもしれません。
でも、それを強烈に証明してくれるのが「脳損傷と夢」の研究です。
実際、視覚を失った人でも──
脳が無事なら夢の中に映像は現れます。
ところが、視覚野そのものが損傷すると、夢の中の映像までも消えてしまうのです。
視覚野が“壊れる”と、夢の中でも「見えない」世界が訪れる
脳の後頭部にある**一次視覚野(V1)**は、
現実に目から入った情報を処理する“視覚の玄関口”です。
この視覚野が、事故や病気(脳出血・脳腫瘍・梗塞など)で損傷を受けた場合──
当然ながら、現実の視界にも異常が出ます。
そして同時に、多くの症例で確認されているのが:
「夢の中からも映像が消えた」
「夢を見ても色も形もわからなくなった」
という報告です。
これは、夢においても“視覚野がスクリーンの役割”を果たしていたことを示しています。
先天的に盲目の人と、後天的に視覚を失った人の夢の違い
この違いは非常に重要です。
視覚状態 | 脳の視覚野 | 夢の中の映像 | 備考 |
---|---|---|---|
生まれつき盲目 | 未発達または活動なし | 映像は出ない | 音・触覚・感情が中心の夢になる |
後天的に視力を失う(脳は無傷) | 正常に活動 | 過去の視覚記憶をもとに映像が現れる | 視覚野が記憶から夢を作る |
後天的に視力を失い、かつ視覚野を損傷 | 機能不全 | 映像も失われる | 夢の中でも“見えない”状態になる |
この表からわかるのは、夢の映像は「目」ではなく「視覚野」に依存しているという事実です。
「夢を見る装置」は目ではなく、視覚野だった
私たちはつい、「目で世界を見ている」と思いがちですが、
実際には脳の視覚野が映像を再構成しているだけです。
夢でも現実でも、
「視覚野が働いているかどうか」が、世界が“見える”かどうかの鍵。
目を使わなくても脳が映像を見せてくれる。
でも、脳が壊れたら“世界そのものが消える”。
これほど、視覚の正体を明確に示す証拠はありません。
夢のスクリーンは外ではなく、あなたの中にある
夢の中に映像があるのは、
あなたの中に「視覚を上映する装置」があるからです。
目はただのカメラ。
本当の“映写機”は、あなたの脳の後頭葉にある視覚野。
それが証明されたとき、私たちは気づくのです。
「見る」とは、外を映す行為ではなく、脳が世界をつくる行為だったと。
第7章|見るという行為の正体──光でも目でもなく“脳が作る世界”だった
「目で見ているつもりの世界」は、実は脳がつくった映像だった
夢を見ているとき、目は閉じている。
それでも、色があって、奥行きがあって、登場人物がいて──
まるで現実のような世界が広がっている。
では、その世界を“見ていた”のは、いったい何だったのか?
答えはひとつ。
脳が、あなたの内側に“もうひとつの現実”を描いていたのです。
視覚=外界をそのまま写すカメラではない
現実の世界を見ているつもりでも、
私たちの脳は常に「補正」や「再構成」を行っています。
-
明るさの自動調整
-
盲点の補完
-
記憶に基づく錯覚
-
感情による見え方の変化
つまり、目から入ってきた光は、そのまま届いているわけではない。
世界は、脳という編集者によって“編集済み”の状態で見えている。
想像、夢、錯覚──どれも「脳が作る視覚」のバリエーションにすぎない
-
想像した映像
-
夢の中の世界
-
錯視やだまし絵
-
記憶違いの風景
これらすべてに共通しているのは、「光」ではなく「脳」が中心にあること。
脳が視覚野を動かすだけで、
**“見えていないもの”を“見えているように感じる”**ことができてしまう。
視覚は“物理現象”ではなく、“主観現実”である
「見る」とは、物体が光を反射し、それが網膜に届き、脳に伝わる…
という物理的プロセスのように思えます。
でも、本当に大事なのはその先。
光の情報を“どう再構成するか”は、脳の解釈次第なのです。
つまり視覚とは、
**物理現象ではなく“主観的なリアリティ”**なのです。
本当に世界を見ているのは、あなたの脳である
このブログで見てきたように:
-
夢で映像を見るのも
-
想像でリンゴを思い浮かべるのも
-
匂いで目が覚めるのも
-
視覚野が壊れて夢の映像が消えるのも
──すべて、「脳が視覚をつくっている」ことの証拠です。
外の世界が見えているのではなく、
脳がつくった“脳内世界”を、私たちは見ている。
視覚は、世界をそのまま届けるものではない
視覚は、脳がつくる“映像体験”である
私たちが目で見ているのは、現実そのものではなく、
**脳がつくった“リアリティっぽい映像”**です。
そう気づいたとき、
「見えるってなんだろう?」という問いの意味が、まったく変わってくるのです。
\株式会社新潟フレキソは新潟県新潟市の印刷会社です。/
あらゆる要望に想像力と創造力でお応えします!
印刷物のことならお気軽にお問い合わせください。
▶ 会社概要はこちら
↑オリジーではTシャツやグッズを作成してます!インスタで作品公開してます!
🔗こちらのブログもおすすめです
■色と視覚と脳と心理とデザイン──“見る”をつなぐ科学の100年史
■キメラ色とは?脳が作る“現実にはない色”の正体をわかりやすく解説
■目の構造と見えるしくみを図解で解説|カメラとの違いと脳との関係まで
■ヘルムホルツ──光を“感じる”科学と無意識的推論・錯覚のはじまり
■ヘルマン・フォン・ヘルムホルツとは誰か?──ヤングの三色説を実証した“感覚科学の巨人”
■ヒューベル&ウィーゼル──一次視覚野と単純型・複雑型細胞が解き明かす“脳が作る映像”
■光のスペクトルとアイザック・ニュートン──“白い光”を疑った瞬間、科学は色を手に入れた