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✅ 第1章|RGBのない世界──それでも“世界”は存在する
私たちは「RGBという色の眼鏡」で世界を見ている
人間が“色”を認識できるのは、目の中にある「錐体細胞(すいたいさいぼう)」という光のセンサーのおかげです。
この錐体細胞には3つのタイプがあり、それぞれ**長波長(L)・中波長(M)・短波長(S)の光に反応します。
わかりやすく言えば、Lは赤、Mは緑、Sは青に対応し、これがRGB(Red・Green・Blue)**という色の三原色につながっているのです。
つまり人間は、RGBという“3色の感度”を使って世界を色づけしているにすぎません。
実際の世界はRGBで構成されているわけではなく、あくまで「人間の目がRGB的に世界を切り取って見ている」だけなのです。
他の生き物には、違う“色の世界”が広がっている
犬や猫の目には、人間ほど多くの色を区別する能力はありません。
一般に彼らは**青と黄色の2色しか感知できない二色型視覚(dichromacy)**を持っているとされています。
また、ウサギやシカなども、色よりも明るさや動きに敏感な視覚を持っています。
一方で、鳥や蝶、ハチのような昆虫の中には、人間には見えない紫外線(UV)領域の光を感知できる種も存在します。
一部の鳥類やエビの仲間には、**4種類以上の錐体細胞(四色型視覚/五色型視覚)**を持つものも確認されており、
彼らには人間とはまったく異なる「色の地図」が広がっているのです。
人間が“RGBで見ている世界”は、本当の世界ではない
このように考えると、私たちが「見えている」と思っている世界は、
**実際には“人間という生物種が持つ視覚機構”に合わせて再構成された“別の世界”**であると言えます。
もし人間が紫外線や赤外線を感知できる目を持っていたなら、
「色の三原色」も「デザインの色設計」も、いま私たちが使っている概念とはまったく違ったものになっていたはずです。
逆に、もし人間が色覚そのものを持たなかったら──
この世界は白と黒とグレーだけで構成された、まったく別の文化と美意識が発達していた可能性があります。
色は「世界の属性」ではなく、「目の性能によって生成された現象」
色は、花に咲いているわけでも、空に浮いているわけでもありません。
目が“そう見えるように”できているから、そう見えているだけ。
つまり──
色は**世界に備わった性質ではなく、見る側が持ち込んでいる“感覚的な前提”**なのです。
それでも、私たちは“RGBで切り取った世界”を信じている
人間の視覚はRGBで成り立っており、それに疑問を持つことはめったにありません。
でも、それはあくまで人間という種に固有の視覚体験にすぎず、
同じ世界にいても、生き物ごとに「見えている世界」はまるで違う可能性があるのです。
つまり──
「RGBで見る世界」は、現実の一面を映した“翻訳結果”にすぎない。
それでも、私たちはこの翻訳を信じ、世界を理解し、共有しようとしているのです。
✅ 第2章|白黒しか見えない世界だったら?──色のない文化の可能性
もし人間に“色覚”がなかったら、世界はどう見えていたのか?
私たちはふだん、赤や青、黄色や緑など、色の違いを何の疑問もなく受け入れています。
でも、もし人間が色を感知する能力を持たない種だったら──
この世界は、光と闇、明るさと暗さだけで構成された、まったく別の姿をしていたかもしれません。
実際、自然界には“色のない世界”に生きている生物もいます。
たとえば、深海魚や洞窟生物、夜行性動物の多くは、色を見分ける錐体細胞ではなく、明暗を感知する杆体細胞(かんたいさいぼう)が優位な視覚を持っています。
彼らにとっては、赤も青も存在せず、“明るいか・暗いか”だけが世界を構成する基準なのです。
文化や美意識は、“色なし”でも育っていたかもしれない
では、人類がそうしたモノクロの視覚しか持たない存在だったとしたら、
私たちの社会や文化は、どんなふうに発展していたでしょうか?
まず、美術の歴史が変わっていたはずです。
印象派のような色彩表現や、カラーデザインのような概念は生まれず、
代わりに、明暗・形・構図・動きの変化といった“視覚的リズム”こそが芸術の中心になっていたでしょう。
実際、ルネサンス期の巨匠たちはすでにその萌芽を見せていました。
たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチやカラヴァッジョは、色よりも明暗の対比──**「キアロスクーロ(明暗法)」**を重視した表現を多く残しています。
人間の視覚の原点には、まず「明るさの差」に感応する本能的な仕組みがあるのです。
写真も印刷も、“白黒の世界”から始まっている
私たちの身のまわりの技術を見ても、色の感知が前提だったわけではありません。
写真の歴史は1839年のダゲレオタイプに始まり、最初はすべてモノクロ(白黒)写真でした。
カラー写真が一般に広がるのは20世紀中盤以降──つまり、人類は“色のない写真”で十分に感動し、記録し、文化を築いていたのです。
印刷の世界でも同様です。
初期の新聞や木版印刷物、写真印刷(フォトグラビュールやコロタイプ)も、すべて階調=明暗の濃淡を表現するための技術でした。
色はあくまで後から追加された、“贅沢な要素”だったのです。
色がなくても、人間は“見ること”を諦めなかった
想像してみてください。
赤や青という区別がない世界で、あなたは何を見ていたでしょうか?
色がない世界では、きっと人間は形、陰影、輪郭、動き、素材の質感、構造のリズムにもっと敏感になっていたはずです。
そしてそこに、今とは違った“美しさ”や“意味”を見出していたのかもしれません。
まとめ:色がなくても、世界は豊かだったかもしれない
人間の文明は、最初からフルカラーだったわけではありません。
白と黒しかない世界でも、人は見つめ、考え、創造し、何かを残してきた。
だから、もし私たちに色がなかったとしても──
世界は“無色である”というだけで、決して“無価値”ではなかったはずです。
✅ 第3章|科学的に言うと、この世に“色”は存在しない
色は「物質」ではない──ただの“波の長さ”である
まず、色とは何か?という根本的な問いから始めてみましょう。
私たちは赤や青といった色を、まるで“物質そのものの属性”のように扱いがちです。
しかし物理学的に見れば、色の正体は**ただの光の波長(=電磁波の一種)**です。
たとえば──
-
700ナノメートル前後の波長 → 人間の目には「赤」に見える
-
500nm付近 → 「緑」として感じる
-
450nmあたり → 「青」として知覚される
けれど、これはあくまで「人間の目がそう感じている」というだけであり、
波長そのものが“赤い”わけではありません。
“黄色”や“マゼンタ”は、そもそも波長に存在しない色
さらに驚くべき事実があります。
私たちが当たり前に知っている「黄色」や「マゼンタ」には、対応する波長が存在しません。
たとえば「黄色」とされる色は、実際には赤と緑の中間波長ではなく──
赤と緑の光が同時に目に入ったときに、脳が“黄色だ”と解釈しているだけ。
「マゼンタ」に至っては、赤と青の端の波長を同時に受け取った際、
脳が補間的に“紫がかった色”を作り出して見せているだけで、物理的なスペクトル上には存在しない色なのです。
色とは“世界にある”ものではなく、“脳が作った知覚”である
このように、色とは**光という物理現象を、視覚と脳が組み合わせて生み出した“体験”**にすぎません。
そこには、物質的な実体はどこにもありません。
視覚心理学ではこれを「色は知覚であって、現実ではない」と定義します。
たとえば同じ色の紙でも、照明の色温度が変われば見え方は大きく変わりますし、背景が暗いか明るいかでも知覚が変化します。
つまり、**色は“存在している”のではなく、“脳が都度つくっている”**というのが科学的な見解です。
科学が証明する:“色は幻想”という結論
この視点は、神経科学、物理学、心理学、さらには人工知能の画像認識分野においても一致しています。
-
色には客観的な“定義”がない(標準光源の違いで見え方が変わる)
-
人によって色の感受性が異なる(色弱・色盲・加齢による変化など)
-
コンピュータは「色情報」を持つが、「色の意味」を理解していない
こうした事実が示すのは──
色とは、存在する“もの”ではなく、発生する“現象”であるということ。
そしてその現象は、視覚情報と脳の演算のなかで、人間が“勝手に感じている”に過ぎないのです。
それでも、私たちは色のない世界を受け入れられない
たとえ科学的に「色は存在しない」と言われても──
私たちは赤に情熱を見出し、青に静けさを重ね、緑に癒しを感じてしまう。
科学が「ない」と言っても、感情が「ある」と感じてしまう──そこにこそ、人間らしさがあります。
だからこそ色は、実体がないにもかかわらず、人類史を通じて強い力を持ってきたのです。
✅ 第4章|それでも私たちは“色”に意味を託す──文化としての色彩
色は“ない”のに、“ある”ものとして使われている
科学的に「色は存在しない」と言われても、
私たち人間は、日常のあらゆる場面で色を信じ、色に意味を与えて生きています。
たとえば──
-
赤は「危険」や「情熱」を示す
-
青は「冷静」や「誠実」とされる
-
黒は「喪失」や「権威」を象徴し、
-
白は「清浄」「はじまり」「正しさ」の象徴として扱われる
このような“色に意味を込める文化”は、世界中のあらゆる国や地域、時代において共通して見られる現象です。
それはまるで、存在していないはずのものに、意味や物語を託しているかのようです。
世界中にある“色の意味”──文化と言語が色を育てた
色に意味を持たせる文化は、言語と深く結びついています。
たとえば日本語には「青信号」「青二才」「青春」といった“青”のイディオムが数多く存在しますが、
英語圏では「greenhorn(未熟者)」「green with envy(嫉妬に燃える)」のように、違う色に違う感情が重ねられていることもあります。
また、色の持つ印象は宗教・地域・慣習・歴史的背景によっても大きく異なります。
-
白は西洋では「純粋・祝福」だが、東アジアでは「死や喪」を象徴する場面もある
-
赤は中国では「繁栄・お祝い」の色として重視される一方、欧米では「警告・戦い」の色とされやすい
-
日本では紫が「高貴」の色とされてきたが、欧米では葬儀を連想させる色でもある
つまり色とは、**感覚でありながら、文化によって解釈が変わる“意味の器”**でもあるのです。
色は“感情を伝える言語”として使われている
たとえば、赤を見れば緊張し、青を見れば落ち着く。
これは文化の刷り込みだけではなく、視覚的刺激としての色の作用が脳に影響を与えているという研究結果もあります。
-
赤は交感神経を刺激し、心拍数や血圧を上昇させやすい
-
青や緑は副交感神経を優位にし、リラックスや集中を促す
-
黄色は注意をひき、情報を目立たせるのに適している
このように、色はただ“感じる”だけでなく、感情や行動に影響を与える情報伝達手段としても働いているのです。
だからこそ、広告・パッケージ・ファッション・空間デザイン・インテリアなど、
あらゆる場面で“色の力”が活用されているのです。
存在しないものに、私たちは意味を込めた──色とは人間の“信仰”である
ここまでの章で、「色は脳がつくり出した現象であり、物質的に存在するわけではない」という科学的事実を見てきました。
にもかかわらず、私たちは色に感情をのせ、意味を与え、共通の理解として共有しようとしています。
それはもう、“信じる”という領域に近い感覚かもしれません。
色は、存在しないのに信じられている。
そして信じられているからこそ、社会で機能している。
その意味で、色とは**人類が創り出した“最も美しく実用的な幻想”**とも言えるのではないでしょうか。
✅ 第5章|印刷と写真は“色の再現装置”である──錯覚をどう写すか
色の再現とは、「錯覚の模倣」である
色が“物質として存在していない”とすれば──
写真や印刷の目的とは、「実体のない色」を、あたかもそこにあるように見せる錯覚装置をつくることに他なりません。
人間の視覚が光の波長を「RGB(赤・緑・青)」の三色で知覚しているのに対し、
印刷ではこれをCMY(シアン・マゼンタ・イエロー)という“色の影”の三原色で再現しようとします。
これは「加法混色」から「減法混色」への変換であり、まさに人間の錯覚を逆算して再構築する技術なのです。
RGB → CMYK変換──“光”から“インク”へ
デジタルカメラやディスプレイで私たちが見ている画像は、すべてRGBの光情報です。
しかしそれを紙にプリントしようとすると、**CMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・ブラック)**というインクに置き換える必要が出てきます。
このとき使われるのが、カラーマネジメントシステムや**RIP(Raster Image Processor)**と呼ばれる技術です。
-
RGBデータを、CMYの減法混色モデルに変換する
-
ICCプロファイルで「どのインク・どの紙・どの印刷機なら、どの色に見えるか」を事前に定義
-
RIPが網点処理やトーン再現を通じて“錯覚”を印刷物上に構築する
つまり、印刷とは人間の脳が“色だと思い込む条件”を緻密に計算し、インクで再現する行為なのです。
写真とは、“光の記憶”を再構成する技術だった
写真も同じです。
たとえばカラー写真のフィルムは、RGBそれぞれに対応した光の反応層を持ち、
撮影時に入ってきた光を三つの色に分解して記録していました。
現像後、それを再び統合して“色”として再現するという工程は、
いわば**「かつてそこにあった光」を、再度「錯覚として見せる」ための科学的操作**に近いものです。
-
銀塩写真 → RGBに対応した3層構造
-
インスタント写真(ポラロイド)やC-41現像 → 色素や染料でCMYの構造に変換
-
現代のインクジェット → 1/1000mm単位でCMYKのドットを設計・重ねて再現
写真とは「光の記憶を記録するもの」ですが、それを“現実に見える色”として再構成することこそが難しかったのです。
印刷の本質は「存在しない色を、存在するかのように見せること」
私たちが写真集やチラシ、雑誌、パッケージ、ポスターを見るとき、
そこに描かれた赤や青を「本物の色」として受け取っています。
しかし実際には、それはインクの小さな点の重なりでしかありません。
なのに、私たちはその“点の集まり”に心を動かされ、感情を抱き、記憶に残します。
それこそが印刷の力です。
存在しない色を、存在するように思わせる。
つまり印刷とは──
錯覚の記録装置であり、感覚の再生装置なのです。
✅ 第6章|まとめ:色とは何か?──それは“存在しないのに、確かにある”もの
色は「ある」と思っているだけかもしれない
このブログをここまで読んでくださったあなたなら、もうお分かりかもしれません。
色とは、実体のない現象です。
人間の目と脳が、光の波長を“赤”や“青”と翻訳しているにすぎず、
科学的に言えば、色は世界に存在しているのではなく、脳内で発生している感覚にすぎない。
それでも私たちは、赤い空に切なさを感じ、青い海に安らぎを覚え、
黄色い花に春の到来を重ね、モノクロの写真に何色もの記憶を重ねてしまう──
その“色を信じてしまう感覚”こそが、実は人間らしさそのものなのです。
「この世界に色は存在しないのかもしれない」
あらためて、こんな疑問が頭に浮かびます。
同じ世界に生きているのに、色が見えない生き物もいる。
ということは、もしかしたらこの世界に“色”は存在しないのかもしれない。
でも──
色が感知できる(思い込みかもしれない)私たち人間にとって、
色は確かに“ここにある”と感じられる。
しかも私たちは、光のない世界では生きていけない。
だからこそ、光があるかぎり、色もまた“ある”のです。
存在しないのに、意味がある。それが「色」だった
この矛盾を抱えながら、私たちは色と共に生きています。
-
実在しないのに、科学技術で再現しようとし続けている
-
見えているだけなのに、文化や宗教、言語が意味を与えてきた
-
誰にも見せられない感覚なのに、誰かと共有できると信じている
それはまるで、存在しないものに、確かなリアリティを与えてしまう人間の感受性の証そのもの。
そして──
印刷や写真とは、その“感覚の記憶”を物質化するための技術だったのかもしれません。
色とは、「ない」ことを知ってなお、「ある」と信じ続ける力
だから私たちは、これからも“色”を扱っていくでしょう。
色がなくても文化は築けるかもしれない。
でも──色があるからこそ、人間は意味をつくれるのです。
色とは、存在しないのに確かにある。
そしてそれを信じることが、人間の美しさそのものなのかもしれません。
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