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第1章|乾板写真とは何か──“あとで現像できる”という自由
撮影には“暗室馬車”が必要だった時代
19世紀中頃、写真撮影はまだ特別な行為だった。
湿板写真が主流だったこの時代、撮影には重たい機材だけでなく、現像作業をその場で行うための暗室設備まで必要とされた。
写真家たちはカメラと三脚のほかに、現像用の薬品や水、暗室として機能する馬車やテントを同行させなければならず、撮影は時間も手間もかかる“イベント”だったのである。
この制約を打ち破ったのが、**乾板写真(ゼラチン乾板)**の登場だった。
あらかじめ準備された感光板を使い、撮影後すぐに現像せずに済む──この仕組みが、写真の在り方を根本から変えていくことになる。
▶併せて読みたい記事 湿板写真とは?フレデリック・スコット・アーチャーが発明した“コロジオン湿板法”と高画質ネガ、暗室馬車の時代
あらかじめ乾かしておく、新しい写真の仕組み
乾板写真の仕組みはシンプルだった。
ゼラチン乳剤(ゼラチンを主成分とする感光液)をあらかじめガラス板に塗布し、乾燥させておくことで、撮影の際にはそのまま使用できる。
現場で板に薬品を塗る必要も、撮影後すぐに現像する必要もない。
湿板と異なり、撮影の前後に暗室作業を必要としないという利点が生まれたのである。
「撮る」と「現像する」を時間的に分離できる──
この自由こそが、乾板写真の最大の革新だった。
撮影の自由度を飛躍的に高めた乾板の登場
湿板写真では、露光から数分以内に現像しなければ感光が失われるため、写真家は常に時間と戦っていた。
乾板の登場は、撮影のスケジュールや場所に余裕をもたらし、野外での風景写真や旅行写真、報道写真といったジャンルの発展を促した。
また、ゼラチン乳剤は湿板に使われていたコロジオンに比べて取り扱いやすく、安定した感光性能を持っていた。
改良が進んだ乾板では、短い露光時間でも十分な像を得られるようになり、失敗の少ない撮影が可能になった。
この安定性と簡便さは、写真表現そのものの幅を広げることにもつながっていく。
写真が「趣味」として日常に入り込んだ瞬間
乾板写真が実現したのは、単なる技術革新ではなかった。
暗室を持ち歩く必要がなくなったことで、写真は特別な職能や設備がなくても楽しめるものへと変わった。
やがてアマチュア写真家が生まれ、家庭での記念撮影文化が広がっていく。
ゼラチン乾板は、その後に登場するロールフィルムや家庭用カメラの技術にもつながる“原型”だった。
乾板が開いた扉は、「誰もが写真を楽しめる時代」へとつながっていったのである。
第2章|リチャード・マドックスという人物──医師のまなざしが変えた写真の常識
医師であり、写真技術の革新者だった男
19世紀のイギリス。
リチャード・リーチ・マドックスは医師であり科学者でありながら、写真技術に強い関心を抱いていた。
顕微鏡観察の記録手段として写真を研究するうちに、彼は当時の写真技術が抱えるある問題に気づくことになる。
それは、湿板写真で使用されるコロジオンやエーテルといった薬品の危険性だった。
これらの揮発性薬品から発生する有毒な蒸気は健康被害のリスクが高く、多くの写真家たちが被害を受けていた。
しかし当時は“写真とはそういうもの”として誰も改善しようとはしなかった。
医師だったマドックスは違った。
「この技術は危険すぎる。もっと安全な方法があるはずだ」──そう考えたことが、彼を新たな発明へと導いていく。
医療素材が開いた、新しい感光材料の可能性
安全な感光材料を求めたマドックスが目をつけたのは、医療現場で使われていたゼラチンだった。
ゼラチンは本来、保護膜や薬剤の担体として利用されていた素材だ。
しかしマドックスは、このゼラチンが感光剤の基材としても機能することに着目した。
ゼラチンにはいくつもの利点があった。
-
温度変化に強く、薬品として安定している
-
液状ではガラス板に均一に塗布しやすく
-
乾燥すれば長期保存が可能
-
さらに乾燥してもゼラチン内部で感光剤粒子が安定して保持されることに気づいた
マドックスはこの特性に目をつけ、臭化銀などの感光剤粒子をゼラチン溶液内に均一に分散させた乳剤を開発。
この乳剤をガラス板に塗布して乾燥させることで、湿板写真のように常に濡れた状態で保持する必要がない、乾燥した感光板が誕生したのである。
「乾板」とは、まさに乾燥したまま使える感光板という意味だった。
乾燥した感光板──写真技術の原理が変わった
湿板写真では、コロジオンが乾燥すると感光層が失われてしまうため、撮影直前に薬品処理を施し、撮影後すぐに現像する必要があった。
これに対しゼラチン乳剤は、乾燥しても光に反応できる状態を維持できた。
この仕組みは写真技術そのものの前提を変えた。
-
撮影の前にあらかじめ感光板を準備しておける
-
撮影後すぐに現像せず、あとで処理できる
-
薬品の揮発や健康被害のリスクがなくなる
-
撮影現場での作業が大幅に簡単になる
つまり乾板写真とは、単なる「薬品を替えた技術」ではなく、
**写真とは“乾燥した状態でも光に反応する感光板で撮れるもの”**という原理そのものを変えた技術だった。
1871年──写真界に投じられた論文の衝撃
1871年、マドックスは自身の研究成果を**『British Journal of Photography』**で発表した。
この論文では、ゼラチン乳剤の製法から塗布方法、感光性能の検証に至るまで詳細に公開されている。
しかし発表当初、写真界の反応は鈍かった。
ゼラチン乳剤は製造が難しく、品質の安定性に課題が残っていたからだ。
だが数年後、チャールズ・ベネットらの改良によって製造技術は安定。
乳剤の感光性能も高められ、マドックスの乾板技術はようやく写真業界に受け入れられていく。
特許も利益も求めなかった発明者
マドックスは、ゼラチン乾板という画期的技術を発明しながら、特許を取得することもなく、商業的な利益も追わなかった。
ただ、「もっと安全で簡単な写真材料があればいい」──その想いだけが、彼の原動力だった。
結果として乾板写真は、写真撮影の仕組みそのものを変え、現場に暗室を持ち込むという制約を終わらせる技術となった。
そしてこの“乾板”という発明は、やがてロールフィルムや家庭用カメラにつながる写真技術の未来を切り開くことになる。
リチャード・リーチ・マドックス──
彼は写真技術のために、安全性と自由をもたらす原理の革新を成し遂げた発明者だった。
第3章|乾板がもたらした写真の新時代──暗室馬車の終焉と携帯性の革命
機材が「半分以下」に──写真家に訪れた身軽さ
乾板写真の登場は、写真家たちの撮影環境を根本から変えた。
それまでの湿板写真では、現場で撮影と同時に現像処理を行う必要があり、暗室馬車やテント型の可搬式暗室を常に同行させていた。
カメラや三脚のほか、薬品や水といった現像設備一式を持ち歩くのが当たり前だったのである。
乾板では、事前に乾燥させた感光板を準備しておけば、現場ではシャッターを切るだけ。
現像は後日、自宅やスタジオで行えばよい。
これにより、撮影に必要な機材や薬品は大幅に減少し、山岳地帯や遠隔地でも自由に撮影できる時代が訪れた。
「その場で現像しなくていい」──時間と空間の解放
乾板がもたらした最大の変化は、撮影と現像を分離できることだった。
撮影した直後に現像を行う必要がなくなり、写真家たちは撮影のスケジュールや場所を自由に選べるようになった。
これにより、野外風景や旅行先での記録、探検隊による未知の土地の撮影といった、新たな写真ジャンルが急速に広がっていく。
乾板の普及は、“写真はスタジオで撮るもの”という常識を覆し、写真をより多様な場面で活用できる表現手段へと押し広げていった。
写真の用途が広がった──「記録」の手段としての発展
乾板の技術は、当時の写真家たちに新しい撮影目的を生み出した。
特に、旅先での風景撮影や動植物の観察記録といった分野では、機材の軽量化と撮影の簡便化が重要な後押しとなった。
また、戦争や災害といった現場を記録するための撮影にも乾板技術は利用されるようになり、写真を「記録の手段」として捉える価値観がより強まっていった。
この傾向は、のちの報道写真の発展へとつながっていく。
芸術か記録か──写真の意味が変わりはじめた時代
乾板写真は、写真の在り方そのものにも影響を与えた。
暗室設備に縛られず、光や構図に集中できる環境が整ったことで、写真は単なる記録技術ではなく自由な表現手段としての価値を高めていく。
それは芸術か、記録か──。
そうした問いかけが活発になる時代を後押ししたのは、乾板による撮影環境の自由化だったともいえる。
「撮りたい瞬間に、撮れる」という体験は、やがてロールフィルムやインスタントカメラ、さらに現代のスマートフォンにまで受け継がれていくことになる。
第4章|乾板が開いた未来──ロールフィルムにつながる技術の扉
ガラス板という“最後の壁”
乾板写真は、「その場で現像しなくてよい」という時間的な自由を写真にもたらした。
湿板時代のように現像設備を持ち歩く必要はなくなり、写真は日常に入り込むチャンスを手にした。
しかし乾板には、もう一つの大きな課題が残されていた。
それは感光板がガラス製であることだった。
重く割れやすく、かさばる──この素材の問題は、写真を本当の意味で「持ち運べる技術」にするうえで、最後の壁となっていた。
「あとで現像できる」発想が次の進化を生んだ
乾板がもたらした最大の発想は、「撮る」と「現像する」を分離できるという仕組みだった。
この自由は、写真家の行動範囲を広げただけでなく、撮影そのものに集中できる環境をつくった。
そして、この「あとで現像できる」という考え方は、やがて柔軟なフィルム素材を用いる技術へと発展していく。
乾板の技術そのもの──ゼラチン乳剤による感光層は、そのまま次世代のロールフィルムにも受け継がれた。
つまり乾板は、「写真はこうあるべき」という従来の前提を覆し、その後の技術進化の土台となった存在だったのだ。
技術の進化が写真文化を変えていった
乾板の仕組みによって、写真は暗室と薬品に縛られた特別な技術から、より身近な表現手段へと近づいていった。
ガラスという素材の制約が解消されたとき、写真は本当の意味で誰もが楽しめる道具へと変わることになる。
その流れの中で、より軽く扱いやすいロールフィルムが誕生し、写真は家庭の中や旅先、日常生活の中へと急速に広がっていく。
乾板は直接使われ続けたわけではない。
しかし、その技術と思想の両方が、次の世代の写真技術に確かに受け継がれていったのである。
そして次の革新へ──
乾板がつくり出した「あとで現像できる写真」の世界は、やがて柔らかく巻き取れるフィルムの登場によって、さらに進化していく。
写真は、“限られた専門家の道具”から、“誰もが使える記録手段”へと生まれ変わろうとしていた。
その次なる革命を導いたのが──
ジョージ・イーストマンという人物だった。
彼の革新と、その先に続く写真技術の物語は、他の記事で詳しく紹介したい。
▶併せて読みたい記事 ロールフィルムの発明とは?ジョージ・イーストマンが変えた写真の歴史と民主化、Kodakの革命
まとめ|乾板は、現代写真のはじまりだった
「現場で現像」が当たり前だった時代に生まれた技術
19世紀中頃、写真撮影はまるで化学実験のようだった。
重たい機材に加え、撮影直前に薬品を塗った感光板を用意し、撮影後すぐに暗室で現像しなければならない──そうしなければ写真は失敗してしまう。
こうした「その場で現像すること」が常識だった時代に、リチャード・リーチ・マドックスが生み出した乾板写真は革命だった。
ゼラチン乳剤を使った乾板は、事前に準備して持ち運びができ、撮影後すぐに現像しなくてもよいという仕組みを実現した。
写真は、はじめて「撮影と現像を分けられる」技術になったのである。
技術が写真に与えたのは、「撮影の自由」だった
乾板写真がもたらした最大の変化は、技術そのものではなく撮影環境の自由化だった。
現像設備に縛られず、暗室を持ち歩かずに済むことで、写真家たちは場所も時間も選ばずに撮影できるようになった。
これにより、風景や旅行、未知の土地、そして日常の記録写真など、多様な被写体や撮影スタイルが生まれていく。
写真は、技術者や専門家だけのものから表現や記録の手段としての広がりを見せ始めたのである。
「誰もが写真を撮れる時代」への橋渡し
乾板は、写真を“特別な技術”から“持ち運べる道具”へと進化させるための重要な中間点だった。
写真が本当の意味で**「誰もが撮れる」**ものになっていくのは、その後のロールフィルムや家庭用カメラの登場を待つことになる。
だが、そのための技術的基盤をつくり、写真の在り方そのものを変えたのは、間違いなく乾板写真だった。
「あとで現像できる」という発想。
それは、現在のフィルムカメラやデジタルカメラ、そしてスマートフォンのカメラ機能にも通じる写真技術の原点と言える。
乾板写真とは何だったのか
乾板写真は単なる一時代の技術ではない。
それは、写真が「自由に記録できる道具」へと進化した起点だった。
リチャード・リーチ・マドックスの発明が開いたその扉は、現代の写真文化につながっているのである。
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